2009年12月14日

10ヶ月にして最南端へ⑤波照間でカンヅメ

10ヶ月にして最南端へ⑤波照間でカンヅメ



石垣行きの船もフェリーも欠航し、漁船も望み薄となった今、今日の石垣の宿(ホテルククル)と翌日のレンタカー(OTSレンタカー)をキャンセルする。
共に電話で事情を話すと両方ともキャンセル料もとらずにキャンセルしてくれた。
ありがたい。



そんなわけで午前中は仲底商店や港に行ったりまったり過ごす。



今日、着ているTシャツは「粟国の塩」
2005年9月に長男、ノム・ヒョンと3人で粟国島に「ナビィの島」のロケ地を探しに来たとき、売店で売っていたもの。多分今も売ってると思う。そのシンプルかつ大胆なデザインにノックアウトされ、私はレッド、ノム・ヒョンはブルー、長男はネイビーと見事に色違いを買ってしまった。
その後も長男邸の余興で活用したり、あとは旅先で三人揃ったときに、一日は色違い組み合わせで行動することとなっている。(他には「尚円王と家来の長男、次男」なんていうのもあるが、これはまたの機会に・・)ただ三人ならネタとしていいのだが二人の時にカブって着てしまうとなにやら怪しい関係と思われそうだ。

10ヶ月にして最南端へ⑤波照間でカンヅメ

さて、この粟国Tシャツであるが、仲底商店のお姉さんに「これ粟国で買ったんですか?」と聞かれ「シンプルでいいですね!」と評判となり、ものを買った後も「やっぱりいいですね~」名残惜しそうに背中を見る。また港の売店のおばちゃんにも「粟国行ったの?」「このTシャツいいね~」とこれまた大評判。
なかなか八重山の離島の波照間から本島近辺の離島の粟国に行く人はいないだろう。
そういえば長男もゲンキクールのTシャツを着ててヘルパーのお姉さんの話してたりと、沖縄関係のちょいマイナーでローカルな訳ありTシャツは話のネタにもってこいである。



昼を食べ長男と自転車で島一周

10ヶ月にして最南端へ⑤波照間でカンヅメ



10ヶ月にして最南端へ⑤波照間でカンヅメ




夕方からまたまったりとしそのまま夕食へ。
漁船で西表に行くといっていた男性2人組は、この波で「波照間へ行くのは大丈夫だけど帰りつらい」と漁船も来てくれず、結局、西表に渡れなかったという。こちらも「忘勿石」のガイドをしてくれる人に断りの連絡をしたりといろいろ大変だったようだ。

さて、この男性2人組、一人は体育会系っぽい人なのだが、もう一人は島のことや船のこと、飛行機のこと、そして沖縄戦のこと等々話を聞いていると、いろんな分野のことについて詳しい。こういうことを一言でいうなればマニアっぽい人となるのだろうか。マニアっぽい人ということになると困ったことに長男と話が合ってしまうのである、これが。

夜のゆんたくで、長男はそのマニアっぽい人と沖縄戦の話で盛り上がって誰もついていけなくなった。昼間、漁船さえ出ていれば、もしかしたら長男と20代の波照間ニアギャルとのロマンスも生まれていたかもしれなかったのに、まったく惜しいことをしたものだ。

もうひとりの体育会系っぽい人も結局話についていけず寝てしまった。
私も、夜の集落を散歩したり、宿にあった「ハテルマシキナ」という本を読んだりしていた。


「ハテルマシキナ」
波照間島で64年前の1945年に起こった「戦争マラリア」の話を描いたもの。
戦争マラリアとは・・・、「長男」のmixi日記に詳しく書いてあるのでこちらをみてほしい。


http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1349958535&owner_id=17380285



その本を読んでいる最中も、長男たちの会話が、ガイドの話、ガマの話、日本兵の話、原爆の話とどんどんすすんでいっている。最南端の島で宿の座敷にいるのだが、なぜか「うちな~」の座敷にいるような気になってしまう。全く恐るべしである。



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マニアなTシャツの話とか、マニアなゆんたくの話とか、なんかいつものマニアックな旅行記と変わらなくなってしまったが、今回のメインは本日11月21日に10ヶ月になった娘である。



石垣の宿がベッドでそれなりに大変な思いをしたため、なにより畳の部屋で和室というのがよかった。そしてけだもとさん自体も、3人の子供を子育て中であり、部屋には娘にちょうどいいおもちゃがいっぱいある。

ヘルパーさんや他の泊り客、ここけだもと荘にはいっぱいあやしてくれる人がいる。仮にお母ちゃんがシャワー浴びてたりとかちょっと外に出て行ったりしていなくてもあやしてくれる人がいる。今回はミーナ☆さんが娘の面倒を私以上に見てくれていて、本当にありがとう。娘もお母ちゃんべったりにならなくて済んだ。

そして娘のほうも、たとえみんながいる部屋にいても、お母ちゃんの部屋がわかっているのか、その部屋に向かってハイハイしていく。そしてその部屋に辿り着く。見事な帰巣本能というか、たった1日なのに方向感覚ばっちりではないか。一度誰もいないお父ちゃんと長男の男性部屋にハイハイしていったときもあったが・・・


また宿の中だけでなく、商店や食堂など集落にいても同じ。


娘を介して、いろんな人と触れ合えることができた。特に同じ年代の子を持ったお母さんなど話のきっかけになったり、こんなことは今までの旅を考えるとそうないことだ。
これも月齢10ヶ月を連れてという「今だけ」のものなんだろうけど、なんだか「今しか味わえない」かけがえのない宝物をもらった気持ちになった。


ほんとうに人の優しさや暖かさを身近に感じている。
広島空港で、那覇空港で、石垣で、波照間で、この旅で出会ったすべての人に「ありがとう」
そして、こんな気持ちを忘れそうになったら、またここにやってこよう。


明日は船は出るかな?



 
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