2009年12月14日

10ヶ月にして最南端へ④けだもと荘の夜と朝

10ヶ月にして最南端へ④けだもと荘の夜と朝



けだもと荘の食堂に2年半前の写真が飾られていた。いっぱいの写真の中から我々の写真を見つけたとき、やっぱり嬉しいものである。


日中はいい天気だったのだが、夕方から雲が多くなり、夕食時は雨もぱらついていた。
夕食時、テレビの天気予報では「明日の八重山地方は雨の予報、そして波の高さは4m。」

「波が5mになったら船はでないようですよ」

ととなりにいた男性2人組が話していた。波浪注意報も出て波も高い。明日の船が出るのか心配になる。心配にはなるのだが心配してもどうしようもない。



だいたい食べ終わったところで娘の離乳食にとりかかる。
また今回も悪戦苦闘しながら食べさせるも、ふと横を見たら長男がとなりにいた男性2人組とガマの話で盛り上がっているではないか!

いったいどこからそんな話になったんだ!?

と、同時にいつだろうがどこだろうが長男の話す話のテーマにはブレがないことにほんとに感心する。
まぁ隣の男性2人組も、明日は西表に渡って「忘勿石」の話を聞きに行くようで、いろいろ平和活動にも興味を持っている感じだっただからきっと長男と話もあうのだろう。
全く、類は友を呼ぶというか、マニアはマニアを呼ぶというか・・・



離乳食も終わり、妻は乳をやりに部屋に。
他の人はそのまま泡波を持ってゆんたく場に。ゆんたく場にはそれまでのほかの客が飲んでいたのみかけの泡盛もあり、それらを適当に飲みながらいっしょに泊まっている20代と思われる若者たちともゆんたく。
とりとめのない話をしながら、記憶に残ってるのはある人が話していた島人が言ってたという話。

「波照間は観光の島じゃない。農耕の島だ。」

この宿も門限は23時まで。
それは波照間島自体が23時以降は観光客はうろついてはいけないという決まりがあるようだ。
我々は島人の生活のなかをちょっとの間お邪魔しているにすぎない。
飛行機の定期便はなくなり、船も波が高くなると欠航が多い。ここに来れたこと自体がすばらしいことだ。


話が途切れると、なんともいえない静寂につつまれる。

車の音も、テレビの音も、パソコンの音も何もしない静寂。

そんな中、キュッキュッキュッという声がする。ヤールーだ。

10ヶ月にして最南端へ④けだもと荘の夜と朝



22時頃、誰かが「雲が切れ星が見えてるよ」って言うので、宿のみんなで星を見に行く。
集落を抜け道路に寝そべり星を見る。目が慣れると見る見るうちに満点の星空に包まれていった。しし座流星群の時期である。しし座がどこにあるのかもわからないし、どんな星座で結ばれるのかさえわからないくらいの満点の星空の中、流れ星が一つだけはっきりと流れていくのが見えた。



明日、無事、船がでますように。



11月21日(土)

6:00起床、朝陽を見に行こうと空港方面へ歩くも曇って見えなかった。

7:30朝食
今日の天気予報、「波の高さは4mの予報」いよいよ出航が微妙に。
今日は夕方の3便で帰る予定だが、この調子だと早く帰ったほうがいいのかな?なんて話していたとき、他の泊まり客から


「安栄、全便欠航です!」


と一報!
安栄が出てないということは波照間海運も出ないだろうな・・・


「今日はフェリーが出る日だけどどうですかね~」とヘルパーさんが波照間海運に電話して聞いてみる。そして・・


「フェリーも欠航です」

ありゃありゃ・・・


けだもとのお母さんが現れ、
「えーと、今日帰りの飛行機の便の関係でどうしても石垣に帰らないといけない人、どれくらいいる?漁船がチャーターできるか聞いてみるから」

隣の西表に行って忘勿石の話を聞きに行くという男性2人組が手を挙げた。我々はどうしようか・・・。いちおう今晩、モーリーさん夫妻と合流する。夜の店も予約してあるという話だった。いっしょに行く人がいるのならそれに乗せてもらおうか、と手を挙げる。

が、「赤ちゃんは危ないかも」と止められる。
小さなプレジャーボートだから、もろに波をかぶるらしい。波も高いし揺れも激しいから大人ならなんとかなるも子供を乗せるのは、厳しい話をすると、命の保障もできないという。


「もう1泊は大丈夫ですよ。船が出ないから新しく来る人はいないから。」



連泊決定である。



 
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