2007年03月25日

リベンジ伊是名

それは2006年9月のことでした。

長男、次男そして私の3人は伊是名島に渡ろうと企てましたが、台風13号(サンサン)の襲来により、フェリーが欠航となり、泣く泣く島には渡れませんでした。結果どうしたかというと、本部半島をぐるぐる3周もしてしまったのです。

そしてその年の暮れ、我々3人はそのリベンジを期すべく、再び島に渡ろうとの決意を表明しました。決行時期は2007年2月、その頃は台風こないだろうという安易な理由からです。
その後、その話を聞いた我が有能なる側近のF(三男)が「面白そうですねぇ」とこの話に乗ってきました。これで見事「6年ぶり三兄弟沖縄でのそろい踏み」が実現することとなったのです。
 
さて、皆さん、先ほど話に出た「三兄弟」とはいったい何なのでしょうか?

正式名称は「沖縄大好きメガネ三兄弟」というようです。広島、のそのまたごく一部の地域で6年も前に結成されたユニットのようです。「三兄弟、三姉妹に行く」というタイトルでCDデビューをして以降、表舞台から姿を消したようです。(ウソ)
ちなみにこれはほんとにどうでもいいことですが、メンバー構成は

   長男:藤岡琢也(ボーカル)  次男:仲本工事(三線) 三男:側近F(邪悪なムーミン)

というようです。
しかし、ここからが重要です。最近、三男の側近Fがしばらく遠いところに行って、なかなか広島を見せないため、あろうことか「私が兄弟の一員にさせられている」という事態になってしまっているのです。

私としては、それは全く心外です。
私はそのメンバーには入っていない。声を大にしていいたい。私は従兄弟というか、マネージャーというか、裏ですべて糸を引いている、そんな存在です。
だから、その話がでるといつも「私は兄弟とは違う」と否定を行います。これは、「小さな積み重ねこそが大きな世論を動かす」ということを忠実に実践しているにすぎないのですが、どうも最近このこと自体が私のネタの一つだと捉えられている気がしないでもありません。
まったく困ったことです。

まぁそんな話はどうでもいいわけで、次の行程で伊是名リベンジツアーに出発となったわけです。

2月9日(金)広島→那覇→宜野湾近辺→ビセザキ
1.出発?
2.宜野湾へ
3.宜野湾ベイキャンプ
4.ペンションビセザキ
5.ネコのトラ(前編)

2月10日(土)ビセザキ→運天港→伊是名
6.ネコのトラ(後編)
7.運天港へ
8.伊是名到着
9.港の周りをうろつく
10.変な展望台
11.パイナップルツアーズの港
12.ときわの夜

2月11日(日)伊是名→運天港→本部→名護→コザ→那覇
13.伊是名の夜と朝
14.無人島へ行こう
15.山川シゲ商店
16.ヒデヨシ君の木
17.写真いろいろ
18.名護へ、コザへ、そして那覇へ  

2007年03月24日

リベンジ伊是名1~出発?~

感動が さめないうちに はやめに 記録に 残しておこう

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世の中には、どうあがいても物事がうまく進まなくなる組み合わせというものが存在するのだろう。

昨年9月のことだった。長男(藤岡さん)、次男(仲本さん)、そして私の3人で伊是名島に渡ろうとしたが、台風13号の襲来により、泣く泣く断念せざるを得なくなった。
そして今回、さすがに台風は来ないだろうと時期を2月に選び、加えて、超強力助っ人として三男(私の有能なる側近のF)を加え伊是名島上陸のリベンジを果たす。この有能なる側近が加わったことが、吉とでるか凶とでるか。

2月9日 8時25分 那覇行きANA機は広島空港を離陸する。

私とFは前の晩長男邸に泊まり、Fの彼女であるあっちゃんと4人でささやかながら前夜祭を行った。その席上あっちゃんが「双子がほしい」などど意味不明なことを口走っていたが、どれもこれもシロミキヨ様(↓)の仕業であろう。

「パイナップルツアーズ」より

彼女のためにも我々はなんとしても伊是名島に上陸しないといけない。

まぁそんな話はいいとして、8時25分離陸に間に合わすために、前日より長男邸に泊まったというわけだ。
9日は、5:00起床、そして 5:30出発 6:00空港行きリムジンバス広島駅を出発
6:50分頃広島空港に到着、チェックインを済ませ、朝食を食べていると次男と合流。
次男は大方の予想通り二日酔いだった。

次「どうやって長男邸来たん?、タクシー?」
F「いや・・・、あのですね、あっちゃんに送ってもらって・・・」
次「またのろけかい!」
朝からいつもの会話であった。

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時は流れ、2時間が経過。9時を過ぎた。
我々は既に雲上の人となっているはずである。
しかし状況はこんな感じである。

    地べたに座り込む長男と次男

どうも霧が濃いようで、視界不良ということで、天候調査をしているらしい。



那覇行きだけでなく、羽田行き、成田行きも足止めを食らっているよう。待合室は人でごった返している。

こんな状況に長男と次男は「昼からビール飲むやつにろくなやつはおらん」と言いながらビールを飲んでいる。昼というか今は朝の9時である。
近くでは、カープの三村元監督がRCCの一柳アナウンサー他のメンバーと熱弁をふるっている。
どうでもいいが近くでみた三村監督は、私の沖縄の知り合いに山田さんという人がいるのだが、その人によく似ていることがよくわかった。

なかなか出発しそうにないので私も地べたに座っていたら、子供がやってきて「お金ちょうだい」と言ってくる。
おまえは物乞いか!
インドかネパールにいる気分がしたが、今の状況からよく考えると、地べたに座ってるのは私なんだから、立場は逆じゃないのか?とかいろいろ思ったが、なんのことはないこのガキはとなりにいたお父さんに話しかけていただけだった。

そんなこんなでまだ那覇行きANAは出発していない。

前回、伊是名へ渡れなかった3人の組み合わせはFという有能な助っ人を擁しても問題の解決には至らなかったようだ。いや、それにまして最強最悪のエネルギーが加わり、増幅されたのか、伊是名どころか、沖縄本島にさえ渡れないのかもしれない。
一体どうなるのだろうか。

                                     つづく  

2007年03月23日

リベンジ伊是名2~宜野湾へ~

9:40 なんとか霧は晴れ、ANA那覇行きはようやく飛び立った。

12:00頃 那覇空港到着、天気はくもり、やはりあたたかい。


空港前では、沖縄県内でキャンプしている球団の旗が並んでいる。
さて、2/13以降、カープが日南に行った後はHの旗はどうなるのだろう・・・

レンタカーを借りる。
受付でもらった車のナンバーは「7599」だった。そして従業員と駐車場を探すもその車はない。
従業員は「探してきますので待っててください。」と言い残しどっかへ行った。
そして、次に呼ばれたときは車のナンバーは「9558」に変わっていた。
ここは沖縄であることを痛感した。

車は、空港から58号へ続く慣れ親しんだ道を北上する。

当初の予定では、高速でコザに行き、こちらも長年の悲願である「大衆食堂次男」で昼食を食べ、カープコザキャンプへ合流する予定であった。
しかし、当日練習が休みということが判明したのと、出発前夜長男がホームページをプリントアウトした紙を見せながら、「キャンプ地限定のベイスターズグッズがある」と言い出したため状況は変わった。

モノは以下のようにスポーツタオルとTシャツとまぁベタなものだが、長男の目は輝いていた。



当日、その話を聞いた次男は言う。
「それは宜野湾に寄れということですね。」

まぁ今年のカープは3位以内を狙おうというチームだ。昨年は5位だったが、ヤクルトは岩村が抜け戦力ダウンしたし、巨人は今年も内部分裂がおきるのに期待し、阪神も井川がいなくなったし、もしかしたら2位もありうる。中日にはいまのところ大きなマイナス要因はなさそうだが、そういえば短期決戦に弱いイメージがあるから、プレーオフで一気に逆転優勝!そして日本一!
そのため今年はベイの方向には目が向いてない。宜野湾への方向転換にもなんというか、余裕が伺えるようになった。

ついでに、出発前夜、そのシーサーが描かれてあるデザインを見てFの彼女のあっちゃんが、
「これ買ってきて」
などとねだるものだから、Fの鼻の下は伸びっぱなしだった。

さて、宜野湾に行く途中、ついに雨が降ってきた。

腹が減った。
真栄原社交街に未練がありそうな次男とFを振り切り、我如古にあるみどり屋食堂に入る。
注文をとる。

長「につけ」
F 「みそ汁」
私「チャンポン」
次「おかず」

この一連の注文の流れは3秒とかかってなかっただろう。
見事、誰もかぶることなく沖縄限定メニューの注文フォーメーションが完成した!
少しだけ、このメンバーが誇らしく思った瞬間だった。

   
チャンポン                        みそ汁

                                      つづく  

2007年03月22日

リベンジ伊是名3~宜野湾ベイキャンプ~

14:30頃・・・
みどりや食堂で腹いっぱいになり、車はいよいよ宜野湾ベイスターズキャンプ地へ

更に雨が激しくなった。
さすがにこれじゃあ誰も外で練習してないよなぁ、と思いながらも限定グッズ目当てにベイスターズの選手が宿泊しているホテルへ行く。
選手が宿泊しているホテルとは・・・、追っかけになった気分だ。なぜベイスターズなんだ?という気はするが・・・

窓の外に目をやると、この雨にもかかわらず道行くウチナンチュは傘をさしてない。
この現象は今に始まったことではない。おじぃもおばぁもおっちゃんも女子高生も傘をささない。
車内では、この現象に起因し、Fのことに関する話で盛り上がったが、その後のFと次男との密約により、この話自体が全体的に非公開となってしまったの残念だ。

残念だが割愛したい。

15:00頃、キャンプ地に到着

幟旗がいっぱい

スローガンはMove On(なせば成る)

「歓迎!横浜ベイスターズ」を写真に撮り、長男は嬉々として限定グッズを購入し、次男は種田を見たようだ。

雨も止む気配もないため、宜野湾はここであとにするが、大きな課題は、さて、コザキャンプはどうしようか?ということであった。
この雨でありこの時間である。着いたら夕方になっているだろう。
あさって3日目(2/11)は紅白戦もあるみたいだという情報も得た。

今日はやめて、あさって伊是名から午前の便で戻って紅白戦をみようか・・・

となりかけたが、まぁ伊是名の状況で決めようと結論は先送りにした。


車は、次男及びFの強い要望により真栄原社交街に入る。
途中、コアな箇所を通過し、たいへん場末の雰囲気に怪しさ満点であったが、「青少年に悪影響を与える」という理由から、ここの社交街は撮影禁止となっていた。
隠れて撮ったりしてないよ。念のため。

次は、長男の強い要望により宜野湾長田にある「榕樹書林」という古本屋に行く。
今回の戦利品はこちら↓。しめて8,000円したようだ。今回は買い控えた方だと長男は言う。



そんなこんなで、けっきょく1時間以上ここにいたことになり、時間は16:30をすぎていた。
ビセザキでの夕食が19時からということもあって、我々は途中コザに寄ることもなく、高速道を経由した。今回は「流れ弾注意!」の看板のところで写真をとるために減速したりなどはせずに一気に本日の宿であるペンションビセザキに直行した。

                                つづく  

2007年03月21日

リベンジ伊是名4~ペンションビセザキ~


  ビセザキ

映画「八月のかりゆし」の舞台になった宿で、主人、おじぃ、おばぁも出演している。
ゆっくりと落ち着けるところです。
すし職人の主人がつくる食事は最高で、宿泊料金は少々高いが北部に来たときは必ず泊まろうと思う宿です。


  大きなガジュマルが目印


  周りはキビ畑に囲まれた環境

Fも今度の新婚旅行では「ここに来よう」と決意するようになり、長男次男の間で先回りしてここで待ち伏せするという新婚旅行ぶっつぶしツアーも企画されているという。
どうなることやら

                                 つづく  

2007年03月20日

リベンジ伊是名5~ネコのトラ(前編)~


  ここビセザキにいるネコのトラ、たいへん人懐っこい。

3ヶ月前、宿の主人の熊さんが、海べりの断崖のところでミャーミャーないていたところを拾ってきたという。
そしてそのままいつのまにかこのビセザキに住み着いたよう。



夜、雨が降ってたから?家の中に入ってきた。
どこかで飼われていたのだろう。
礼儀正しい凛とした雰囲気もあり、
それでいてかわいいところもある。




  デジカメの紐で遊んでいる


  私の腕の中にて 妖しい上目使いが色っぽい


  次男の持っている三線に興味津々


  ちょっかいを出しだした


  疲れたか?長男の腕の上で眠りはじめた。

    つづく  

2007年03月19日

リベンジ伊是名6~ネコのトラ(後編)~

次の朝

  気づくと部屋の外で待っていた


  中に入れる

朝食時

  食堂にある水槽の魚(=獲物)を狙っている


  魚を見つめるネコを見つめる粟国の塩ブルー

食後

  そして新聞見てたら邪魔しに来た・・・

なぜ、「トラ」なのか?
主人の熊さんが虎ファンだからか?
いずれにしろ、たいへん人懐っこい看板ネコとなってるようだ。



                  つづく  

2007年03月18日

リベンジ伊是名7~運天港へ~

2月10日9:30頃、ビセザキを発つ。

天気はくもり、どんよりしてるが、いくらなんでもこれで船が出ないなんてことはないだろう。

ここビセザキは、映画「八月のかりゆし」の舞台である。
松田龍平が主演だが、なにより度肝を抜かれたのは出演していた村山元総理のウチナーグチであった。
ここの他、本部の街や、ビセザキ近辺の砂浜などがロケ地となっている。

9月の旅のとき、ロケ地の砂浜は見つけた。しかし、映画の中でみんなが歩いていた切り通しのような岩が両側に迫立って海岸に続くという場所があったのだが、そこは分からなかった。
そんなわけで宿の人に「切り通しのところはわからなかった」という話をしたら「ここからすぐ近くですよ」という。
宿を出て左に折れ、最初の角を左に曲がり少し行ったら土木工事しているところがありその近くにそれはあるという。わからなかったら作業をしてる人に「われめ、どこ?」って聞けばいいよとまで言われた。

ビセザキを出て、現地について、工事箇所に着き、やっぱりわからないので、そこの作業員に聞いた。
次男「われめ、どこ?」
作業員「あっち!」
少し下るとそれはあった。



なんだかんだいいながらも、ここ目当ての(マニアックな)観光客も多いんだろう。
作業員も「またか」と思ったのかもしれない。


10:20過ぎ、運天港に着いた。

そこらじゅうに車をとめるところはあるが、盗難もあるという話を聞いたので、近くの青空駐車場に入れる。
1泊800円だ。
車を止め、荷物を担いで出ると、駐車場のおじぃおばぁが手招きをしている。
駐車場代を払おうとすると、おばぁは「後でいいよ」と言いながら、1人1本しめて4本のさんぴん茶(缶)をくれた。おじぃもテーブルにあるお菓子を指差し「これ食べなさい」とかめかめ攻撃だ。
とりあえず、船の出発まで10分もないので、ここで話し込んでフェリーに乗り遅れ島にまた渡れなかった・・・なんてことになると末代までの笑いものになるだけなので、さんぴん茶だけもらってフェリーまで歩く。

歩きながら、みんなが考えたことは同じだった。
1人1本で4本もらった。1本100円としても400円。1泊800円といいながらも、事実上1泊400円になったではないか。
もし8人乗りのワゴンかなんかで乗り付けたならどうなるのだろうか?駐車場のもとをとってしまうではないか。いいのかおばぁ。

・・・なんて思ったが、さらに考えると、別にこれでもいいかと思った。
駐車場のおじぃやおばぁにとって、金儲けというよりも当座生活できるだけの金を稼げればいいのだろう。むしろ金を稼ぐことを手段として、なにより初めて会う人と話をすることを楽しみにしている。
ある種の贅沢さを感じた。

10:30伊是名行きフェリー ついに運天港を出発!往復で3,350円、所要1時間


   曇天の運天港に停泊するフェリーいぜなと次男

                                つづく  

2007年03月17日

リベンジ伊是名8~伊是名到着~

11:30頃、伊是名仲田港に到着!

民宿ときわのワゴンに乗る。
東京からの親子2人と乗り合わせた。

ときわに着く。


  民宿の前の通り。フクギ並木と独特の石垣

ここは普段はおばぁ一人で切り盛りしてるようだが、今はちょうどきび刈りの時期で、しかも三連休、援農隊として親戚一同集まってるようでにぎやかだった。
誰が客で誰が親戚かもわからないまま、家に上がる。
親戚が部屋でくつろいでいる中を通り、奥の部屋に通される。

少し部屋でくつろいでると「お茶飲みなさい」と我々を呼ぶ声がする。
そして親戚が部屋でくつろいでいる中をまた通り、食堂に通される。
テーブルにはお茶、タンカン、お菓子が置いてあって好きなだけ食べなさいと言っておばぁは去っていった。親戚の食事の準備などもしてるようで忙しそうだった。

その後、一緒の送迎でやってきた東京の親子と埼玉のカップルも食堂にやってきた。
同じフェリーに乗り合わせた人たちが、偶然同じ宿を予約していた。不思議にもなんとなく自然と話が出るのである。

思えばここ伊是名島では、初対面でも共通の話題がある。
そのテーマは「なぜ、伊是名島へ?」である。

そもそも伊是名島に来ようと思う旅人なのだから、沖縄は初めてとか2回目とか、はたまた旅慣れてないとかいうようなレベルの人は来ないだろう。
いわば沖縄好き、旅好き、というか、沖縄マニア、島マニア、それも相当なレベルに達してるとても過言でないだろう。

事実、東京の浅草から来たという娘さんは八重山の島もかなり旅してきたというし、こちらが「パイナップルツアーズという伊是名が舞台の映画のロケ地を探してる」なんて話していると「その映画、見ました」などと食いついてきた。そもそもパイナップルツアーズを見てることそのものがマニアの証であろう。

また埼玉から来たカップルも「島の形が気にいったから」という理由で伊是名にやってきたらしい。只者でない雰囲気をのっけから醸し出している。その後、カップルの男の方が島マニアの頭角を徐々に現してくることとなる。

こういうマニアックな島に来る人たちだから(我々含め)、自分たちの内輪だけで盛り上がるというようなこともせず、かといって図々しいわけでなく、自然に任せておけばうまくいくのである。
一人よりも内輪だけよりも仲間が多いほうが旅は楽しくなる。昼にこういう時間と場所をつくってくれた、民宿ときわのおばぁに感謝である。これはやはり、この島に来る旅人に楽しんでもらおう、島を好きになってもらおう、という思いの表れだろう。

自然に任せておけばうまくいくのである。
いつのまにか我々は東京チームとともに、レンタカーで島を周ろうという確約がなされていた。さすがは次男である。
ただ、レンタカー屋は歩いて25分かかる港にいかないとない。
埼玉チームはレンタサイクルを借りに港まで歩いていこうかとワイルドなことを言う。

そこで次男、
「港まで送ってもらえないか聞いてみましょう」
おばぁに聞く。
「今日はもう送迎はないから、車、ずっと使っていいよ。迷子になったら、車の横に電話番号が書いてあるから電話して。」
商談成立である。
さすがは次男である。

メガネ三兄弟とはよく言ったものだ。(私は従兄弟)
野球にたとえると、トップバッター次男の行動力により周囲を自分たちのペースに取り込み、二番の三男(F)のボケによりその取り込んだ場をなごませ、そういう状態で今回三番に座った私が繋ぎ、最後は四番長男の知識の泉の中でノックアウトさせる。

よくわからない例えだったが、ともかくも「ときわ」の車で島を周ることとなったわけだ。


  半日、民宿ときわの「次男」となる

つづく  

2007年03月16日

リベンジ伊是名9~港の周りをうろつく~

伊是名の集落は石垣辺りの家にあるような「ひんぷん」がない。そのため家が丸見えである。

何故なのかわからないが、こんなこともあり伊是名の人は、他人に対して壁を持たない性格だと言われている。


この景色、パイナップルツアーズにあったような・・・

とりあえず昼を食べようと我々東京チームを含めた6人は「民宿ときわ」の車を走らせレストハウスかみやまに行くが「休み」・・・
他に見当たらないので港に行った。
港にある食べるところはレストランみたいで味気なさそうなところだったが、日替り定食だけしかないようで、注文は「何人分?」だった。

島である。

その後、港にあるみやげ物屋に寄ろうとしたが、13:30から14:30まで休憩で閉まっていた。
今は14:00。
仕方ないから尚円王公園にでも行って時間を潰そうと思って、港の周りをぶらぶらした。

海岸を歩いてるとアーサを獲っているおばぁ発見。
 

尚円王公園にて、この銅像の前で、このポーズで記念写真を撮る。


アホだ・・・(後日、フェリー前でもこのポーズで撮ってしまった)

だらだらと歩いてたため、港のみやげ物屋に戻るのが15時過ぎてしまった。もう閉まっていたらどうしよう。

港に着いた。まだ開いていた。よかった。


「鉄人黒糖」
伊是名では毎年トライアスロンが行われるのだが、これはグ○コのパクリであろう。

もう一つ、「もずくカステラ」というのが気になった。

みんな興味深々でどんな味かねと話してたら、店のおばさんが「試食する?」と惜しげもなく一袋開ける。「6個あるからちょうどいいね」と。
豪快である。
そんなに豪快でいいのかなんて思ってたけど、まぁ我々もこぞって、尚円王Tシャツに泡盛の常盤それから尚円王グラスなんてのもあるぞなんて言いながら嬉々として買ってたから、店の人も「いい金ヅルが来た」と思ったことだろう。

そしてこの一部始終の光景を近くのベンチに座って見ていた益田から来たという夫婦は「なんかあそこにとっても怪しそうな人たちがいるね」とかいう話をしていたらしい。まぁそれも仕方がないという面は認めるが、この夫婦も同じときわに泊まっていたということが後に判明した。
話すと例外なくマニアックな人だった。

                                 つづく  

2007年03月15日

リベンジ伊是名10~変な展望台~

長男はマンホールの写真を撮るのが趣味だ。
最近、金属類が盗まれている事件が多いが関係あるのだろうか?



私はマンホールにはあまり興味はなかったのだが、これは歌もかかれてあり興味深かった。というか、下にある「おすい」がいい雰囲気出していて面白かったのだが。

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車で島を一回りする。
北のほう内花という集落を超えたとき、我々は驚くべきものを発見した。



これは何だ?



・・・展望台らしい。



中を通って上にあがれるが、曇ってたのであまり景色はよくなかった。

誰が何のためにつくったのか?
こういうことを考えることすらあほらしくなってくる。


             食われる長男

                                つづく  

2007年03月13日

リベンジ伊是名11~パイナップルツアーズの港~

長男邸に行った。
はや、3週間前になってしまった伊是名の夜のゆんたくの様子など、
忘れていた細かな記憶が呼び戻された。


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「伊是名場外離発着場」



伊是名島への空路は定期航路などなく、チャーター便だけが飛んでいるようだ。
「空港」ではなく「離発着場」である。離発着場に入るゲートは開けっ放し。待合室は写真のような建物がひとつ。滑走路との間には膝の高さのフェンスがあるだけ。



勝手にフェンスを跨いで滑走路へ。無邪気にはしゃぐ次男と三男。

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「パイナップルツアーズの港」

パイナップルツアーズで出てきた港を探していた。
内花港にも行ってみたが違う。勢理客漁港にも行ってみたこれもどうも違う。

時は夕刻に達していた。
夕食の時間も近づいている。加えて夕食の前にはシャワーも浴びたい。でも港は発見したい。
やっぱり変な展望台でかなりの時間をロスしてしまったのか・・・
我々は焦っていた。

やっぱり伊是名漁港なのかなと思いそこに行く前に、たまたま伊是名ビーチの端に古い桟橋があるのを発見した。



「これだ!これに間違いない!」

我々4人だけでない。浅草から来た娘さんも「これですよ!」と喜ぶ。
一同歓喜の輪の中、桟橋で記念撮影も行い、「目的は達成された」とすっきりした表情で民宿ときわに帰っていった。
やっぱりアホだ・・・

                                   つづく  

2007年03月12日

リベンジ伊是名12~ときわの夜~

「ゆんたく」  これは、長男との合作である。

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民宿に帰り18:30頃
「晩御飯です!晩御飯です!」
としつこく民宿の人が声をかけるので、晩御飯は19時って昼に言ってたのになぁと思いながらも食堂に行く。
すでに一組、おじさん夫婦の食事が終わりかけだった。
「これ、宿の方から、みなさんで飲んでくださいって」

食卓の真ん中に「常盤」の一升瓶がドンと置かれてある。

民宿のおばぁの方はといえば、キビ刈り援農隊で集まった親戚一族郎党の対応で手がまわらないようだ。常盤で乾杯し、食事にありつく。

夕食。これにチャンプルがあとで来た。

ちなみにモズクはこんな感じでドンと出てきて食べ放題である。

民宿のおばぁとも話したかったが、それ以上にここには濃い旅人が集まっていた。

先にきていたおじさん夫婦は益田から来ていたようだった。(リベンジ伊是名9~港の周りをうろつく~参照)
ここ数年離島にはまり、離島めぐりをしているという。特に何もない離島がいいという。彼らにとって何もなければないほどすばらしいようだ。伊是名は町があってがっかりしたとまで言う。明日は本島の北の端の奥という集落に泊まるという。
マニアックだ。
「鳩間にも年末に行ったけど、民宿がどんどん増えてきていて、もうダメですね。鳩間は行くんだったら今年のうちがいいですよ。」
マニアックだ。
であれば、早いうちに行こうじゃないか。
「民宿は『まるだい』がいいですよ」とおじさんに紹介される。
益田のおじさん好みだとすると、変な宿じゃないか?

その後、昼に会った、埼玉のカップル、さっきまで一緒に周っていた東京浅草の親子も食堂にやって来た。
埼玉からきたカップルの男性の方は、島など一人旅が好きだったが、2年程前から沖縄にはまり、昨年1年で10回沖縄にきたという。更に正月は一週間小笠原に行ってきたという。
私や長男などの「去年は年5回沖縄に行った。これ以上回数が増えたらどうしよう」と言ってる次元を超えている。
ダブルスコアだ。

浅草からの娘さんは三線持参である。仕事で習いにいけず我流であるという。やはり離島好きで三線片手にいつも旅行しているらしい。
「パイナップルツアーズ」を観ているし、この娘さんひとりでも相当にマニアックなのだが、周囲の毒が強すぎて、彼女が普通の人に見えてしまうから不思議だ。
思えばこの娘、昼間島を我々と一緒に周ってた時はメガネをかけていたが、夜はメガネを外して食堂にやってきた。
これは、きっと怪しげなメガネ四人衆(三兄弟と私)と一緒の仲間と思われたくなかった気持ちの表れだろう。
まぁ私もこの娘さんと同じ立場のため、その気持ちはよくわかる。

我々4人を含め総勢10名、常盤を飲みながらわいわいとゆんたくが始まる。

今日は、島のどこへ行ったのか?
どういう行程なのか?
いままでどの島に行ったのか?
なぜ、伊是名なのか?

などなど

その後、次男が三線発表会で3月に沖縄に行くという話になり、浅草娘が三線持ってきて、ミニコンサートとなった。
次男が「安波節」を弾き、浅草娘も負けじと「涙そうそう」を弾く。
こうなると長男の出番だろう。

次男が、「この方は、那覇にある民謡酒場で『チンボラーのお兄さん』として知られている。この前一緒に行ったときなど、ステージで唄っている最中に『あ、今、広島からチンボラーのお兄さんが到着しました』と顔パスだ」といったような話をしだし、一同の興味が長男に向く中、長男も、
「私も沖縄にはよく潜りに来ます」
と調子に乗り出した。
「ダイビングですか?」
とお決まりの合いの手が出る中で、長男は勝ち誇ったように、
「いえ、長靴と軍手とヘッドランプ、場合によってはヘルメットもいるところです」

その後、話の中心が長男のことになっていく中で、益田のおじさんが突然、
「藤岡さん、お伺いしますが、あなたの『あわもりベスト3』は何ですか?
と質問。
突然すぎる展開だ。

長「一般酒に限定ですよ」
こういう応戦もなかなか普通の人にはできない応戦だ。
益「はい」
長「うーん、第一位は咲元ですね」
益「咲元ですか!」

この時点で話についていけない人もいただろう。
益田のおじさんは、「私は於茂登が好きですね」という。
そして埼玉のお兄さんも負けじと口を挟む。
「私は照島ですね」
照島を知ってること自体マニアックだ。
埼玉のお兄さんも長男と益田のおじさんさえいなければ十分4番を張れるだけの実力はあろうに、今回はメンバーが悪すぎた。

その後も話はエスカレートしていく。
「白百合も最近、気になってます」
「白百合は独特ですよねぇ」
話すテーマが根本的におかしい。

その後も、長男の家には泡盛コレクションが並んでいる。家に行けば泡盛飲み放題だ。また泡盛だけじゃない、この方の家には本専用の部屋があって図書館にあるようなスライド式の本棚まである。尋常じゃない。と長男に関わる話で盛り上がる。

埼「いったい何冊の本を持ってるんですか?」
長「うーん、6,000冊くらいですかね」
埼「ろくせんさつ!?」
一同驚愕である。6,000冊という数字を把握しているだけでも驚愕である。

その後も話は延々と続き、とうとう常盤一升瓶が空いてしまった。
23:00、酒がなくなったためお開きとなる。
楽しい夜だった。
そして冬に伊是名島に行こうと思うような、全国からのマニアックな人が集まり、みんなそれぞれに十分マニアックであるが、そのマニアックな人達が、長男に一目置くようになった。

長男こそ「マニアック オブ マニアック」であるということを改めて感じた夜だった。

                                         つづく  

2007年03月11日

リベンジ伊是名13~伊是名の夜と朝~

深夜。

酔い覚ましに桟橋まで歩いた。
星がめちゃくちゃきれいだった。

帰ってきて4人で川の字になって寝る(1本多いが)

そこで議題になったのは「明日の行程をどうするか?」であった。
思えば明日はコザで紅白戦もあった日だ。
それを見に行こうとすると午前9:00のフェリーに乗らないといけない。
しかし、伊是名の集落もゆっくり歩きたいし、そういえばさっき益田のおじさんは「製糖工場の見学は面白かった」とか言ってたし面白そうだし、浅草娘は漁船をチャーターして近くの無人島(屋那覇島)行くと言って、漁船にはまだ余裕はあるらしく埼玉のカップルも行くというし、その話にも乗りたい。

少なくとも紅白戦はいいだろう、まぁ同じチームの仲間割れを見てもしょうがないだろうという結論になり、午後の便で帰ろうとなった。
午前中は、無人島派と島内散策派の二手にわかれようかという結論になって眠りについたと思う。


・・・・・・


朝。

部屋の中まで聞こえる大音量の音楽が伊是名の集落中に響いている。
目が覚めた。
時計を見ると、6時30分。

「これが”ロクサンマル”か・・・」

とつぶやき、もう一眠りした。

”ロクサンマル”
「伊是名村学力向上対策委員会」なる怪しげな委員会が制定した、「午前6:30に起きて、午後6:30には家に帰って、健康的で有意義な一日を送ろう」というものである。

変な看板を写真に撮るのも趣味という長男がこの看板を見つけた。他にも「オアシスチヨコ運動」推進の看板も見つけて嬉々として写真を撮っていた。
どうでもいいはなしではあるが、オアシスチヨコとは
 オ・・おはようございます
 ア・・ありがとうございます
 シ・・しつれいします
 ス・・すみませんでした
 チ・・ちらかさない
 ヨ・・よごさない
 コ・・こわさない

である。オアシスだけでいいような気もする。

まぁそれはいいとして、ロクサンマルだ。
午後6:30に家を出て飲みに行き、午前6:30に家に帰って眠りに付く生活をしている次男にとって戒めの看板である。普段の生活への戒めなのか、今後健康的な生活を送るために心を入れ替えようとしたのか、記念撮影していた。



                            つづく  

2007年03月09日

リベンジ伊是名14~無人島へ行こう~

2月11日(日)晴れときどき曇り

朝食を食べ、次男と私の2人は結局無人島ツアーのメンバーに入っていた。
さすがは海の男である。
民宿の車で漁港まで送ってもらい、頑固そうなおやじの漁船に乗る。



15分くらいで島(屋那覇島)に着いた。



みんなが降りたのを確認して、おやじが「12時な」と言い残して、伊是名に戻っていった。渋い。
渋いがこのおやじも多くのウチナンチュと同じように時間にはルーズなのだろう。12時といいながらも15分くらいの遅れは覚悟していた。
我々が乗っていたからか行きはゆっくりだったのが、帰りはブォーッとあっという間に海の向こうへ消えていった。



きっと若い頃はいろいろやらかしたことだろう。
 
島を歩く。
この島は普段は無人だが、夏はビーチになるのか、シャワー設備などもあった。



野生のヤギがいた。人の姿がわかると逃げていく。林の中には10匹以上のヤギが隠れていたようだが、みんな一斉になんか変なのがきたぞという感じでピューッと逃げていった。

集落散策組のFより「そちらの状況はいかがですか」とメールが来た。どうも山川シゲ商店で捕まって1時間くらい話をしているようだ。「ヤギがいた」と送ると「屋那覇島のヤギとウサギは伊是名から持っていって話したら繁殖したらしいですよ」と「捕まえて食べてもいいさーとおばぁが話してますよ」という。



晴れると海がきれいだ。



次男のCDデビュー時にはこの写真を使おうか。

帰り。
12時すぎを覚悟していたのだが、予想に反しておやじは11時半前に島に来て待っていた。
律儀だ。

****

伊是名に帰ってきた。
「お金いくらですか?」
「1人千円」とだけ言ってニヤッと初めて少しだけ笑った。ただ単にシャイなだけだったんだなって感じた。



その後、歩いて民宿に帰ってると、おやじが原チャリノーヘルでゆっくり走って抜いていった。そしてしばらく歩いたら、おやじの原チャリとまたすれ違った。我々の前に現れたおやじは犬を足元に乗せていた。なんだかのどかな昼下がりである。

                                      つづく  

2007年03月08日

リベンジ伊是名15~山川シゲ商店~

我々が島でヤギと戯れている時、集落を散策していた長男とFはどうだったか?
伊是名集落をぶらぶら歩いて、伊是名酒造所へ行き、その後山川シゲ商店で1時間半捕まって話していたようだ。その時の様子を長男の手記にて再現したい。


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”古い赤瓦民家がそのまま商店になっている”という山川シゲ商店を探して、伊是名地区を歩いていた。小さい集落だ、ふらふらしていれば見つかるだろう、時間もたっぷりあるし、と。

伊是名酒造所の前をと通って、そのまま交流センターの裏路地を歩く。
ふと石垣の向こうの家の軒下に「米」のブリキの看板がぶら下がっているのが目に入った。これは!と思い民家を入り口から覗くと、二人のおばあさんが縁側に座って話をしている。一人のおばあさんと目が合った。おばあさんが手招きし、縁側に来て座れという。
半分開けた雨戸の向こうに商品ケースがあることを目ざとく確認した。間違いない、山川シゲ商店だ。

縁側に座り、おばあさんと話をする。というより話好きのおばあさんの聞き役をする。
話好きな、頭に手拭をかぶったおばあさんは、カメさんという。あまり話をしないニコニコしているおばあさんが、家の主人の山川シゲさん。

「2,3日留守にしていた。朝から草取りをし、花を植えたりしてたら、くたびれた。店を開けるのもめんどうになった」とシゲさん。
家の前の小さな庭には、きれいに花が植えられ、作業中だったのだろう、掘り返しかけた土やら鍬やらがすみになげてある。
何か一つでも買おうと、さんぴん茶をたのむと「ない」という。店をしばらく開けてなかったので、商品を仕入れていないようだ。
てきとうにケースの中の缶紅茶を買った。「いくらだったかな?」とシゲさん。おいおい。

その後、シゲさんは奥に入り、しばらくしてさんぴん茶をいれた急須を黒糖とチョコレートを持ってきて、飲め、食べろとすすめてくれた。そして「1個しかないけど持っていきなさい」と、島の特産品の「鉄人黒糖」と押し付けてきた。島唯一の港の土産物屋で200円で売ってあるものだ。ありがとう、といただいて縁側に置くと、「忘れないようにカバンにしまいなさい」と言われ、カバンに入れるところまでチェックされた。

一方、カメさんは最初から話しっぱなしである。
「お兄さん、観光ね?」
「どこから?・・・ああ、広島。テレビでよう広島は見るから、よくしっとるさあ」
「私は夏にビーチで店をしとるから、しょっちゅう若い人とはなしをしているさあ。だから、言葉も標準語をしゃべるから意味がわかるよね」
「この島は静かでいいところだよ。でも、若い人はみんな那覇のほうに出て行ってしまう。年寄りばかりになってきたさあ。」
「でもね、老人ホームもあるし、デイサービスもあって、みんなで集まってカラオケしたり、踊りをしたり、楽しいよ。若い頃は朝までカラオケしとったさあ。そこの公民館でもみんなでカラオケしたり、踊ったりしとる」
「他の楽しみは地区ごとの綱引きや、ハーリーや・・・。楽しみはいっぱいある」
「老人会で長野の温泉や、あっちこっちに旅行もする。糸満には慰霊に参りに行く」
「戦争で、役場の人がせんでいいのにむりやり若いのを職場から集めて糸満に送った。みんな死んでしまった」
「今は、島の家もみんなセメント瓦になって、こんな赤瓦は少なくなった。ここも古い家だが、この向こうにも、○×おばあさんの古い家があった。今は木しかのこっとらん」
「この島には高校がないから、みんな那覇の方に進学してしまう。若い人も那覇に家をたてて、年を取ってから帰ってくる。」
「昔は小さな船だたが、今は大きなフェリーで車まで積んで行ってしまう。道路もよくなったから、那覇までいける。子供や親戚もみんな那覇から車で来る」
「この手拭はトーカチ(米寿のこと)のお祝いのときにもらったもの。通りを行列して歩いて、祝の手拭をまいてまわる。そのときにもらったものさあ」

途中、お茶飲め、砂糖かめかめと合いの手を入れつつ、話はエンドレスである。前を通った近所の子供も手招きして呼んでくる。
そのうち、「お兄さん、横浜からだったかね。・・・夏はビーチで・・・カラオケが・・・」と話は二順目になってきた。

そろそろ無人島組が帰ってくるので、お暇を告げると、シゲさんは道まで出てきて、こちらが角をまがるまで手を振って見送ってくれた。
たしか、話し始めたのが10時前。11時半まで1時間半以上、ゆんたくしていた。

*************************

12時前、私と次男は伊是名島に帰ってきた。
Fに電話し山川シゲ商店の場所を聞いた。
伊是名酒造所の前の通りをときわ方面に歩いていったら、レンタサイクルと思われる自転車が止まっていたので、もしかしたら・・と家を覗くと、おばぁ(カメさんの方)が入れ入れと手招きしていた。
入る。どうやらここが山川シゲ商店らしい。

何か買おう。
不覚にも喉が渇いたので発泡酒を選んだ。昼間っから酒飲むやつにろくなやつはいない。

シゲさん「これは、いくらだったかね・・・」
カメさん「あんた、自分の店の商品の値段もわからんかね」

・・・このカメさんは自分の店のように手招きしてたが、ここの店の人じゃないのか。

次男と私「ああ、200円ですよ」
本当は160円だけどまぁいいか。
加えて二人とも千円札しか持ってなかったので、二人で320円だと、お釣りを払う段になるときっといろいろありそうだし。


                                     つづく  

2007年03月07日

リベンジ伊是名16~ヒデヨシ君の木~

ヤマト(日本)から島にやってきた青年ヒデヨシ君。
島の若い娘、春子に連れられヒデヨシ君は意味もわからず百発百中の神シロミキヨ様に二人でお参りする。そして、林助船長にそそのかされ春子を夜這い。
めでたく春子には子供ができた。さすがシロミキヨ様。
その後、ヒデヨシ君は事あるたびに島を逃げ出そうとするも逃げられない。
そんなこんなで結婚式となる。式の最中、大風が吹いて舞台も何もめちゃくちゃになった。みんな大騒ぎの中、ヒデヨシ君は最後の逃亡を図る。
しかし程なく島の人に見つかり逃げるももう絶体絶命。そのときヒデヨシ君の眼の上には大きな木が・・・。追い詰められたヒデヨシ君はその木に登り隠れる。


銘苅家住宅の一本前の通りに木の枝が道の上を覆っている大きな木があった。集落で一番樹齢の長い木のようだ。これが映画「パイナップルツアーズ」でヒデヨシ君が登って隠れた木であろう。周りの様子もアスファルトが敷いてあるだけで映画当時そのままである。



思えば前日、次男と夜中この木を探しに集落に出たものの、全然違う木をヒデヨシ君の木だと思い「あの木を見つけた!」と納得して帰り、眠りについたものだった。
浅はかだった。


ここで浅草親子とお互いの旅の無事を祈り別れを告げる。
民宿に帰ると、そこにいた埼玉カップルとも別れを告げた。
そして、キビ刈り援農隊で朝の便で伊是名にやってきたおばぁの娘さん(まぁ母親の年代だが)の運転で仲田港まで送ってもらう。

10分ほどで仲田港到着。
もう昼を食べるような時間もなかったので、フェリーの前で記念撮影だけをし、フェリーに乗り込んだ。


  また、アホだ・・・

座敷席にはすでに益田の夫婦が乗っていて眠りについていた。我々も座敷席を確保する。横になったらたら疲れがどっと出たのか一気に寝てしまった。おかげでいつ出航したのかもわからない。
島とのあっけない別れだったが、まぁこんなもんだろうな・・・としみじみしていたら、大事なことを忘れていたのに気づいた。
「シロミキヨ様に行ってない!」
・・・なんてこった。これでFとあっちゃんの双子をつくるという夢もついえたのか・・・

でもそれ以上にいい思い出も出来たし、いいか。
またいつかビセザキに泊まって伊是名に行こう、ときわに泊まろう。

                              つづく  

2007年03月06日

リベンジ伊是名17~写真いろいろ~



石垣。ひんぷんがないもの特徴だが、石を積み上げただけの石垣も独特。積み上げるのには意外とテクニックがいるようだ。



ヤギ。こいつもいつか喰われるのだろう。



銘苅家住宅のシーサー。大あくびをしているようだ。

                              つづく  

2007年03月05日

リベンジ伊是名18~名護へ、コザへ、そして那覇へ~

14:00運天港に着いた。
昨日、さんぴん茶を4人分4本くれた駐車場へ車を取りに行く。
まさかさんぴん茶分の値段が上乗せされてないだろうなと思いもしたが、もちろんそんなことはなく1泊分の800円だけだった。おじぃは行きと同様テーブルにあるお菓子を指差し「持って行きなさい」という。

そして駐車場でいっしょのフェリーに乗っていた益田夫婦とも別れ、また車1台4人旅になった。
何の縁も所縁もない人がたまたま同じ道中だった。この旅をいい彩りで装いたいと思っている人たちが、幾重にも絵筆を運ぶ中で、さまざまな色が重なりあっていった。そんな感慨にふけりながら車は本部へ、そして名護へ。


   本部では西平黒糖(店に入る作務衣と敗残兵)

   名護ではあさひでリベンジステーキ

その後、道の駅許田で買い物をした後、高速で一気にコザへ・・・
しかし今日の名護は、①桜まつり、②名護ハーフマラソン、③日ハム阪神の練習試合、④福祉まつりとイベント目白押しだった。通常でも混む名護の58号なのに、これらイベント帰りの車でごった返していた。
開通以来渋滞したことがないとまで言われている沖縄自動車道だが、許田のICに入るまでで2kmくらい渋滞し動かなかった。

18:00頃コザに着く。

インターから車で5分としないところに球場はある。
ただ、沖縄とはいえ冬、暗くなるのは早い。
もうさすがに誰も練習はしていない。仕方なく球場の周りを一周する。
4年前、ハーストが場外弾を打って窓ガラスを割ったという散髪屋をレフト場外で確認したら、あっという間に暗くなってしまった。

 

結局コザではここしか寄らず、そのまま再び高速に乗り20:00、那覇の定宿、新金一に着いた。

3日間の疲れはやはりあり、那覇についたらみんなぐったりしていた。次男も「今日はビール1杯飲んだらもう寝てしまうかもね」と言っている。今日は近くで軽く飲むだけにしよう、と出かけた夜の国際通りは人が百万人くらいいてうんざりした。
しかも、伊是名から来たため普段の十倍は多く見えた。
そして、ほとんどが観光客ばかり、この人たちのほとんどは表面的な沖縄しか見ることなく内地へ帰っていくんだろうなとしみじみするも、あまりの人の多さに、まぁそれもどうでもいいやと思い、できるだけ人のいない裏路地を居酒屋を探して歩いた。

国際通り近辺の居酒屋に入り、この3日間の旅の総括を行い、話は盛り上がった。
一緒に旅した人、そして旅の中で出会った人、今回もいろんな出会いに恵まれた。
これに気をよくし、次も、次は、じゃあいつ旅立とうか?って考える。
そしていつしかこの日常も長い旅の途中なんだっていうことに気づいていくのだろう。

みんな疲れていたはずなのに、けっこう飲んだ。
店に入る前「今日はビール1杯飲んだらもう寝てしまうかもね」と言っていた次男も、店を出た後はFと、どっちが言い出したのか忘れたが2人で次の店を求め夜の松山へ消えていった。

次の朝、大方の予想通り次男は二日酔いだった。

                       「リベンジ伊是名」 おわり  

2007年02月11日

そしてついにコザへ