2005年11月06日

八九式十五糎加農砲

11月とはいえ、沖縄は暑かった。
このまだまだ暑い沖縄で私はこの4日間、沖縄の、そして日本の、戦争がらみのものを見てきた。
そして今の日本のことが漠然と見えてきた。

この4日間、私はみっちりとディープな世界を堪能した。
ただ、どんどんマニアックになっていくなぁとも感じた。、さすがに4日目となり、この4日間で大小あわせ10以上のガマに潜っているという実態を考えると「そろそろもういいだろう」という気持ちにもなった。

私でもそうであること以上、初めてこのようなツアーに参加したN原さんはさすがにフラストレーションも溜まっているだろうと思って見たら、案の定顔が笑ってなかった。

そのような今回の旅であり、「馬鹿なんじゃないか」とか突っこんだり、ほほえましく思ったりするようなものにはなかなか出会えないだろうと思っていたし、たしかにそうだった。

しかし、フラストレーションも溜まってきていた最終日、ついに、ほほえましく思えるものに私は出会った。


八九式十五糎加農砲八九式十五糎加農砲

大戦時、使用していたカノン砲が残されてある。説明文を読む。

昭和4年に旧日本軍によって、制式化された大砲で開脚式装輪砲架を持ち、遠距離でも命中精度にすぐれていた。砲身車と砲架車をそれぞれ牽引車で牽引して移動し、陣地に組み立てて使用したが、準備に1時間ほどかかったそうである。

状況を想像してみる。
こういったものは、きっと山の上まで持っていって、撃ったりするものだろう。
山の上まで運び、そして1時間かけて組み立てるのか・・・
弾を1発撃つために・・・
・・・すごく、面倒そうだ。

次を読む。

大里村内に1945年3月に旧日本軍陸軍独立重砲兵第百大隊が布陣された際に二門が配置された。しかし、沖縄戦においては、米軍とのあまりにも大きな物量の差により、その効果は乏しく、一発撃つと何十、何百という反撃を受けたといわれている。
                      大里村教育委員会


また状況を想像してみた。
苦労に苦労を重ねてやっとのことで一発打ったのに、何十、何百という反撃・・・
ほほえましく思ったとともに、こんな状況下の日本兵にも同情してしまった。
ここまであからさまに書いた大里村教育委員会に拍手を送りたい。
こんな状態でも靖国神社だったならばきっと「敵に大打撃を与えた」と書いてたかもしれない。

八九式十五糎加農砲
見学する我々の元にどっからともなく日本兵(右から2番目)が現れて当時の状況を説明してくれた(うそ)。


同じカテゴリー(05.11戦跡を巡る)の記事
ついに10回目の沖縄
ついに10回目の沖縄(2005-11-06 18:07)

Prologue
Prologue(2005-11-06 17:46)

食堂へ行こう
食堂へ行こう(2005-11-06 14:31)

ぜんざい
ぜんざい(2005-11-06 13:42)


この記事へのコメント
deepな旅だったんですね。
私も、いろんな沖縄の顔を、ちゃんと見たいな~。
プロジェクトXのウリミバエの時も、沖縄の位置づけがとても悲しく感じました。
Posted by Hiro at 2005年11月10日 10:51
ようこそdeepな世界へ(笑)
時々日本人にとって沖縄って何だろうって思うこともあります。
でも、こういう姿を見ていく旅もいいですよ。
もれなく敗残兵のような格好をした人からのdeepな解説付きです。
Posted by tana at 2005年11月10日 19:54
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。