2009年03月24日
新アイテム登場
2ヶ月になった。最近こぶしごと口の中に入れようとすることを覚えたようだ。おしゃぶりというレベルではない。この子は豪快な子になるのだろうか。
そして、なかなかうちの娘はベビーベットで寝ない。親子3人一緒のベットで添い寝ばかり。ベビーベットに入れると嫌なのか(?)布団を取ろうとしてそこから出ようとがんばっている(が当然できない)。
加えて困るのは、寝たと思ってベビーベットに置いて寝かしても、お母さんが料理などで台所にいって自分の近くにいないとわかるとすぐ泣くこと。さびしんぼうだ。それでいて夜更かしもする。夜中まで寝ない。「tana家一家全員就寝!」といっても全く寝る気配なく目がらんらんとしている。結局添い乳しないと寝ない。いつベビーベットで寝れるのやら。それでいて朝は寝ぼけて起きない。ナマケモノだ。まったく四六時中一緒にいるお母さんも大変だ。
そんな中、新アイテム登場!
妻の友達からもらったものだが、これは布の上で足をバタバタさせると鈴の音がするからくりになっている。その他光ったりオルゴールが流れたりもする。ここにいる間、しばらく娘の注意がそちらにいくというすぐれもの。
・・・が、最近さっそく飽きてきたような気もする。
今日は今日で、娘にケータイで撮った娘の写真を見せた。
しばらくきょとんとしてたが「誰だこれは」という感じで興奮し、うーえーあーと色々しゃべりだす。次、鏡を娘の前に見せる。当然そこには娘が映っている。もちろん「お前誰だ」という感じで興奮しているが、そのうち同じしぐさをするので気持ち悪くなったのか泣き出した。
泣いたので鏡をしまう。「はいはい、お化けがいたんかねー。もうおらんよ~」とかいいながら抱っこ。
そしてしばらく泣き止まなかったのでどうしたのかと思ったらおむつだった。
2009年03月22日
ほんとに最後の市民球場
と、ともに今日はほんとに最後となり、2万6千人もの人が入り、オープン戦とは思えない雰囲気。
試合のほうはC3-3T。
前回褒めた梵とシーボル、今日はいまいち。
嶋、レフトポール際への市民球場ホームランで同点。
最後のバッターとなった倉は完全にサヨナラホームラン狙いだったと思う。
上)最後のジェット風船
中)試合終了後サインボール投げ入れも終わりすべてが終わったグランド
下)ありがとう!市民球場
2009年03月20日
新球場と測量用野帳
あと1週間で完成の新球場(他の写真はここに)
がっかりだ。
・・・というのも、私は15年くらい前から測量用野帳(レベルブック:写真左:深緑)を持って旅に出ている。私にとってごくごく当たり前のアイテムだからである。
なにしろこのレベルブック、縦罫横罫が引いてあり言葉も簡単な絵も書きやすい。私は主に旅先での行動の記録や買ったものその金額(小遣い帳)、またその時思ったつれづれなどを書き綴る日記代わりにもなっていた。また、表紙が厚いので駅や車内などどこで書いても表紙が下敷きがわりになって書くときに書きやすい。そしてなによりかさばらない。いろいろ書けるようにとA4版やB5版のノートを持っていってたときもあったが、結局これに勝るものはないという結論に達した。また、昔は切符やチケットなども挟み込んでテープやホチキスでとめたりしてそのまま保存できるようにもしていたが、最近はどうでもよくなったのかあまりしていない。
そんなわけで何泊かする旅に出るときは大抵新しいのを持って出ている。
デジカメで写真に撮ったり旅行記で文章を残したりしているものの、こういうもので残るというのもいいものだ。普段はそれ専用のダンボールに入れてるのであまり見ることは無いが、時たま部屋の整理などでダンボールを開けて改めて見返し、当時を思い出し、結果部屋の整理が全然進んでなかったなんてことは皆さんもよくあることだろう。
記録とともに日記代わりにもなっているが、最近は娘の記録を赤いペンで書くようにしており、その面積が増えてきているような気がする。
例
・最近は機嫌がいいと「☆△※*■○・・・」など意味不明な言葉で話しかけてくる。それだけでかわいいのだが、訳されると多分「乳飲ませろ」とか「おむつだよ」とかそんなのだろう。
・夜、寝る時間が長くなったような気がする。
・娘ギャン泣きデー
さてBE-PALの件で多少がっかりはしたものの、いろいろ考えるとようやく時代が私に追いついたともいえる。このレベルブックを持って旅している人をこれまで一人も見たことがなく(まぁ測量用だから仕方もないが)、こんな零細文具はいずれ淘汰されていくのではないかという危惧もあったため、こういうところで紹介されてなによりだ。
やはり時代が私にようやく追いついたのだろう。
2009年03月15日
今年最初の市民球場
去年の9月で終わったかと思ったのだが、再びオープン戦にてここで観戦することに。そしてこのユニフォームを見るのは最後になるのだろう。
3月の屋外。気温は2月並みのよう。いやぁ、それにしても寒かった。
梵も寒そうだ。
ちなみに両チームあわせて得点はこの梵のタイムリーのみ。先発篠田も決してピリッとしてなかったし、相手投手も同様で、投手戦というより貧打戦という感じ。赤松と梵がいい感じかなと思ってたらチャンスにポップフライを打ってしまい去年のことを思い出した。ポップフライのことはこのユニフォームとこの球場に置いたまま、新しい球場へ行こう。
さて、嶋はいまだノーヒット、一抹、いや大変に不安があるが、片やシーボルは元気そうだ。
最初のころは「いつ点が入るのか」なんて思ってたが、ここに来てオープン戦とはいえ5連勝。
いよいよ今年は新球場になるのだが、自由席は内野2階席のみとなり、ふらりと気軽に行けるという感じがなくなってしまうのは残念。まぁそれはそれとして行くんだろうけど。
そして来週はほんとに最後の市民球場です。
==今年も鯉の話題は別館ブログ「鯉が優勝するまで続けるブログ」で開催予定です。==
2009年03月09日
産まれて1ヶ月半~頭がでかい雛人形~
カレンダーを数えると無事、産まれて1ヵ月半が経過したようだ。
随分と大きくなって顔もしっかりしてきたように思う。
そして私は4月から再び広島市内へ行くことになり、これから引越しなどいろいろあるのだが、先週末から鼻が詰まって喉が痛い。
こりゃ、三十数年生きてきてついに花粉症になったか?
・・・なんて思ったが、これは先日寝ている間に妻と娘に掛け布団と毛布を奪われたのが原因だろう。娘はあんな小さな体でまったく小悪魔だ。そして小悪魔らしくよく泣く。最近「寝くじ」を覚えたのか寝る前によく泣く。
小悪魔はギャン泣きするときは、いきなりでかい声で泣き出したり、その泣き声もだんだんとしっかりしてきて人間の声のようだ。まぁ人間なんだけど。
最近こそ長く寝るようになったものの、やはり夜も1~2回は泣いて起こされる。
私は仕事で昼間寝れないからと、妻は娘が夜中ギャン泣きする前に(つまり私が起きてしまう前に)、娘をあやしたり添い乳したりしてくれるようだ。まぁ眠いときは何があろうと寝られるので実際起きて確認したわけではないが妻の話によるとそのようである。さすがは私の妻である。でも掛け布団と毛布は奪っていく。
というわけで多分私は風邪なのであり、先日来より葛根湯を飲んでいる。葛根湯は食前に飲むといいらしい。でも忘れることが多く1.5日に1回くらいの割合で飲んでいる状態である。これじゃあ治るものも治らないだろう。加えて今日の夜も、普通に食事してて葛根湯飲むの忘れたことに気づいた。
そんな話をしていると妻に「食間でもいいみたいよ」といわれ、じゃあ半分くらい食べ終わった今がちょうどいいか・・・と飲もうとすると、慌てて止められた。
どうも、食間とは「食事と食事の間でだいたい食後2時間くらい」というらしい。知らんかった。
まったく理不尽だ。
おむつも新生児用からSサイズになった。
機嫌のいいときは手足をバタバタさせながらとびきりの笑顔をみせてくれる。あーとかうーとかやーとかはーとか色々しゃべりだす。しゃべる練習をし始めたのか?
日々、いろいろと大変で、産まれたときのことが遠い昔のようだが、この笑顔を見るとなんともいとおしい気持ちになる。まぁ泣き顔にも最近慣れてきて泣き顔を見ても心が和むようになったかな。
2009年03月01日
長男邸ファイナルにて
金曜日、次男にファーストキスを奪われそうになり速攻で娘を奪い返した経緯もあり、これは危険と今日は事前にお父さんお母さんとファーストキスを済ませて再び長男邸へ。
そんな今日は長男と次男でこのようなことをやりはじめてからおかしくなった。

私が今日、粟国Tシャツを着て来てたことから・・・

復活!粟国ブラザーズ
次に長男次男は次の衣装に着替えようと楽屋に戻る。私は「あっ、尚円王のTシャツ忘れたなー」と思い娘のところへ戻ろうとしたが、長男に呼び戻される。

幻の「尚円王に家来の長男次男」の半年振りの復活
長男が同じ尚円王のTシャツを持っていたため事なきを得た(「尚円王に家来の長男次男」の話はここに)
恐るべし長男劇場である。
撮影会が終わった後、娘のところに戻ったとき、なんとなく娘の視線が冷たかったような気がする。「お父さん、あんなことはもうやめて」と言ってるような視線だった。そうか・・・、娘に言われりゃ仕方ない。
よし、今日でメガネ兄弟は解散!!?
(いや、私は従兄弟だから関係ないか・・・)
4月より長男は滋賀県へ行くことになった(ちなみに私は4月広島市内へ引っ越すことに)。京都も近いし遊びに行くことになりそうだ。というか那覇空港とか、もしくはどこかのガマの入口とかでも現地集合になることだろう。
長男邸にて
そんな今日は長男と次男でこのようなことをやりはじめてからおかしくなった。
私が今日、粟国Tシャツを着て来てたことから・・・
復活!粟国ブラザーズ
次に長男次男は次の衣装に着替えようと楽屋に戻る。私は「あっ、尚円王のTシャツ忘れたなー」と思い娘のところへ戻ろうとしたが、長男に呼び戻される。
幻の「尚円王に家来の長男次男」の半年振りの復活
長男が同じ尚円王のTシャツを持っていたため事なきを得た(「尚円王に家来の長男次男」の話はここに)
恐るべし長男劇場である。
撮影会が終わった後、娘のところに戻ったとき、なんとなく娘の視線が冷たかったような気がする。「お父さん、あんなことはもうやめて」と言ってるような視線だった。そうか・・・、娘に言われりゃ仕方ない。
よし、今日でメガネ兄弟は解散!!?
(いや、私は従兄弟だから関係ないか・・・)
4月より長男は滋賀県へ行くことになった(ちなみに私は4月広島市内へ引っ越すことに)。京都も近いし遊びに行くことになりそうだ。というか那覇空港とか、もしくはどこかのガマの入口とかでも現地集合になることだろう。
タグ :メガネ三兄弟
2009年02月26日
長男邸セミファイナル&ファイナル
どのにいくのか?「関東方面と思っていたが関西方面だった」と本人は言ってるが、今となってはこれもほんとかどうか怪しい。
まぁどこへ行くにしても、あの部屋の荷物(7,000冊もの本、泡盛コレクション、カヌーにスキーにキャンプ用ベットにドラえもんに、その他変なものいろいろ。)がどうなるのかが気になる。
みんな口々に「やっぱり倉庫か何か借りて『長男ミュージアム』でもつくったらいいじゃないか」などと無責任に提案もしているが、何を隠そうその元ネタは私が書いていたようだ。
無責任にこんなことを書き、今となってはそれなりに反省している次第である。
さて、金曜日と日曜日、長男の前途を祝って長男邸一時閉鎖の宴が行われる。いっぱい人が集まることだろうから床が抜けないか心配だ。これまでも「こんなに本があっていつか床が抜けますよ」と笑いながら話していたが、最後の宴で人が集まりすぎて本当に床が抜けてしまったらなんとも長男邸らしい終わり方となって大笑いするに違いない。
そんな中、我々は無謀にも我が娘も両日連れて行くことになった。産まれて1ヶ月が経過し徐々に外の世界に慣らしていこうというこの時期に、すべてを超越したディープな場所に連れて行くのもどうかとも思わなくもないが、娘は娘で娘の世界で泣いたり寝たりするだけだろうからまぁ親が思うほど気にすることもなかろう。知らない間に変な菌がうつらないようにだけ気をつけなければならない。
2009年02月21日
インフルエンザ?
そろそろ娘の記事は一段落させ「それゆけシーボル!」など鯉関係の記事でも書こうかと思っていたが、練習試合で昨年日本一の西武に9対0と大敗したみたいだし(まぁシーボルは出てなかったけど)、気持ちに新たに結局娘の記事を書いてしまうのであった。
それもそのはず、今週はこんなことがあった。
木曜日の夜、妻から「風邪ひいたかも」と電話があった。ちなみに風邪をひいたのは妻のようである。寒気と下痢があり、その日吐いたらしい。
前日とその日の晩にカキを食べたようでノロウイルスなのか怪しい。
加えて日曜日に救急センターに行ったときもこれまた怪しい経緯がある。病院の待合室で妻の友達と偶然ばったり会ったんだが、子供がインフルエンザになって診察に来たという・・・。その時妻はその子供とも親しげに話してた・・・。
熱は38度あるという。
4日間の潜伏期間を経てインフルエンザになったというのも非常に怪しい。
その晩は用心して娘と隔離させ久々に哺乳瓶でミルクを飲ませたようだが、飲まなくて大変だったという。子供心に「これじゃない!これじゃない!」と思ったことだろう。
次の金曜日、病院に行き普通の風邪だったことが判明。乳も与えていいということでほっと一安心。まぁ風邪は風邪だから用心しないといけないんだろうけど、金曜の晩私が実家に帰った時は全く風邪などなかったかのようにピンピンしてて、今日、土曜日は晴れて1ヶ月経ったのと、運転手(私)がいることからちょっとの時間だがソレイユまで行ってしまった。久々の買い物で妻は満足そうだ。ソレイユにいる間娘も満足そうにだっこ紐の中で寝ている。そして風邪はどっかへいってしまったようだ。
今日、分娩(吸引分娩)の時に撮ったビデオを最初から見直した。
思い起こせば大変な分娩だったなぁ。
あの時はあの時で大変だったんだけど、今も今で別の大変さがある。
でも娘は最近「あぅ」とか少し話しかけるような言葉が出るようになった。そして最近特に目がキョロキョロしだしたという。いろんなものが見えてきだしたか?
でも泣き声は1ヶ月前に比べて激しくなった。大泣きした時など時にどうしたらいいかわからないときもある。娘なりに「私はこうしてほしいのだ!」という主張があるのだろうが。
寒い日暖かい日を繰り返してだんだんと暖かくなってくるように、毎日紆余曲折ありながらもだんだんと成長していってるなぁとこの頃感じる。そんな日々に向き合えることができて嬉しい。
無事、生まれて1ヶ月が経過しました。
それもそのはず、今週はこんなことがあった。
木曜日の夜、妻から「風邪ひいたかも」と電話があった。ちなみに風邪をひいたのは妻のようである。寒気と下痢があり、その日吐いたらしい。
前日とその日の晩にカキを食べたようでノロウイルスなのか怪しい。
加えて日曜日に救急センターに行ったときもこれまた怪しい経緯がある。病院の待合室で妻の友達と偶然ばったり会ったんだが、子供がインフルエンザになって診察に来たという・・・。その時妻はその子供とも親しげに話してた・・・。
熱は38度あるという。
4日間の潜伏期間を経てインフルエンザになったというのも非常に怪しい。
その晩は用心して娘と隔離させ久々に哺乳瓶でミルクを飲ませたようだが、飲まなくて大変だったという。子供心に「これじゃない!これじゃない!」と思ったことだろう。
次の金曜日、病院に行き普通の風邪だったことが判明。乳も与えていいということでほっと一安心。まぁ風邪は風邪だから用心しないといけないんだろうけど、金曜の晩私が実家に帰った時は全く風邪などなかったかのようにピンピンしてて、今日、土曜日は晴れて1ヶ月経ったのと、運転手(私)がいることからちょっとの時間だがソレイユまで行ってしまった。久々の買い物で妻は満足そうだ。ソレイユにいる間娘も満足そうにだっこ紐の中で寝ている。そして風邪はどっかへいってしまったようだ。
今日、分娩(吸引分娩)の時に撮ったビデオを最初から見直した。
思い起こせば大変な分娩だったなぁ。
あの時はあの時で大変だったんだけど、今も今で別の大変さがある。
でも娘は最近「あぅ」とか少し話しかけるような言葉が出るようになった。そして最近特に目がキョロキョロしだしたという。いろんなものが見えてきだしたか?
でも泣き声は1ヶ月前に比べて激しくなった。大泣きした時など時にどうしたらいいかわからないときもある。娘なりに「私はこうしてほしいのだ!」という主張があるのだろうが。
寒い日暖かい日を繰り返してだんだんと暖かくなってくるように、毎日紆余曲折ありながらもだんだんと成長していってるなぁとこの頃感じる。そんな日々に向き合えることができて嬉しい。
無事、生まれて1ヶ月が経過しました。
2009年02月16日
泣いてる理由がわかった日
2/13(金)夜、実家へ帰る
今日は娘は昼からギャン泣きだという。
こうなったときの娘はサルのような顔になってギャーギャーいって泣く。誰にも止められない勢いだ。ほんとに何が原因で泣いてるかわからないから大変だが、どうもおむつかぶれを起こしていることに夜気づいた。尻が真っ赤になっているではないか。こちらもサルのようだ。
もしかして今までも大泣きすることはあったがこれが原因か?・・・今更ながら気づく。
どうりでさっき「私が来たからには・・・」と抱いても無遠慮に尻をさわってたりしてたから背中を反らしてまで痛がってギャーギャー泣いていたのか・・・
やはり何か原因があったのだろう。小手先であしらうように対応して悪かったと思ってる。
でも泣いてる理由がわかってほっとする一夜となった。
対処法としてベビーオイル塗ったり、更にひどくなったらアンダーム軟膏塗ったり、あとこまめにオムツを替えたりするしか手はないようだ。
子育ては大変だ。
土曜日に更に気づいた。うんちをするときに激しく泣いている。もしかして出口の辺もかぶれてて痛いのか?なんとなく腸重積も気になると妻は言う。
そして更に日曜日、前の方の股のくびれのところも赤く腫れ上がっている。こちらの方は育児の本に写真で載っていたガンジダ症(カビに感染して皮膚が炎症を起こすという症状)という症状に似ていたので気になった。
時折ギャーギャーいいながらも前日の夜は何事もなく寝ていたが、また昼間、やっぱり痛がっている感じもするので、色々気になることもあり日曜日だが小児救急センターへ行った。
さて、普通新生児は生後1ヶ月はだいたい家にいて、1ヵ月後くらいから徐々に少しづつ日光浴させるといいという。妻が産科に行ったりとかもあったからかれこれチャイルドシートに乗るのは4~5回目になるという。加えて言うと産んだ後のお母さんも1~2週くらいは安静が基本であり、3週目くらいから軽めの家事をしていいという程度のようである。上述の外出に加えて数回、近所のスーパーに買い物に行ったりしている。やっぱり落ち着きの無い親子になりそうだ。
車で行く途中、旅好きの父親の遺伝子が災いしたのか娘はこれまでの痛いのが何もなかったかのように上機嫌で寝ている。
そして病院について改めて思った。こんなことで救急センターまで行っていいのだろうか。
子の状態は気になるものの、一晩待って月曜の普通の診察でもいいのではないか。
そのため受付でも診察時でも、「下痢ではないが便がちょぼちょぼとしか出ない、昨日の晩一気に出たらすやすやと寝てくれた」との話を加え症状2倍増しくらいにして話(まぁ事実だが)をしたが、診察の結果、腸の方は元気なようだし前の腫れ上がりも「引き続きアンダームを塗り続けていいですよ」と特になんともなかった。
大泣きするのは便が出きらなくて苦しんでるかもしれないから綿棒などでちょっと手伝ってやるといいですよという。
こんな程度で救急センターまで来てと恐縮してしまったが、先生は「日曜日だろうと来てもらって安心してくれたらそれでいいんですよ。そのための小児救急センターですから」という。
大人とは違って新生児に我慢などと力で押さえつけることはできない。緊急性の度合いも大人とは異なる。初めての子育てで睡眠不足もあるしほとんど家にこもりがちだし不安もあって神経質にもなってる。親も勝手がわからないけど、子も何もかも初めてのことばかりで勝手がわからず戸惑ったりしている。だけど、それも日を重ねる度に慣れてくるだろうと。
乳幼児の医療費助成制度で診察料は500円となっている。
「アンダーム軟膏」をひとつ処方してもらい、処方箋を持って前の薬局でもらいにいく。普通に薬代を払おうとしたが無料だったことにびっくりした。日本全国そうなのか呉市だからそうなのかわからないけど。
思えば子供の頃は病院が身近な存在だったが、大人になってからほとんど行くことはなくなった。
風邪などで熱が出て苦しいときも病院に連れてってもらったらこれで楽になれるんだと安心してた覚えがある。病院って安心を確認する場所なんだなって改めて思った。
今日は娘は昼からギャン泣きだという。
こうなったときの娘はサルのような顔になってギャーギャーいって泣く。誰にも止められない勢いだ。ほんとに何が原因で泣いてるかわからないから大変だが、どうもおむつかぶれを起こしていることに夜気づいた。尻が真っ赤になっているではないか。こちらもサルのようだ。
もしかして今までも大泣きすることはあったがこれが原因か?・・・今更ながら気づく。
どうりでさっき「私が来たからには・・・」と抱いても無遠慮に尻をさわってたりしてたから背中を反らしてまで痛がってギャーギャー泣いていたのか・・・
やはり何か原因があったのだろう。小手先であしらうように対応して悪かったと思ってる。
でも泣いてる理由がわかってほっとする一夜となった。
子育ては大変だ。
土曜日に更に気づいた。うんちをするときに激しく泣いている。もしかして出口の辺もかぶれてて痛いのか?なんとなく腸重積も気になると妻は言う。
そして更に日曜日、前の方の股のくびれのところも赤く腫れ上がっている。こちらの方は育児の本に写真で載っていたガンジダ症(カビに感染して皮膚が炎症を起こすという症状)という症状に似ていたので気になった。
時折ギャーギャーいいながらも前日の夜は何事もなく寝ていたが、また昼間、やっぱり痛がっている感じもするので、色々気になることもあり日曜日だが小児救急センターへ行った。
さて、普通新生児は生後1ヶ月はだいたい家にいて、1ヵ月後くらいから徐々に少しづつ日光浴させるといいという。妻が産科に行ったりとかもあったからかれこれチャイルドシートに乗るのは4~5回目になるという。加えて言うと産んだ後のお母さんも1~2週くらいは安静が基本であり、3週目くらいから軽めの家事をしていいという程度のようである。上述の外出に加えて数回、近所のスーパーに買い物に行ったりしている。やっぱり落ち着きの無い親子になりそうだ。
車で行く途中、旅好きの父親の遺伝子が災いしたのか娘はこれまでの痛いのが何もなかったかのように上機嫌で寝ている。
そして病院について改めて思った。こんなことで救急センターまで行っていいのだろうか。
子の状態は気になるものの、一晩待って月曜の普通の診察でもいいのではないか。
そのため受付でも診察時でも、「下痢ではないが便がちょぼちょぼとしか出ない、昨日の晩一気に出たらすやすやと寝てくれた」との話を加え症状2倍増しくらいにして話(まぁ事実だが)をしたが、診察の結果、腸の方は元気なようだし前の腫れ上がりも「引き続きアンダームを塗り続けていいですよ」と特になんともなかった。
大泣きするのは便が出きらなくて苦しんでるかもしれないから綿棒などでちょっと手伝ってやるといいですよという。
こんな程度で救急センターまで来てと恐縮してしまったが、先生は「日曜日だろうと来てもらって安心してくれたらそれでいいんですよ。そのための小児救急センターですから」という。
大人とは違って新生児に我慢などと力で押さえつけることはできない。緊急性の度合いも大人とは異なる。初めての子育てで睡眠不足もあるしほとんど家にこもりがちだし不安もあって神経質にもなってる。親も勝手がわからないけど、子も何もかも初めてのことばかりで勝手がわからず戸惑ったりしている。だけど、それも日を重ねる度に慣れてくるだろうと。
「アンダーム軟膏」をひとつ処方してもらい、処方箋を持って前の薬局でもらいにいく。普通に薬代を払おうとしたが無料だったことにびっくりした。日本全国そうなのか呉市だからそうなのかわからないけど。
思えば子供の頃は病院が身近な存在だったが、大人になってからほとんど行くことはなくなった。
風邪などで熱が出て苦しいときも病院に連れてってもらったらこれで楽になれるんだと安心してた覚えがある。病院って安心を確認する場所なんだなって改めて思った。
2009年02月08日
2週間と3日が経過~怪獣との格闘編~
2/6(金)の夜、妻の実家へ。
赤ちゃんなんてしょせんサルのようなものだと思っていたが、うちの娘は特別かわいいのである。
私は先週から今週にかけて仕事が鬼のように忙しくなり(別に出産で休んでたからというわけではない)ほとんど家には寝に帰るという状態。最後の方は心も折れそうになりながらもなんとか終えて帰ってきた。しかし、娘(と妻)の顔をみると自然に顔もほころび元気がでてくるから不思議だ。
1週間ぶりに会う娘は黄だんがなくなって顔が白くなっている。これは色白美人だ。親バカとでもなんとでもいってもらって構わない。
そんな娘も寝てたりきょとんと目を開いてたりするだけだと天使なのだが、時に、いやかなりの時間、怪獣になる。腹が減ったのかおむつなのかわからないが泣く。奴も最近では手足をバタバタさせるというテクを覚えてきたようだ。まぁこいつは泣くのが仕事だからとほおっておくと更にワントーン激しく泣き叫ぶ。なにしろ何が原因なのかわからないから困る。といって乳をやるとお母さんに抱かれ安心するのかちょっと飲んで目をつむり寝だす。お前はナマケモノか?起きんかい!!というも我関せず。この怪獣と毎日付き合ってる妻は大変だと思う。
他人事のように言ってるように思えるかもしれないが、私も昨日の夜は大変だった。
夜1時頃、ぐずって寝かせてくれない、上記のようなやりとりを経て娘はノドを痛めるんじゃないかというくらいのレベルで泣きわめく。
オムツも替えたし、まぁ乳も飲まないしで妻も疲れてあとは任せたと言って寝てしまった。ミルクをつくっても飲まなくなったので、こりゃ抱かれたいだけかと思いひたすら抱いたまま揺らしたりしてあやす。娘もしばらくして泣くのにも疲れたのか次第に目がつぶれていき、しばしして(ようやく)寝てしまったようだ。そして今がチャンスと起こさないようにそおっと隣に寝かす。こうなってようやく私も寝れるのである。やれやれである。
さて、どのくらい寝れるのかといえば、2時間くらい。
4時頃、隣でフギャーっていいだした。今度は妻に乳やりを任せて私はもうひと寝入りすることとした。ふぅ。
もう1ヶ月もすれば何を求めて泣いているのかが泣き加減によってわかるという。いずれにしても寝ている娘を間に家族3人川の字になって(真ん中がまだ極端に短い川の字だが)なんやかんやと話する時は幸せな時と呼べるのだろう。
赤ちゃんなんてしょせんサルのようなものだと思っていたが、うちの娘は特別かわいいのである。
私は先週から今週にかけて仕事が鬼のように忙しくなり(別に出産で休んでたからというわけではない)ほとんど家には寝に帰るという状態。最後の方は心も折れそうになりながらもなんとか終えて帰ってきた。しかし、娘(と妻)の顔をみると自然に顔もほころび元気がでてくるから不思議だ。
1週間ぶりに会う娘は黄だんがなくなって顔が白くなっている。これは色白美人だ。親バカとでもなんとでもいってもらって構わない。
そんな娘も寝てたりきょとんと目を開いてたりするだけだと天使なのだが、時に、いやかなりの時間、怪獣になる。腹が減ったのかおむつなのかわからないが泣く。奴も最近では手足をバタバタさせるというテクを覚えてきたようだ。まぁこいつは泣くのが仕事だからとほおっておくと更にワントーン激しく泣き叫ぶ。なにしろ何が原因なのかわからないから困る。といって乳をやるとお母さんに抱かれ安心するのかちょっと飲んで目をつむり寝だす。お前はナマケモノか?起きんかい!!というも我関せず。この怪獣と毎日付き合ってる妻は大変だと思う。
他人事のように言ってるように思えるかもしれないが、私も昨日の夜は大変だった。
夜1時頃、ぐずって寝かせてくれない、上記のようなやりとりを経て娘はノドを痛めるんじゃないかというくらいのレベルで泣きわめく。
オムツも替えたし、まぁ乳も飲まないしで妻も疲れてあとは任せたと言って寝てしまった。ミルクをつくっても飲まなくなったので、こりゃ抱かれたいだけかと思いひたすら抱いたまま揺らしたりしてあやす。娘もしばらくして泣くのにも疲れたのか次第に目がつぶれていき、しばしして(ようやく)寝てしまったようだ。そして今がチャンスと起こさないようにそおっと隣に寝かす。こうなってようやく私も寝れるのである。やれやれである。
さて、どのくらい寝れるのかといえば、2時間くらい。
4時頃、隣でフギャーっていいだした。今度は妻に乳やりを任せて私はもうひと寝入りすることとした。ふぅ。
もう1ヶ月もすれば何を求めて泣いているのかが泣き加減によってわかるという。いずれにしても寝ている娘を間に家族3人川の字になって(真ん中がまだ極端に短い川の字だが)なんやかんやと話する時は幸せな時と呼べるのだろう。
2009年02月04日
産まれた後・・・
陣痛が始まってから紆余曲折あり51時間。分娩室に入っても2時間半という超難産になり、最後は吸引分娩までして産まれた命だった。
産まれて2時間後、カンガルーケア(最初の授乳のようなこと)を終え、さっきまであんなに苦しんでた陣痛室のベットに移動し、二人で病院食(+食料のストック)を食べる。
妻は普通の人の倍の出血をしていて貧血気味で顔色が悪い。そして身体全身の筋肉を使ったのか、歩くことはできず車椅子で移動。食事中もまだ、力の加減ができないのか箸を持つ手が震えるという、
今日という日が壮絶な一日だったことを物語る姿になっていた。
それでも、やり遂げた者だけが味わえるような幸せな安堵感が漂う食卓でした。
私一人家に帰り、今日1月21日付けの新聞を読む。今日の新聞はずっと保存しておこう。いつか大きくなったときに産まれた日に何があったかを伝えたい。
一面 「米国再生」結束へ、オバマ大統領就任式
(鯉 小松剛球 初のブルペン入り)
十数年後、世の中にとっても記念すべき日に生まれたんだよというためにオバマ(と小松)には是非、素敵な世界を作り上げて欲しい。
・・・と、ここまで書きながらふと気づいた。21日の新聞だからこれは前日(20日)の記事ではないか。正確には22日付けの新聞を保存するのがいいのでは?
一面 章栄不動産が再生法申請

・・・・
うーん、章栄不動産というのはね、、、昔、広島市民球場という球場があって、そこのレフトスタンドの章栄不動産という看板の下で長男というおじさんとカープvsベイスターズの試合をよく見に行ってたよ。長男というおじさんはスコアをつけながら観戦する怪しいスコアラーだったけど、その人の家はもっと怪しかったよ・・・
・・・などと話せというのか。
まぁ両方保存することとしよう。
********************
娘が産まれて2週間が経過しました。退院して妻子ともども実家に帰り、私は私で仕事が極端に忙しくなったのでまだ週末も一日くらいしか会ってないけど、昼夜問わず2~3時間おきに腹減ったと泣き声をあげる日々になりました。
********************
それと、今日のニュースより・・・
「ブラウン監督、20代後半の日本人女性と再婚」
ブラウンのなだめ役としての存在しかないリブジー(ベンチコーチ)の立場はどうなるのか?
産まれて2時間後、カンガルーケア(最初の授乳のようなこと)を終え、さっきまであんなに苦しんでた陣痛室のベットに移動し、二人で病院食(+食料のストック)を食べる。
妻は普通の人の倍の出血をしていて貧血気味で顔色が悪い。そして身体全身の筋肉を使ったのか、歩くことはできず車椅子で移動。食事中もまだ、力の加減ができないのか箸を持つ手が震えるという、
今日という日が壮絶な一日だったことを物語る姿になっていた。
それでも、やり遂げた者だけが味わえるような幸せな安堵感が漂う食卓でした。
私一人家に帰り、今日1月21日付けの新聞を読む。今日の新聞はずっと保存しておこう。いつか大きくなったときに産まれた日に何があったかを伝えたい。
一面 「米国再生」結束へ、オバマ大統領就任式
(鯉 小松剛球 初のブルペン入り)
十数年後、世の中にとっても記念すべき日に生まれたんだよというためにオバマ(と小松)には是非、素敵な世界を作り上げて欲しい。
・・・と、ここまで書きながらふと気づいた。21日の新聞だからこれは前日(20日)の記事ではないか。正確には22日付けの新聞を保存するのがいいのでは?
一面 章栄不動産が再生法申請
・・・・
うーん、章栄不動産というのはね、、、昔、広島市民球場という球場があって、そこのレフトスタンドの章栄不動産という看板の下で長男というおじさんとカープvsベイスターズの試合をよく見に行ってたよ。長男というおじさんはスコアをつけながら観戦する怪しいスコアラーだったけど、その人の家はもっと怪しかったよ・・・
・・・などと話せというのか。
まぁ両方保存することとしよう。
********************
娘が産まれて2週間が経過しました。退院して妻子ともども実家に帰り、私は私で仕事が極端に忙しくなったのでまだ週末も一日くらいしか会ってないけど、昼夜問わず2~3時間おきに腹減ったと泣き声をあげる日々になりました。
********************
それと、今日のニュースより・・・
「ブラウン監督、20代後半の日本人女性と再婚」
ブラウンのなだめ役としての存在しかないリブジー(ベンチコーチ)の立場はどうなるのか?
2009年01月21日
産まれるまでのこと
1/19(月)
夜明け前の3時頃、再び陣痛が頻繁になる。陣痛の間隔は10分になってるし、痛みもこれまでよりも相当痛いという。そんなわけでそろそろ行ってもいいだろうと病院に電話するも「初産だし5分間隔になるくらいでも大丈夫」と言われ、しばし待てという感じの対応だった。
6時頃、陣痛は5分間隔に近づくも痛みは弱まってきた。再び病院に電話するも「もう少し待って9時からの外来でも大丈夫」と、またお預けを食らう。
でも、これは今日来そうだと感じ、仕事を休むことに決める。
しかしながら高ぶっていた気持ちが冷めたのか、8時~9時と間隔が長くなってしまう。
うーん、一休みか?
結局12時頃からまた10分間隔と頻繁になりだし、14時過ぎに間隔が6~10分になり、また病院に電話。「とりあえず診察しましょう」となった。
15:00病院に到着。
診察の結果、子宮口が5~6cm開いているとのことで入院決定!!
陣痛室に通される。ここで陣痛がピークになるのを待ち、そうなったら隣にある分娩室に行って子がポーンと産まれるというシステムである。非常に簡単に言えば。
陣痛室にはベットが3つあり、それぞれカーテンで仕切られている。我々は一番分娩室に近いベットに案内される。
←まだ余裕な表情
もちろん入院することが目的ではなく、産むことが目的だからここで気を緩めてもいけないが、病院に来たらなんとなく陣痛が弱くなった感もする。でも5~6分間隔でやってきているし助産師さんも「今晩産まれるよ」というし、すっかりこの晩に産まれるつもりだった。
19:00再び診察、一部破水しているようだ。
21:00頃モニターをとる。しかしモニターを取りはじめるやいなや、これまでの陣痛が嘘のように遠のいてしまった。10分~30分間隔までに。どうして病院に着いたりとかモニター取り始めたりとか肝心なときにいつもこうなのだ?
そしてカーテン隔てた隣りのベットの妊婦さんが、陣痛が激しくなったのか苦しそうな声が聞こえてくる。最初こそ苦しそうな喘ぎ声だったのが、次第にわめきだすわ、泣き叫びだすわ、付き添いの人や看護師さんのアドバイスを受けながらも半狂乱な状態になっていく。
その阿鼻驚愕の喘ぎ声がカーテン隔てた隣で聞きながら「・・・あんなになるのか」と二人で話す。妻もお腹の子もその叫び声に引いてしまったのか、陣痛が消えた。そして妻は疲れたのかそのまま爆睡。私は寝られずにその叫び声を聞く。しばしして隣の分娩室に運ばれる。カーテン越しが壁越しとなったためやや小さくなったがそれでも叫び声がしっかり聞こえる。そんな状況で数十分経過、叫び声が産声に変わった。「おめでとうございます!」助産師さん達の喜ぶ声も聞こえる。
もちろん話やテレビなどで知っている話だが、実際にその現場を生で聞くのは初めてであり、「子供というものはこんな風にして産まれてくるのか・・・」と改めて感じた一夜であった。
1/20(火)
結局、二人ともそのまま朝まで寝てしまっていた。
よって陣痛は遠のいてしまっている。
午前中、今度は一番向こうのベットから苦しそうな声が聞こえてくる中、こちらは今日は陣痛促進剤を点滴で注入して陣痛を促進させる方法を取る。予定日から2週間を経過すると胎盤の機能も弱くなって胎児にも影響が出てくるため、だいたい予定日1週間が経過すると行われるものである。最初は少量からスタートし徐々に量を増やすというもので、促進剤の量が増えるに比例して徐々に陣痛の数値も上がってくる。
胎児の心拍数と陣痛の状況がモニターでわかるようになっている。→
12:00頃には陣痛も2~3分間隔になり、13:00頃には声を出すような陣痛も始まったが、しかしなかなか進まない。そんな中、朝から苦しんでいた一番向こうのベットの妊婦さんが分娩室に運ばれ、しばしして産声になった。二人目を見送ってしまったようです。
その後は、そのままの状態で推移し、16:00頃診察する。子宮口は6~7cmよりは開いているが頭がまだ下りてきてないという。「いつ産まれてきてもいいのにね」と先生は言うも・・・、16:30今日の促進剤を使い切り終わった。促進剤、次のがあるのかと期待したが今日はないという。そして促進剤の終了とともに陣痛もまた遠のいてしまった。
遠のいてしまったか。促進剤でもダメだったか・・・
私も妻も落胆は隠せなかった。
先生も看護師さんも「子宮口も7cm開いてるし、産道もやわらかくなってるし、いつ産まれてもいいのにねー」と口を揃えて言う。「こんなにお腹の中が居心地いいのかな」とも。
もういいから早くでてきんさい。何で出てこないんだ?って感じ。
今日はもう産まれそうに無いから、私は一旦、家に帰って入浴と睡眠を取ることに。
帰りの車を運転中、今日はダメだったけど一緒になって落ち込んでいてもしょうがない、丸一日の陣痛で体力を消耗しているのは妻の方だし、どんな状況でも前向きな気持ちで支え、何とかいいお産になるように力を出そうと決意する。
1/21(水)
7:00前に病院に到着。到着するやいなや二人が立て続けに分娩室に運ばれ、時間差で子を産んでいった。分娩室には分娩台が2台ある。ちなみに同じような分娩室は2部屋あり、陣痛室の3人が一斉に分娩&急患の分娩があっても対応可能というわけである。
その後「こちらへどうぞー」と看護師さんの声。あぁまた新しい人がやってきたね。
そのような中、妻はといえば昨日の夜から陣痛は1時間に1回くらい、ただ1回の陣痛は長くなっている気がするという。
10:00から今日は昨日とは別の促進剤を使う。今日のは量が多いようで点滴する腕も大変そうだ。間隔は長いものの朝言ってたとおり1回の陣痛時間はたしかに長い。今日はいけるぞ。
12:30頃、昼食を食べた後、陣痛か何の痛みかよくわからないが痛み出しトイレに行く。しばらく便秘だったのが出たらしく「これで産道が広くなった」と喜ぶ。
その同じ時間帯、一番向こうの人も促進剤を使っているのだが、同じように痛み出し叫びだし、看護師さんが来るか来ないかの間のあっという間に分娩室行きとなった。分娩室に行ったら行ったで、先生が来るか来ないかの間のあっという間に叫び声が産声になった。これには我々も「もう出たんかい!」と突っ込み満載であった。分娩室に入って10分の出来事だった。経産婦とのことであった。やはり経産婦は違うなぁ。でも経産婦にしても早いだろ。
そんな中、初産の我々はゆっくりゆっくりをコトを進める。
14:30診察。先生も「なんとかしたいねー」といいながら考える。「じゃあ今まで部分的に破水しているのを完全に破水させましょう」と決断。内診の結果、既に破水していたことがわかったが、それがきっかけになったのか、一気に陣痛は激しくなり、妻もこれまで見送ってきた何人もの人がそうしてきたような陣痛の痛がり様になってきた。
巡回してきた看護師さんも言う「いい声が出るようになりましたねぇ」と。
その後、陣痛はどんどん強くなり、破水しているから羊水も出てくるし、私も看護師さんの指示どおり出口のところをグーで力いっぱい押さえ羊水が出てくるのを止める。押さえることで陣痛の痛みを和らげることができるらしい。これまでも陣痛の際マッサージなどしてきたがこれはもうマッサージというレベルではない。妻は喘ぎ声、叫び声、わめき声になっていく。次第にだんだんいきみたくなってくるようになるが、まだいきまずに呼吸に集中させる。ピークに達したところで内診を受ける。子宮口が完全に開いたらしく、ついに分娩室へ。
分娩室でも難産には変わりなかった。
陣痛が来るたびに力いっぱいいきむ。その繰り返し。繰り返すもなかなか出てこない。もちろん少しづつゴールには近づこうとしているのだが。そうこうしている間に促進剤がなくなっていく。このまま陣痛が遠のいてしまったら切ないので、促進剤を追加する。更に陣痛が来るたびに力いっぱいいきむ。私はそんな妻の手を握り声援することくらいしかできない。
子はもうそこまで見えているらしく、最後の壁(恥骨の部分)を越えるだけとのことだが、最後の壁が難関のようだ。数時間の陣痛でだんだんと妻も体力を消耗してきており、先生達で話し合って吸引分娩をとることにした。産道の出口に器具を突っ込んで子の頭を引っ張って出そうというものだ。いつのまにか周りには先生3人、助産師さん、看護師長さんはじめ看護師さん4人集まっていた。先生が「そろそろカメラとかビデオチャンスですよ」というので私はいよいよ例のビデオカメラを回す。陣痛が来ていきむのと同じタイミングで出口から器具を入れて腹の上からも子が外に出るよう力いっぱい押し出す。挑戦すること4~5回、ついに子の頭が出てきた。「出た!」そういう間に程なく体も現れる。無事、この世に誕生した。そして元気な産声が・・・
その時、私は放心状態だったと思う。無事産まれてきた。なによりそれに一番ほっとしていてそれ以上のことなど考えられなかった。
妻もそれ以上に放心状態だった。長く苦しい陣痛に耐えてきたのだから。体力も極限まで消耗している。
看護師さんの手により産まれたての子を妻の目の前に。
目の前の子を見て妻は「やっと会えたね、ずっと会いたかったよ」と号泣する。
その姿を見て、私も我慢してきたものが一気に流れ出し止まらなかった。後は二人、何を話したのか、もう覚えていない。
出産の様子はこのブログにも書こうと思ってたし、その時どんな高尚な気持ちになるのだろうなんて思ってたけど、産声をあげて泣く子のようにただただ号泣する家族三人の姿があるだけでした。

夜明け前の3時頃、再び陣痛が頻繁になる。陣痛の間隔は10分になってるし、痛みもこれまでよりも相当痛いという。そんなわけでそろそろ行ってもいいだろうと病院に電話するも「初産だし5分間隔になるくらいでも大丈夫」と言われ、しばし待てという感じの対応だった。
6時頃、陣痛は5分間隔に近づくも痛みは弱まってきた。再び病院に電話するも「もう少し待って9時からの外来でも大丈夫」と、またお預けを食らう。
でも、これは今日来そうだと感じ、仕事を休むことに決める。
しかしながら高ぶっていた気持ちが冷めたのか、8時~9時と間隔が長くなってしまう。
うーん、一休みか?
結局12時頃からまた10分間隔と頻繁になりだし、14時過ぎに間隔が6~10分になり、また病院に電話。「とりあえず診察しましょう」となった。
15:00病院に到着。
診察の結果、子宮口が5~6cm開いているとのことで入院決定!!
陣痛室に通される。ここで陣痛がピークになるのを待ち、そうなったら隣にある分娩室に行って子がポーンと産まれるというシステムである。非常に簡単に言えば。
陣痛室にはベットが3つあり、それぞれカーテンで仕切られている。我々は一番分娩室に近いベットに案内される。
もちろん入院することが目的ではなく、産むことが目的だからここで気を緩めてもいけないが、病院に来たらなんとなく陣痛が弱くなった感もする。でも5~6分間隔でやってきているし助産師さんも「今晩産まれるよ」というし、すっかりこの晩に産まれるつもりだった。
19:00再び診察、一部破水しているようだ。
21:00頃モニターをとる。しかしモニターを取りはじめるやいなや、これまでの陣痛が嘘のように遠のいてしまった。10分~30分間隔までに。どうして病院に着いたりとかモニター取り始めたりとか肝心なときにいつもこうなのだ?
そしてカーテン隔てた隣りのベットの妊婦さんが、陣痛が激しくなったのか苦しそうな声が聞こえてくる。最初こそ苦しそうな喘ぎ声だったのが、次第にわめきだすわ、泣き叫びだすわ、付き添いの人や看護師さんのアドバイスを受けながらも半狂乱な状態になっていく。
その阿鼻驚愕の喘ぎ声がカーテン隔てた隣で聞きながら「・・・あんなになるのか」と二人で話す。妻もお腹の子もその叫び声に引いてしまったのか、陣痛が消えた。そして妻は疲れたのかそのまま爆睡。私は寝られずにその叫び声を聞く。しばしして隣の分娩室に運ばれる。カーテン越しが壁越しとなったためやや小さくなったがそれでも叫び声がしっかり聞こえる。そんな状況で数十分経過、叫び声が産声に変わった。「おめでとうございます!」助産師さん達の喜ぶ声も聞こえる。
もちろん話やテレビなどで知っている話だが、実際にその現場を生で聞くのは初めてであり、「子供というものはこんな風にして産まれてくるのか・・・」と改めて感じた一夜であった。
1/20(火)
結局、二人ともそのまま朝まで寝てしまっていた。
よって陣痛は遠のいてしまっている。
午前中、今度は一番向こうのベットから苦しそうな声が聞こえてくる中、こちらは今日は陣痛促進剤を点滴で注入して陣痛を促進させる方法を取る。予定日から2週間を経過すると胎盤の機能も弱くなって胎児にも影響が出てくるため、だいたい予定日1週間が経過すると行われるものである。最初は少量からスタートし徐々に量を増やすというもので、促進剤の量が増えるに比例して徐々に陣痛の数値も上がってくる。
12:00頃には陣痛も2~3分間隔になり、13:00頃には声を出すような陣痛も始まったが、しかしなかなか進まない。そんな中、朝から苦しんでいた一番向こうのベットの妊婦さんが分娩室に運ばれ、しばしして産声になった。二人目を見送ってしまったようです。
その後は、そのままの状態で推移し、16:00頃診察する。子宮口は6~7cmよりは開いているが頭がまだ下りてきてないという。「いつ産まれてきてもいいのにね」と先生は言うも・・・、16:30今日の促進剤を使い切り終わった。促進剤、次のがあるのかと期待したが今日はないという。そして促進剤の終了とともに陣痛もまた遠のいてしまった。
遠のいてしまったか。促進剤でもダメだったか・・・
私も妻も落胆は隠せなかった。
先生も看護師さんも「子宮口も7cm開いてるし、産道もやわらかくなってるし、いつ産まれてもいいのにねー」と口を揃えて言う。「こんなにお腹の中が居心地いいのかな」とも。
もういいから早くでてきんさい。何で出てこないんだ?って感じ。
今日はもう産まれそうに無いから、私は一旦、家に帰って入浴と睡眠を取ることに。
帰りの車を運転中、今日はダメだったけど一緒になって落ち込んでいてもしょうがない、丸一日の陣痛で体力を消耗しているのは妻の方だし、どんな状況でも前向きな気持ちで支え、何とかいいお産になるように力を出そうと決意する。
1/21(水)
7:00前に病院に到着。到着するやいなや二人が立て続けに分娩室に運ばれ、時間差で子を産んでいった。分娩室には分娩台が2台ある。ちなみに同じような分娩室は2部屋あり、陣痛室の3人が一斉に分娩&急患の分娩があっても対応可能というわけである。
その後「こちらへどうぞー」と看護師さんの声。あぁまた新しい人がやってきたね。
そのような中、妻はといえば昨日の夜から陣痛は1時間に1回くらい、ただ1回の陣痛は長くなっている気がするという。
10:00から今日は昨日とは別の促進剤を使う。今日のは量が多いようで点滴する腕も大変そうだ。間隔は長いものの朝言ってたとおり1回の陣痛時間はたしかに長い。今日はいけるぞ。
12:30頃、昼食を食べた後、陣痛か何の痛みかよくわからないが痛み出しトイレに行く。しばらく便秘だったのが出たらしく「これで産道が広くなった」と喜ぶ。
その同じ時間帯、一番向こうの人も促進剤を使っているのだが、同じように痛み出し叫びだし、看護師さんが来るか来ないかの間のあっという間に分娩室行きとなった。分娩室に行ったら行ったで、先生が来るか来ないかの間のあっという間に叫び声が産声になった。これには我々も「もう出たんかい!」と突っ込み満載であった。分娩室に入って10分の出来事だった。経産婦とのことであった。やはり経産婦は違うなぁ。でも経産婦にしても早いだろ。
そんな中、初産の我々はゆっくりゆっくりをコトを進める。
14:30診察。先生も「なんとかしたいねー」といいながら考える。「じゃあ今まで部分的に破水しているのを完全に破水させましょう」と決断。内診の結果、既に破水していたことがわかったが、それがきっかけになったのか、一気に陣痛は激しくなり、妻もこれまで見送ってきた何人もの人がそうしてきたような陣痛の痛がり様になってきた。
巡回してきた看護師さんも言う「いい声が出るようになりましたねぇ」と。
その後、陣痛はどんどん強くなり、破水しているから羊水も出てくるし、私も看護師さんの指示どおり出口のところをグーで力いっぱい押さえ羊水が出てくるのを止める。押さえることで陣痛の痛みを和らげることができるらしい。これまでも陣痛の際マッサージなどしてきたがこれはもうマッサージというレベルではない。妻は喘ぎ声、叫び声、わめき声になっていく。次第にだんだんいきみたくなってくるようになるが、まだいきまずに呼吸に集中させる。ピークに達したところで内診を受ける。子宮口が完全に開いたらしく、ついに分娩室へ。
分娩室でも難産には変わりなかった。
陣痛が来るたびに力いっぱいいきむ。その繰り返し。繰り返すもなかなか出てこない。もちろん少しづつゴールには近づこうとしているのだが。そうこうしている間に促進剤がなくなっていく。このまま陣痛が遠のいてしまったら切ないので、促進剤を追加する。更に陣痛が来るたびに力いっぱいいきむ。私はそんな妻の手を握り声援することくらいしかできない。
子はもうそこまで見えているらしく、最後の壁(恥骨の部分)を越えるだけとのことだが、最後の壁が難関のようだ。数時間の陣痛でだんだんと妻も体力を消耗してきており、先生達で話し合って吸引分娩をとることにした。産道の出口に器具を突っ込んで子の頭を引っ張って出そうというものだ。いつのまにか周りには先生3人、助産師さん、看護師長さんはじめ看護師さん4人集まっていた。先生が「そろそろカメラとかビデオチャンスですよ」というので私はいよいよ例のビデオカメラを回す。陣痛が来ていきむのと同じタイミングで出口から器具を入れて腹の上からも子が外に出るよう力いっぱい押し出す。挑戦すること4~5回、ついに子の頭が出てきた。「出た!」そういう間に程なく体も現れる。無事、この世に誕生した。そして元気な産声が・・・
その時、私は放心状態だったと思う。無事産まれてきた。なによりそれに一番ほっとしていてそれ以上のことなど考えられなかった。
妻もそれ以上に放心状態だった。長く苦しい陣痛に耐えてきたのだから。体力も極限まで消耗している。
看護師さんの手により産まれたての子を妻の目の前に。
目の前の子を見て妻は「やっと会えたね、ずっと会いたかったよ」と号泣する。
その姿を見て、私も我慢してきたものが一気に流れ出し止まらなかった。後は二人、何を話したのか、もう覚えていない。
出産の様子はこのブログにも書こうと思ってたし、その時どんな高尚な気持ちになるのだろうなんて思ってたけど、産声をあげて泣く子のようにただただ号泣する家族三人の姿があるだけでした。
約2時間後、カンガルーケア後、子の最初で最後の素顔公開かな
2009年01月18日
春遠からじ
最近、どうも日記のように妊娠&陣痛記録が更新されている。
実のところおしるしと前躯陣痛が思った以上に早くおこり「こりゃ年末年始の休みの間に産まれるぞ」と思ったためこの妊娠記を書きはじめたのだが、まだかまだかと思ってる間にいつのまにやら予定日を過ぎ、こんなに長くなるとは思ってなかったのが正直なところである。
このままいくと20日には誘発分娩にもなりそうで、この妊娠記も思いがけず長くなってしまったが、あとはもう勢いで続きを書くこととしたい。
========================================================
1/17(土)
朝、「そろそろ出てこないと注射(誘発分娩)するぞ。注射はいやだろ。」と腹の中の子に諭すように話す。
それが功を奏したか15:00頃から前躯陣痛が始まる。しばらく20~30分間隔だったが、これは今晩辺り来るかもという予感があったという。
よってしばらく贅沢はできないだろうと晩に焼肉へ行く。久々の肉は美味かった。そして焼肉には陣痛を促進させる効果もあると妻がどっかで聞いたと力説している。「そんな非科学的な・・・」と思ったりもしたが、家に帰ってきたらその言葉通り、20:50頃から陣痛は10分間隔になった。10分間隔でやってくる痛みは弱いのもあるが強いのになるとさらに痛い。
「これまでの1.5倍は痛い。これが本当の陣痛と思う」
そんなわけで間隔は7分程度にもなり、22:20病院に電話、とりあえず来てくださいとなり、22:30出発、23:00病院到着!
車に乗ってる間も規則的に陣痛があったのだが、病院に到着するとなんとなく痛みが弱くなった気がする。
あれれ?
家じゃ痛い痛いといいながらも病院に来るとあれだけ痛がってたのにけろっとしている子供もいるが、この子もそうなるのだろうか。
とりあえず診察を受ける。その結果「まだ子宮口は2cmくらい、陣痛も弱いのがあるので、まだお産にはならないでしょう。赤ちゃんの心拍数が170くらいあるので(通常は120~160)一晩様子見ましょう」
一応入院となったが、今晩はお産にはなりそうにないので、とりあえず私は家に帰る。
1:00に家に帰り、そのまま爆睡。
1/18(日)
6:00過ぎ、メールで目が覚める。
「3:55以降陣痛はパタリと止まりました。子の心拍数も落ち着いたので、このまま退院になりそうです。」
ありゃー、陣痛、なくなったか・・・
退院となった。結局微弱陣痛で1泊2日の入院であった。
9:00過ぎに病院に迎えに行く。
8:00頃からまた30分間隔で前躯陣痛が起こりだし、ずっと続いている。
そんなわけで昼間は二人ともダラダラと睡眠タイムであった。
前躯陣痛は今もずっと続いている。
========================================================
なんにしても、産まれる時は確実に近づいているようです。
里帰り分娩という人もあるだろうが、こうやって誕生の時を2人で待つということ、そこに少しでも手伝えることが、苦しみながらも産まれて来るんだって実感を感じられるし家族の絆も強くなっていくのだろう。もちろん二人だけじゃなく、両方の両親もいて、家族もいて、妻の携帯に「産まれた?」ってメールを送ってきてくれている人たちもいる。無事の出産を応援してくれている人がこんなにたくさんいることに感謝しています。
実のところおしるしと前躯陣痛が思った以上に早くおこり「こりゃ年末年始の休みの間に産まれるぞ」と思ったためこの妊娠記を書きはじめたのだが、まだかまだかと思ってる間にいつのまにやら予定日を過ぎ、こんなに長くなるとは思ってなかったのが正直なところである。
このままいくと20日には誘発分娩にもなりそうで、この妊娠記も思いがけず長くなってしまったが、あとはもう勢いで続きを書くこととしたい。
========================================================
1/17(土)
朝、「そろそろ出てこないと注射(誘発分娩)するぞ。注射はいやだろ。」と腹の中の子に諭すように話す。
それが功を奏したか15:00頃から前躯陣痛が始まる。しばらく20~30分間隔だったが、これは今晩辺り来るかもという予感があったという。

「これまでの1.5倍は痛い。これが本当の陣痛と思う」
そんなわけで間隔は7分程度にもなり、22:20病院に電話、とりあえず来てくださいとなり、22:30出発、23:00病院到着!
車に乗ってる間も規則的に陣痛があったのだが、病院に到着するとなんとなく痛みが弱くなった気がする。
あれれ?
家じゃ痛い痛いといいながらも病院に来るとあれだけ痛がってたのにけろっとしている子供もいるが、この子もそうなるのだろうか。
とりあえず診察を受ける。その結果「まだ子宮口は2cmくらい、陣痛も弱いのがあるので、まだお産にはならないでしょう。赤ちゃんの心拍数が170くらいあるので(通常は120~160)一晩様子見ましょう」
一応入院となったが、今晩はお産にはなりそうにないので、とりあえず私は家に帰る。
1:00に家に帰り、そのまま爆睡。
1/18(日)
6:00過ぎ、メールで目が覚める。
「3:55以降陣痛はパタリと止まりました。子の心拍数も落ち着いたので、このまま退院になりそうです。」
ありゃー、陣痛、なくなったか・・・
退院となった。結局微弱陣痛で1泊2日の入院であった。
9:00過ぎに病院に迎えに行く。
8:00頃からまた30分間隔で前躯陣痛が起こりだし、ずっと続いている。
そんなわけで昼間は二人ともダラダラと睡眠タイムであった。
前躯陣痛は今もずっと続いている。
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なんにしても、産まれる時は確実に近づいているようです。
里帰り分娩という人もあるだろうが、こうやって誕生の時を2人で待つということ、そこに少しでも手伝えることが、苦しみながらも産まれて来るんだって実感を感じられるし家族の絆も強くなっていくのだろう。もちろん二人だけじゃなく、両方の両親もいて、家族もいて、妻の携帯に「産まれた?」ってメールを送ってきてくれている人たちもいる。無事の出産を応援してくれている人がこんなにたくさんいることに感謝しています。
2009年01月14日
春待つ日々
1/11(日)
長男邸から帰った翌日は、ウォーキングをしたり、ピアノを弾いたりと、まったり過ごしていたが、夕方になって我々は向上心がエスカレートし広島隋一の繁華街本通り近辺を歩いていた。これも子が下りるようにとのウォーキングの一環である。
歩いてたら長男からメールが来た。 「今日は寒波が来そう。待機宿泊OKですよ」と。
これは暗に家に来いというメールだ。そこで陣痛になって長男邸から病院に行かせ、メガネ兄弟の間で末代まで語り継がせようという魂胆だろう。全くろくなもんじゃない。
そんなわけで我々もちょうど本通りを歩いていたので「じゃあ晩飯食べます。30分後くらいに行きますね。」と返事。八千代の家にいると思っていた長男は不意をつかれたのか「まだ準備できてないよ」と焦る。
19:00頃長男邸到着
晩飯はふーちゃんぷると無水鍋(白菜丸ごと1個と豚肉と酒少々を入れ、火にかけ、白菜の水分で鍋になるという居酒屋長男に代々伝わる秘伝のメニューである。)
その後、DVD鑑賞。スピルバーグの最高傑作と呼ばれる「1941」(ハチャメチャで面白かった)、その後は「ナントカ歌合戦」という戦時中の日本の作品を立て続けに見る。
1:00就寝、結局泊まる。
1/12(月:予定日)
朝、うっすらと雪が積もっていた。市内でこれだから県北部の八千代ではどうだったのだろうか。
10時頃長男邸をチェックアウト。結局、メガネ兄弟史において末代まで語り継がれることはなかった。ほっとしたような陣痛来なくて残念なような。
その後は河川敷をウォーキングしたりして過ごす。
夜。
外は雪が降り積もっている。この3連休稼動しなかった私のパジェロミニにはこの3連休の間降った雪がまだ残っていたが、その上に雪が更に積もっていく。
予定日が過ぎようとしていく。
やはり少し焦ったのか妻は覚悟を決めたように風呂に入り「看護師仲間に代々伝わるという秘伝の陣痛のツボ」を押してしまう。ついに禁断の扉を開けてしまったのか?(若干脚色あり)
そんなわけで2:00~4:00の間に4回前躯陣痛があり効果あったようにみえたものの明け方にはそれも消えていった。
1/13(火)
大雪。
結局産まれそうに無いので仕方なく仕事に行く。雪なのでいつもより20分早く家を出る。
雪は朝でやんだが、職場である三次市内は夕方になっても雪は溶けなかった。途中の安芸高田市は屋根の上に残ってるだけなのに。
夜、今日は雪は降ってない。
妻は子が下りるようにと掃除機をかけ床掃除をする。その甲斐あって23:00~2:00頃また陣痛が起こる。まぁ次第に消えていったから前躯陣痛なのだろう。
これまで我々が夜寝るときにこの子は起きるのか、いつも夜の12時頃に腹の中でポコポコしだしていた。昨日、今日もこの時間帯に陣痛があったということは、そろそろ「わかったよ。家(子宮)が狭くなったからもう出るよ」というサインか?
1/14(水)
昨日同様、結局産まれそうに無いので仕方なく仕事に行く。
昨日から雪は降らなかったが、仕事先の三次市内はまだ雪が溶けずに歩道にたっぷり残っている。最近は昼間でも最高気温が0度くらいですっかり根雪状態である。
夜、仕事から帰りがけ、また雪が降り出した。とりあえずこの雪で今回の寒波は峠を越えるようだ。
今日はまだ陣痛はない。
冬来たりなば春遠からじ。春待つ日々である。
長男邸から帰った翌日は、ウォーキングをしたり、ピアノを弾いたりと、まったり過ごしていたが、夕方になって我々は向上心がエスカレートし広島隋一の繁華街本通り近辺を歩いていた。これも子が下りるようにとのウォーキングの一環である。
歩いてたら長男からメールが来た。 「今日は寒波が来そう。待機宿泊OKですよ」と。
これは暗に家に来いというメールだ。そこで陣痛になって長男邸から病院に行かせ、メガネ兄弟の間で末代まで語り継がせようという魂胆だろう。全くろくなもんじゃない。
そんなわけで我々もちょうど本通りを歩いていたので「じゃあ晩飯食べます。30分後くらいに行きますね。」と返事。八千代の家にいると思っていた長男は不意をつかれたのか「まだ準備できてないよ」と焦る。
19:00頃長男邸到着
晩飯はふーちゃんぷると無水鍋(白菜丸ごと1個と豚肉と酒少々を入れ、火にかけ、白菜の水分で鍋になるという居酒屋長男に代々伝わる秘伝のメニューである。)
その後、DVD鑑賞。スピルバーグの最高傑作と呼ばれる「1941」(ハチャメチャで面白かった)、その後は「ナントカ歌合戦」という戦時中の日本の作品を立て続けに見る。
1:00就寝、結局泊まる。
1/12(月:予定日)
朝、うっすらと雪が積もっていた。市内でこれだから県北部の八千代ではどうだったのだろうか。
10時頃長男邸をチェックアウト。結局、メガネ兄弟史において末代まで語り継がれることはなかった。ほっとしたような陣痛来なくて残念なような。
その後は河川敷をウォーキングしたりして過ごす。
夜。
外は雪が降り積もっている。この3連休稼動しなかった私のパジェロミニにはこの3連休の間降った雪がまだ残っていたが、その上に雪が更に積もっていく。
予定日が過ぎようとしていく。
やはり少し焦ったのか妻は覚悟を決めたように風呂に入り「看護師仲間に代々伝わるという秘伝の陣痛のツボ」を押してしまう。ついに禁断の扉を開けてしまったのか?(若干脚色あり)
そんなわけで2:00~4:00の間に4回前躯陣痛があり効果あったようにみえたものの明け方にはそれも消えていった。
1/13(火)
大雪。
結局産まれそうに無いので仕方なく仕事に行く。雪なのでいつもより20分早く家を出る。
雪は朝でやんだが、職場である三次市内は夕方になっても雪は溶けなかった。途中の安芸高田市は屋根の上に残ってるだけなのに。
夜、今日は雪は降ってない。
妻は子が下りるようにと掃除機をかけ床掃除をする。その甲斐あって23:00~2:00頃また陣痛が起こる。まぁ次第に消えていったから前躯陣痛なのだろう。
これまで我々が夜寝るときにこの子は起きるのか、いつも夜の12時頃に腹の中でポコポコしだしていた。昨日、今日もこの時間帯に陣痛があったということは、そろそろ「わかったよ。家(子宮)が狭くなったからもう出るよ」というサインか?
1/14(水)
昨日同様、結局産まれそうに無いので仕方なく仕事に行く。
昨日から雪は降らなかったが、仕事先の三次市内はまだ雪が溶けずに歩道にたっぷり残っている。最近は昼間でも最高気温が0度くらいですっかり根雪状態である。
夜、仕事から帰りがけ、また雪が降り出した。とりあえずこの雪で今回の寒波は峠を越えるようだ。
今日はまだ陣痛はない。
冬来たりなば春遠からじ。春待つ日々である。
2009年01月11日
2009年第1回長男邸新年会
1/9(金)~10(土)
そんなわけで、長男邸での新年会に入院セットを車のトランクに入れ参上した次第である。いつ陣痛が来てもいいように。予定日間近に陣痛が来たらどうなのだという意見もあろうが、まぁ八千代の家から病院に行くのも、長男邸から病院に行くのもさほど時間に変わりはないし、この時期八千代だと雪が積もる恐れがある。そうなったら長男邸からの方が行きやすいし、そしておしるし前躯陣痛が来てから2週間経ち長いしで、もはや何でもよかった。
←居酒屋長男(別名「岡倉」ともいう)の一部(写真は3年前のものです。今の状況はもう少し悪化しています。)
参加者は長男、次男、三男Fとその妻あっちゃん、あり親子、菊○さん、そして我々の総勢9名。
加えて女性3名の腹の中にはそれぞれ子供がいる。総勢12名となった。
妊婦が3人そろっているということで、話の中心は子育ての話になってしまう。かつて沖縄で一世を風靡したメガネ兄弟にもいつのまにやらベビーブームが到来したようである。
メニューは以下のとおり(長男のmixiより)
・おつまみサンドイッチ(2種類)
・タコとキュウリのマリネ
・レタスのゴマ油炒め
・豚の白味噌炒め
・豚もやし
・スーチカー
・ソーメンチャンプル(2種類)
・カキベーコン
・鹿肉のるいべ
・リゾット
・とうふちくわ&あごちくわ
・我が家から持っていったちらしずし
あとはみんながもちよってきたデザート3連発
・ロールケーキ
・エクレア
・プリン
腹いっぱいになった。
夜は「民宿長男」に。次男と我々の3人が泊まった。
夜中、沖縄戦の映像がDVDで流れる中、いつのまにか眠りについていた。
結局、次の日も「涙そうそう」のDVDを観たりと17時頃まで居座っていた。
八千代の雪の状態も気になる。この3連休は日本列島に寒波がやってきている。産気づいてもし大雪で出られない状態になったらいつでも帰ってこれるように民宿長男を確保した上で八千代に帰る。
結局、そんなに雪が積もってなく、また「喉が痛くなった。ちょっと風邪ひいたかも」というので家でゆっくりすることに決めた。
そして夜が明け1月11日、明日が予定日である。雪がちらつく中、ウオーキングをしピアノを弾く。
まだ産気づいては無い。
そんなわけで、長男邸での新年会に入院セットを車のトランクに入れ参上した次第である。いつ陣痛が来てもいいように。予定日間近に陣痛が来たらどうなのだという意見もあろうが、まぁ八千代の家から病院に行くのも、長男邸から病院に行くのもさほど時間に変わりはないし、この時期八千代だと雪が積もる恐れがある。そうなったら長男邸からの方が行きやすいし、そしておしるし前躯陣痛が来てから2週間経ち長いしで、もはや何でもよかった。
参加者は長男、次男、三男Fとその妻あっちゃん、あり親子、菊○さん、そして我々の総勢9名。
加えて女性3名の腹の中にはそれぞれ子供がいる。総勢12名となった。
妊婦が3人そろっているということで、話の中心は子育ての話になってしまう。かつて沖縄で一世を風靡したメガネ兄弟にもいつのまにやらベビーブームが到来したようである。
メニューは以下のとおり(長男のmixiより)
・おつまみサンドイッチ(2種類)
・タコとキュウリのマリネ
・レタスのゴマ油炒め
・豚の白味噌炒め
・豚もやし
・スーチカー
・ソーメンチャンプル(2種類)
・カキベーコン
・鹿肉のるいべ
・リゾット
・とうふちくわ&あごちくわ
・我が家から持っていったちらしずし
あとはみんながもちよってきたデザート3連発
・ロールケーキ
・エクレア
・プリン
腹いっぱいになった。
夜は「民宿長男」に。次男と我々の3人が泊まった。
夜中、沖縄戦の映像がDVDで流れる中、いつのまにか眠りについていた。
結局、次の日も「涙そうそう」のDVDを観たりと17時頃まで居座っていた。
八千代の雪の状態も気になる。この3連休は日本列島に寒波がやってきている。産気づいてもし大雪で出られない状態になったらいつでも帰ってこれるように民宿長男を確保した上で八千代に帰る。
結局、そんなに雪が積もってなく、また「喉が痛くなった。ちょっと風邪ひいたかも」というので家でゆっくりすることに決めた。
そして夜が明け1月11日、明日が予定日である。雪がちらつく中、ウオーキングをしピアノを弾く。
まだ産気づいては無い。
2009年01月08日
予定日まであと4日
その後7日まで陣痛なし。
そんなわけでなかなか産まれず妻もイライラする時もあったが、いろんなサイトを見て「陣痛が来るまで長くかかった」という記事もいっぱい見て安心したらしく、まぁこんなもんだろうと肩の力が抜けてちょうどよくなってきているようである。肩の力が抜けてちょうどよくなっているので客観的に見てもそろそろ産まれても問題はないといえる。
そして、今日8日は検診だった。
とはいえなかなか産まれないので「こりゃあ頭が大きすぎて産道を通らんぞ。緊急帝王切開だ!!緊急入院だ!!」なんて展開も恐れていたのだが、これまでの経過を聞いて診察の先生はのん気に「もう生まれていい準備できてるんだってー」とお腹の子に話しかけている。
2,970gざっと3kg。前回より300g増えた。頭の大きさは9.4cmと2週間前とそう変わっていない。だいぶ頭が下がってきてますねということを言われ、内診の結果、子宮口は指1~2本分(1~2cm)開いているらしい。子宮口は陣痛が定期的(10分に1回ペース)になると3cmくらい開くというし、これはコトが進みだすと一気に行くのだろう。
そんなわけで「緊急帝王切開もあるかも」と思ってたなど診察で言えるわけなかった。
初産のため、予定日をすぎるケースも多いという。(予定日は12日である。)
明日9日は長男邸でメガネ兄弟関係者の新年会が開かれる。
年末のうちなー(12月27日)の時に日程が決まったのだが、この時は「きっと産んだ後の入院中か実家に帰ってるかだろうから私一人で長男邸に行くようになるだろうね」などと話してたと思う。だいたい12月27日とは最初の前躯陣痛のあった次の日で、この頃からみれば1月9日など見当もつかない遥か先のことと思っていたし。
そんなわけで、何も無ければいつものように入院セットを車のトランクに入れて二人で参上予定である。そしてその場で陣痛が定期的になり、そこから病院へ直行なんてことになったら、きっとメガネ兄弟関係者の手により末代まで語り継がれることであろう。
そんなわけでなかなか産まれず妻もイライラする時もあったが、いろんなサイトを見て「陣痛が来るまで長くかかった」という記事もいっぱい見て安心したらしく、まぁこんなもんだろうと肩の力が抜けてちょうどよくなってきているようである。肩の力が抜けてちょうどよくなっているので客観的に見てもそろそろ産まれても問題はないといえる。
そして、今日8日は検診だった。
とはいえなかなか産まれないので「こりゃあ頭が大きすぎて産道を通らんぞ。緊急帝王切開だ!!緊急入院だ!!」なんて展開も恐れていたのだが、これまでの経過を聞いて診察の先生はのん気に「もう生まれていい準備できてるんだってー」とお腹の子に話しかけている。
2,970gざっと3kg。前回より300g増えた。頭の大きさは9.4cmと2週間前とそう変わっていない。だいぶ頭が下がってきてますねということを言われ、内診の結果、子宮口は指1~2本分(1~2cm)開いているらしい。子宮口は陣痛が定期的(10分に1回ペース)になると3cmくらい開くというし、これはコトが進みだすと一気に行くのだろう。
そんなわけで「緊急帝王切開もあるかも」と思ってたなど診察で言えるわけなかった。
初産のため、予定日をすぎるケースも多いという。(予定日は12日である。)
明日9日は長男邸でメガネ兄弟関係者の新年会が開かれる。
年末のうちなー(12月27日)の時に日程が決まったのだが、この時は「きっと産んだ後の入院中か実家に帰ってるかだろうから私一人で長男邸に行くようになるだろうね」などと話してたと思う。だいたい12月27日とは最初の前躯陣痛のあった次の日で、この頃からみれば1月9日など見当もつかない遥か先のことと思っていたし。
そんなわけで、何も無ければいつものように入院セットを車のトランクに入れて二人で参上予定である。そしてその場で陣痛が定期的になり、そこから病院へ直行なんてことになったら、きっとメガネ兄弟関係者の手により末代まで語り継がれることであろう。
2009年01月03日
謹賀新年
陣痛など無かったかのように平和な正月。
朝、雪が積もっていた。近くの自販機に缶コーヒーを買いに行くとそこの家の子供が雪だるまを作って遊んでいる。仕方ないので近所の神社に初詣とフタバで立ち読みし可部のマルナカで買い物。
夜、雪が激しく降っている。産気づいても夜の雪道を車で行くのは嫌だから陣痛来るな。
そして願いどおり来なかった。
朝、前日より更に雪が積もっていた。近くの自販機に缶コーヒーを買いに行くとそこの家の子供が雪だるまを作って遊んでいる。雪だるまが昨日よりも大きいぞ。
箱根駅伝を見終わった後、「おくりびとが観たい」と妻が言い出すので、高速使って1時間だからと思いきってTジョイ東広島へ。
し・か・し・・・
妻、何か悪いものを食ったか途中で下痢と思われる腹痛に見舞われる。途中トイレに行きつつ、Tジョイに着いたが痛みは腹痛だが腰痛だが陣痛だがもうわからないくらいである。腰も痛いようなので映画の途中で陣痛になるといけないのでやっぱり家に帰ることにした。往復高速代700円のドライブであった。
帰る途中18:40頃ついにやって来た。「痛ーーーーーい!!!!」声が出る。本格的な陣痛か?腰が砕けるような感覚で、子が腰にはまってくるような感覚がするという。1分程で楽になった。
家に帰り着き、20:30と20:55に同じような痛み。こりゃ今晩中に入院だな、と両方の親に電話する。
その後楽になり、出産報告のハガキ作成サイトを覗きどんなデザインにしようかと議論。HPからダウンロードし写真をはめ込んで・・・とうにゃうにゃしてて一時間経過・・・
陣痛がどっかいった。。。。
23:00頃軽めの陣痛があったが、そのまますやすや就寝。
1/3(土)
朝、親から「産まれた?」と電話があって目を覚ます。産まれたらここにはいないはずなのだが・・・「まだ産まれてません。陣痛もなくなりすやすや寝てました。どうなのでしょう。」と返事。
今日も箱根駅伝が見れそうだ。
そんなわけで、今年もよろしくお願いします。
2008年12月31日
その後のその後2
12/29(月)~30(火)
一向に陣痛は来そうに無いので、今がチャンスと呉の実家へ。
あの陣痛は張り止めの薬を止めたから張り返しで一時的に下がってきたのと25日の診察で内診の刺激で血が出てきたのではないかと思うようになる。
産まれたらしばらく実家住まいなのでベビーベットを組み立てる。
組み立てたベビーベットを見て本当に産まれるんだということを実感。
12/31(水)
帰ってきた八千代は雪がちらついている。
深夜1:20頃、久々の陣痛。頭が骨盤に入ったような感覚を感じたというが、その後は陣痛はない。
夜、大雪の中車で病院にというのはできればしたくないが、微弱陣痛のことも心配する。
27日からは朝起きて「さて、今日は何をしよう」という日々。そして来るべき時を待つ。それも悪くない。とりあえず31日だからそばを食べる。仮に何も無くても明日からはテレビでは駅伝三昧でよいのだが、今のところ今日は暇である。
そんなわけで1月12日の予定日どおり(?)産まれるのは年明けになりそうです。皆様、よいお年を。
一向に陣痛は来そうに無いので、今がチャンスと呉の実家へ。
あの陣痛は張り止めの薬を止めたから張り返しで一時的に下がってきたのと25日の診察で内診の刺激で血が出てきたのではないかと思うようになる。
産まれたらしばらく実家住まいなのでベビーベットを組み立てる。
組み立てたベビーベットを見て本当に産まれるんだということを実感。
帰ってきた八千代は雪がちらついている。
深夜1:20頃、久々の陣痛。頭が骨盤に入ったような感覚を感じたというが、その後は陣痛はない。
夜、大雪の中車で病院にというのはできればしたくないが、微弱陣痛のことも心配する。
27日からは朝起きて「さて、今日は何をしよう」という日々。そして来るべき時を待つ。それも悪くない。とりあえず31日だからそばを食べる。仮に何も無くても明日からはテレビでは駅伝三昧でよいのだが、今のところ今日は暇である。
そんなわけで1月12日の予定日どおり(?)産まれるのは年明けになりそうです。皆様、よいお年を。
2008年12月28日
その後のその後
前回の続き・・・
結局「うちなー」でのメガネ兄弟の忘年会に身重の妻と二人行ってしまいました。。。
昼間は「昨晩、陣痛の前兆があり、今日はうちなーには行けそうにありません。皆さんによろしく。」などと今にも産まれそうな勢いのメールを送ってしまったものの、夕方になると「その後、今日になって陣痛の前兆は一切起こらず。まだまだのようです。」とトーンダウン。そして数時間後、妻も「ヒマになった。行こうか、うちなー」と言い出したため、よしそれならば・・・と長男次男に「今日はいっこうに来そうにないんで今から二人でちょっと顔を出します。」とメール。
きっと二人とも呆れたに違いない。
そんなわけで、道中何かあってもいいように入院セットを車のトランクの中に入れて出発!
約1時間後、市内某所の「うちなー」に到着。そこには長男次男三男の元祖メガネ兄弟と先日4年連続3時間台でNAHAマラソン完走を果たした炭水化物氏がそろい踏みであった。
そして、ちょっと顔を出すだけのつもりが、ライブを第2部までしっかり聞き、夜の0時半過ぎてまでみんなして居座っていたのでした。
さて、陣痛の方は、その晩「うちなー」にて22時半頃次男ノム・ヒョンの演奏する太鼓に合わせて1回起こったのと、翌朝の6時くらいに軽く起こったのみである。
12/28(日)
前日、うちなーの大将からも「この時期は動いた方がいい」とか「イカスミ食べたら下りるらしい」というアドバイスもあり、今日は洗車などをして体を動かすも、一向に来ない。あのおしるしと前躯陣痛は幻だったのかと思うくらいである。
これはもしかして、このまま一気に産まれるともう二人で過ごす時間はなくなってしまうから、休み中だし「もう1週間二人で過ごしてね」という子からのメッセージなのではないか、などと思っては見たものの、ファンタジーはファンタジーということで陣痛とは別の腹の張りもするらしく、そして23時頃、トイレに行くと2日ぶりに「おしるし」が出た模様である。
これは・・・?、もう一度やりなおし?
結局「うちなー」でのメガネ兄弟の忘年会に身重の妻と二人行ってしまいました。。。
昼間は「昨晩、陣痛の前兆があり、今日はうちなーには行けそうにありません。皆さんによろしく。」などと今にも産まれそうな勢いのメールを送ってしまったものの、夕方になると「その後、今日になって陣痛の前兆は一切起こらず。まだまだのようです。」とトーンダウン。そして数時間後、妻も「ヒマになった。行こうか、うちなー」と言い出したため、よしそれならば・・・と長男次男に「今日はいっこうに来そうにないんで今から二人でちょっと顔を出します。」とメール。
きっと二人とも呆れたに違いない。
そんなわけで、道中何かあってもいいように入院セットを車のトランクの中に入れて出発!
約1時間後、市内某所の「うちなー」に到着。そこには長男次男三男の元祖メガネ兄弟と先日4年連続3時間台でNAHAマラソン完走を果たした炭水化物氏がそろい踏みであった。
そして、ちょっと顔を出すだけのつもりが、ライブを第2部までしっかり聞き、夜の0時半過ぎてまでみんなして居座っていたのでした。
さて、陣痛の方は、その晩「うちなー」にて22時半頃次男ノム・ヒョンの演奏する太鼓に合わせて1回起こったのと、翌朝の6時くらいに軽く起こったのみである。
12/28(日)
前日、うちなーの大将からも「この時期は動いた方がいい」とか「イカスミ食べたら下りるらしい」というアドバイスもあり、今日は洗車などをして体を動かすも、一向に来ない。あのおしるしと前躯陣痛は幻だったのかと思うくらいである。
これはもしかして、このまま一気に産まれるともう二人で過ごす時間はなくなってしまうから、休み中だし「もう1週間二人で過ごしてね」という子からのメッセージなのではないか、などと思っては見たものの、ファンタジーはファンタジーということで陣痛とは別の腹の張りもするらしく、そして23時頃、トイレに行くと2日ぶりに「おしるし」が出た模様である。
これは・・・?、もう一度やりなおし?