2008年08月18日
伊是名伊平屋とメガネ三兄弟(+従兄弟)
メガネ三兄弟+従兄弟(長男:藤岡琢也、次男:仲本工事、三男:邪悪なムーミン、従兄弟:私)と、今度の旅の目的地、沖縄県の北端にある伊是名島伊平屋島との出会いは今から3年前、2005年4月までに遡る。
2005年4月のとある日、広島市内の沖縄料理店「うちなー」で伊是名島出身の「ERRY&CHIHARU(当時はIZENAというユニット名)」ライブがあった。そこに長男次男とともに行ったことからそれは始まった。
ライブ終了後、いつのまにか我々と彼女らの即興コンパが始まり、「パイナップルツアーズに出てた」とか「信号がひとつしかない」とかいろいろ伊是名の話で盛り上がった。いつかこのユニットがキロロみたいに有名になったら、私は「彼女らと30cmの距離のところで飲んだことがある」と孫の代まで言い続けるつもりだった。
その年の9月は「ナビィ」のロケ地を探しに粟国島に行ったりしたものの、結局この一夜のことが忘れられなかったのか「次の離島の旅は伊是名に行こう」という結論に至り、その1年後、計画は決行される。
06.09伊是名へ?
2006年9月、初の伊是名伊平屋上陸を目指すも、超大型台風サンサンに行く手をさえぎられる。
我々は急遽取った本部の宿で台風情報を肴にひたすら飲む。台風が通り過ぎた後も島には渡れず、結果長男は清末隊慰霊碑を探すわ、次男は安波節記念碑を探すわ、本部半島&やんばるを本能のままに突き進む旅となってしまった。
07.02リベンジ伊是名
2007年2月、前年のリベンジを果たすため、長男・次男・F、そして私の最強メンバーで伊是名初上陸を目指す。
しかし今度は沖縄本島にさえ渡れないのではという危機に直面。なんとか沖縄本島に上陸するも、長男は怪しげな古本屋に目を奪われ、次男は真栄原社交街に目を奪われ、三男Fは道行く雨に濡れた女子高生に目を奪われ大変だった。
そして辿り着いたシーズンオフの伊是名島にはマニアが大集結。マニアオブマニアが生まれた一夜となった。
*************************
以上、無事、伊是名島に上陸を果たしリベンジを果たしたように見えるものの、単に台風のこないシーズンを選んで上陸したにすぎず、やはり本場の台風シーズンに上陸しなければ真のリベンジを果たしたとは言えないのではないか。加えてもうひとつの伊平屋島にはまだ上陸できてないという事実があったことも忘れていた。
そんなわけでこの9月、伊是名伊平屋へ真のリベンジを果たすため、我々は三度旅立つ。
そしてそのメンバーが決まった。
長男、次男、私、妻、そして妻の職場の後輩のIさん。彼女は初参加である。
先日、長男邸で事前学習会が行われ、私の妻はいつものように早々に寝てしまったが、夜が更け「パイナップルツアーズ」上映会がはじまりIさんも最後まで見て帰ったという話を次の朝みんなでしてると、妻の反応は「Iさん、かわいそうに」だった。
何が「かわいそうに」なのかは謎である。
伊平屋の民宿は野甫島の民宿「のほ」に決まった。海が目の前という民宿である。
20日 8:10広島空港発→10:00那覇空港着→次男出迎え一気に北部に→昼はあさひ?→15:00運天港発→(フェリー)→伊平屋・民宿のほ泊
21日 伊平屋→伊是名・民宿ときわ泊
22日 伊是名→(フェリー)→運天港→本部・ペンションビセザキ泊
23日 ちゅらうみ→あとは適当に那覇へ→18:10那覇空港発→20:00広島空港着
行程もだいたい決まった。あとは台風と次男の二日酔いが来ないことを祈るだけである。
2005年4月のとある日、広島市内の沖縄料理店「うちなー」で伊是名島出身の「ERRY&CHIHARU(当時はIZENAというユニット名)」ライブがあった。そこに長男次男とともに行ったことからそれは始まった。
ライブ終了後、いつのまにか我々と彼女らの即興コンパが始まり、「パイナップルツアーズに出てた」とか「信号がひとつしかない」とかいろいろ伊是名の話で盛り上がった。いつかこのユニットがキロロみたいに有名になったら、私は「彼女らと30cmの距離のところで飲んだことがある」と孫の代まで言い続けるつもりだった。
その年の9月は「ナビィ」のロケ地を探しに粟国島に行ったりしたものの、結局この一夜のことが忘れられなかったのか「次の離島の旅は伊是名に行こう」という結論に至り、その1年後、計画は決行される。
06.09伊是名へ?
2006年9月、初の伊是名伊平屋上陸を目指すも、超大型台風サンサンに行く手をさえぎられる。
我々は急遽取った本部の宿で台風情報を肴にひたすら飲む。台風が通り過ぎた後も島には渡れず、結果長男は清末隊慰霊碑を探すわ、次男は安波節記念碑を探すわ、本部半島&やんばるを本能のままに突き進む旅となってしまった。
07.02リベンジ伊是名
2007年2月、前年のリベンジを果たすため、長男・次男・F、そして私の最強メンバーで伊是名初上陸を目指す。
しかし今度は沖縄本島にさえ渡れないのではという危機に直面。なんとか沖縄本島に上陸するも、長男は怪しげな古本屋に目を奪われ、次男は真栄原社交街に目を奪われ、三男Fは道行く雨に濡れた女子高生に目を奪われ大変だった。
そして辿り着いたシーズンオフの伊是名島にはマニアが大集結。マニアオブマニアが生まれた一夜となった。
*************************
以上、無事、伊是名島に上陸を果たしリベンジを果たしたように見えるものの、単に台風のこないシーズンを選んで上陸したにすぎず、やはり本場の台風シーズンに上陸しなければ真のリベンジを果たしたとは言えないのではないか。加えてもうひとつの伊平屋島にはまだ上陸できてないという事実があったことも忘れていた。
そんなわけでこの9月、伊是名伊平屋へ真のリベンジを果たすため、我々は三度旅立つ。
そしてそのメンバーが決まった。
長男、次男、私、妻、そして妻の職場の後輩のIさん。彼女は初参加である。
先日、長男邸で事前学習会が行われ、私の妻はいつものように早々に寝てしまったが、夜が更け「パイナップルツアーズ」上映会がはじまりIさんも最後まで見て帰ったという話を次の朝みんなでしてると、妻の反応は「Iさん、かわいそうに」だった。
何が「かわいそうに」なのかは謎である。
伊平屋の民宿は野甫島の民宿「のほ」に決まった。海が目の前という民宿である。
20日 8:10広島空港発→10:00那覇空港着→次男出迎え一気に北部に→昼はあさひ?→15:00運天港発→(フェリー)→伊平屋・民宿のほ泊
21日 伊平屋→伊是名・民宿ときわ泊
22日 伊是名→(フェリー)→運天港→本部・ペンションビセザキ泊
23日 ちゅらうみ→あとは適当に那覇へ→18:10那覇空港発→20:00広島空港着
行程もだいたい決まった。あとは台風と次男の二日酔いが来ないことを祈るだけである。
2008年08月11日
9月の伊是名島へ向けて
9月の伊是名ツアー、当初の行程は20日ビセザキ→21日伊平屋→22日伊是名の順番だったが、
20日のビセザキが予約がいっぱいで22日泊に急遽変更となったため、結果、行程は以下のとおりとなりました。
20日 8:10広島空港発→10:00那覇空港着→15:00運天港発→(フェリー)→伊平屋
21日 伊平屋→伊是名
22日 伊是名→(フェリー)→運天港→本部・ビセザキ
23日 ビセザキ→18:10那覇空港発→20:00広島空港着
初日、夕方までにビセザキに着けばよかったのが、15時前までに運天港に着かないといけなくなった。そこで時間のロスを減らすため前日から沖縄入りしている次男に白羽の矢が当たった。次男には朝一でレンタカーを借りてもらい、そのまま那覇空港へ旅行会社の格好をして送迎に来てもらうという重要な役柄が与えられた。
ぜひとも二日酔いにだけは気をつけてもらいたい。
伊是名での宿(ときわ)もつつがなく押さえ、あとは伊平屋での宿をどうするかであるが、ただ行程が変わり伊平屋滞在時間も短くなったので伊平屋自体に行くかどうかも決めないといけない。
そんなわけで今週末の15日、「パイナップルツアーズ」観ながらの事前学習会を兼ねた打ち合わせ(と称した飲み)がいつものように長男邸で行われる。ちょうど旧盆でもあり、旧盆らしい儀式も行われるのではないかと予想されるがどうなることやら。
何はともあれ、台風が来ないことを祈ろう。
2008年08月01日
姫率高し
今日は1ヶ月に1回の検診だった。
妻のつわりは一時期に比べるとかなり落ち着いている。一般に言う「つわり」という期間は終わったのだろうが、時々気分が悪く晩飯が食べられないときがある。
原因は? どうも食べ過ぎたり、また消化の悪いもの食べたりすると吐き気で気分悪くなるようだ。
先週も妻の両親とソレイユでバイキングに出かけ、元をとろうとちょっとずつでも全品食べてしまうものだから、その夜は一晩中うなっていた。少し前にも「ブルーベリー狩りに行きたい」と2~3日ずっと隣で言ってるので(もちろん妻が)平田観光農園に行きブルーベリーとかプラムや桃をたらふく食べた。たしかに桃は熟していて美味かったのを思い出した。そしてその後妻は大変だったことも思い出した。
と、いろいろあったが16週目に突入し妊娠5ヶ月となった。そしてだいぶ腹も出てきた。
2ヶ月位前の妊娠3ヶ月頃、次男からまだそこまで出ていない腹を一目見て「こりゃ女の子だね」と断言されたのを発端に、同じ職場の看護師に「顔が柔らかくなってきたから女の子かもね」とか言われたり、こないだは入院してるおばあさんから「この腹の出方は女の子だね」とか意味ありげなことを言われたりと姫率高しである。次男はともかくもおばあさんの一言にはなんというか数々の人生の修羅場をくぐりり抜けてきた含蓄があり、妻も妙に納得したと言う。
そのようなことを検診で話すと産科の先生に「そんな非科学的な」と一蹴される。
そしていつものエコーで見る。脳ができてきているらしい。その他胃もできている様でうっすらと見える。体重を計算すると166gのようだ。そしてそろそろわかるという♂か♀か、エコーで見る限り♂の印は確認できなかった。「姫の可能性大じゃのう」と先生も言うも、ただ、子が激しく動き回るので最後まで♂の印がはっきりあるかないかわからなかった。この問題に対しては「まぁ次回じゃ」と次に持ち越し。また♀であればいずれ子宮も見えてくると言う。
そして、どうもこの子は落ち着きがないらしい。誰に似たのだろうか。
そして前回同様4Dになった画像をDVDでもらう。あいかわらずグロテスクだが前回よりは丸みを帯びた感じもする。
妻のつわりは一時期に比べるとかなり落ち着いている。一般に言う「つわり」という期間は終わったのだろうが、時々気分が悪く晩飯が食べられないときがある。
原因は? どうも食べ過ぎたり、また消化の悪いもの食べたりすると吐き気で気分悪くなるようだ。
先週も妻の両親とソレイユでバイキングに出かけ、元をとろうとちょっとずつでも全品食べてしまうものだから、その夜は一晩中うなっていた。少し前にも「ブルーベリー狩りに行きたい」と2~3日ずっと隣で言ってるので(もちろん妻が)平田観光農園に行きブルーベリーとかプラムや桃をたらふく食べた。たしかに桃は熟していて美味かったのを思い出した。そしてその後妻は大変だったことも思い出した。
と、いろいろあったが16週目に突入し妊娠5ヶ月となった。そしてだいぶ腹も出てきた。
2ヶ月位前の妊娠3ヶ月頃、次男からまだそこまで出ていない腹を一目見て「こりゃ女の子だね」と断言されたのを発端に、同じ職場の看護師に「顔が柔らかくなってきたから女の子かもね」とか言われたり、こないだは入院してるおばあさんから「この腹の出方は女の子だね」とか意味ありげなことを言われたりと姫率高しである。次男はともかくもおばあさんの一言にはなんというか数々の人生の修羅場をくぐりり抜けてきた含蓄があり、妻も妙に納得したと言う。
そのようなことを検診で話すと産科の先生に「そんな非科学的な」と一蹴される。
そしていつものエコーで見る。脳ができてきているらしい。その他胃もできている様でうっすらと見える。体重を計算すると166gのようだ。そしてそろそろわかるという♂か♀か、エコーで見る限り♂の印は確認できなかった。「姫の可能性大じゃのう」と先生も言うも、ただ、子が激しく動き回るので最後まで♂の印がはっきりあるかないかわからなかった。この問題に対しては「まぁ次回じゃ」と次に持ち越し。また♀であればいずれ子宮も見えてくると言う。
そして、どうもこの子は落ち着きがないらしい。誰に似たのだろうか。
そして前回同様4Dになった画像をDVDでもらう。あいかわらずグロテスクだが前回よりは丸みを帯びた感じもする。
2008年07月12日
次男Tシャツ贈呈式行われる。
これで長男邸に行くのは何度目になるのだろうか・・・、数えたことも無い。
その長男邸にて今回は、前回沖縄の土産「次男Tシャツ」の贈呈式が行われた。
長男は「長男Tシャツ」を購入。「従兄弟Tシャツ」はなかった。
今回のメンバーは次男、炭水化物、N原氏、そして我々夫妻の計6名。例外なく濃いメンバーが集まった。
いつものように長男のつくる料理をつまみにしながらテレビ画面は、甲子園での鯉vs鯉大阪支部との手に汗握る展開を見ていた。テレビで新井が出てくると「ぶつけてしまえ」と相変わらずのブーイングである。
しかし、関本にサヨナラ打を打たれ、負けが確認されるとそれまで野球はなかったかのように速攻で「サラリーマンNEO」のDVDに変わった。その後夜中までエンドレスサラリーマンNEO・・・
夜中、知らない間に炭水化物は帰っていった。
妻のつわりも夕方~夜はデロデロになりほとんど食べることが出来ないが、午前中は安定しており、それなりに食べることできる。結局13時過ぎまで例の部屋でまったりごろごろしていた。
そして、なんとなくの流れで9月の沖縄離島行き(有限会社長男 離島事業部)の行程が大体決定した。
9月20日 広島→那覇、レンタカーで本部のペンションビセザキへ
21日 伊平屋へ
22日 伊平屋から伊是名へ。(伊是名ではこないだの民宿ときわか?)
23日 伊是名から本島に戻り、一気に那覇へ、そして広島へ帰国
予定メンバーは長男次男、私、妊娠6ヶ月目になる妻、妻の職場の後輩(我々の旅に同行するのは初めてである。途中で「帰る!」とかいいださないか大変心配であるが、まぁ3日目くらいにはこんなものだろうと納得(あきらめ?)してもらえるだろうという結論に達した。)
そして写真のようなの敗残兵&作務衣の格好の次に怪しげな格好で長男次男は伊是名島を徘徊することがはや決定。
次回は「パイナップルツアーズ」と見ながらの事前学習会となるであろう。乞うご期待。
タグ :メガネ三兄弟
2008年07月03日
妊娠4ヶ月目に入る
沖縄旅行記は次回、いよいよ「慰霊の日」に入ります。が、今週は産科の検診があったのでその話を・・・
妊娠4ヶ月目に入る。
妻のつわりが始まって1ヵ月半くらいになる。腹も徐々に大きくなっている。下腹が張るようで、張り止めを飲み始めた。
つわりは一時期の最高潮の時期に比べたら治まってきたのかもしれないが、二日調子がよかったと思ったら、次の二日はでろでろだったりとやっぱり大変そうだ。
今週検診があった。
赤ちゃんは5.7cm。妻はいろいろ大変なのだが子は無事生きている。エコーで見ると背骨もくっきりと見えるようになった。さらに腕を前後に振ってのんきにダンスをしたりバンザイをしたままだったり。産科の先生にも「こいつは面白いやつじゃ」といわれたよう。4ヶ月にして遺伝子には逆らえないようだ。先が思いやられる。どっちの遺伝子かといえば妻のだろう。
エコーの動画をDVDにしてもらったので家のパソコンで見る。4Dにした映像もあったがまだ頭蓋骨に皮が張り付いた状態であり「あなたはウルトラマンですか?」と思ってしまった。グロテスクである。「エイリアンみたい」と言った人もいたようだ。失礼な、人の子にむかって。そんなこと言うのは誰だ?と思ったら妻が言っていた。
まぁなんにしてもエイリアンが腹の中にいるんだから、そりゃあつわりも大変だろう、ということで今日も妻はエイリアンの発するつわりにうんうんとうなされ、そして征服されたのか力尽きいつのまにか寝ていた。
次回の検診、来月には性別もわかるらしい。
妊娠4ヶ月目に入る。
妻のつわりが始まって1ヵ月半くらいになる。腹も徐々に大きくなっている。下腹が張るようで、張り止めを飲み始めた。
つわりは一時期の最高潮の時期に比べたら治まってきたのかもしれないが、二日調子がよかったと思ったら、次の二日はでろでろだったりとやっぱり大変そうだ。
今週検診があった。
赤ちゃんは5.7cm。妻はいろいろ大変なのだが子は無事生きている。エコーで見ると背骨もくっきりと見えるようになった。さらに腕を前後に振ってのんきにダンスをしたりバンザイをしたままだったり。産科の先生にも「こいつは面白いやつじゃ」といわれたよう。4ヶ月にして遺伝子には逆らえないようだ。先が思いやられる。どっちの遺伝子かといえば妻のだろう。
エコーの動画をDVDにしてもらったので家のパソコンで見る。4Dにした映像もあったがまだ頭蓋骨に皮が張り付いた状態であり「あなたはウルトラマンですか?」と思ってしまった。グロテスクである。「エイリアンみたい」と言った人もいたようだ。失礼な、人の子にむかって。そんなこと言うのは誰だ?と思ったら妻が言っていた。
まぁなんにしてもエイリアンが腹の中にいるんだから、そりゃあつわりも大変だろう、ということで今日も妻はエイリアンの発するつわりにうんうんとうなされ、そして征服されたのか力尽きいつのまにか寝ていた。
次回の検診、来月には性別もわかるらしい。
2008年06月13日
脚立から落ちる
今日は私は仕事(平日だし)、妻は休み。
19:00前に家に帰ると、妻の車は無い。まだ帰ってないというのはわかったが、玄関開けるとそこには脚立(2段の小さいやつ)が置かれたままで、カーテンが設置されつつあり、さらに奥では2,3日前から調子の悪かった折り畳み椅子が解体されつつあり、その状況で放置状態で妻はいなくなっていた。
なんとも中途半端な状況で・・・と思ったが、台所に書き置きが・・・。
「脚立から落ちてしまったので、念のために病院にいってきます。17:30」
びっくりしてケータイに電話するも、妻のケータイが家の中で鳴った。きっと着の身着のままで飛び出して行ったんだろう。
こっちも連絡するすべが無くなり仕方なく、大丈夫だろうと自分を安心させるために「妊娠出産の気がかりQ&A」の該当ページを探す。
そんなことをしてたら妻は帰ってきた。
大丈夫だったらしい。
羊水に守られてるから出血とかなかったら大丈夫のよう。とりあえずほっと胸をなでおろす。
そして病院で、エコーで赤ちゃんの手と足がばたばた動いているのが見せてもらったようで不思議な気分になったという。大きさも2.6cmになった。月曜に診察に行ったときは2.1cmだったから、5日間で5mm大きくなったのか。
そんなわけで、この時期、今後脚立は厳禁である(まぁこれで自分から乗ることは無いと思うが)。
明日は久々の長男邸へ。こちらもこの時期、野球の話題は厳禁だろう。なぜならば長男はベイスターズファンだからである。(と、いいながら自分から自虐的に話し出すかもしれないが・・・)
19:00前に家に帰ると、妻の車は無い。まだ帰ってないというのはわかったが、玄関開けるとそこには脚立(2段の小さいやつ)が置かれたままで、カーテンが設置されつつあり、さらに奥では2,3日前から調子の悪かった折り畳み椅子が解体されつつあり、その状況で放置状態で妻はいなくなっていた。
なんとも中途半端な状況で・・・と思ったが、台所に書き置きが・・・。
「脚立から落ちてしまったので、念のために病院にいってきます。17:30」
びっくりしてケータイに電話するも、妻のケータイが家の中で鳴った。きっと着の身着のままで飛び出して行ったんだろう。
こっちも連絡するすべが無くなり仕方なく、大丈夫だろうと自分を安心させるために「妊娠出産の気がかりQ&A」の該当ページを探す。
そんなことをしてたら妻は帰ってきた。
大丈夫だったらしい。
羊水に守られてるから出血とかなかったら大丈夫のよう。とりあえずほっと胸をなでおろす。
そして病院で、エコーで赤ちゃんの手と足がばたばた動いているのが見せてもらったようで不思議な気分になったという。大きさも2.6cmになった。月曜に診察に行ったときは2.1cmだったから、5日間で5mm大きくなったのか。
そんなわけで、この時期、今後脚立は厳禁である(まぁこれで自分から乗ることは無いと思うが)。
明日は久々の長男邸へ。こちらもこの時期、野球の話題は厳禁だろう。なぜならば長男はベイスターズファンだからである。(と、いいながら自分から自虐的に話し出すかもしれないが・・・)
2008年05月18日
今年初の焚火
京都但馬一人旅旅行記の途中ですが、去る土日、妻と長男(といってももちろん我々の子供ではない)と錦川へ2年ぶりの野営にいったのでそのときの写真をアップします

2年ぶりの錦川。テン場のトイレは壊れたままであった。
カヌーも積んでいったんだが、テントを組み立てた後、飲んだくれてしまい、その後カヌーを組み立てることは無くその姿を見せることは無く終わった。

「焼きそばが食べたい」という妻の注文に、長男が過去特注して作ってもらったという直径50cmの鉄板鍋を披露する。あの家には変なものならなんでもあることを改めて実感。

そして夜は焚火。
火は踊るように揺らめいていて、一瞬たりとも同じ姿を見せない。その写真を撮るのはやはり難しい。
火というものをじーっと見ていると気分が落ち着くというか、この一瞬たりとも同じ瞬間はありえない姿を見てると楽しい。
薪の位置を火ばしでちょっと変えるだけで勢いが変わる。風が吹けばまた火の勢いが強くなる。そして、薪が燃えた後、真っ赤な炭になるところも美しい。
真っ赤な炭は溶鉱炉の中のようにくすぶっている。
なんかあったらいつでも火がつくて燃え上がるぞ~という感じで。
瞑想などで、気持ちを無にするというものがあるが、火を見てるとそんなからっぽな気持ちになる。

対岸には錦川清流鉄道が1時間に1本くらいの割合で通る。装備撤収後、ちょっと乗って車窓から錦川を眺めてみようと思い、近くの駅に立ち寄る。が、次の列車がくるまで30分待たないといけないのと、昼間は2時間に1本のダイヤとなっておりどこかで降りて往復して帰ってくるまでに2時間以上かかるため、あっさりあきらめて広島に帰った。
2年ぶりの錦川。テン場のトイレは壊れたままであった。
カヌーも積んでいったんだが、テントを組み立てた後、飲んだくれてしまい、その後カヌーを組み立てることは無くその姿を見せることは無く終わった。
「焼きそばが食べたい」という妻の注文に、長男が過去特注して作ってもらったという直径50cmの鉄板鍋を披露する。あの家には
そして夜は焚火。
火は踊るように揺らめいていて、一瞬たりとも同じ姿を見せない。その写真を撮るのはやはり難しい。
火というものをじーっと見ていると気分が落ち着くというか、この一瞬たりとも同じ瞬間はありえない姿を見てると楽しい。
薪の位置を火ばしでちょっと変えるだけで勢いが変わる。風が吹けばまた火の勢いが強くなる。そして、薪が燃えた後、真っ赤な炭になるところも美しい。
真っ赤な炭は溶鉱炉の中のようにくすぶっている。
なんかあったらいつでも火がつくて燃え上がるぞ~という感じで。
瞑想などで、気持ちを無にするというものがあるが、火を見てるとそんなからっぽな気持ちになる。
対岸には錦川清流鉄道が1時間に1本くらいの割合で通る。装備撤収後、ちょっと乗って車窓から錦川を眺めてみようと思い、近くの駅に立ち寄る。が、次の列車がくるまで30分待たないといけないのと、昼間は2時間に1本のダイヤとなっておりどこかで降りて往復して帰ってくるまでに2時間以上かかるため、あっさりあきらめて広島に帰った。
タグ :焚火
2008年05月04日
サル
連休。
私はカレンダーどおり4連休であるが妻は4日間とも仕事である。
よって一人家でごろごろしてもしょうがないため現在、京都大阪近辺を散歩中。
そしてただいま歩くのに疲れたため、ネットに避難中。
と、ここでは、4連休の前日、妻の休暇に合わせて有給をとり(図らずも5連休となった)、安佐動物公園へ行ったので報告したい。
私はことさら動物好きというわけでもないが、やはり動物を見てると飽きない。
ことにサル山には30分以上もふたりでへばりついてた。
さて13:30、サルの食事の時間のようだ。
扉のむこうから従業員がエサをやりにくるのか、扉の前には黒山の人(サル)だかりである。


「飯はまだかのぉ」といった感じで行儀よく座って待っている。

こっちは、扉に手をかけて「腹減った。早く飯食わせろ」と言ってる。
見ているほうもどうかと思うが、20分前から同じポーズをしている。
エサが配られ、サル山は騒然となったことはいうまでもない。
ちなみに、今日のメニューは食パン、バナナ、ミカン、りんご、ゆで卵、ビスケットのようなもの でした。
私はカレンダーどおり4連休であるが妻は4日間とも仕事である。
よって一人家でごろごろしてもしょうがないため現在、京都大阪近辺を散歩中。
そしてただいま歩くのに疲れたため、ネットに避難中。
と、ここでは、4連休の前日、妻の休暇に合わせて有給をとり(図らずも5連休となった)、安佐動物公園へ行ったので報告したい。
私はことさら動物好きというわけでもないが、やはり動物を見てると飽きない。
ことにサル山には30分以上もふたりでへばりついてた。
さて13:30、サルの食事の時間のようだ。
扉のむこうから従業員がエサをやりにくるのか、扉の前には黒山の人(サル)だかりである。
「飯はまだかのぉ」といった感じで行儀よく座って待っている。
こっちは、扉に手をかけて「腹減った。早く飯食わせろ」と言ってる。
見ているほうもどうかと思うが、20分前から同じポーズをしている。
エサが配られ、サル山は騒然となったことはいうまでもない。
ちなみに、今日のメニューは食パン、バナナ、ミカン、りんご、ゆで卵、ビスケットのようなもの でした。
2008年04月29日
エキゾチック近所
3日から京都~山陰本線経由で散歩旅へ出かける予定なので、今週の休みは家でまったりと過ごす。
気づくと家の裏の休耕田に花がいっぱい咲いていた。

今日はこれから本屋で立ち読みして、夕方は東京ドームの4位争いをTVで観戦予定。
9時頃までは試合の行方に興味を持ってTVが見れるように・・・
気づくと家の裏の休耕田に花がいっぱい咲いていた。
今日はこれから本屋で立ち読みして、夕方は東京ドームの4位争いをTVで観戦予定。
9時頃までは試合の行方に興味を持ってTVが見れるように・・・
2008年04月02日
へっぽこ
最後の嶋の打球が取られるか取られないかくらいのタイミングで私は部屋を出た。
NAHAマラソンに向けたトレーニングをしなくては・・・。
今の鯉の状況を考えるならば、42.195km走る苦しみなんてまったく些細なことだろうと思って私は走り始めた。
走り始めはしんどいが、1kmくらい走ると体が慣れるのか、ランニングハイになるのか、いくらでも走れるぞというような感覚に陥る。しかし炭水化物氏にもらったマラソントレーニングの本では徐々に走る量を増やすようにとあり、10分くらい走ったところで今日はこの辺にしておいた。
そんなわけで今日は国際通りくらいまでは走れるだろうということを確認した一日だった。
目指せ、東風平。
目指せ、鯉4点。
がんばれ沖縄尚学。
NAHAマラソンに向けたトレーニングをしなくては・・・。
今の鯉の状況を考えるならば、42.195km走る苦しみなんてまったく些細なことだろうと思って私は走り始めた。
走り始めはしんどいが、1kmくらい走ると体が慣れるのか、ランニングハイになるのか、いくらでも走れるぞというような感覚に陥る。しかし炭水化物氏にもらったマラソントレーニングの本では徐々に走る量を増やすようにとあり、10分くらい走ったところで今日はこの辺にしておいた。
そんなわけで今日は国際通りくらいまでは走れるだろうということを確認した一日だった。
目指せ、東風平。
目指せ、鯉4点。
がんばれ沖縄尚学。
タグ :走る
2008年03月24日
布ぞうり
着古したTシャツが布ぞうりとなったその次の朝のこと・・・
7:40頃、仕事に行こうと家を出ようとするが、いつものところに車のカギ(ゴーヤーマンがキーホルダーになっている)がない。
どこいった???探すも無い。焦る。
・・・思い出した。昨日、妻のカバンの中でカギを見た気がする。
ケータイに電話をする。病院(職場)の目の前まで来ていた様だが、私の状況を聞き自分のカバンを探す。そしてほどなく、ゴーヤの触感を感じた妻、凍りつく。
・・・結果、二人とも一時間年休となりました。
そして病院では年休の理由が「家庭の事情」と伝えられ詮索好きの看護師達にいろいろと根掘り葉掘り聞かれ大変だったたらしい。そして事実を話すと大笑いされたという。
私も今では笑い事であるが、とりあえず仕事前にケータイに出てくれてよかった。
■写真は朝の状況とはまったく関係ありません。
2008年03月16日
香川へ=うどんばかり食べる旅=
結局「UDON」は見てしまった・・・
そして次の朝は5:30に起床し、6:20に八千代の家を出発。平日でさえこんなに早く起きないのに全くはしゃいでいる。
途中N井さん、長男を拾い、7:30に広島東ICに入ると、そのまま休憩も無く一気に瀬戸大橋へ。9:30に四国上陸を果たすまで、来るべきうどんの為、缶コーヒーとクッキー1個で空腹をしのいだ。
世に言うミーハーで浅はかな日本の観光客というのは我々のことを言うのかもしれない。
四国島内は運転手が私、隣で長男がナビと「沖縄レンタカーでの黄金バッテリーが一夜限りの復活」である。(意味不明)
9:40最初の店、丸亀にある「なかむら」へ
鯉のぼりが目印のこの店だが、鯉のぼりがなくてもすぐに分かった。既に客の車でいっぱいである。「ネギがほしければ庭にあるから自分で刻め」というエピソードをもつこの店も、この時点で20分待ちである。
30分待って最初の「釜玉小200円」
細めの麺で比較的やわらかい。そして前日映画でも言ってたとおり釜玉にはうどん二玉がちょうどいいということを確認した次第である。
その後15分程走って、10:35善通寺の「山下」へ。
ぶっかけの元祖といわれるこの店は普通に注文をとり後でお金を払うという一般店スタイル。
ぶっかけの小 250円
非常に麺のコシが強いのが特徴。
過去、岡山に住んでいた長男が一押しの麺のよう。「昔うどんブームの前なんかはうどんを歯で噛んでたらおやじに叱られた」らしく、ツルツルと噛まずに飲み込んであっという間に食べ終わっていた。
さて次は妻の提案により満濃町美合にある11~13時の2時間しか営業しないという「谷川米穀店」に車を走らせる。
30分以上走っただろうか。11:20頃、美合の集落に入り店を探すがそれらしき店は無い。もともと米穀店でありうどん屋じゃないんだからと一軒一軒じっくり見るも無い。そして集落には我々と同じニオイを発した車(県外ナンバー)もうろついている。
駐車場に車を停め歩いて探そうとすると、隣に泊まっていた車の人が帰ってきて「休みが月曜から日曜に変わったみたいだよ」と。
・・・次いこう。
3軒目。
同じ満濃町にある「やまうち」へ。
持っていった「恐るべきさぬきうどん」でも最初に紹介されてあり、山の中の秘境のうどん屋として紹介されている。秘境マニアとしては行かねばならない。
山の中の秘境のイメージ(映画でユースケサンタマリアと小西真奈美が最初にうどんを食べた店のイメージ)があったものの、土讃線の踏切を渡るとすぐ山の上に駐車場を発見した。あっけなかった。そして車はいっぱいいた。12:00到着
「恐るべきさぬきうどん」の本は93年に製本、その後15年が経過、その間のブームの到来で店を取り巻く環境も大きく変わってしまったのだろう。
15分ほど行列を待ってうどんにありつく。
かけ(ひやあつ)の小 200円
だしが絶品だった。天ぷらも美味かった。今回行った中で一番の一押しである。
4軒目。
12:30 まんのう町吉野の交差点到着。
ここには、しょうゆの元祖「小縣屋(おがたや)」と釜揚げが有名で西の長田と言われる「長田うどん」の二つの店が交差点を挟んで並んでいる。どちらに行こうか迷ったが、カープファンとしてはオガタだろうとしょうゆの元祖の方に入る。
ここは店構えがしっかりしている感じ。普通に注文をとって後精算の店。
しょうゆうどんの小 420円
大根丸々1本出てきて自分ですりおろすスタイルである。
値段を見てもお分かりの通り、小といいながら若干麺の量は多めだった。4件目にしてはじめて「腹いっぱいになった」感覚がした。そして妻はここでダウン寸前である。うーん、ここで琴平の温泉にでも入って一休み・・・と思ったが、長男とN井さんは顔色変えずに「次行こう」
恐るべしである。
5軒目。目の前の長田うどんへ。
ここで妻はリタイアである。(よって写真なし)
車の中に妻を残し、私もかなり腹は膨れたが、かまあげ小 250円
「たらいうどん10玉分」なんてメニューもあり、他の二人が頼みやしないかとひやひやしたが、みんなかまあげ小だった。
13:00に店に着いたが駐車場が開くまで待ったのと、行列に並んだのと、出てくるまでに時間があって、13:30頃うどんにありつけたので若干腹具合も収まってきたのと、量が少なかったため、意外にペロリと平らげた。まだ次にいけそうだ。
次へ行こうと3人。「これでもう最後ですよ」と妻は叫ぶ。
琴平町の宮武に行こうと車を走らせたが、道路上に100人くらい並んでいる。
その時点で戦意喪失である。そこまで並んで食べるほどミーハーではない。
琴平の銘菓に「灸まん」というのがある。私は灸まんというのは良く知らなかったが、琴平に着くと道路にある電柱という電柱に「灸まん」と書かれてある黄色い目立つ看板が設置してある。車で走ってて見える電柱一本一本に灸まん灸まん灸まん灸まん・・・。右の電柱見ても灸まん、左の電柱見ても灸まん、である。と、灸まんだけでもこんなにインパクトがあるのに困ったことに「灸まんうどん」なんて看板まで貼り付けてある。灸まんうどんとは何者だ?うどんの食べすぎでおかしくなったんじゃないか?おかしくなったのは我々か?
そんなわけで最後はガイドブックにも載ってない「灸まんうどん」へ。
行ってみると何の変哲も無い、灸まんの本舗が経営している、地元の人が多いセルフのうどん屋だ。
かけ小200円と天ぷら2個
うどんは美味かった。何の変哲の無い店だが普通に美味いことに感心した。そしてはうどんが美味いだけでなく、天ぷらも美味いということだ。これはどの店でも共通のことである。
ちなみにトッピングに灸まんはついてなかった。なくて十分である。
他所者がブームを作って荒らすだけ荒らしても、根付いた文化はそう簡単には崩れることはなく、逆にそれをエネルギーにするくらいのしたたかさを感じた香川・うどんへの旅だった。
今度はJRと琴電を乗り継いでの行程も考えてみよう。
そして次の朝は5:30に起床し、6:20に八千代の家を出発。平日でさえこんなに早く起きないのに全くはしゃいでいる。
途中N井さん、長男を拾い、7:30に広島東ICに入ると、そのまま休憩も無く一気に瀬戸大橋へ。9:30に四国上陸を果たすまで、来るべきうどんの為、缶コーヒーとクッキー1個で空腹をしのいだ。
世に言うミーハーで浅はかな日本の観光客というのは我々のことを言うのかもしれない。
四国島内は運転手が私、隣で長男がナビと「沖縄レンタカーでの黄金バッテリーが一夜限りの復活」である。(意味不明)
鯉のぼりが目印のこの店だが、鯉のぼりがなくてもすぐに分かった。既に客の車でいっぱいである。「ネギがほしければ庭にあるから自分で刻め」というエピソードをもつこの店も、この時点で20分待ちである。
30分待って最初の「釜玉小200円」
細めの麺で比較的やわらかい。そして前日映画でも言ってたとおり釜玉にはうどん二玉がちょうどいいということを確認した次第である。
ぶっかけの元祖といわれるこの店は普通に注文をとり後でお金を払うという一般店スタイル。
ぶっかけの小 250円
非常に麺のコシが強いのが特徴。
過去、岡山に住んでいた長男が一押しの麺のよう。「昔うどんブームの前なんかはうどんを歯で噛んでたらおやじに叱られた」らしく、ツルツルと噛まずに飲み込んであっという間に食べ終わっていた。
さて次は妻の提案により満濃町美合にある11~13時の2時間しか営業しないという「谷川米穀店」に車を走らせる。
30分以上走っただろうか。11:20頃、美合の集落に入り店を探すがそれらしき店は無い。もともと米穀店でありうどん屋じゃないんだからと一軒一軒じっくり見るも無い。そして集落には我々と同じニオイを発した車(県外ナンバー)もうろついている。
駐車場に車を停め歩いて探そうとすると、隣に泊まっていた車の人が帰ってきて「休みが月曜から日曜に変わったみたいだよ」と。
・・・次いこう。
同じ満濃町にある「やまうち」へ。
持っていった「恐るべきさぬきうどん」でも最初に紹介されてあり、山の中の秘境のうどん屋として紹介されている。秘境マニアとしては行かねばならない。
山の中の秘境のイメージ(映画でユースケサンタマリアと小西真奈美が最初にうどんを食べた店のイメージ)があったものの、土讃線の踏切を渡るとすぐ山の上に駐車場を発見した。あっけなかった。そして車はいっぱいいた。12:00到着
15分ほど行列を待ってうどんにありつく。
かけ(ひやあつ)の小 200円
だしが絶品だった。天ぷらも美味かった。今回行った中で一番の一押しである。
12:30 まんのう町吉野の交差点到着。
ここには、しょうゆの元祖「小縣屋(おがたや)」と釜揚げが有名で西の長田と言われる「長田うどん」の二つの店が交差点を挟んで並んでいる。どちらに行こうか迷ったが、カープファンとしてはオガタだろうとしょうゆの元祖の方に入る。
ここは店構えがしっかりしている感じ。普通に注文をとって後精算の店。
しょうゆうどんの小 420円
大根丸々1本出てきて自分ですりおろすスタイルである。
値段を見てもお分かりの通り、小といいながら若干麺の量は多めだった。4件目にしてはじめて「腹いっぱいになった」感覚がした。そして妻はここでダウン寸前である。うーん、ここで琴平の温泉にでも入って一休み・・・と思ったが、長男とN井さんは顔色変えずに「次行こう」
恐るべしである。
5軒目。目の前の長田うどんへ。
ここで妻はリタイアである。(よって写真なし)
車の中に妻を残し、私もかなり腹は膨れたが、かまあげ小 250円
「たらいうどん10玉分」なんてメニューもあり、他の二人が頼みやしないかとひやひやしたが、みんなかまあげ小だった。
13:00に店に着いたが駐車場が開くまで待ったのと、行列に並んだのと、出てくるまでに時間があって、13:30頃うどんにありつけたので若干腹具合も収まってきたのと、量が少なかったため、意外にペロリと平らげた。まだ次にいけそうだ。
次へ行こうと3人。「これでもう最後ですよ」と妻は叫ぶ。
琴平町の宮武に行こうと車を走らせたが、道路上に100人くらい並んでいる。
その時点で戦意喪失である。そこまで並んで食べるほどミーハーではない。
琴平の銘菓に「灸まん」というのがある。私は灸まんというのは良く知らなかったが、琴平に着くと道路にある電柱という電柱に「灸まん」と書かれてある黄色い目立つ看板が設置してある。車で走ってて見える電柱一本一本に灸まん灸まん灸まん灸まん・・・。右の電柱見ても灸まん、左の電柱見ても灸まん、である。と、灸まんだけでもこんなにインパクトがあるのに困ったことに「灸まんうどん」なんて看板まで貼り付けてある。灸まんうどんとは何者だ?うどんの食べすぎでおかしくなったんじゃないか?おかしくなったのは我々か?
行ってみると何の変哲も無い、灸まんの本舗が経営している、地元の人が多いセルフのうどん屋だ。
かけ小200円と天ぷら2個
うどんは美味かった。何の変哲の無い店だが普通に美味いことに感心した。そしてはうどんが美味いだけでなく、天ぷらも美味いということだ。これはどの店でも共通のことである。
ちなみにトッピングに灸まんはついてなかった。なくて十分である。
他所者がブームを作って荒らすだけ荒らしても、根付いた文化はそう簡単には崩れることはなく、逆にそれをエネルギーにするくらいのしたたかさを感じた香川・うどんへの旅だった。
今度はJRと琴電を乗り継いでの行程も考えてみよう。
タグ :うどん
2008年03月15日
UDON?
昨日(14日)、我々はうちなーで飲み、長男邸に泊まった。
話の中で、もののはずみで香川にうどんを食べに行くことになった。
行く日は明後日、日曜日(16日)である。思い立ったが吉日とは言いすぎだ。
そして今朝、新聞を見てたら困ったことを発見した。
今晩テレビで「UDON」があるではないか。
テレビで放送された次の日に香川にうどんを食べに行くなんて、マスメディアの伝える内容をただただ鵜呑みにするだけのミーハーで浅はかな観光客丸出しじゃないか。
困った。
困ったが、どうしようもない。そのような映画が放送されていたことは知らなかったふりをするしか手はなくなった。
そんなわけで我々夫妻とN井さん、長男の4人は明日の朝早く香川へ旅立つ。
少なくとも映画があるのを知る前に香川へ行こうと思い立ったことだけは声を大にしていいたい。精一杯の言い訳である。
民宿長男の朝食
長男邸をチェックアウトした後、我々夫妻のその後の行動。
私は市内で髪を切りにいき、妻は呉の実家でタイヤをノーマルにやり変えるなど思い思いに過ごし、午後ソレイユで合流することとした。
車がないため市内からソレイユまでどうやっていこうかと思案したがひらめいた。
12月のNAHAマラソンに向けこれまでウオーキング程度のトレーニングしか行っておらず、トレーニングのトの字くらいしか行っていなかった。そのため、ソレイユまで1時間の道のりを歩いていくこととした。これでトレーニングのトレまでいったか?
但し今子供が出来ているのが判明すると、予定日が思いっきり12月上旬になってしまう。その可能性もまだまだ残されている。
段原を越えるとなにやら大規模な工事をしていた。何だ何だこれは?と思ったが、看板を見て分かった。新球場の建設中だった。
話の中で、もののはずみで香川にうどんを食べに行くことになった。
行く日は明後日、日曜日(16日)である。思い立ったが吉日とは言いすぎだ。
そして今朝、新聞を見てたら困ったことを発見した。
今晩テレビで「UDON」があるではないか。
テレビで放送された次の日に香川にうどんを食べに行くなんて、マスメディアの伝える内容をただただ鵜呑みにするだけのミーハーで浅はかな観光客丸出しじゃないか。
困った。
困ったが、どうしようもない。そのような映画が放送されていたことは知らなかったふりをするしか手はなくなった。
そんなわけで我々夫妻とN井さん、長男の4人は明日の朝早く香川へ旅立つ。
少なくとも映画があるのを知る前に香川へ行こうと思い立ったことだけは声を大にしていいたい。精一杯の言い訳である。
長男邸をチェックアウトした後、我々夫妻のその後の行動。
私は市内で髪を切りにいき、妻は呉の実家でタイヤをノーマルにやり変えるなど思い思いに過ごし、午後ソレイユで合流することとした。
車がないため市内からソレイユまでどうやっていこうかと思案したがひらめいた。
12月のNAHAマラソンに向けこれまでウオーキング程度のトレーニングしか行っておらず、トレーニングのトの字くらいしか行っていなかった。そのため、ソレイユまで1時間の道のりを歩いていくこととした。これでトレーニングのトレまでいったか?
但し今子供が出来ているのが判明すると、予定日が思いっきり12月上旬になってしまう。その可能性もまだまだ残されている。
段原を越えるとなにやら大規模な工事をしていた。何だ何だこれは?と思ったが、看板を見て分かった。新球場の建設中だった。
2008年03月08日
平和公園にて
ここには原爆ドームもあれば、数々の原爆遺跡もある。資料館もある。
だけど今日のこんなやわらかな陽射しのもとでは、今ここにある平和を感じることができる空間となる。
明日も、子供と一緒に、こんなふうな陽だまりの中、遊べるような、そしてこんな日がずっとずっと続くような、そんな空間。
今更ながら広島新球場は今の場所に少し大きくなって(商工会議所のビルを移転するとかで)この公園と繋がってたら、その広くなった空間に、岡本太郎の「明日の神話」もあったなら、・・・なんて思う午後の昼下がり。
********************
その後は学習会「軍都廣島と日本の加害の歴史その3」
今日の話は「マレー半島で日本軍が行ったこと。」
普段、なかなか聞くことのない廣島からも出征した日本軍の住民虐殺の話に衝撃を受けた。
私はマレーシア・シンガポールにはまだ1回しか行ったことがない。
話を聞いて、そのような意識で、現地(マレーシア、シンガポール)を歩いてみたいと思った。
どんな思いになるのか。
とりあえず、本屋でよく見ながらも買うまではいかなかった「観光コースでないマレーシア・シンガポール」でも買ってみようかな。
2008年02月25日
講師は軍事マニアその2
2月23日 軍都廣島の過去と現在をフィールドワークした。
講師はいつもの軍事マニア。
今回も怪しいブツが用意される。
「8・6」前の広島はどんな街かというと、それはまぎれもない「軍都」としての廣島でした。日本の対外侵略戦争のエスカレートと歩調を合わせて発展した歴史を持っています。
広島の軍都化は、日清戦争をきっかけとして始まり、その後第二次世界大戦終結までの約50年間、いずれの対外戦争においても重要な前進基地・補給基地としての役割を果たしました。その間、広島には大本営の設置など次々と軍事施設が増設され、宇品港からは数知れない多くの兵士・武器・軍需品が積み出されました。

陸軍墓地から宇品方面を望む。(左矢印が被服支廠、右矢印は似島)
被服支廠:軍服、軍靴、軍帽その他兵隊が身に着ける小物や付属品を生産・修理・保管・供給していました。被爆遺跡としても有名で、今残っている建物は3棟だけですが、当時は98棟ありました。
その他、宇品には兵士の食糧(缶詰など)を製造する糧秣支廠、霞町に兵器支廠があり、軍都廣島は戦争のための兵器、衣類、そして食糧が生産される場となっていました。
似島:日清戦争後兵士が戦地から持ち帰った為かコレラが大流行しました。そのため陸軍はここに検閲所を第二次世界大戦終了直後まで設置しました。戦地から帰ってきた兵士が数日間ここで健康診断や消毒風呂に入るなどの検閲を受け異常のない兵士達のみ本土に帰っていきました。
広島は兵士の出征だけでなく帰還の地にもなっていました。
午後はこれまた怪しい軍事マニアの解説にて海上から基地視察を行う。

宇品港にてノムの宮に見送られながら呉湾へ
広島の周辺の瀬戸内海は、岩国の米軍基地、海田の陸上自衛隊、呉の海上自衛隊と自衛隊や米軍施設がひっきりなしにあります。
呉港は明治維新以降、軍港として発展し、戦後、米軍に接収された後返還され、海上自衛隊や、石川島播磨、海上保安庁として使用しています。
基地としては瀬戸内海の地理より外洋に出るまで時間がかかるという面があり、主に燃料貯蔵庫や弾薬補給基地、術科学校などの教育施設といった後方支援としての性格を持ってます。
平和都市ヒロシマといいながらも、その周辺には米軍基地、自衛隊、軍需産業に取り囲まれ「軍に依存せざるをえない地域の体質」も現実としてあるのです。
基地があることによる潤いはしょせんバブルでしかなく、本来は基地がなくとも自立できる街として地場産業を発展させるというのが行政の役割ですが、その道を選ぼうとすると相当な荊の道が用意されるというのも現実としてあります。
現実を知り見極め冷静に立ち向かうための力を蓄えていくことが必要です。
今回も怪しいブツが用意される。
「8・6」前の広島はどんな街かというと、それはまぎれもない「軍都」としての廣島でした。日本の対外侵略戦争のエスカレートと歩調を合わせて発展した歴史を持っています。
広島の軍都化は、日清戦争をきっかけとして始まり、その後第二次世界大戦終結までの約50年間、いずれの対外戦争においても重要な前進基地・補給基地としての役割を果たしました。その間、広島には大本営の設置など次々と軍事施設が増設され、宇品港からは数知れない多くの兵士・武器・軍需品が積み出されました。
陸軍墓地から宇品方面を望む。(左矢印が被服支廠、右矢印は似島)
被服支廠:軍服、軍靴、軍帽その他兵隊が身に着ける小物や付属品を生産・修理・保管・供給していました。被爆遺跡としても有名で、今残っている建物は3棟だけですが、当時は98棟ありました。
その他、宇品には兵士の食糧(缶詰など)を製造する糧秣支廠、霞町に兵器支廠があり、軍都廣島は戦争のための兵器、衣類、そして食糧が生産される場となっていました。
似島:日清戦争後兵士が戦地から持ち帰った為かコレラが大流行しました。そのため陸軍はここに検閲所を第二次世界大戦終了直後まで設置しました。戦地から帰ってきた兵士が数日間ここで健康診断や消毒風呂に入るなどの検閲を受け異常のない兵士達のみ本土に帰っていきました。
広島は兵士の出征だけでなく帰還の地にもなっていました。
午後はこれまた怪しい軍事マニアの解説にて海上から基地視察を行う。
宇品港にてノムの宮に見送られながら呉湾へ
広島の周辺の瀬戸内海は、岩国の米軍基地、海田の陸上自衛隊、呉の海上自衛隊と自衛隊や米軍施設がひっきりなしにあります。
呉港は明治維新以降、軍港として発展し、戦後、米軍に接収された後返還され、海上自衛隊や、石川島播磨、海上保安庁として使用しています。
基地としては瀬戸内海の地理より外洋に出るまで時間がかかるという面があり、主に燃料貯蔵庫や弾薬補給基地、術科学校などの教育施設といった後方支援としての性格を持ってます。
平和都市ヒロシマといいながらも、その周辺には米軍基地、自衛隊、軍需産業に取り囲まれ「軍に依存せざるをえない地域の体質」も現実としてあるのです。
基地があることによる潤いはしょせんバブルでしかなく、本来は基地がなくとも自立できる街として地場産業を発展させるというのが行政の役割ですが、その道を選ぼうとすると相当な荊の道が用意されるというのも現実としてあります。
現実を知り見極め冷静に立ち向かうための力を蓄えていくことが必要です。
タグ :有限会社長男
2008年02月17日
講師は軍事マニア/アロエベラその後
先日、とある軍事マニア(長男のこと)を講師として「軍都廣島の歴史」というタイトルでの学習会に行ってきた。春の連続講座「廣島の加害の歴史と日本の戦争」の第2回目である。
講義の内容についてはまた詳しく述べたいが、本日の品は自衛隊売店で購入したという限定品・・・

「元気バッチリ」
・・・怪しい。
さて、家に帰り大量に購入した沖縄食材を少しずつ消費していく。土曜日はパパイヤチャンプルをつくった。そして、今回謎のアロエベラを食す。

スライスして食べるも「ネバネバとした独特のエキスが入って苦いというか味がないというか・・・」
・・・というか「不味い!」
やっぱりみじん切りにしてヨーグルトに入れるくらいしかないか・・・
今後、自家製アロエヨーグルトがいっぱいできそうだ。
講義の内容についてはまた詳しく述べたいが、本日の品は自衛隊売店で購入したという限定品・・・
「元気バッチリ」
・・・怪しい。
さて、家に帰り大量に購入した沖縄食材を少しずつ消費していく。土曜日はパパイヤチャンプルをつくった。そして、今回謎のアロエベラを食す。
スライスして食べるも「ネバネバとした独特のエキスが入って苦いというか味がないというか・・・」
・・・というか「不味い!」
やっぱりみじん切りにしてヨーグルトに入れるくらいしかないか・・・
今後、自家製アロエヨーグルトがいっぱいできそうだ。
2008年01月25日
バスで帰る
夜の間に雪が降ったのか、地面はうっすらと白くなっている。
私はいつもは八千代町の自宅から三次市内の職場まで35kmの道のりを車(パジェロミニ)で50分かけて通勤しているのだが、今日は広島市内で10時からの約束で仕事があったので自宅から直接バスで広島に行った。
広島で職場の人と合流し、用事を済ませた後、職場の車で三次へ行き、午後はまじめに仕事した。仕事もたまってて大変なのだが、午前中広島市内で仕事だったというだけで気分は旅であり、それはいつもと違う非日常であるため午後の単なるデスクワークはちっとも身に入らない。定時で帰ろう。
帰るはいいが、そんな行程だったため自宅に帰るにあたっていつものパジェロミニはない。よって初めて路線バスで職場から自宅まで帰ることにした。
そのルートは、三次から吉田まで行き、そこから広島行きのバスへ乗り換えるというもの。
しかしながらいろいろと難関は待ち構えている。
吉田からのバスは30分に1本あるからいいのだが、三次吉田間は1日4本しかバスがない。なんというかJRの廃止寸前のローカル線並みではないか。これで公共交通機関と言えるのか。ちなみに最終バスは17:50に職場の前の通りを通るという。ふざけている。そしてこのダイヤでは私の仕事に対するやるきのあるなしに関わらず嫌が応にも定時に帰らなければいけないではないか。たまった仕事は来週の私に任せよう。
17:55、5分遅れて吉田営業所行きのバスはやってきた。
乗客は私を含めて6人。
その後の停留所で乗る人は誰もいない。そして54号沿いの集落でひとりまたひとりと降りていく。乗り降りがほとんどないからバスはほとんどの停留所を通過する。路線バスなのに80km/hを超えてるんじゃないかというくらいのスピードで突っ走る。
結局終点の吉田営業所に着いた時は2人だけという状況だった。
18:30吉田営業所到着。
時刻表を見ると次のバスは19:00までない。
18時以降は1時間に1本になっていた。乗り継ぎも悪いではないか。
しかし、待合室があり暖房がかかってたので、そこで一人しばし読書をし時間を潰す。
なんか映画的である。
悪くはない。
なんだかんだいってもこんな状況を楽しめる性分で良かった。
19:00広島行きのバスが吉田営業所を出発する。乗客は私と女子高生の2人しかいなかった。
これもなんか映画的であるが、市役所前で人が10人くらい乗り一気にいつものバスに戻ってしまった。
朝、うっすら積もっていた雪はすっかり溶け、最初から何もなかったかのようだ。
私はいつもは八千代町の自宅から三次市内の職場まで35kmの道のりを車(パジェロミニ)で50分かけて通勤しているのだが、今日は広島市内で10時からの約束で仕事があったので自宅から直接バスで広島に行った。
広島で職場の人と合流し、用事を済ませた後、職場の車で三次へ行き、午後はまじめに仕事した。仕事もたまってて大変なのだが、午前中広島市内で仕事だったというだけで気分は旅であり、それはいつもと違う非日常であるため午後の単なるデスクワークはちっとも身に入らない。定時で帰ろう。
帰るはいいが、そんな行程だったため自宅に帰るにあたっていつものパジェロミニはない。よって初めて路線バスで職場から自宅まで帰ることにした。
そのルートは、三次から吉田まで行き、そこから広島行きのバスへ乗り換えるというもの。
しかしながらいろいろと難関は待ち構えている。
吉田からのバスは30分に1本あるからいいのだが、三次吉田間は1日4本しかバスがない。なんというかJRの廃止寸前のローカル線並みではないか。これで公共交通機関と言えるのか。ちなみに最終バスは17:50に職場の前の通りを通るという。ふざけている。そしてこのダイヤでは私の仕事に対するやるきのあるなしに関わらず嫌が応にも定時に帰らなければいけないではないか。たまった仕事は来週の私に任せよう。
17:55、5分遅れて吉田営業所行きのバスはやってきた。
乗客は私を含めて6人。
その後の停留所で乗る人は誰もいない。そして54号沿いの集落でひとりまたひとりと降りていく。乗り降りがほとんどないからバスはほとんどの停留所を通過する。路線バスなのに80km/hを超えてるんじゃないかというくらいのスピードで突っ走る。
結局終点の吉田営業所に着いた時は2人だけという状況だった。
18:30吉田営業所到着。
時刻表を見ると次のバスは19:00までない。
18時以降は1時間に1本になっていた。乗り継ぎも悪いではないか。
しかし、待合室があり暖房がかかってたので、そこで一人しばし読書をし時間を潰す。
なんか映画的である。
悪くはない。
なんだかんだいってもこんな状況を楽しめる性分で良かった。
19:00広島行きのバスが吉田営業所を出発する。乗客は私と女子高生の2人しかいなかった。
これもなんか映画的であるが、市役所前で人が10人くらい乗り一気にいつものバスに戻ってしまった。
朝、うっすら積もっていた雪はすっかり溶け、最初から何もなかったかのようだ。
タグ :バス
2008年01月10日
鳩間みやげ~アイラブ鳩間島~
1月5日。正月休みの最後、恒例の「長男邸」へ。
今回も、次男、F、私の妻をはじめとして、怪しいメンバー勢揃いである。
12月の鳩間島で照英に出会った次男から「まるだい」で買った鳩間島Tシャツを土産に頂いた(写真参照)。そういえばこの柄は9月の鳩間行きの時、色違いのものを妻が買ってたので、図らずもペアルックとなってしまったではないか。これを着てNAHAマラソンでも走ろうか。
Fの結婚式のDVDが流され、結婚を祝した「次男トークライブ」の模様が一部始終白日のもとにさらけだされることとなった。特に「二つの首」の話の時、次男は柄にもなく恥ずかしがっていた。(これについては、いつかDVDを入手し、臨場感あふれるよう文字化してこのブログで公開したいと思ってるので乞うご期待。)
夜も深まり酔ったのか眠くなった。
いつもの私愛用の米軍払い下げのキャンプ用ベットに行こうと思ったが、そこにはすでに私の妻が寝ておりまったく起きやしない。そうはいいながらそこに二人寝れるような周囲の状況ではなく、私は禁断の女子部屋(二人用)で寝ることとした。
しばし爆睡後、目を覚ますと、隣の布団ではFとその新妻あっちゃんがひとつの布団で寝てた。たいへんびっくりした。ちょっかいでも出そうかと思ったが、なんか起きそうな雰囲気であり、そのまま寝たふりをして、再び眠りについてしまった。
2008年01月04日
思い立って備後落合駅まで
1月4日(金)
雪をみようと庄原の更に奥へ車を走らせた・・・

秘境駅と呼ばれる備後落合駅へまずは車で。
西城の町を越えたあたりから、山深くそして急峻になってきて路面も白い面積が多くなってきた。
備後落合駅
大学のときの合宿できて以来この駅に来る。
鉄道のジャンクション駅として、昔は芸備線の急行の発着もしていた駅だが、今は日に数回の列車が新見、三次、宍道の3方向からやってくる無人駅。広い構内が昔の栄華を偲ばれる。駅の周りには簡易郵便局があるだけで何もないが、国道から駅への道はきちんと除雪されていて、丁寧に手入れされていることを実感する。
庄原に車を置き、高速バスで東城駅へいき、そのまま1日3本しかない芸備線で朝来た備後落合駅へ1時間かけて引き返す。
客が1人しかいなかったらどうしようと心配したが、冬休みの18きっぷの期間で20人くらい乗っていた。意外にも盛況だ。
列車は時折15km/h、25km/hのスピードで徐行する。
線路の保守点検が十分に行われておらず、見通しの悪い箇所は安全の保証ができない、だからなにかあったらいつでも停まれるようにということらしい。
こんなところがローカル線の実態だし、まぁ急ぐ人はいない。
東城(新見)から乗って来た列車とこれから三次へいく列車
木次線からの列車がやってきた。
3方向から合流するこの時間帯がこの駅の一番賑わう時間帯だろう。
こんどは木次線にも行こう。
雪をみようと庄原の更に奥へ車を走らせた・・・
秘境駅と呼ばれる備後落合駅へまずは車で。
西城の町を越えたあたりから、山深くそして急峻になってきて路面も白い面積が多くなってきた。
大学のときの合宿できて以来この駅に来る。
鉄道のジャンクション駅として、昔は芸備線の急行の発着もしていた駅だが、今は日に数回の列車が新見、三次、宍道の3方向からやってくる無人駅。広い構内が昔の栄華を偲ばれる。駅の周りには簡易郵便局があるだけで何もないが、国道から駅への道はきちんと除雪されていて、丁寧に手入れされていることを実感する。
庄原に車を置き、高速バスで東城駅へいき、そのまま1日3本しかない芸備線で朝来た備後落合駅へ1時間かけて引き返す。
客が1人しかいなかったらどうしようと心配したが、冬休みの18きっぷの期間で20人くらい乗っていた。意外にも盛況だ。
列車は時折15km/h、25km/hのスピードで徐行する。
線路の保守点検が十分に行われておらず、見通しの悪い箇所は安全の保証ができない、だからなにかあったらいつでも停まれるようにということらしい。
こんなところがローカル線の実態だし、まぁ急ぐ人はいない。
3方向から合流するこの時間帯がこの駅の一番賑わう時間帯だろう。
こんどは木次線にも行こう。
2008年01月02日
2008年
新年になりました。さて沖縄行き。一昨年は沖縄に年5回だったものの、昨年は年4回と落ち着いてきた感もありますが、今年は何回行くのでしょうか?といいながら、さっそく2月に行くのは決定しています。
2008年。
NAHAマラソンにもトレーニング次第でエントリーもしたい。
久しぶりにタイかネパールかフィンランドにも行きたい。
その合間に子作りにも励みたい。
鯉の日本一にも貢献をしたい。
「やりたいことをやりたいときに」
2008年も人間として人間らしく生きていくことを追い求めていきたい。
本年も細々と更新しますのでよろしくお願いします。



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