2009年07月11日

「辺境の旅はゾウにかぎる」

「辺境の旅はゾウにかぎる」「辺境の旅はゾウにかぎる」
高野秀行著  本の雑誌社



なかなか面白い本だった。

興味深かった話。
ビルマ・ヤンゴンで床屋をみつけて髪を切ってもらおうとしたところ、店の兄ちゃんから「ガソリンを買いに行くからちょっと待っていてくれないか」と言われた話。

読み進んでいって妙に納得した。
ここでは電気が二十四時間通っていない。よって電気を使うには自家用発電機を用意しないといけない。バリカンは電気を使う。発電機を使わないといけない。発電機を使うにはガソリンが必要。でも今ガソリンが切れている。
というわけでバイクにポリタンクを抱えガソリンを買いに行く・・・というわけである。

日本で当たり前にあるものがないことで、物事の関係性がよく見えてくる話である。



そして、角田光代さんとの対談で、
「二十代の頃の旅は外国に行くだけで楽しかった。でも三十代後半となった今となっては、あてもない旅、自由気ままにふらふらするたびはできなくなっていた。」という話に二人で妙に共感するというくだりがあった。

私もたしかに・・・と納得した。

というか以前から感じていたことだった。

それは2003年、宮田珠己氏の本を読み、その中のエッセイに同じように共感し、以前のサイトで日記に書いていたのだった。



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・・・その後、珠己氏は2003年に「52%調子のいい旅」という本を発表した。その中の「ディーウ」というエッセイに非常に何か共感するものを感じたので、紹介するとともに、ここは重要なので勝手に引用する。

『・・・30代も後半になると、旅において10代や20代の頃のようなビビットな感動が少なくなってくる。10代20代ではただ旅に出ているというだけですでに心はハイであって、どんな国でもそこらじゅうがエキゾチックだった。・・・慣れのせいか、若い感受性が磨耗してしまい、エキゾチックと一般にいわれる光景を見ても、いい景色だなぁと思うものの、心の底からヒリヒリするようなことはなくなってしまった。それがこのとき、久しく忘れていたワクワクする感情がぐっと心の中に立ち上がってきたのである』

・・・そういえば私も若い頃はただ旅をしているというだけでワクワクし、そんな自分にハイになっていたのがわかっていたし、反面、初めての一人旅でのカトマンズの夜は不安で眠れなかったりもした。

今となっては、なんとなく、旅もやり過ごしているような気もする。
もちろん今でも、旅立つ前や出発前の空港や飛び立つその一瞬なんて、言葉で言い表せないくらいわくわくする。
でもなんとなく最近はこの異国情緒を味わうと、そこで完結し、その後の世界に大きく揺さぶられることはなかなかない。

「世界が拡がる」って感覚だろうか。
子供の頃、街へ出たり、電車で知らないところへ遠出したりするのが楽しかったのは、わくわくと同時に、自分の開拓する世界が拡がっていく感覚が心地よかったのだろう。その行為そのものが。

でもまた「久しく忘れていたワクワクする感情がぐっと心の中に立ち上がってきた」瞬間にいつ出会えるかはわからない。旅先なのか、日常生活なのか、どちらでもないような時なのか。きっと突然やってくるだろうから・・・

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宮田珠己氏は「だいたい四国八十八ヶ所」の中で「おお、私は今、こんなところにいる。その臨場感こそ旅の本質はあるのであろう」と言う。
「私は今、本や写真などで見て想像していた『ここ』にいるんだ」という感覚こそ旅そのものなのだろう。
加えると、その想像が良い方にズレて「なんとも言い難いゾクゾクする感覚」を味わえたならば、その旅は後で思い出深いものになっている。


「今、ここにいる」というワクワク感と、その予定調和がズレたことによるゾクゾク感を求めて旅するのだろう。



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