2007年03月25日

リベンジ伊是名

それは2006年9月のことだった。

長男、次男そして私の3人は伊是名島に渡ろうと企てたが、台風13号(サンサン)の襲来により、フェリーが欠航となり、泣く泣く島に渡れなかった。結果どうしたかというと、本部半島をぐるぐる3周もしてしまった。

そしてその年の暮れ、我々3人はそのリベンジを期すべく、再び島に渡ろうとの決意を表明した。決行時期は2007年2月、その頃は台風こないだろうという安易な理由からである。
その後、その話を聞いた我が有能なる側近のF(三男)が「面白そうですねぇ」とこの話に乗ってきた。これで見事「6年ぶり三兄弟沖縄でのそろい踏み」が実現することとなったわけである。
 
さて、皆さん、先ほど話に出た「三兄弟」とはいったい何なのでしょうか?

正式名称は「沖縄大好きメガネ三兄弟」というようだ。広島、のそのまたごく一部の地域で6年も前に結成されたユニットのようである。「三兄弟、三姉妹に行く」というタイトルでCDデビューをして以降、表舞台から姿を消した。(ウソ)
ちなみにこれはほんとにどうでもいいことだが、メンバー構成は

   長男:藤岡琢也(ボーカル)  次男:仲本工事(三線) 三男:側近F(邪悪なムーミン)

というようだ。
しかし、ここからが重要である。最近、三男の側近Fがしばらく遠いところに行って、なかなか広島を見せないため、あろうことか「私が兄弟の一員にさせられている」という事態になってしまっている。

私としては、それは全く心外である。
私はそのメンバーには入っていない。声を大にしていいたい。私は従兄弟というか、マネージャーというか、裏ですべて糸を引いている、そんな存在だからである。
だから、その話がでるといつも「私は兄弟とは違う」と否定を行う。これは、「小さな積み重ねこそが大きな世論を動かす」ということを忠実に実践しているにすぎないのであるが、どうも最近このこと自体が私のネタの一つだと捉えられている気がしないでもない。
まったく困ったことである。

まぁそんな話はどうでもいいわけで、次の行程で伊是名リベンジツアーに出発となったわけである。

2月9日(金)広島→那覇→宜野湾近辺→ビセザキ
1.出発?
2.宜野湾へ
3.宜野湾ベイキャンプ
4.ペンションビセザキ
5.ネコのトラ(前編)

2月10日(土)ビセザキ→運天港→伊是名
6.ネコのトラ(後編)
7.運天港へ
8.伊是名到着
9.港の周りをうろつく
10.変な展望台
11.パイナップルツアーズの港
12.ときわの夜

2月11日(日)伊是名→運天港→本部→名護→コザ→那覇
13.伊是名の夜と朝
14.無人島へ行こう
15.山川シゲ商店
16.ヒデヨシ君の木
17.写真いろいろ
18.名護へ、コザへ、そして那覇へ



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