2011年03月31日
産まれるまでのこと と 産まれてからのこと
3月30日(水)
4:45
「破水した!」
妻に起こされる。
妻はムスメを寝かせるといっしょに寝てしまうから朝早く起きて保育園グッズの裁縫をしていたところだった。
妻の実家と病院に連絡し、そのまま病院に直行する。
6:00
病院に着いて、診察をするとそのまま入院決定となった。経産婦のため陣痛が10分間隔となると入院である。陣痛はまだ30分間隔で、子宮口はまだ3cmしかあいてないが、破水してるため陣痛がどうとか有無を言わさず抗生剤を点滴しなければならないため即入院である。
陣痛室に通される。ここで陣痛が激しくなるのを待って、激しくなるととなりの分娩室に移され子がポーンと出てくるというわけである。非常に簡単にいえばであるが。
7:00
妻の実家からじいちゃんばあちゃんがやってきた。
私は立ち会いをするため妻のサポートに徹する。その間ムスメをどうするのか?さすがに2歳そこらのムスメを立ちあわすわけにはいかない。ということで、しばらくムスメのみ呉の実家に里帰りである。
里帰りであるが、父親母親が同時にいないというのはもちろん初めて。じいちゃんばあちゃんにはなついているものの、本当にムスメ一人だけでやっていけるのか。うまくご飯を食べたりとか、ちゃんと寝ることができるのか?まぁ昼間は保育園にいったりしてるのでお母さんがいなくても大丈夫だろうが、夜はどうか?
心配でいっぱいだが、頑張ってもらうしかないのだ、と運を天に任す。
10:00
子宮口もまだそんなにあいてないし、陣痛も強くないので当分は産まれないだろうとのこと。
じいちゃんばあちゃんにムスメを連れて帰ってもらう。しばしお母さんとお別れだ。今度会うときはお姉ちゃんになってるかな。
そして生まれそうにはないので、私も一旦職場へ行き、数日休むことになるので、仕事を簡単に引き継ぐ。病院が職場と近いのがよかったし、また、年度末のこのクソ忙しいときにいやな顔もせず仕事を引き継いでくれ本当にありがたい。
14:00
いっこうに妻の陣痛が強くならない。私も午後から仕事を休みにしたのでヒマである。
妻が言う「保育園グッズの裁縫道具持ってきて」
と、破水のきっかけになったグッズを持ってこいということだ。そう、サポートとはこういうおつかいもやるのだ。まぁ、どちらにしてもやらねばならぬこと、時間のあるときにやるのがいいだろう。と、一旦家に帰る。
15:00
依頼のブツと、陣痛室で読む本を持って病院に戻る。今は本を読める状況なのだ。
15分に1回くらい陣痛が来る時もあるが、まだまだ弱い。巡回に来た助産師さんも「今日は産まれませんね」ときっぱり。
結局、妻は保育園グッズの裁縫を終わらせ、私もこんなこともあろうかと先日図書館で借りた本「大人の探検ごっこ」を一冊読み終えた。
これも高貴な時間なのかな。
16:45
そんなこんなで1時間くらい陣痛が来ない。
今晩はないだろうからと、私も実家に帰る。
ムスメを寝付かせるときに、いきなり母親だけでなく父親までもいなくなるのはさすがに辛いだろう。寝かしつけるまで実家にいよう。その後戻ってこようと私も実家に帰った。
18:20
実家到着
晩御飯を食べ、夜、20時くらいに寝かそうとするも、ムスメ興奮してるのかなかなか寝ようとしない。いっしょに本を読んだりいろいろするも、ここは私の寝るところじゃないとでも思ってるのか、布団を抜け出し、台所を行ったり来たりする。もしかしたら、ムスメが寝たら「父ちゃんは母ちゃんのところにいくからね」って言ったから、警戒して寝ようとしないのか?
22:00すぎ
ムスメ力尽きたのか寝る。
ただし妻よりのメールで今晩は陣痛きそうにもないとのこと。夜泣きも心配なので今晩はムスメと寝て、次の日の朝、広島に帰ることにした。
ムスメも何度か夜泣きする。やぱりさびしいのか?でも一緒にいてよかった。
3月31日(木)
結局7:30起床
妻も陣痛は10分おきくらいになったが、それでもまだ弱いらしく。明日から誘発分娩するだろうとのこと。
私もムスメも普通どおり朝ごはんを食べる。
9:00
朝の診察が終わって妻より連絡がある。今日から誘発分娩をするようになって同意がいるからすぐ来てという。そろそろ行こうと思ってたところであるが即出発。ムスメに「お父ちゃん、お母ちゃんのところに行ってくるね」というとムスメさびしそうにうつむいていた。
10:15
病院到着。
誘発分娩と帝王切開についての説明を受ける。
今日は「プロスタグランシンF2α」、明日は今日よりも少し強い「アトシン」、それでもだめなら帝王切開ということらしい。ちなみに「アトシン」は震災の影響で流通が滞ってるのか残り少ないという。明日の分は大丈夫らしいが、今後はなくなることもあるのだろうか。ここでも震災の影響を感じる。
11:00
誘発剤の点滴スタート。40mgからはじめて、徐々に20ずつあげていき、最終的に220mgまで強くするわけである。序々に陣痛は強くなり、だんだんと間隔も短くなってきているが、まだまだ声をあげるまではない。
ちなみに昨日は後からやってきた5人の妊婦さんに先を越されたらしい。
13:00
「帝王切開にしましょう」
斜め前のベットでこんな声がする。斜め前の人は午前中からずっと喘いでいたのだが、順調に産まれないのか理由は分からないが即決であった。
決まるとそこへ助産師看護師さんがドドドッとやってきてあっという間に妊婦さんを分娩室に運んで行った。「素早い連携プレーだなぁ。」と妻、感心する。感心する余裕があるのである。
15:00
さて、感心はいいのだが、こちらは誘発剤をはじめて4時間が経過している。
陣痛は3~4分おきだが長くは続かない。今日分の誘発剤も残り少なくなってきた。あと2時間くらいがヤマであるが、同時にお互い「今日は無理かな」という思いもよぎってくる。いやいや今日産むぞ。
このとき私は何をしているかと言うと、陣痛がやってきたときにマッサージするのであるが、まぁマッサージと言うよりもツボを押すようにギューっと押すようなものである。「そこじゃない」「もう少し下」と言われながらもこれをひたすら続ける。
16:00
誘発剤が残り100mgとなったところで、本格的に痛がり始める。これまでは呼吸の延長のような声だったのが、子がはまってきたのかいい声が出るようになってきた。これはもしかして今日産まれるか?
一度トイレに行く。戻って再度装置をセットしてもらうも今度は子の心拍数とかの数値が見れなくなったので、再度看護師さんを呼んで装置をセットしてもらおうとすると、速攻「分娩室へ行きましょう」と言われる。
17:18分娩室へ
「ご主人様はここで待っててください」といわれ待つ。
ぽつりと陣痛室で待たされる。昼間同様、見事な連係プレーで妻は分娩室へ連れ去られてしまった、今の状況がよくわからない。もう産まれるのか、はたまた何か異常があったのか?いろいろ頭の中をよぎる。
18:00前、ようやく分娩室に連れて行ってもらえる。
そこには喘ぎきっている妻を取り囲むように先生や助産師さん、看護師さんが立ちはだかっている。
赤ちゃんは最後の壁を超えるところまで来ているらしい。
「あともう少し、もう頭でてるからね」
もうそんなところまでいってるのか。なんて思ってる間に
「出た出た出た出た」
18:09 元気な産声がした!産まれた!
へその緒の処置をされて「目の前に置きますよ」といきなり妻の目の前に置かれる。
真っ赤な赤ちゃんだ。というかおさるさんみたいだ。ようやく会えた。こんな顔してたんだ。
体重は2,902gとやや小さいが、泣き声は上のムスメの時よりも大きいような気がする。
私は分娩室にいた時間が身近ったから?なんとなく、上のムスメの時よりも冷静に状況を眺められた気がする。
あとで妻に聞くと、私が一人待っている間、分娩台で妻は先生、助産師さん、看護師さんの取り囲まれて子宮口が開くよういろいろぐりぐりされていたらしい。
19:00頃
カンガルーケア
やはり今回も妻の出血が多いらしく、もうしばらく安静にしておくようにとのこと。
隣の分娩室では未熟児が産まれたらしくまわりの助産師さんや看護師さんはみんな慌ただしそうで、こちらの静けさが際立っている。
3人だけの静かな時間が過ぎていく。
産まれたての赤ちゃんが乳を探し口をパクパクさせるさまを見ている。
何かを成し遂げたものだけが味わえる贅沢な静寂の時間をしばし味わう。
22:00頃
私ひとり実家へ帰ってきた。
上のムスメは実家の布団の中、しまちゃんを従えて一人で寝ていた。
「赤ちゃん産まれたよ。おねえちゃんになったね。でも、無理にお姉ちゃんになる必要はないからね。」
4:45
「破水した!」
妻に起こされる。
妻はムスメを寝かせるといっしょに寝てしまうから朝早く起きて保育園グッズの裁縫をしていたところだった。
妻の実家と病院に連絡し、そのまま病院に直行する。
6:00
病院に着いて、診察をするとそのまま入院決定となった。経産婦のため陣痛が10分間隔となると入院である。陣痛はまだ30分間隔で、子宮口はまだ3cmしかあいてないが、破水してるため陣痛がどうとか有無を言わさず抗生剤を点滴しなければならないため即入院である。
陣痛室に通される。ここで陣痛が激しくなるのを待って、激しくなるととなりの分娩室に移され子がポーンと出てくるというわけである。非常に簡単にいえばであるが。
7:00
妻の実家からじいちゃんばあちゃんがやってきた。
私は立ち会いをするため妻のサポートに徹する。その間ムスメをどうするのか?さすがに2歳そこらのムスメを立ちあわすわけにはいかない。ということで、しばらくムスメのみ呉の実家に里帰りである。
里帰りであるが、父親母親が同時にいないというのはもちろん初めて。じいちゃんばあちゃんにはなついているものの、本当にムスメ一人だけでやっていけるのか。うまくご飯を食べたりとか、ちゃんと寝ることができるのか?まぁ昼間は保育園にいったりしてるのでお母さんがいなくても大丈夫だろうが、夜はどうか?
心配でいっぱいだが、頑張ってもらうしかないのだ、と運を天に任す。
10:00
子宮口もまだそんなにあいてないし、陣痛も強くないので当分は産まれないだろうとのこと。
じいちゃんばあちゃんにムスメを連れて帰ってもらう。しばしお母さんとお別れだ。今度会うときはお姉ちゃんになってるかな。
そして生まれそうにはないので、私も一旦職場へ行き、数日休むことになるので、仕事を簡単に引き継ぐ。病院が職場と近いのがよかったし、また、年度末のこのクソ忙しいときにいやな顔もせず仕事を引き継いでくれ本当にありがたい。
14:00
いっこうに妻の陣痛が強くならない。私も午後から仕事を休みにしたのでヒマである。
妻が言う「保育園グッズの裁縫道具持ってきて」
と、破水のきっかけになったグッズを持ってこいということだ。そう、サポートとはこういうおつかいもやるのだ。まぁ、どちらにしてもやらねばならぬこと、時間のあるときにやるのがいいだろう。と、一旦家に帰る。
15:00
依頼のブツと、陣痛室で読む本を持って病院に戻る。今は本を読める状況なのだ。
15分に1回くらい陣痛が来る時もあるが、まだまだ弱い。巡回に来た助産師さんも「今日は産まれませんね」ときっぱり。
結局、妻は保育園グッズの裁縫を終わらせ、私もこんなこともあろうかと先日図書館で借りた本「大人の探検ごっこ」を一冊読み終えた。
これも高貴な時間なのかな。
16:45
そんなこんなで1時間くらい陣痛が来ない。
今晩はないだろうからと、私も実家に帰る。
ムスメを寝付かせるときに、いきなり母親だけでなく父親までもいなくなるのはさすがに辛いだろう。寝かしつけるまで実家にいよう。その後戻ってこようと私も実家に帰った。
18:20
実家到着
晩御飯を食べ、夜、20時くらいに寝かそうとするも、ムスメ興奮してるのかなかなか寝ようとしない。いっしょに本を読んだりいろいろするも、ここは私の寝るところじゃないとでも思ってるのか、布団を抜け出し、台所を行ったり来たりする。もしかしたら、ムスメが寝たら「父ちゃんは母ちゃんのところにいくからね」って言ったから、警戒して寝ようとしないのか?
22:00すぎ
ムスメ力尽きたのか寝る。
ただし妻よりのメールで今晩は陣痛きそうにもないとのこと。夜泣きも心配なので今晩はムスメと寝て、次の日の朝、広島に帰ることにした。
ムスメも何度か夜泣きする。やぱりさびしいのか?でも一緒にいてよかった。
3月31日(木)
結局7:30起床
妻も陣痛は10分おきくらいになったが、それでもまだ弱いらしく。明日から誘発分娩するだろうとのこと。
私もムスメも普通どおり朝ごはんを食べる。
9:00
朝の診察が終わって妻より連絡がある。今日から誘発分娩をするようになって同意がいるからすぐ来てという。そろそろ行こうと思ってたところであるが即出発。ムスメに「お父ちゃん、お母ちゃんのところに行ってくるね」というとムスメさびしそうにうつむいていた。
10:15
病院到着。
誘発分娩と帝王切開についての説明を受ける。
今日は「プロスタグランシンF2α」、明日は今日よりも少し強い「アトシン」、それでもだめなら帝王切開ということらしい。ちなみに「アトシン」は震災の影響で流通が滞ってるのか残り少ないという。明日の分は大丈夫らしいが、今後はなくなることもあるのだろうか。ここでも震災の影響を感じる。
11:00
誘発剤の点滴スタート。40mgからはじめて、徐々に20ずつあげていき、最終的に220mgまで強くするわけである。序々に陣痛は強くなり、だんだんと間隔も短くなってきているが、まだまだ声をあげるまではない。
ちなみに昨日は後からやってきた5人の妊婦さんに先を越されたらしい。
13:00
「帝王切開にしましょう」
斜め前のベットでこんな声がする。斜め前の人は午前中からずっと喘いでいたのだが、順調に産まれないのか理由は分からないが即決であった。
決まるとそこへ助産師看護師さんがドドドッとやってきてあっという間に妊婦さんを分娩室に運んで行った。「素早い連携プレーだなぁ。」と妻、感心する。感心する余裕があるのである。
15:00
さて、感心はいいのだが、こちらは誘発剤をはじめて4時間が経過している。
陣痛は3~4分おきだが長くは続かない。今日分の誘発剤も残り少なくなってきた。あと2時間くらいがヤマであるが、同時にお互い「今日は無理かな」という思いもよぎってくる。いやいや今日産むぞ。
このとき私は何をしているかと言うと、陣痛がやってきたときにマッサージするのであるが、まぁマッサージと言うよりもツボを押すようにギューっと押すようなものである。「そこじゃない」「もう少し下」と言われながらもこれをひたすら続ける。
16:00
誘発剤が残り100mgとなったところで、本格的に痛がり始める。これまでは呼吸の延長のような声だったのが、子がはまってきたのかいい声が出るようになってきた。これはもしかして今日産まれるか?
一度トイレに行く。戻って再度装置をセットしてもらうも今度は子の心拍数とかの数値が見れなくなったので、再度看護師さんを呼んで装置をセットしてもらおうとすると、速攻「分娩室へ行きましょう」と言われる。
17:18分娩室へ
「ご主人様はここで待っててください」といわれ待つ。
ぽつりと陣痛室で待たされる。昼間同様、見事な連係プレーで妻は分娩室へ連れ去られてしまった、今の状況がよくわからない。もう産まれるのか、はたまた何か異常があったのか?いろいろ頭の中をよぎる。
18:00前、ようやく分娩室に連れて行ってもらえる。
そこには喘ぎきっている妻を取り囲むように先生や助産師さん、看護師さんが立ちはだかっている。
赤ちゃんは最後の壁を超えるところまで来ているらしい。
「あともう少し、もう頭でてるからね」
もうそんなところまでいってるのか。なんて思ってる間に
「出た出た出た出た」
18:09 元気な産声がした!産まれた!
へその緒の処置をされて「目の前に置きますよ」といきなり妻の目の前に置かれる。
真っ赤な赤ちゃんだ。というかおさるさんみたいだ。ようやく会えた。こんな顔してたんだ。
体重は2,902gとやや小さいが、泣き声は上のムスメの時よりも大きいような気がする。
私は分娩室にいた時間が身近ったから?なんとなく、上のムスメの時よりも冷静に状況を眺められた気がする。
あとで妻に聞くと、私が一人待っている間、分娩台で妻は先生、助産師さん、看護師さんの取り囲まれて子宮口が開くよういろいろぐりぐりされていたらしい。
19:00頃
カンガルーケア
やはり今回も妻の出血が多いらしく、もうしばらく安静にしておくようにとのこと。
隣の分娩室では未熟児が産まれたらしくまわりの助産師さんや看護師さんはみんな慌ただしそうで、こちらの静けさが際立っている。
3人だけの静かな時間が過ぎていく。
産まれたての赤ちゃんが乳を探し口をパクパクさせるさまを見ている。
何かを成し遂げたものだけが味わえる贅沢な静寂の時間をしばし味わう。
22:00頃
私ひとり実家へ帰ってきた。
上のムスメは実家の布団の中、しまちゃんを従えて一人で寝ていた。
「赤ちゃん産まれたよ。おねえちゃんになったね。でも、無理にお姉ちゃんになる必要はないからね。」
Posted by tana at 18:09│Comments(0)
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