2005年11月30日
2005、粟国、何かお探しですか?
いよいよ「ナビィの恋」の島、粟国島へ・・・
メンバーは長男と埜村君と私の男3人のワイルドな構成。
島のどこかにおじぃと住んでるはずの奈々子を探し、誰がフクノスケ君の座に座るかを競う。そして敗れた2人は浜でケンジにぃにぃと慰めあう予定である。
行程としては以下のとおり
9月16日 広島→那覇 那覇泊
9月17日 那覇とまりん10時発→12時粟国着
9月18日 粟国14時発 那覇泊
9月19日 帰国
【出発前】
粟国で泊まる宿を探す その1
粟国で泊まる宿を探す その2
出発10日前、都合よく台風ナービーがやってくる
【帰国報告】
【9月16日那覇にて】
旅の始まりはいつもA&Wから
首里そば
波の上と対馬丸記念館とステーキハウス・ジョージ
【9月17日粟国島へ】
とまりんの様子とフェリー粟国
粟国到着、そして少年登場
みなと食堂(沖縄病度チェック)
展望台へ自転車で行く
恵達を探しに(ナビィの恋ロケ地を探す探す)
粟国漁港に続く道の上から
粟国の塩工場へ行こう
すべり台の下から見える粟国島
【9月18日再び那覇へ】
みやげを購入 粟国の塩Tシャツ あぐにようかん
粟国をあとにする(粟国の写真)
そして再び那覇へ(那覇での定宿新金一の様子)
うちなー茶屋「ぶくぶく」
栄町商店街玉の屋そば(そば定食とポーク卵定食の違いは?)
メンバーは長男と埜村君と私の男3人のワイルドな構成。
島のどこかにおじぃと住んでるはずの奈々子を探し、誰がフクノスケ君の座に座るかを競う。そして敗れた2人は浜でケンジにぃにぃと慰めあう予定である。
行程としては以下のとおり
9月16日 広島→那覇 那覇泊
9月17日 那覇とまりん10時発→12時粟国着
9月18日 粟国14時発 那覇泊
9月19日 帰国
【出発前】
粟国で泊まる宿を探す その1
粟国で泊まる宿を探す その2
出発10日前、都合よく台風ナービーがやってくる
【帰国報告】
【9月16日那覇にて】
旅の始まりはいつもA&Wから
首里そば
波の上と対馬丸記念館とステーキハウス・ジョージ
【9月17日粟国島へ】
とまりんの様子とフェリー粟国
粟国到着、そして少年登場
みなと食堂(沖縄病度チェック)
展望台へ自転車で行く
恵達を探しに(ナビィの恋ロケ地を探す探す)
粟国漁港に続く道の上から
粟国の塩工場へ行こう
すべり台の下から見える粟国島
【9月18日再び那覇へ】
みやげを購入 粟国の塩Tシャツ あぐにようかん
粟国をあとにする(粟国の写真)
そして再び那覇へ(那覇での定宿新金一の様子)
うちなー茶屋「ぶくぶく」
栄町商店街玉の屋そば(そば定食とポーク卵定食の違いは?)
2005年11月29日
粟国の宿
9月の粟国行きの日程が決定した。ちょうど2ヵ月後の9月16~19である。
メンバーは長男と埜村君と私の男3人のワイルドなメンバー構成。島のどこかにおじぃと住んでるはずの奈々子を探し、誰がフクノスケ君の座に座るかを競う。そして敗れた2人は浜でケンジにぃにぃと慰めあう予定である。
行程としては以下のとおり
16日 広島→那覇 那覇泊
17日 那覇とまりん10時発→12時粟国着
18日 粟国14時発 那覇泊
19日 帰国
只今の懸念は粟国の宿をどこにしようかというところであり、某「安宿沖縄」の本には以下の民宿が紹介されてある。
民宿伊佐 2食4,500円(島に2件ある売店の近く)
民宿波止場 3食5,000円(島に2件ある売店の近く)
民宿寿 2食5,000円(民宿外観の写真が掲載しておらず・・・謎だ)
民宿風月 2食5,000円(レンタサイクルがタダ)
民宿宝玉 3食5,000円( 〃 )
民宿あぐに 3食5,000円( 〃 )
民宿山伊 1食4,000円
このように、粟国には7件の民宿があるが(しかないが)どこも同じ感じで決め手に欠けため、いろいろとサイトの旅行記見ながらじっくりと決めようと思う。
メンバーは長男と埜村君と私の男3人のワイルドなメンバー構成。島のどこかにおじぃと住んでるはずの奈々子を探し、誰がフクノスケ君の座に座るかを競う。そして敗れた2人は浜でケンジにぃにぃと慰めあう予定である。
行程としては以下のとおり
16日 広島→那覇 那覇泊
17日 那覇とまりん10時発→12時粟国着
18日 粟国14時発 那覇泊
19日 帰国
只今の懸念は粟国の宿をどこにしようかというところであり、某「安宿沖縄」の本には以下の民宿が紹介されてある。
民宿伊佐 2食4,500円(島に2件ある売店の近く)
民宿波止場 3食5,000円(島に2件ある売店の近く)
民宿寿 2食5,000円(民宿外観の写真が掲載しておらず・・・謎だ)
民宿風月 2食5,000円(レンタサイクルがタダ)
民宿宝玉 3食5,000円( 〃 )
民宿あぐに 3食5,000円( 〃 )
民宿山伊 1食4,000円
このように、粟国には7件の民宿があるが(しかないが)どこも同じ感じで決め手に欠けため、いろいろとサイトの旅行記見ながらじっくりと決めようと思う。
2005年11月28日
粟国の宿2
そんなわけで粟国の7つの民宿を「スタンダード」「老舗」「怪しい」「ディープ」「おばぁが一人でやっている」「こぎれいそう」などのカテゴリーに分け、様々な検討会議を重ねた上、一件の宿を決定した。
こうなると動きは早く、予約の電話を入れる。昼の2時過ぎのことだった。
しかし電話の呼び出し音がならないぞ?
その後電話口では、
「・・・・電波が届かないか、電源が入っていないためかかりません。」
え?
電波が届かないかって何だ?掛けた電話は携帯じゃないぞ。ちゃんと098で始まってるし・・・、これはもしや粟国島自体に電波が届いたり届かなかったりするのか?
なんて、穿ってみたものの、そんなことはないだろう。これは単に「電源が入ってない」だけだろう。でもここまでするとは、恐るべし沖縄のシエスタ。
そんなわけで夕方かけてみると今度は繋がった。
おばちゃんが出る。電話口の向こうでは子供が騒いでる声がする。
「9月17日、3人一部屋で・・」
とつつがなく予約のやりとりを行ってると電話口のおばちゃんは「あ、ちょっと待ってくださいね」と一旦遮って、電話口の向こうでやりとりが繰り広げられる。
「うるさい! 電話の音、全然聞こえないから」
その瞬間、あれだけ騒いでいた子供の声が一瞬途切れた。
そして私はといえばおばちゃんの「全然聞こえないから」が微妙に沖縄訛りになったところを見逃すことはなく、やっぱり沖縄いいなぁと改めて思ってしまった次第である。騒ぐ子供とどっちもどっちのレベルであろう。
おばちゃんは再びこっちに戻ってきて予約モードに戻る。
しかし電話の向こうの子供達の騒ぐ声は10秒もしないうちにもとに戻っていた。
やりとりの途中、双方とも電話の声が次第次第に大きくなる。私も知らない間に立ち上がってしゃべっていた。
正確に予約がとれてるか若干気にならないでもない。
が、まぁ、なんとかなってるだろう。
こうなると動きは早く、予約の電話を入れる。昼の2時過ぎのことだった。
しかし電話の呼び出し音がならないぞ?
その後電話口では、
「・・・・電波が届かないか、電源が入っていないためかかりません。」
え?
電波が届かないかって何だ?掛けた電話は携帯じゃないぞ。ちゃんと098で始まってるし・・・、これはもしや粟国島自体に電波が届いたり届かなかったりするのか?
なんて、穿ってみたものの、そんなことはないだろう。これは単に「電源が入ってない」だけだろう。でもここまでするとは、恐るべし沖縄のシエスタ。
そんなわけで夕方かけてみると今度は繋がった。
おばちゃんが出る。電話口の向こうでは子供が騒いでる声がする。
「9月17日、3人一部屋で・・」
とつつがなく予約のやりとりを行ってると電話口のおばちゃんは「あ、ちょっと待ってくださいね」と一旦遮って、電話口の向こうでやりとりが繰り広げられる。
「うるさい! 電話の音、全然聞こえないから」
その瞬間、あれだけ騒いでいた子供の声が一瞬途切れた。
そして私はといえばおばちゃんの「全然聞こえないから」が微妙に沖縄訛りになったところを見逃すことはなく、やっぱり沖縄いいなぁと改めて思ってしまった次第である。騒ぐ子供とどっちもどっちのレベルであろう。
おばちゃんは再びこっちに戻ってきて予約モードに戻る。
しかし電話の向こうの子供達の騒ぐ声は10秒もしないうちにもとに戻っていた。
やりとりの途中、双方とも電話の声が次第次第に大きくなる。私も知らない間に立ち上がってしゃべっていた。
正確に予約がとれてるか若干気にならないでもない。
が、まぁ、なんとかなってるだろう。
2005年11月27日
ナービー
2005年9月4日13時30分発表
大型で非常に強い台風14号は4日12時には南大東島の東南東約90Kmにあって北北西へ毎時20kmで進んでいます。中心気圧は940hPa、中心付近の最大風速は45m/sです。(気象庁より)
いよいよ再来週16日から沖縄、粟国島へ行く。
19日あたりに台風15号が沖縄本島で大暴れしてくれないだろうか?
さて、その台風14号、名前をナービーという。
そんなナービーがヤマトに上陸するような状況で、我々は長男邸にて「ナビィの恋」を観た。
何度観てもいい映画であるが、今回は、この映画の舞台である粟国島行きを前にして、ロケ地巡りに精を出す予定であり、その事前チェックを行った。
代表的なものでもこれだけある。
・最初の港
・最初のオレンジのドアとナンバーのない軽トラがサンラーとフクノスケを抜いていく道
・当然、ナビィの家
・大濱商店周辺
・おじぃ達が弁当を食べる牧場
・ケンジが昼寝をしている海岸(昼寝海岸、ウーグ浜ともいう)
・奈々子とフクノスケがタコを焼く海岸(タコ海岸、大浜ともいう)
・牛祭りの会場(学校だろうか?)
いろいろあるもののその他、
・本家の家へ行く道
・自転車でフクノスケとぶつかる三叉路
・墓へ行く道(しかし目印となるべき山羊は映画のクランクアップ時に山羊汁になったと聞くが・・・)
・あぐに牛祭りからの帰り道
等など・・・
以上のポイントをピックアップした。
さて、本当に見つかるのだろうか。
大型で非常に強い台風14号は4日12時には南大東島の東南東約90Kmにあって北北西へ毎時20kmで進んでいます。中心気圧は940hPa、中心付近の最大風速は45m/sです。(気象庁より)
いよいよ再来週16日から沖縄、粟国島へ行く。
19日あたりに台風15号が沖縄本島で大暴れしてくれないだろうか?
さて、その台風14号、名前をナービーという。
そんなナービーがヤマトに上陸するような状況で、我々は長男邸にて「ナビィの恋」を観た。
何度観てもいい映画であるが、今回は、この映画の舞台である粟国島行きを前にして、ロケ地巡りに精を出す予定であり、その事前チェックを行った。
代表的なものでもこれだけある。
・最初の港
・最初のオレンジのドアとナンバーのない軽トラがサンラーとフクノスケを抜いていく道
・当然、ナビィの家
・大濱商店周辺
・おじぃ達が弁当を食べる牧場
・ケンジが昼寝をしている海岸(昼寝海岸、ウーグ浜ともいう)
・奈々子とフクノスケがタコを焼く海岸(タコ海岸、大浜ともいう)
・牛祭りの会場(学校だろうか?)
いろいろあるもののその他、
・本家の家へ行く道
・自転車でフクノスケとぶつかる三叉路
・墓へ行く道(しかし目印となるべき山羊は映画のクランクアップ時に山羊汁になったと聞くが・・・)
・あぐに牛祭りからの帰り道
等など・・・
以上のポイントをピックアップした。
さて、本当に見つかるのだろうか。
2005年11月26日
いよいよ
明日出発!
まずは、飛行機に乗り遅れないようにしなくては・・・
いうか、私が3人分のチケットを持ってるわけだし、明日はきっちり5時起き!
行程は
16日:広島→那覇(飛行機)
17日:那覇→粟国(フェリー)
18日:粟国→那覇(フェリー)
19日:那覇→広島(飛行機)
しか、決まっておりません(あと3泊の宿しか)
ちなみにメンバーは
「沖縄に行く正式のスタイルはいつもこれだ」と敗残兵の格好をした長男
三線を背中に担いで作務衣姿で街を歩く次男
それと「波照間島」と背中に書いた赤いTシャツが目印の私という怪しすぎる3人。
そんな怪しすぎる3人が、どこに行くかは流動的。
そば屋巡りと那覇の裏通り探索ツアーはやると思う。
夜は、那覇の夜を知り尽くした長男・次男がいろいろとコーディネートしてくれる予定。
どうなることやら・・・
顛末は帰ってきてからのお楽しみとしましょう。
まずは、飛行機に乗り遅れないようにしなくては・・・
いうか、私が3人分のチケットを持ってるわけだし、明日はきっちり5時起き!
行程は
16日:広島→那覇(飛行機)
17日:那覇→粟国(フェリー)
18日:粟国→那覇(フェリー)
19日:那覇→広島(飛行機)
しか、決まっておりません(あと3泊の宿しか)
ちなみにメンバーは
「沖縄に行く正式のスタイルはいつもこれだ」と敗残兵の格好をした長男
三線を背中に担いで作務衣姿で街を歩く次男
それと「波照間島」と背中に書いた赤いTシャツが目印の私という怪しすぎる3人。
そんな怪しすぎる3人が、どこに行くかは流動的。
そば屋巡りと那覇の裏通り探索ツアーはやると思う。
夜は、那覇の夜を知り尽くした長男・次男がいろいろとコーディネートしてくれる予定。
どうなることやら・・・
顛末は帰ってきてからのお楽しみとしましょう。
2005年11月25日
帰国報告
無事、広島に帰ってきました。
旅行記はおいおいアップしていきます。
これで粟国島にもちょっとうるさくなりました。
「あぐにじま!」
わかる人にはわかるマニアックなネタを使ったところで、今日のところは終わることとします。
2005年11月24日
まずはこれからの旅の無事を祈りA&Wにて・・・
いうか、何だ何だ?この行列は???

しかも見るとみんなルートビア頼んでるし、
一体何が原因なのか?
やっぱりこの記事がいけなかったのか?
そんなわけで我々の沖縄への旅の無事を祈る儀式でもある「ルートビアで乾杯」ができずに前途に大きな不安を残したままゆいレールで首里までいったのでありました。
この結果が吉とでるか凶とでるか
そういえばANA SKY PLUSでも楽天や牛角なんかと並んでANAと提携してるし、しかもあの楽天と肩を並べるなんて(これは単なる思い上がりか?)、ほんとにほんとにプロ野球球団買収するかもしれない。
沖縄A&Wカープの誕生も近い。
そして祝!比嘉プロ入り第1号。

しかも見るとみんなルートビア頼んでるし、
一体何が原因なのか?
やっぱりこの記事がいけなかったのか?
そんなわけで我々の沖縄への旅の無事を祈る儀式でもある「ルートビアで乾杯」ができずに前途に大きな不安を残したままゆいレールで首里までいったのでありました。
この結果が吉とでるか凶とでるか
そういえばANA SKY PLUSでも楽天や牛角なんかと並んでANAと提携してるし、しかもあの楽天と肩を並べるなんて(これは単なる思い上がりか?)、ほんとにほんとにプロ野球球団買収するかもしれない。
沖縄A&Wカープの誕生も近い。
そして祝!比嘉プロ入り第1号。
2005年11月23日
首里そば
9月16日、昼
今は無き沖縄そば伝説の店「さくら屋」の打ち方と味を伝承する店という。
そんな1日70食限定の沖縄そばは、開店して2時間ほどで完売するという。

12時前には店に到着したが、いきなり長蛇の列。
20分ほど待ってそばにありつく。

外観は沖縄そば独特の縮れがなく八重山そばのよう。
紅生姜でなく生の生姜を細かく刻んで乗っけている。
そして食べると硬めの麺はすごいコシがある。
今まで食べた沖縄そばの中では一番コシがある。
美味。
そばは大、中、小がそれぞれ600円、500円、400円。
じゅーしぃ200円、ぜんざいもある。
首里そば
儀母交差点からだるま寺の案内板が出ているところを入っていくとすぐ。

儀母交差点からゆいレール首里駅を見る。
9月の那覇はまだ夏の日差し。

今は無き沖縄そば伝説の店「さくら屋」の打ち方と味を伝承する店という。
そんな1日70食限定の沖縄そばは、開店して2時間ほどで完売するという。
12時前には店に到着したが、いきなり長蛇の列。
20分ほど待ってそばにありつく。
外観は沖縄そば独特の縮れがなく八重山そばのよう。
紅生姜でなく生の生姜を細かく刻んで乗っけている。
そして食べると硬めの麺はすごいコシがある。
今まで食べた沖縄そばの中では一番コシがある。
美味。
そばは大、中、小がそれぞれ600円、500円、400円。
じゅーしぃ200円、ぜんざいもある。
首里そば
儀母交差点からだるま寺の案内板が出ているところを入っていくとすぐ。
儀母交差点からゆいレール首里駅を見る。
9月の那覇はまだ夏の日差し。
2005年11月22日
波の上と対馬丸と辻のステーキハウス
さて、波の上でしばし堪能(具体的な記載は控えたい)した我々が次に行ったのは「対馬丸記念館」へ。
300円払って館内へ。
対馬丸についてはこちらのHPをご覧ください。
こんなことがあったってことだけでも知ることができることが大事です。
その後、再度、埜村君の強い提案により波の上でしばし堪能したらいつのまにか時間はたって夕方。
必然的に腹も減る。
17時半とまだ早い時間だが、辻まで歩いた。
ジョージというステーキハウスに行くからだ。
そこにいくのには理由がある。よくいく広島の沖縄料理店「うちなー」の店長がそこがうまいから行ってこいと言っていた。「沖縄に帰ったらそこでいつもタコス食べる」とも言ってるらしい。
これは行かなくては・・・
1954年コザ(現在の沖縄市) で開業し、1956年、那覇市辻に於けるAサインレストラン一号店として、現在の場所に移転したという。
さて、ここで、沖縄ミニ講座「Aサインとは」
アメリカ統治下の沖縄において1953年から「米軍人に対する飲食提供に関する衛生規定」が規定され、それに伴ってこの店はアメリカ兵が利用しても良いという許可証のことである。
規定によれば、店はコンクリートづくりで、トイレはタイル貼り、ペーパータオル又は衛生的なタオルが備え付けられ、前面道路は舗装されていなければならない、週一回、保健所で検査を受けなければならないなど、相当に厳しい物だったようだ。

(写真はステーキにありつけると満面の笑みの長男と次男)
17時半は日の長い沖縄ではまだ夕方ともいえない時間だ。まったく客はいない。
まず我々はタコスとピザを注文。
客は全くこないが、しばししたら、女子高生が一人制服のままやってきた。
なんだなんだと思ってたら
「あ、面接の方?」
「はい」
「ちょっと待っててね」
そんなやりとりをしていた。
女子高生は窓際の席で待っている。面接前の若干の緊張感が伝わってきながらも我々はだらしなくオリオン生を飲んでいる。
タコスは絶品だった。さすがうちなーの店長をうならすだけある。
次を注文。
メインのテンダーロイン(1,500円)へいく。
値段は1,500円だがここ沖縄では最高級クラスの品である。
ここジョージでは普通に「テンダーロインステーキ」という名前だが、同じ辻にある他のステーキハウスでは最上級であるということがわかるようにメニューに「じょうとうステーキ」とかかれている。「じょうとう」は「上等」という意味だ。そしてふらりとやってきたアメリカ兵にもわかるように隣にローマ字で「jyo-to steak」と書かれてある。
アメリカ兵に「jyo-to」の意味がわかったのだろうか。
その他、メニューをいろいろ見ていると「Aランチ(850円)」とか「Cランチ(400円)」というのあったどんなものかが気になったが初志貫徹に心がけた。更に言えば、面接に来た女子高生もしばらく放置プレイのままだというのも気にかかってしょうがなく、ついつい「あちらの女子高生で・・・」なんて言いそうになったがやっぱり初志貫徹に心がけた。
テンダーロインを頼み、テンダーロインがやってきた頃くらいに、ようやくこの店の店長らしき男が現れ、面接にとりかかる。
さて、どっか奥の部屋に連れ込むのかと思ったが、なんと客が食べてるとなりで面接しだした。
・・・おいおい店長。いいのかそんなことやって・・・
そんなわけで我々は当然聞き耳たてますですな。
何を話してるんだろう。
「・・・うちはね、見てのとおりあまり忙しくないからね。」
たしかに客はだらしなくオリオンを飲んでる男3人しかいない。そして話は進み
「・・・へー、***ちゃんの彼氏の友達なんだ。」
・・・面接というよりナンパみたいだった。
途中で話が変わってきたような気がしないでもないが、うちなーの店長もおすすめ「ジョージ」はこちらを見よう。
対馬丸についてはこちらのHPをご覧ください。
こんなことがあったってことだけでも知ることができることが大事です。
その後、再度、埜村君の強い提案により波の上でしばし堪能したらいつのまにか時間はたって夕方。
必然的に腹も減る。
17時半とまだ早い時間だが、辻まで歩いた。
ジョージというステーキハウスに行くからだ。
そこにいくのには理由がある。よくいく広島の沖縄料理店「うちなー」の店長がそこがうまいから行ってこいと言っていた。「沖縄に帰ったらそこでいつもタコス食べる」とも言ってるらしい。
これは行かなくては・・・
1954年コザ(現在の沖縄市) で開業し、1956年、那覇市辻に於けるAサインレストラン一号店として、現在の場所に移転したという。
さて、ここで、沖縄ミニ講座「Aサインとは」
アメリカ統治下の沖縄において1953年から「米軍人に対する飲食提供に関する衛生規定」が規定され、それに伴ってこの店はアメリカ兵が利用しても良いという許可証のことである。
規定によれば、店はコンクリートづくりで、トイレはタイル貼り、ペーパータオル又は衛生的なタオルが備え付けられ、前面道路は舗装されていなければならない、週一回、保健所で検査を受けなければならないなど、相当に厳しい物だったようだ。
(写真はステーキにありつけると満面の笑みの長男と次男)
17時半は日の長い沖縄ではまだ夕方ともいえない時間だ。まったく客はいない。
まず我々はタコスとピザを注文。
客は全くこないが、しばししたら、女子高生が一人制服のままやってきた。
なんだなんだと思ってたら
「あ、面接の方?」
「はい」
「ちょっと待っててね」
そんなやりとりをしていた。
女子高生は窓際の席で待っている。面接前の若干の緊張感が伝わってきながらも我々はだらしなくオリオン生を飲んでいる。
タコスは絶品だった。さすがうちなーの店長をうならすだけある。
次を注文。
メインのテンダーロイン(1,500円)へいく。
値段は1,500円だがここ沖縄では最高級クラスの品である。
ここジョージでは普通に「テンダーロインステーキ」という名前だが、同じ辻にある他のステーキハウスでは最上級であるということがわかるようにメニューに「じょうとうステーキ」とかかれている。「じょうとう」は「上等」という意味だ。そしてふらりとやってきたアメリカ兵にもわかるように隣にローマ字で「jyo-to steak」と書かれてある。
アメリカ兵に「jyo-to」の意味がわかったのだろうか。
その他、メニューをいろいろ見ていると「Aランチ(850円)」とか「Cランチ(400円)」というのあったどんなものかが気になったが初志貫徹に心がけた。更に言えば、面接に来た女子高生もしばらく放置プレイのままだというのも気にかかってしょうがなく、ついつい「あちらの女子高生で・・・」なんて言いそうになったがやっぱり初志貫徹に心がけた。
テンダーロインを頼み、テンダーロインがやってきた頃くらいに、ようやくこの店の店長らしき男が現れ、面接にとりかかる。
さて、どっか奥の部屋に連れ込むのかと思ったが、なんと客が食べてるとなりで面接しだした。
・・・おいおい店長。いいのかそんなことやって・・・
そんなわけで我々は当然聞き耳たてますですな。
何を話してるんだろう。
「・・・うちはね、見てのとおりあまり忙しくないからね。」
たしかに客はだらしなくオリオンを飲んでる男3人しかいない。そして話は進み
「・・・へー、***ちゃんの彼氏の友達なんだ。」
・・・面接というよりナンパみたいだった。
途中で話が変わってきたような気がしないでもないが、うちなーの店長もおすすめ「ジョージ」はこちらを見よう。
2005年11月21日
フェリーあぐに
9月17日(土)朝9:30
とまりん(泊港)にて。
泊港は、渡嘉敷、慶良間、久米島・・・と本島近辺の島へ行くフェリーが発着している。
そして、連休の最中、どこへ行くにも観光客が長い列をなしている。
そんな中、粟国行きのところだけ人が・・・

左の列はフェリーけらまに並ぶ行列。客層は観光客がほとんど。
そして右のがフェリーあぐにを待つ客。客層は地元の人に交じって観光客もちらほらという構図。
並んでいる人達をしり目に、いともたやすく粟国行きのチケットは買えた。
AM9:55、出航。
となりの慶良間行きの「フェリーけらま」はデッキまで人が溢れている。

そして、かたや、「フェリーあぐに」はといえば・・・

なぜ、こんなに少ないんだろう。
恵達も「ここは牛しかいないよ」って言ってるし、
まぁそんなところがいいところなんだけど。
出航して15分もしたら、何もないけどきれいな海と空となった。


とまりん(泊港)にて。
泊港は、渡嘉敷、慶良間、久米島・・・と本島近辺の島へ行くフェリーが発着している。
そして、連休の最中、どこへ行くにも観光客が長い列をなしている。
そんな中、粟国行きのところだけ人が・・・
左の列はフェリーけらまに並ぶ行列。客層は観光客がほとんど。
そして右のがフェリーあぐにを待つ客。客層は地元の人に交じって観光客もちらほらという構図。
並んでいる人達をしり目に、いともたやすく粟国行きのチケットは買えた。
AM9:55、出航。
となりの慶良間行きの「フェリーけらま」はデッキまで人が溢れている。
そして、かたや、「フェリーあぐに」はといえば・・・
なぜ、こんなに少ないんだろう。
恵達も「ここは牛しかいないよ」って言ってるし、
まぁそんなところがいいところなんだけど。
出航して15分もしたら、何もないけどきれいな海と空となった。
2005年11月20日
粟国到着、そして少年登場
9月17日12:00粟国着

粟国で最初にやること。
まずは昼食を食べないといけない。
さっそく民宿へ着き、自転車を借りる。
この島にある食堂といえば、港にある「みなと食堂」と民宿粟国に併設された「あぐに食堂」くらいしか思い浮かばない。
そんなわけであぐに食堂に行くことにした。

自転車で坂を上りあぐに食堂へ着く。
しかし敬老会かなにかで貸し切りのようで入れなかった。
でも、入れないからと行って「はい、さよなら」ではないのがやはり島の人情である。
食堂のおばちゃんに別の店、「丸三中華飯店」という店を勧められる。
「一緒の系列の店だからね。うちが休みのときは、あそこは開いてるよ」
こんな小さな島で一緒の系列も何もないよなぁ、だいたい私には全部同じに見えるよなんて思いながら、中華もどうなんかなぁとかなんとか思いながら更にチャリを走らせ行く。
(後々、いろいろと島ゆえのいろんな事情も見えてきたが、そのことは後日にまとめて話すこととしたい)
丸三中華飯店へ行ってみる。「幼小中学校」の向こうにその店はあった。
そう、粟国島に学校はここしかない。幼稚園から中学校卒業までここで過ごし、高校になったら本島の高校へ行かないといけない。
(後々、いろいろと島の中学生をとりまく島ゆえの事情も見えてきたが、そのことも後日にまとめて話すこととしたい)
丸三中華飯店到着!そして扉には
「本日休業」
・・・愕然とした。一緒の系列いうたやんか!!
といってもこれが島の姿なんだと仕方ないものと思い、そうはいいながらもじゃあ、そして港の「みなと食堂」しかないかなぁ
・・と途方に暮れてたところに小学校高学年くらいの少年が自転車に乗って登場。
しかも、
「何かお探しですか?」
なんか映画のような登場の仕方、しかも君セリフ棒読みだぞみたいな、もしかして君は学級委員長かい?みたいな登場の仕方をされる。また呆気に撮られながらも相手が小学生ということでこちらも大人の対応をした。
「食堂知らない?」
なんだか変だが面白そうな展開であり、そして、わらにもすがる思いの我々は少年に助けを求める。
「丸三はあいてなかったですか?」
相変わらず学級委員長みたいな返答をする。しっかりしてるのかマヌケなのか。
「丸三は休みだった。あぐに食堂も敬老会でいっぱいだった。」
「そうですか・・・、ん~・・・食堂、食堂・・・」
少年は悩みだす。なかなか親切な少年である。みんなもいっしょに「ん~」と悩みながら自転車で坂を下ってく。島の純粋な少年との美しき交流の瞬間であった。
そして事態は更に急転する。
前から少年の同級生っぽい女の子がやってくる。
「おーい、***」
そして少年はその子と話し出す。
そのうち食堂の話でもするんじゃないかと、少なからずも期待した。
そんな相変わらずわらにもすがる思いの我々に対し、少年の心はすでに先をいっていた。
もう我々のことなど最初からいなかったかのように二人で話をしだし、そして二人でピューっと自転車で消えていった・・・
・・・そしてあっけにとられ取り残される男3人。映画のワンシーンのような去り方だった。
・・・さて、みなと食堂にでも行くか・・・

粟国で最初にやること。
まずは昼食を食べないといけない。
さっそく民宿へ着き、自転車を借りる。
この島にある食堂といえば、港にある「みなと食堂」と民宿粟国に併設された「あぐに食堂」くらいしか思い浮かばない。
そんなわけであぐに食堂に行くことにした。
自転車で坂を上りあぐに食堂へ着く。
しかし敬老会かなにかで貸し切りのようで入れなかった。
でも、入れないからと行って「はい、さよなら」ではないのがやはり島の人情である。
食堂のおばちゃんに別の店、「丸三中華飯店」という店を勧められる。
「一緒の系列の店だからね。うちが休みのときは、あそこは開いてるよ」
こんな小さな島で一緒の系列も何もないよなぁ、だいたい私には全部同じに見えるよなんて思いながら、中華もどうなんかなぁとかなんとか思いながら更にチャリを走らせ行く。
(後々、いろいろと島ゆえのいろんな事情も見えてきたが、そのことは後日にまとめて話すこととしたい)
丸三中華飯店へ行ってみる。「幼小中学校」の向こうにその店はあった。
そう、粟国島に学校はここしかない。幼稚園から中学校卒業までここで過ごし、高校になったら本島の高校へ行かないといけない。
(後々、いろいろと島の中学生をとりまく島ゆえの事情も見えてきたが、そのことも後日にまとめて話すこととしたい)
丸三中華飯店到着!そして扉には
「本日休業」
・・・愕然とした。一緒の系列いうたやんか!!
といってもこれが島の姿なんだと仕方ないものと思い、そうはいいながらもじゃあ、そして港の「みなと食堂」しかないかなぁ
・・と途方に暮れてたところに小学校高学年くらいの少年が自転車に乗って登場。
しかも、
「何かお探しですか?」
なんか映画のような登場の仕方、しかも君セリフ棒読みだぞみたいな、もしかして君は学級委員長かい?みたいな登場の仕方をされる。また呆気に撮られながらも相手が小学生ということでこちらも大人の対応をした。
「食堂知らない?」
なんだか変だが面白そうな展開であり、そして、わらにもすがる思いの我々は少年に助けを求める。
「丸三はあいてなかったですか?」
相変わらず学級委員長みたいな返答をする。しっかりしてるのかマヌケなのか。
「丸三は休みだった。あぐに食堂も敬老会でいっぱいだった。」
「そうですか・・・、ん~・・・食堂、食堂・・・」
少年は悩みだす。なかなか親切な少年である。みんなもいっしょに「ん~」と悩みながら自転車で坂を下ってく。島の純粋な少年との美しき交流の瞬間であった。
そして事態は更に急転する。
前から少年の同級生っぽい女の子がやってくる。
「おーい、***」
そして少年はその子と話し出す。
そのうち食堂の話でもするんじゃないかと、少なからずも期待した。
そんな相変わらずわらにもすがる思いの我々に対し、少年の心はすでに先をいっていた。
もう我々のことなど最初からいなかったかのように二人で話をしだし、そして二人でピューっと自転車で消えていった・・・
・・・そしてあっけにとられ取り残される男3人。映画のワンシーンのような去り方だった。
・・・さて、みなと食堂にでも行くか・・・
2005年11月19日
ここで沖縄病度チェック!
狐につままれたような状態で我々は港まで自転車を漕いだ。
「みなと食堂」
港にあるからみなと食堂。単純だ。
そしておじぃとおばぁが2人でやっている。典型的な食堂だ。
粟国の玄関口ともいえる港の2階にある食堂だというのに、机、椅子は会議用の机、椅子が使われている。質素だ。
メニューのほうは、そばやソーキそば、豆腐チャンプルといった沖縄メニュー以外にもカレーライスやチャーハンやオムライスなどの一般的なメニューもある。そばしかないかと思っていたが意外なメニューの豊富さに驚いた。そしてここの沖縄の食堂と同様に量が多い。
我々3人はそれぞれ別のものを頼んだ。頼んだものは以下の写真のとおり。

さてここで問題です。
この中に「チャンポン」があります。それは何番でしょう?
1.一番手前の品
2.真ん中にある品
3.奥にある品
答えはここを見よう→
続きを読む
「みなと食堂」
港にあるからみなと食堂。単純だ。
そしておじぃとおばぁが2人でやっている。典型的な食堂だ。
粟国の玄関口ともいえる港の2階にある食堂だというのに、机、椅子は会議用の机、椅子が使われている。質素だ。
メニューのほうは、そばやソーキそば、豆腐チャンプルといった沖縄メニュー以外にもカレーライスやチャーハンやオムライスなどの一般的なメニューもある。そばしかないかと思っていたが意外なメニューの豊富さに驚いた。そしてここの沖縄の食堂と同様に量が多い。
我々3人はそれぞれ別のものを頼んだ。頼んだものは以下の写真のとおり。
さてここで問題です。
この中に「チャンポン」があります。それは何番でしょう?
1.一番手前の品
2.真ん中にある品
3.奥にある品
答えはここを見よう→
続きを読む
2005年11月18日
展望台まで
展望台までの長い長い坂を自転車で上ってく。
炎天下の中、他に観光客はいない。
どこまでこの坂はつづいているんだろう・・・

展望台に着くと、ちょうど那覇行きフェリーが出航する時間。

青と藍がとても美しく、気がつけば同じような写真ばかり撮っていた。
そんな変わらぬ穏やかな青の中、存在感を示す白の姿。

炎天下の中、他に観光客はいない。
どこまでこの坂はつづいているんだろう・・・
展望台に着くと、ちょうど那覇行きフェリーが出航する時間。
青と藍がとても美しく、気がつけば同じような写真ばかり撮っていた。
そんな変わらぬ穏やかな青の中、存在感を示す白の姿。
2005年11月16日
恵達を探しに
さて、粟国島といえば「ナビィの恋」のロケ地でも有名である。
ナビィの恋 ******************************
監督の中江裕司の「沖縄の音楽でミュージカルを作りたい」という思いから生まれた
”うちなーミュージカルコメディ”
沢木耕太郎も本の中で「祝祭の気分に満ちた観客を幸せにしてくれる映画」「あふれる陽光を手のひらで掬って呑んだという不思議な満足感」と評する。
観終わったら幸せな気分になること間違いなし。
ブーケンビリアの赤。
生活の中に溢れる音楽。
十九の春。
三線でのアメリカ国歌。
ユタ。
沖縄の解放されているようで、閉鎖的な一面も垣間見れる。
・・・島がすべて受け入れる完璧な環境じゃなく、そこでも受け入れがたい奇妙な無意味なものがある。ナビィが出て行っても、それは駆け落ちと同じで残された者が島に残った無意味なものを克服できたわけでもない。
それでもナビィを受け入れる恵達の姿。
************************************
そんな恵達を探しに展望台まで行ってみた。
牛はいたが、恵達もフクノスケもいない、みんながランチを食べた掘っ建て小屋もみあたらない。
時間は14時過ぎの昼下がり
ランチはトゥエルヴフォーティーと言ってたから、とうに食べ終えて午後の仕事にかかってるのかもしれない。
どこにいるのだろうか・・・

さて、ナビィの恋を何回も観てる人は、この写真を撮った意図がわかると思う。
「おまえ、なんで歩いてるか」
何をバカなことを・・・と思うかもしれないが、まぁこれが我々の真実の姿だと思ってくれれば・・・
その後見返すとどうも場所は違ってたみたいだ・・・
その他、ナビィとサンラーの逢い引き場所と思われる墓もあった。で、そこではやはり二人の抱擁も再現しなければ・・・と思ったものの、よくよく考えると人の墓の前であり、冷静に考えるとやっぱりよくないことだろうと思いやめた。
牧場にいなければ、家で三線を奏でているのかもしれない。
そう思った我々は集落へ自転車を走らせた。

集落の中を手分けして探し、ようやく大濱商店を見つけた。
目立つ黄色が目印。
映画ではちょっとした広場のようだったが実際には道が交差するところでちょっと拡がってる場所だった。

大濱倶楽部からちょっと集落を入っていったところにナビィの家はあった。
家主が亡くなり今は全くの空き家らしい。
そして、何の看板さえも出してないところがこの島らしい。
すべてを見ていたシーサー
ブーケンビリアの咲いていた庭
ナビィの恋 ******************************
監督の中江裕司の「沖縄の音楽でミュージカルを作りたい」という思いから生まれた
”うちなーミュージカルコメディ”
沢木耕太郎も本の中で「祝祭の気分に満ちた観客を幸せにしてくれる映画」「あふれる陽光を手のひらで掬って呑んだという不思議な満足感」と評する。
観終わったら幸せな気分になること間違いなし。
ブーケンビリアの赤。
生活の中に溢れる音楽。
十九の春。
三線でのアメリカ国歌。
ユタ。
沖縄の解放されているようで、閉鎖的な一面も垣間見れる。
・・・島がすべて受け入れる完璧な環境じゃなく、そこでも受け入れがたい奇妙な無意味なものがある。ナビィが出て行っても、それは駆け落ちと同じで残された者が島に残った無意味なものを克服できたわけでもない。
それでもナビィを受け入れる恵達の姿。
************************************
そんな恵達を探しに展望台まで行ってみた。
牛はいたが、恵達もフクノスケもいない、みんながランチを食べた掘っ建て小屋もみあたらない。
時間は14時過ぎの昼下がり
ランチはトゥエルヴフォーティーと言ってたから、とうに食べ終えて午後の仕事にかかってるのかもしれない。
どこにいるのだろうか・・・
さて、ナビィの恋を何回も観てる人は、この写真を撮った意図がわかると思う。
「おまえ、なんで歩いてるか」
何をバカなことを・・・と思うかもしれないが、まぁこれが我々の真実の姿だと思ってくれれば・・・
その後見返すとどうも場所は違ってたみたいだ・・・
その他、ナビィとサンラーの逢い引き場所と思われる墓もあった。で、そこではやはり二人の抱擁も再現しなければ・・・と思ったものの、よくよく考えると人の墓の前であり、冷静に考えるとやっぱりよくないことだろうと思いやめた。
牧場にいなければ、家で三線を奏でているのかもしれない。
そう思った我々は集落へ自転車を走らせた。
集落の中を手分けして探し、ようやく大濱商店を見つけた。
目立つ黄色が目印。
映画ではちょっとした広場のようだったが実際には道が交差するところでちょっと拡がってる場所だった。
大濱倶楽部からちょっと集落を入っていったところにナビィの家はあった。
家主が亡くなり今は全くの空き家らしい。
そして、何の看板さえも出してないところがこの島らしい。
2005年11月15日
粟国漁港に続く道
新しくできた漁港に続く二車線歩道付きの道。
軽自動車でも狭く思える島の集落から見るとあまりに不釣合いな道。
しかも立派な二車線の道は集落まで続かず途中で途切れてるし、
そして新しい漁港は、古い港と反対の方角にあるためあまり使われていないらしい。
・・・意味がない。
この漁港がたとえ使われなくても、
”島の人たちの雇用促進とそれで島の経済の発展に繋がればそれでいい”
と、それとは別のもっともらしい作る為の理由を考え、
金をかけ自然を壊す。
そんな感じでこの島では、
島一番の大きな建設会社が島の人たちの明日の生活を支えてたりしてるんだろう。
そんな会社に都合のいい政治家が議員になって、
島の人たちも「生活のためには」とそこに票を入れる。
その結果、この会社に(この島の人に)仕事を与えようと役場も動く。
村の財政ではどうにもならないだろうから、県や国に補助金のお願いをしたりする。
税金がこういう風に使われる。
雲の上の偉い人に未来を与えてもらおうと思い、
その偉い人はこれが民主主義の結果だと思っている。
真相は果たしてほんとにこんななのかは、わからない。
だけど、全然使われてない漁港とそこに繋がる二車線の道を見て、こういったことが頭をよぎった。
これはあくまで推測の話である。
そして、ここも日本に変わりはないのか。と思った。
戻る 粟国の塩工場へ
2005年11月14日
粟国島お土産編 その1
港の売店で売られていた。
真っ赤な中にワンポイントと、市民球場での鯉の応援にぴったりな1枚
一見、何の変哲もなさそうなTシャツ。しかし背中には・・・
・・・思いっきり宣伝である。
そして、これを着て街を歩くのはちょっと勇気がいるかなぁ。
2005年11月13日
粟国の塩
そんなわけで我々は島の北の端ある「粟国の塩工場」見学に行ってきた。

記帳すると、パンフとサンプルの塩をいただいた。
サンプルの塩は「これはもしかしてヤバイものではないのか」という袋に入ってある。

粟国から帰ってきて1ヶ月。
今もまだこの塩はこの袋に入ったまま家にある。
その状況のままこの1ヶ月は引越しをしたりと私のプライベートはいろいろと変化があった。
そんなわけでたまたま来た引越し屋の人に「いやいやこれは粟国の塩なんですよ~」なんて初めて会った人に旅の土産話をするのも妙だし、そうはいいながらもに何も説明もないまま変に怪しまれ、その疑念のまま警察にガサ入れに入られもしたら大変なんで、誰にも気づかれないように荷物の隅っこのところに隠していた。
引越し後もしばらく台所の隅のほうに隠していたが、よくいく考えるとそういう状況が一番怪しいということに最近気づき、今は「逃げも隠れもしないぞ」という覚悟はできている。
案内してもらう長男と次男
島の北の端の海、ナビィの恋でいえば奈々子とフクノスケが「だから島は嫌いさぁ」とタコを焼いていた海から海水をくみ上げ、風と太陽熱で水分を飛ばし、釜で薪を燃やして煮詰め、更に自然乾燥させ、約半月かかり「粟国の塩」ができる。というわけだ。
つまりこの北の端の海で我々が泳いだら、体の垢など我々のエキスがそのまま塩に付着してしまいかねないという状況である。とある粟国の塩を毎日愛用してるリピーターが「あれ?今日の塩はなんかちがうぞ」と疑問に思い通報し、結果、どういうルートで調べたのかはわからないが警察が私の家にガサ入れに入ってくるという状況になり、そしてガサ入れに入ったら入ったであの袋が見つかってしまった・・・そして「すみません、私がやりました・・・」なんて、何もやましいことはないはずなのにそんな状況になってはやはり困るため、我々はここの海で泳ぐのはやめ、ウーグ浜(ナビィの恋でいえばケンジにぃにぃが昼寝してた海岸)で泳ぐことにした。
記帳すると、パンフとサンプルの塩をいただいた。
サンプルの塩は「これはもしかしてヤバイものではないのか」という袋に入ってある。
粟国から帰ってきて1ヶ月。
今もまだこの塩はこの袋に入ったまま家にある。
その状況のままこの1ヶ月は引越しをしたりと私のプライベートはいろいろと変化があった。
そんなわけでたまたま来た引越し屋の人に「いやいやこれは粟国の塩なんですよ~」なんて初めて会った人に旅の土産話をするのも妙だし、そうはいいながらもに何も説明もないまま変に怪しまれ、その疑念のまま警察にガサ入れに入られもしたら大変なんで、誰にも気づかれないように荷物の隅っこのところに隠していた。
引越し後もしばらく台所の隅のほうに隠していたが、よくいく考えるとそういう状況が一番怪しいということに最近気づき、今は「逃げも隠れもしないぞ」という覚悟はできている。
島の北の端の海、ナビィの恋でいえば奈々子とフクノスケが「だから島は嫌いさぁ」とタコを焼いていた海から海水をくみ上げ、風と太陽熱で水分を飛ばし、釜で薪を燃やして煮詰め、更に自然乾燥させ、約半月かかり「粟国の塩」ができる。というわけだ。
つまりこの北の端の海で我々が泳いだら、体の垢など我々のエキスがそのまま塩に付着してしまいかねないという状況である。とある粟国の塩を毎日愛用してるリピーターが「あれ?今日の塩はなんかちがうぞ」と疑問に思い通報し、結果、どういうルートで調べたのかはわからないが警察が私の家にガサ入れに入ってくるという状況になり、そしてガサ入れに入ったら入ったであの袋が見つかってしまった・・・そして「すみません、私がやりました・・・」なんて、何もやましいことはないはずなのにそんな状況になってはやはり困るため、我々はここの海で泳ぐのはやめ、ウーグ浜(ナビィの恋でいえばケンジにぃにぃが昼寝してた海岸)で泳ぐことにした。
2005年11月12日
粟国島
ナビィがサンラーとあいしてるランドへ旅立った入り江(の近くみたいだ。同じような景色ばっかりでわからんかった)
入り組んだ入り江には遊歩道ができていて、一帯が公園のようになっている。
遊歩道といいながら観光客はみんなレンタサイクルでここを走っている。
夕方、公園の滑り台の下は地元の女子中学生が5人くらいでたむろしていた。あとで民宿のおばちゃんに聞くとあれが島の女子中学生全員集合らしい。だいたいあの時間はあの辺にいるらしい。
夕食後、暗くなり、島に2軒しかない商店の一つである浜商店にて、ふらっと立ち寄った観光客らしき男と店のおっちゃんの会話。
観光客らしき男「この辺で飲むところ無い?」
店のおっちゃん「『なびぃ』があるさ」
観光客らしき男「『なびぃ』は17日まで休みだったよ」
店のおっちゃん「そうか、・・・だったらないね」
夜も9時を回ると、島はもう真っ暗になる。
こんな時間に歩いている人はいない。せいぜいダイビングショップで観光客のダイバー達がゆんたくしてるくらい。
ここが「何もないよ」っていう理由がわかるような気がする。
そしてまた来たいって思った。
ここ粟国島に私は、これまで行った同じ規模の島、竹富島や波照間島とは違う感覚を感じた。
当然、竹富と波照間を比べても大きな違いがあるが、ここにはそれを超えたものがあるような気がする。それは、島を訪れお金を落とす観光客としてではなく一旅人としての感覚に近い。ここはどこへ行ってもなにげない日常に支配されていて、一旅人が何の違和感もなしにそのなにげない日常の中に入り込んでいけるような。
そう考えると粟国と対極にあるようなイメージの竹富島、私には一種のテーマパークのようにしか見えなかった竹富島にしても、島の人たちが過去から守られてきた島の暮らしや文化を丹念に守ってきた、そんな一人一人の島への思いが結果としてあれだけの観光客が来る成功に繋がったということだから一概にどっちがいいということはいえないが。
だが、竹富の一人一人の島への思いになんとなく入り込めない壁を感じ、粟国の肩の力を抜いた姿に居心地のよさを感じる。これは東南アジアでいえばシンガポールとラオスくらいの違いのようなものなのかも。
「後先考えずに無駄なもん作っとるなー」とか突っ込んだりとか、もう少しロケ地を主張したらいいのに、とか、なんだか突っ込みどころ満載ながらも憎めない子供を見てるような。
こういう存在があってもいいのだろう。
こういう私にとって居心地のいい存在があってもいいのだろう。



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