2007年10月17日

船浮に行こう

別館写真ブログ「旅の途中の日常」にて 07.09鳩間の写真 をアップ中!

西表島は島の90%が亜熱帯のジャングルに覆われており、天然記念物のイリオモテヤマネコに出会って車で轢きそうになったりとか、カヌーで川を上り転覆した上、滝に行く途中ジャングルで迷ったりとか、はたまた陸続きの由布島に水牛に乗って渡ったりとか、ここ西表島はワイルドで雄大な大自然を味わえるところであるらしい。
しかし、我々はそんな日本からきた観光客みたいな真似はせずに地図にあった一つの集落に目が行った。

船浮。

西表島の西部にある「陸の孤島」と呼ばれるところである。
西部を半周している道路は途中の白浜という集落が終点であり、この先の船浮集落に行くには船に乗り換えなければならない。

人口は50人程、鳩間より少ない。
離島の中で更に船で行く集落というところも気になったし、本を見ると「西表館」という強制移民の歴史や過酷な西表炭鉱といった西表の歴史や文化が知ることが出来るところもある。

出発前夜、長男邸で長男と西表ではどこに行こうかと考えていた。上述のような事情もあり船浮に行こうと言うと、長男も面白そうだと言い、そして思い出したように「そういえばここには旧日本軍の要塞跡もあるようだ」と目が輝き出した。

そんなわけで、9月23日13時、白浜港に着いた。ちょうど船浮からの船が着いたところだった。

白浜港

レンタカーを港に置き、13時20分の出発を待つ。

船浮行きフェリー



我々3人以外はまだ客は来ない。桟橋で寝転げる昼下がり。
港で働いているおっちゃんも桟橋で釣りをしだしたりとのどかだ。



                               つづく  
タグ :西表島船浮

2007年10月17日

船浮に行こう2

15分ほどで船浮に着いた。

港の建物「ふねっちゃーぬ家」にある看板にはこう書かれてある。

「ようこそ 心やすらぐ 陸の孤島 船浮へ」

なんか投げやりだ。


そして港からは、山をくりぬいたトンネルのような穴が見える。
「あそこに要塞跡がありますね」
長男とそんな話をするのだが、それとわかってしまう自分が悲しい。

壕には後で行くとして、まずは西表館へと歩く。
舗装されてない集落を歩く。
港から5分くらい歩いて着いた。

しかし、休み・・・

興味深い看板もあるのだが・・

「島は時には敬遠され、時には人間の醜い戦場の場になり、またある時には安住の場として求められてきた」
マラリアによる強制疎開、劣悪な炭鉱での労働、戦争、そして楽園としてある今の存在・・・、西表や船浮の歴史や文化などが展示されている、すべて手作りの資料館だということらしいのだが休み。
そしてこの休みが「定休日だから休み」という感じではなく、ずっと開いてないような感じのする休みだったのが気になった。


港方面に戻る途中、集落の真ん中辺りに売店があった。
生活用品・酒類管理販売店 はまゆう

そこには「西表島の自然、歴史、文化 資料館西表館見学受付」という看板もある。

そうか、資料館といってもこんな陸の孤島まで来るような物好きな客などそうはいないのだろう。1日2~3人か?はたまた2~3日に1人来るくらいかもしれないな。
だからずっと資料館を開けておいてもしょうがないのだろう。だから売店を受付にして、見学客が来た時だけ開けるというスタンスなのだろう。ここが受付か・・・

と思い扉を開こうとする。

・・・閉まっていた。

別の看板に営業時間が書かれてあり、それを見て目が点になった。

「朝7:00~9:00 昼11:00~1:00 夜5:00~8:00」

いちおう急用のときの連絡先で携帯番号も書いてあるが、ただ「そこまでして開けてもらってもなぁ・・・」と思ったので、結局やめて港に戻った。


時間はまだ14時前。白浜港への次の船の出発時間(そして最終便)は17:10。


3時間もある。何しよう。

我々は仕方なく、旧日本軍要塞跡へ行った。壕に入る。入ってわかったのだがこの壕は二重構造でもうひとつ縦に壕が平行して通ってある。壕を抜けると弾薬庫などがあり、ここが秘密の要塞であることがわかる。

この壕と西表館のことについては、以下に新聞記事(西日本新聞2005年06月13日掲載)を引用させていただきます。

要塞哀史語り継ぐ 沖縄・西表島の池田さん 旧日本軍施設 観光客に案内 知られぬ実態「解明せねば」

第二次大戦中、東南アジアと日本本土を結ぶ航路を守るため、沖縄県・西表島に建設された旧日本軍の要塞(ようさい)「船浮(ふなうき)要塞」を後世に伝えようと、要塞の地域内に住んでいた男性が秘められた哀史を語り続けている。要塞は、今も船でしか渡れない「陸の孤島」船浮地区と周辺に建設されたが、中で何が行われたか、戦後六十年がたった今も詳しい実態は明らかでない。

男性は元中学校教諭、池田豊吉さん(65)=同県竹富町=。教師だった十三年前から要塞の調査を始め、自宅横に個人で資料館を開くなどして、観光客らに要塞の歴史を伝えている。

日本軍は一九四一年、船浮要塞の建設用地を強制接収し、約三十世帯あった住民を強制的に石垣島などに移住させた。残るのを許されたのは、池田さんの家族をはじめ地区役職者など数世帯だけだった。

池田さんは、家近くの空き地で目にした惨状が忘れられない。「日本兵が、後ろ手に縛られた朝鮮人軍夫を並ばせ、木の棒で何度もなぐった。飢えた朝鮮人が、食料を盗んだというのが理由だった」。当時、西表炭鉱に徴用されるなどしていた朝鮮人が犠牲になっていたとみられ、うめき声や、撲殺され、遺体が運ばれる情景を、今も生々しく覚えているという。

要塞の調査を始めたのは、石垣島の中学校から、実家がある船浮対岸の白浜地区に転勤したのがきっかけ。ジャングルに覆われた司令所や砲台、慰安所跡など分散配置された要塞施設約二十カ所を歩いて調べ、その全容を資料館でパネル展示している。

昨年四月には、二男克史さん(32)が船浮で観光船事業を始め、人口五十六人の集落に月六百人ほどが訪れるようになり、池田さんは資料館を一般公開した。観光客の目的は、最果ての地の美しい自然を楽しむためだが、資料館や、集落のはずれにある特攻艇格納壕(ごう)などの要塞跡を見学し、「こんなところにまで戦争が押し寄せていたとは思わなかった」と驚く人が多いという。

池田さんは「一カ月ほど前にも、集落内の工事現場から朝鮮人のものとみられる骨つぼと遺骨が見つかった。まだまだ解明しなければならないことは多い」と話している。



こんなところにまで戦争が押し寄せていた。
長男は終始満面の笑みであり、パシャパシャと写真を撮っていた。
私は壕には興味ないので、満面の笑みの長男をパシャパシャ写真に撮っていた。



30分くらいしかいなかったので、まだ船の出発まで2時間以上ある。近くにイダの浜という浜があるみたいなのでそこに行ってたそがれよう。

                                       つづく  
タグ :船浮

2007年10月17日

船浮に行こう3~イダの浜~

船の出発まで2時間以上もある。海でボーっとしようとイダの浜へ。

船浮集落から半島の反対側にあるイダの浜まで森の中を10分ほど歩いて、浜に着いた。

遮るものがなくなったと同時に私は目の前に広がった光景に目を奪われた。




こんなきれいな場所があるとは思わなかったので、水着も何も用意してなかったのが悔やまれた。




後で調べるとどうも「幻のビーチ」と言われる穴場中の穴場らしい。


その後、にぎやかなおじさんおばさんが現れ、服を脱ぎ、海に入っていった、
なんだなんだと思ったが、ここにシャワーとトイレを作ろうと思っている人らしく、「来年3月になったら出来てるからね」と何回も言ってた。

知られるところには知られていて石垣からの日帰り観光客もいるという。

あまり人が増えすぎるのもどうかなぁと思いながらも、ここに行くには、最短でも石垣から西表の上原港まで渡り、そこからバスかレンタカーで白浜まで行き、白浜から船に乗って船浮に着き、そこから10分歩かなければならない。

おじさんおばさんが再び海に入り「服のまま入ったらいいよ」と呼ぶもんで、我慢できずにTシャツのまま海に入ると水深1.5mくらいのところでも青い魚がいっぱい泳いでる。クマノミもいた。


いつかまた ここに来よう。  
タグ :船浮

2007年09月29日

西表にて


展望台より。手前に見えるのが小浜島。奥にうっすらと見えるのが石垣島。




台風12号の被害で西表の至る所で電柱がバタバタと倒れていた。
この電柱は立て替えた後のもの?それとも台風の中生き延びたもの?  
タグ :西表島

2007年09月27日

ネコ王国、西表



天然記念物イリオモテヤマネコのいる島、西表、
道路を走ってると、こういう看板が至るところにある。



只今子育て中らしい。
これはネコだとはわかるが、どうみてもイリオモテヤマネコには見えん・・・



いちばんリアリティのあるヤマネコ。
この写真を見て改めて思った、「たしかにネコだ・・・」と。

おまけ


ネコに負けじと牛も頑張っている。しかも「脱走牛に注意」だ。そして悪そうな顔をした牛だ。
さて、どう注意すればいいのか。

鳩間島の様子はこちらに  
タグ :西表島

2007年09月22日

鳩間島到着

まるだい、今日から復活!
  

2007年09月21日

石垣到着

台風の跡もけっこうあります。
  

2007年09月19日

12号通過、島、被害あり

まるだいを予約して以降、おじぃおばぁの次女が管理するここのページにちょくちょく訪れていたのだが、台風12号は予想外に被害が激しかったようだ。HPの日記より・・・

台風12号は、18日暴風域を伴ったまま西表付近を通過。
西表島では、最大瞬間風速六五・九メートルを観測。

そのため鳩間島では停電したようだ。

電柱が倒れ、大木が倒れ、島のあちらこちらで通行止め。
学校の窓ガラスが割れたり、各民宿も大きな被害が出ているとの事。
しばらくは、すべての島民が復旧作業に追われることになるようだ。

そして、以下の内容で締めくくっている。

せっかく予定を組んでの旅行を楽しみにしている方も、暫くは島への観光は控えてください。
各民宿、きちんとお客様をお迎えできる体制になるまで、お待ちください。
ニュースでは伝わらない、離島の台風被害状況は過酷であり、復旧作業も時間がかかります。
ご協力のほど、よろしくお願い致します。



天気はよさそうだが民宿の受け入れ体制が出来てない状況で行くのも迷惑だろう。
とりあえず民宿には前の日にでも電話することとして(つながらないかもしれないが・・・)、最終的にどういう行程にするかはそのとき判断しよう。  

2007年09月16日

11号が近づいてきたと思ったら



本日、12号が発生。19日ごろ先島諸島近海に・・・らしい。
我々の出発は21日。今年はこの台風と共に過ごすこととなるか?  

2007年08月26日

9月、初めての鳩間・西表へ

いよいよ来月に迫った鳩間島、西表島行きの詳細(大まかな)行程が決まったのでここに紹介しよう。

【日程】9月21日(金)~25日(火)

【行程】

(先発隊:長男と私)
20日(木)長男邸に前泊
21日(金)広島空港――那覇空港――石垣空港13:25着


※今回及び今後の石垣行きのために我々は秘密裏にN階堂さんという女性を石垣島に嫁がせていた。この作戦、すべては石垣に行ったときの我々の宿確保のためである。まぁそこまでコトはうまく進まなくとも、うまくいけば車を貸してもらえるかもと目論んだが、その後メールの返信がなく消息不明である。今回は無難にレンタカーを借りることとした。

※後発隊として、夜勤明けの妻が20:30着の飛行機で石垣空港へ到着。夜の石垣空港で合流し、その後、夜の美崎町へ。

22日(土)石垣から鳩間へ(民宿まるだい泊)

※鳩間島は人口60人余りの島。いま私は鳩間の予習として「子乞い(森口轄著)」を読んでいる。ドラマ「瑠璃の島」の元にもなった話しであり興味深い話だが、さて出発までに読み終えることが出来るのか。

※民宿まるだいはその「瑠璃の島」の舞台にもなった民宿。伊是名で会った益田のおじさんもいい民宿だったと言うところです。

※夜は3人【私と妻と長男(くれぐれも言うが長男といっても我々の子供のことではない)】一部屋で川の字になり寝るため(トラブル防止のためにも)必然的に私が真ん中にならざるをえないだろう。

23日(日)鳩間から西表へ(さわやか荘泊)

※西表では何しよう?

24日(月)西表から石垣へ

※これで八重山で行ってないのが小浜と新城だけになった。小浜はリゾートのイメージが強いため敬遠しているため、次は新城? とりあえず伊是名伊平屋へ行くのと、波照間のけだもと荘に再び行くのが先だろうね。

25日(火)帰国

※さて、帰り際台風はちゃんとやってくるのか?

※参加希望者は現地集合のこと。