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Posted by TI-DA at

2009年08月13日

花火

【長男邸にて】先週のびわこ大花火大会の写真





花火をデジカメに撮るのは難しい。夜景モードで露出が広がるから、実際の暗さとはまったく違う写真になってしまう。例えば  の赤い花火だと大火事のようになるし、大爆発にも見える。





そして  、なんか世界の終わりのようだ。
 
  


Posted by tana at 22:30Comments(2)写真いろいろ

2009年08月02日

今年も暑い夏




入道雲、旧市民球場、64年目の夏、また暑い夏がやってきた。
8月6日を迎える準備ができつつある平和公園より。  


Posted by tana at 21:11Comments(3)写真いろいろ

2009年07月16日

鯉ブログ、復活!




あまりにへっぽこで面白すぎる展開に、別館鯉ブログを復活させました。

鯉が優勝するまで続けるブログ

このブログを、3連休、ガマへ旅立つ長男へのはなむけとします。(もはや順位などどうでもいい・・・)
  


Posted by tana at 22:56Comments(4)2009年の鯉

2009年07月13日

夜行急行

立ち読みでほとんど読んでしまったのだが、ついつい買ってしまった。

男の隠れ家8月号
<ローカル線と寝台列車、夜行急行の特集>



20年前の夏休み。18歳だった。

大学の夏合宿でトムラウシ~旭岳~黒岳を縦走した後、一人になり、一週間くらい「北海道フリーきっぷ(北海道内JR乗り放題という切符)」で旅をした。
宿は、札幌から網走、釧路、稚内、函館へ向かう夜行列車の中だった。
山の中でのテント6泊と山から下りてみんなで泊まった旭川の宿以外は、車中泊。

網走行きが急行大雪、釧路行きが急行まりも、稚内行きの急行の名前は忘れたが、電灯が抑えられ暗くなった車中で聞いたアナウンス、美深とか音威子府とか幌延とか、聞きなれない停車駅の響きになんとも異国感を感じ一人興奮していた。

そして最近、これらの列車がみんななくなっていたことを知った。
その頃豪華列車として登場した「北斗星」もいまや「昭和の匂いを感じる」とこの雑誌では言っている。
北海道にはそれ以降3回行ってるが、最後に行ってもう15年経ってしまった。

またいつか寝台特急に乗って訪れよう。  


Posted by tana at 23:54Comments(2)映画,本,CD他

2009年07月11日

「辺境の旅はゾウにかぎる」

「辺境の旅はゾウにかぎる」
高野秀行著  本の雑誌社



なかなか面白い本だった。

興味深かった話。
ビルマ・ヤンゴンで床屋をみつけて髪を切ってもらおうとしたところ、店の兄ちゃんから「ガソリンを買いに行くからちょっと待っていてくれないか」と言われた話。

読み進んでいって妙に納得した。
ここでは電気が二十四時間通っていない。よって電気を使うには自家用発電機を用意しないといけない。バリカンは電気を使う。発電機を使わないといけない。発電機を使うにはガソリンが必要。でも今ガソリンが切れている。
というわけでバイクにポリタンクを抱えガソリンを買いに行く・・・というわけである。

日本で当たり前にあるものがないことで、物事の関係性がよく見えてくる話である。



そして、角田光代さんとの対談で、
「二十代の頃の旅は外国に行くだけで楽しかった。でも三十代後半となった今となっては、あてもない旅、自由気ままにふらふらするたびはできなくなっていた。」という話に二人で妙に共感するというくだりがあった。

私もたしかに・・・と納得した。

というか以前から感じていたことだった。

それは2003年、宮田珠己氏の本を読み、その中のエッセイに同じように共感し、以前のサイトで日記に書いていたのだった。



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・・・その後、珠己氏は2003年に「52%調子のいい旅」という本を発表した。その中の「ディーウ」というエッセイに非常に何か共感するものを感じたので、紹介するとともに、ここは重要なので勝手に引用する。

『・・・30代も後半になると、旅において10代や20代の頃のようなビビットな感動が少なくなってくる。10代20代ではただ旅に出ているというだけですでに心はハイであって、どんな国でもそこらじゅうがエキゾチックだった。・・・慣れのせいか、若い感受性が磨耗してしまい、エキゾチックと一般にいわれる光景を見ても、いい景色だなぁと思うものの、心の底からヒリヒリするようなことはなくなってしまった。それがこのとき、久しく忘れていたワクワクする感情がぐっと心の中に立ち上がってきたのである』

・・・そういえば私も若い頃はただ旅をしているというだけでワクワクし、そんな自分にハイになっていたのがわかっていたし、反面、初めての一人旅でのカトマンズの夜は不安で眠れなかったりもした。

今となっては、なんとなく、旅もやり過ごしているような気もする。
もちろん今でも、旅立つ前や出発前の空港や飛び立つその一瞬なんて、言葉で言い表せないくらいわくわくする。
でもなんとなく最近はこの異国情緒を味わうと、そこで完結し、その後の世界に大きく揺さぶられることはなかなかない。

「世界が拡がる」って感覚だろうか。
子供の頃、街へ出たり、電車で知らないところへ遠出したりするのが楽しかったのは、わくわくと同時に、自分の開拓する世界が拡がっていく感覚が心地よかったのだろう。その行為そのものが。

でもまた「久しく忘れていたワクワクする感情がぐっと心の中に立ち上がってきた」瞬間にいつ出会えるかはわからない。旅先なのか、日常生活なのか、どちらでもないような時なのか。きっと突然やってくるだろうから・・・

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宮田珠己氏は「だいたい四国八十八ヶ所」の中で「おお、私は今、こんなところにいる。その臨場感こそ旅の本質はあるのであろう」と言う。
「私は今、本や写真などで見て想像していた『ここ』にいるんだ」という感覚こそ旅そのものなのだろう。
加えると、その想像が良い方にズレて「なんとも言い難いゾクゾクする感覚」を味わえたならば、その旅は後で思い出深いものになっている。


「今、ここにいる」というワクワク感と、その予定調和がズレたことによるゾクゾク感を求めて旅するのだろう。  


Posted by tana at 14:38Comments(0)映画,本,CD他

2009年07月11日

平和行進

このブログを見つけた。

国民平和大行進2009

通し行進者の目で一緒に歩いて旅しているような感覚になる。

いよいよ山陰コースが中国入り。山陽コースは兵庫県、もうすぐ岡山である。
広島長崎コースは今、山口県を歩いている。

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私も先週4日、広島長崎コースのスタートである広島市内~廿日市市役所までを歩いた。

12時過ぎ平和公園から2号線をひたすら西へ歩く。
夕方、行進は五日市、廿日市の商店街へ。
ここでは沿道から声をかけてくれたり、手を振ってくれたり、手を振り返したり、こんにちはを声を交わしたり、カンパもあったり、と嬉しい。ただ国道を淡々と歩くのとはやっぱり違う。

夕方の街並み、やや歩きつかれてきた中、このような雰囲気にこちらもハイになってきた。気持ちいい。
これぞゾクゾクする感覚というのだろう。  


2009年06月24日

遠方出版社「説日語」より


  値段交渉してるところでしょうか?そしてここは何の店?


  この絵、高いのか?私にはそうは思えんが。


  インタビューする方もするほうだが、答える方の日本語がまずなっとらんと思う。


  とりあえず航空券じゃあないだろう、これ。


  こういうシチュエーションを後に「波乗り挨拶」と呼ばれるようになった。
  ・・・って聞く状況じゃあないだろう


  特段、迷路とは思えん。しかも後ろのスイカは何だ?


  一言だけ言わせてもらう。ここは銀行じゃないと思う。


・・・最近は長男の沖縄での行動を評して「馬鹿なんじゃないか」ということが多くなったが、「馬鹿なんじゃないか」の発端はこの本であったことを改めて実感した次第である。  


Posted by tana at 21:22Comments(4)写真いろいろ

2009年06月19日

「説日語」再び

先日、一通のメールが届いた。


メールのタイトルは「突然のメールお許しください(『説日語』について)」


知らないアドレスだし迷惑メールかなと思って削除しようと思ってたがタイトルの「説日語」に目が留まった。

まぁ説日語を知らない人だったら100%迷惑メール報告をするだろうが、私は幸か不幸か説日語を知ってしまった数少ない日本人である。よってメールを開く。


発信者は某女子大で中国語教師をする人のようである。

メールを読むと、どうもこの方は数年前から「説日語」に興味を持っているようで、私が過去のサイトで作った「説日語マイラブ(2004年頃の話)」をたまたま読み、そこに写真であった「説日語(FOZさんの企画でゲットしたもの)」を、スキャナに取りたいのでしばし貸して欲しいという申し出のようだ。

※ちなみに私は2003年当時、このような記事を書いていたようだ。

「説日語マイラブ(すべての発端はこちら)」

「説日語マイラブ2004(その後、わるめしやとう結成までの道のり)」

そして、そこにあった写真

丁寧に「送付用の封筒を送らせて頂きます」とまで言っている。


さて、私はどうしたか?


「貸さない理由は何もない。」


即決である。

・・・まぁ一応振り込め詐欺なんかに繋がっていてはいけないので、その某女子大が実在するかどうかネットで調べる。結果、某女子大はちゃんと実在していて、メール発信者の名前もそこにあった。詐欺ではないことを確認した。(まぁニセのネットなんてこともないだろう。インドじゃあるまいし)

相手の素性もわかり、更に貸さない理由は何もなかろう。

というか、わるめしやとうの集会もしばらくなく、数年間本棚で眠っていた説日語である。むしろここで旅に出すことで研究のお役に立てるのであれば幸いである。冷え切った日中関係もこれで少しは改善するというものだろう。

そんなわけで「なかなか面白い申し出ですので、この件について、私も気が向いたらブログまたはmixiに記載すると思いますので、そのことをご容赦ください。」とだけ付け加えてメールを返信した次第であった。


                                    つづく


・・・・そういえば、、、

写真にあった、挿絵のあるバージョンは遠方出版社の説日語で、これは私は持ってない。わるめしやとうの会合の中で誰かが持ってきたものだと記憶している。私の持っているのは西北大学出版社発行のノーマル(でもないが・・・)なものである。
もしかして依頼手はそちらのを探しているのではないか、と心配な今日この頃である。
  
タグ :説日語


2009年06月08日

一眼レフを買って新球場へ

一眼レフを買った。

コンパクトデジカメもいいのだが、一眼レフで撮った写真はやはり鮮やかさが違うと前々から思っていた。コンパクトデジカメでいくら撮ってもかなわない仕上がりなのである。

というわけで買った。衝動買いではない。
ここんところ、半年前のビデオカメラといい、チャイルドシートやベビーカーなど出費過多ではあるが、衝動買いではない。いちおう前々から計画はしていたのだ。

購入して、説明書きを読むのもそこそこに、午後は新球場でのオリックス戦へ。

指定した席はレフト側バルコニー席(年間指定席だが売れ残った箇所をバラ売りしている)
運よく一番前の端っこ。ポールよりも3塁側である。ちょうど角にベビーカーも置けるスペースがある。なによりビジターパフォーマンスの影になるため、日陰になってたところがよかった。

試合のほうはいつものように序盤は0-0のまま進む。
試合見ながら、娘みながら、途中で授乳で妻娘いなくなったり、一眼レフの説明書を読みながらいろいろカチャカチャ試し撮りなどやってて、おー連写もできるんかなどと感激していたら、4回裏マクレーンの特大ホーマーがバルコニー席に飛び込んできた。
次の回も打つわ打つわ、赤松に喜田剛にまたマクレーンにツーベースが続いて、最近よくある1イニングだけ打戦爆発するという打線の片鱗を見せ、そのまま6-1で鯉の勝利。
これまで観戦成績3連敗のオリックスにようやく勝つことができた。


※写真は新しい一眼レフで撮ったものです。










  


Posted by tana at 22:45Comments(0)2009年の鯉

2009年06月04日

6月7日オリックス戦へ

6月7日(日)は天気もよさそう。
tana家総出(3人だが)で新球場へでかけることになった。

土曜のソフトバンク戦は既にいっぱいらしいから、まだ空いているという日曜にし、しかも前売りを買おうと今日カルピオに行ったのだが、チケットを買うにあたって気になったことがある。

うちの娘はまだ4ヵ月半である。

移動にあたってベビーカーは欠かせないアイテムである。時々乳も欲しがろう。
どこにしよう。
内野自由を買ってコンコースで立ち見というものいいのだが落ち着かん。座ろうとしても2階席だとベビーカーを持ってあがるのも、ちと辛い。前回、見に行った感じではこっそりと指定席の空いている席に座ろうかというのもできそうにないし(指定席の入り口という入り口には門番が見張っており指定券のない客を跳ね返していた)、だからといって広い指定にベビーカー持って入るも周りに気が引けるし・・・

と思いながらカルピオに着いて球場の案内図を見てひらめいた。

「レフト側バルコニー席」

もともと年間指定席だったものの、売れ残った席は普通に売っている。(一人3,000円)
外野レフト側のコンコースに沿って並んだ、5列しかない観戦席という。意外な穴場かもしれない・・・。と、窓口で聞くと空いているとのこと。
2枚購入。
5列しかない列の1列目(一番前)だった。座席は401,402となんか端のようで、なんとなくベビーカーを入れても気兼ねせずにいれそうなエリアのようだ。

さて、妻と娘にとっては初めての新球場だが、私にとって2度目の新球場参上である。
ただ前回は・・・、長谷川とドーマンが試合をぶち壊してくれた試合だった。

今回は上述の二人はもういないためその点ではいいのだが、気になるのが相手がオリックスということ。過去の観戦記録はこちらである。

2005年、謙二郎祭り真っ只中の頃

2006年、Y氏日本代表監督に?

そして2008年、ピンクリボンのみ目立った試合

全くいい印象がない。

でもまぁこれは市民球場時代のこと。球場が変わったし、きっと気分も変わって勝ちに転じることでしょう(と思いたい)。  


Posted by tana at 23:38Comments(0)2009年の鯉

2009年05月23日

2005ラオスにて②

バス?の中はギュウギュウ詰めながらも風が心地よい。しかし、バスが止まったりすると一気に暑さで大変になる。


しかし、ちょっと走ったらトラブル発生。





パンクでもしたのか??
でもみんななんかのんびりしている(ように見える)。





こっちでは日陰に入って休んでいる。まだまだ出発しそうになさそうだ。  
タグ :ラオス


Posted by tana at 17:37Comments(0)写真いろいろ

2009年05月23日

2005ラオスにて①




ルアンパバンの街から、バスターミナルへ向かう途中の荷台から。

なにげない朝。
慌ただしいんだろうけど、なんか、のんびりとした朝の姿。
太陽のリズムそのままに人々は日常を営んでいく。





バスターミナルにて。
飯を食べる家族。奥に見えるトラックのようなものが・・・・





バスです。自転車まで乗っている。
出発!  
タグ :ラオス


Posted by tana at 00:49Comments(0)写真いろいろ

2009年05月10日

「絶対貧困」/「小さな国の大きな奇跡」

         


「絶対貧困」

・・・実際のところ、貧困といって具体的なイメージを持っている人はどれだけいるのでしょう。おそらく路上で暮らす物乞いを思い浮かべることができても、彼らが誰と結婚してどこでセックスしてどうやって赤ん坊を産んでいるかはご存じないはずです・・・(「はじめに」より)

物乞い、ストリートチルドレンといった1日1ドル以下で暮らす人々とスラムで寝起きを共にした著者が描いたノンフィクションである。
「絶対貧困」層の恋愛や結婚、出産や葬儀、職業など、たいへんわかりやすく描かれている。

これらの生活、一面では悲惨といわれかねないのだが、それはあくまでも恵まれている先進国からの目線であって、もともとスラムで生まれてきた本人達にとっては生まれた時から同じことであって、今が悲惨と感じるものではないのである。
スラムには最低限の生活を営む上での互助精神も残っている。

印象に残ったところ
世界を旅してて物乞いや(取るに足らないような)物売りに出会ったときの対処の話があった。たしかにインドなどを歩いていると物乞いや物売りから金を無心されることがあるが、著者は本の中で、そんなことで悩む必要はなくあげたらいいという。数ルピー程度をやることで、少なくとも、その人は食事にありつくことができる。

裏を返せば、そのあげる金がなければその日の食事にありつけることもできないということもある。
そうなればどうなるか、金がなくなれば、薬物売買などの犯罪行為に手を染めるしかなくなる。
彼らを利用しようとする裏のビジネスが待っている。その犯罪組織にとっては彼らは資金源になりうるのだ。女性であれば売春業に関わるようになる。
結果、薬物、そしてHIVなどの病気の感染も広がっていく。

普段の生活に思うような悲惨さはなくても、ひとつ足を踏み外すと闇の部分に踏み入ってしまい抜けられない。その危険性が高い。こういう生活が「絶対貧困」という層である。
米軍なども各国の貧困層から入隊者を募って戦場前線に派遣している。よってアメリカが起こす戦争の被害者はそういった層である。ある程度の富裕層は戦争が起こっても死ぬことはない。このままいけば日本もそのようになりかねないだろう。
経済的な豊かさを誇る国であってもこういう貧困と隣り合わせである。

ないものとして目を背け蓋をし本人の問題として片付けるだけでは結果闇の部分の世界が拡がっていくだけ。結局のところは、世界の現実を突きつけられる本だった。

***************************************************
「小さな国の大きな奇跡」

では、そのようなホームレス、物乞いのいないキューバのような世界はどうかと思い読んだ本。

生まれてから死ぬまで住居と最低限の食糧は保障している。
教育と医療を無料にし教養と健康を大切にしている。識字率は100%。国民の等しい教養こそ革命の実現に欠かせないものという。
しかし圧倒的に物がない。
例えば携帯を持つなど日本では既にあたりまえのことができないなど経済的な豊かさは全くない。また海外を自由に旅するなど個人の行動の自由も制限されている。国民が等しくその自由を享受できる状況になるまでは困難なのだろう。

大資本主義国家からのいわれなき経済制裁を受けていることも理由だろうし、キューバとしても国が目指しているものに対して世界情勢はまだまだと思い「この世界は未だ自由に往来できる状況にない」と判断しているのだろうか。それはわからないけど。
社会主義や共産主義は人間らしく生きていくための理想であるが、これまで多くの国が失敗してきたのは権力者による独裁国家に傾きかねないことである。ソ連、東欧がそうだったように。カストロだったからうまくいっているとの見方もあるだろう。

医療と教育は無料。つまり医者になるための教育も無料ということで、医者は日本の3倍いる。そして発展途上国や被災地に医師の派遣もしているという。
この人間を大切にする思想が海を越え、広がっていったならキューバの自由は広がるのかもしれないと思う。実際のところ南米はかなりの国で社会主義政権となっている。そういった国々から得られるものによってキューバの経済的な水準も上がっていくであろうし、将来、国民が自由に外国を往来できることにも繋がっていくのだろう。  


Posted by tana at 22:13Comments(0)映画,本,CD他

2009年05月04日

続・風呂にて

最近の最大の懸案事項は仕事が忙しいことと、風呂の件である。(下の記事参照)

今日も最初の湯船、体を洗うまではよかったが、頭を洗い出したときから泣き出した。
洗うのを途中でやめ、縦抱きで抱いたり、湯船につけたりしても全く効果なし。
これで3日連続完敗である。鯉の長谷川は2回連続KOで遂に2軍落ちのようだが3回連続とあっては私の風呂での立場も危うくなってくるというものだ。

そんなわけで夜、「赤ちゃん 風呂 泣く」をキーワードにいろいろネットを見てたら、「この時期は泣くもの」「胸は痛むがそれでも洗っている」という話に辿り着いた。結局のところ向こうが泣こうがわめこうが割り切って洗い続ければいいのだろうか?明日はそうしてみようか?

そうした時にひとつ気になること。
①娘も特に最近は、風呂でなくても泣くときは「いまにも死にそうなくらいの泣き声」を出して泣く。夜泣きの前兆かもしれない。②そして一般的な風呂に共通する事案であるが、風呂の中は声が響く。よって「泣き声も響く」。
①と②の要素が絡み合った結果、近所の人にあそこの家は子供を虐待してるんじゃないかって通報されるんじゃないかと心配だ。

・・・なんて、そんなことはないだろう。多分。

話は変な方向になってしまったが、まぁ明日は割り切った作戦で行こう。人間開き直りが大切だ。長谷川も開き直ってまた1軍の先発に戻って来るんだよ。かつて同じような立場だった高橋建もいまじゃあメジャーリーガーだ。

また話はそれたが・・・、いちおう言っておくがけっして虐待してるんじゃあないぞ。  


2009年05月03日

初新幹線/風呂にて

5/1~3は北九州へ娘を連れ初帰省。
初JRに初新幹線である。
初めて車以外の乗り物に乗ったわけだが、トンネルから抜けると眩しそうにするくらいで、それもトンネルがひっきりなしにあるため、トンネルを抜けるたびに眩しそうにしていたことが印象的だった他は特に泣くことなくじっとしてた。
飛行機に乗れる日も近そうだ。


先日29日、風呂に入れたとき間違って口のあたりにお湯をかけてしまった。
で、お湯を少し飲んだらしくケホケホとしばらくむせさせてしまった。
「ごめんね」と謝るも、その後娘を湯船につけたらついにギャン泣きされた。

結局その晩は、娘を抱こうとしても「さっきはよくもよくも・・あのときは大変だったんだぞ」という感じでギャン泣きされるだけだった。夕方の風呂でのことを覚えているようだ。

その後も何回か風呂に入れたものの、特に昨日今日は顔を石鹸で洗っていると泣き出すようになった。二日とも火を噴いたように泣かれどうしようもなかった。やっぱりあの一件を覚えているようだ。ほんとに悪かったと思ってる。ここにブログにて明かすのでもう忘れて欲しいものだ。
とりあえず明日は顔を石鹸で洗うのはとりあえずやめよう。


ここんところ私が抱いて泣き止まないのに、妻に渡すと泣き止んでけろっとすることも多い。だんだんとお母さんを認識しだし始めたのか?
まぁたしかに、こないだまで手の拳ごと口に入れていたのがいつのまにか指単位でしゃぶるようになったりと、脳や神経は日ごとに成長してきているようである。
気になるのは、この連休を過ぎて一ヶ月は私は火を噴くように忙しくなるのである。深夜に帰ってくることも頻繁になりそうなため、当分はお父さんを認識されないのではと大変心配である。  


2009年04月26日

初の新球場は・・・

4月25日(土)のこと・・・

多分ブラウンも土曜のこの試合は雨で中止と思って金曜に中5日でマエケンを持ってきたことだろう。
その予想通り雨は未明から降り続いたわけだが、昼前にはあがってしまった。思えばもう少しこの雨が降り続いてくれれば・・・と今になって思う。



東出




内野自由席1,600円にてデビュー。
先発は誰だったかもう忘れた。今年は2試合ほど無難に抑えてたから、少しは期待したけど、ミスも重なって先取点を許す。2点でとどめておけばまだ期待できるのに、次のバッターに簡単にHR打たれる。今年も期待するなということか。
ついでにいえば2回表スコアボードにまでバカにされていた。スコアボードによると19点取られる予定であり、そのとおりポンポン打たれ満塁のピンチを作るも、そこは敵の5番新井がゲッツーに倒れるなど相手が一枚上手だった。




そして3回で5失点。今の打線だと50イニングくらい試合を続けないとひっくり返せない点差になってしまった。
結果はその後投げた青木高、ドーマンが続けて炎上し12点取られるのに対し、うちはヒットを打つのがやっとという有様。そのヒットを打つのも東出だけだったけど。

内野自由席からは球状の向こうを通る新幹線やその他山陽本線、芸備線などの列車がひっきりなしに通り、まるで鉄道模型を眺めているようだ。ただ鉄道模型も1時間も見つづけてるとやっぱり飽きるので、仕方ないので新球場内をぐるぐるしておりました。(↓写真はネソベリア(の後ろ)からみた景色)




新球場、きれいなのだがなにか応援に市民球場時代の一体感がないように感じた。負けてるせいかもしれないが、ライト側2階のパフォーマンスシートに空席が目立ってたことが気になった。
そして今日日曜日。私は諸事情でテレビラジオでも見ることはできなかったが、結果を見るにどうも勝ったようだ。でも試合内容の詳細を見てると、勝ったからいいものの、打線の問題と永川の問題という今後勝ち続けていくための2大懸案事項はまだ解決されてないようである。  
タグ :カープ


Posted by tana at 22:38Comments(2)2009年の鯉

2009年04月21日

広島市内に引っ越す

鯉を一生懸命見つめる娘→

広島市内に引っ越しました。
私はこれまで北九州、広島、山口、三次、八千代といろいろ移り住んできたが、やはり広島市内は歳をとってもずっと住みたいところである。そしてそう思わせる人間関係がここにはある。
なんとなく、今年のテーマは「定住」になりそうだ。

娘は今日で産まれて3ヶ月が経過。
そして私が広島市内に住み始めて2週間が経過した。新しい環境、仕事も最初はなんかふわふわした感覚だったが、少しづつ慣れてきた気がする。
転勤先の仕事はこれまでの仕事と異なる新しい仕事で、全く初めてのことだらけでまだよくわからない。そこはなんとなく旅先にいるような感じで、一つ新しいことを知って一つ自由になるという感じである。よく言えば。

でもしばらく旅に出る予定はない。
いつかは長い旅にも出たいと思う。
旅に関すること=実際に現地を歩いて世界を拡げる、世界の現実を知るということ=も、子供の頃から突出して好きなことだっかから、きっと一生やりつづけることだろうと思うが、それは今じゃないような気がする。(ネットの世界一周リアルタイムブログなどを読み、疑似体験は定期的に行ってるが・・・)
今は結婚して娘が生まれ、一人の人との関係、子の成長、その成長を一緒に見守っていける時間というものがとてもいとおしい。まだ平日は職場と家との往復だけなのだが、その両方でまったく旅する以上に飽きない変化がこの日常にあるし。

・・・とかなんとかいいながら11月に家族3人で久しぶりの石垣へ。一人旅、二人旅とはまた違ったものになりそう。現地で長男次男と合流することになり、またマニアックな行程となるだろう。
そして9ヶ月になった娘を飛行機デビューさせる予定。
果たして大丈夫なのか気にはあるが、今でも車によく1時間以上乗せてることがあるし、5月新幹線デビューする予定だし飛行機もきっと大丈夫でしょう。
  


2009年04月06日

引越し

明日は広島へ引っ越し。3年半ぶりの広島市内である。
鯉も出だしが調子いいので浮かれているが、引越しの余波でしばらくADSLが通じないので、日記もしばらくごぶさたすることだろう。そんなわけで最近の娘・・・

・最近、自分の手をじーっとみつめることが多い。「なんだこりゃ?」って思っているのか。そして、自分の意思で指が動いたりするから魔法でも使えたかのように思っているのか。娘よ、それは「手」というものだ。もとから娘に備わっていたもので、急に生えてきたものじゃない。けっして単独の生き物じゃあないぞ。
・これまではあーとかうーとかやーとかだったが、最近は「あぎゃう」とか「うきゃあ」とか言葉のレパートリーが多くなってきた。我々の話す言葉を真似ているのか。でも決してうきゃあとか言ったことはないぞ。
・こないだようやくベビーベットで夜寝た。ただ1日限りだったが・・・
・基本的に一緒にいるときはたいていどちらかがつきっきりになるので、なかなか自分のことをやろうとしてもできない。でも、最近あやすと笑うようになった。これが、かわいいのである。多少ギャン泣きしてもオムツを大量に消費しても気にはならないくらいである。
・徐々に首がすわりつつある。2ヵ月半が経過しました。  


2009年04月03日

それゆけシーボル~いよいよ開幕~


きっと超スロースターターのシーボルはこの日のために去年から調整をしてきたのかもしれない。


  


Posted by tana at 21:06Comments(0)2009年の鯉

2009年04月02日

最後の長男邸

1ヶ月前は宴たけなわだった長男邸も、昨日、夕方19時過ぎ、最後の荷物が運び出された。居酒屋長男、民宿長男、12年の長きに渡る歴史に幕を閉じた。

09.2.27
   
09.4.1

トータルで何人の人が来店したのだろう。

数々の料理が作られたこの台所も、いまはだだっ広く感じる。

次は大津の新長男邸か、石垣現地集合か?

いや、来週辺り「うち○ー」にいたりして。