2008年05月09日

平和博物館~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.2~

平和博物館~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.2~立命館国際平和ミュージアム

ここは「かつて平和が損なわれた歴史」を見すえることを通じて「なぜ殺りくと破壊に狂奔したのかという、人類史的テーマを考える学習と思索と創造の場にしていきたい」という場。

私は「あの戦争での尊い犠牲があったからこそ今の平和な世の中がある」というような考えには違和感があるのだが、なぜあの戦争が起きたのかについてはやはり検証しておかなければならないと思う。

常設展は「十五年戦争の実体」「第二次世界大戦と戦争責任」「現代における戦争と平和」の3つのテーマがある。

以下に、見たこと、考えたこと、その場でメモしたこと、その夜考えたこと、家に帰り「長男戦争講座」のレジュメをみながら考えたことなど羅列しました。そのため、実際に展示されたものがどこまでだったのかわからなくなったが、気になった人は行ってみて欲しい。<JR京都駅より 市バス50番「立命館大学前」下車徒歩5分の場所にあります>

・戦争協力のための国債を発行し、町内会などで目標設定させ強制的に徴収させる。
・芝居などの文化自体も軍国主義的なものへ移行されていく。
・環境が変わっていく中で、一般人も進んで「協力」しながら戦時体制が構築されていくようになる。
・侵略先の植民地でも同じような環境としていく。
・そのような「おしつけ」に反対する抗日運動が起きる。今の中国の礎もここにあるのではないか。(ナチスに迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国し周辺国とトラブルを起こすのと同様のこと?)
・60年前など家族で言えばおじいちゃんの代であり、傷は簡単に消えない。親から子へ伝えられることにより溝が深くなることも多い。

・軍隊自体も人権無視、精神主義のいじめ体質であった。(そうでない軍隊というのは考えにくい)
・その環境の下で、軍隊の外の住民、植民地への住民へそのはけ口として向けられる。
・沖縄戦での日本軍、日本兵の住民へのさまざまな行動、住民の証言からその体質が一端として垣間見える
・今の社会も、「軍隊」はないが、近い状況はありうる(ストレス、いじめ、競争、格差・・)
・ネットなどの仮想社会では顕著(より弱いものや攻撃しやすいものへのはけ口となっている)
・セカンドレイプ(例えば米兵に被害にあった少女に「ついていくほうが悪い」という考えがネット上で大半を占めるという風になる論調。その言葉を言える資格があるのは家族などのごく身近な人だけである)

・9.11はたしかに衝撃的であった。しかし私たちは9.11のようなことはすでに受けている。
・一人ひとりが、その家族がどういうビジョンを持って寿命まで生き抜くか。そのためにはどういう環境が必要か。何を残していくか。何をなくしていくか。
・人間として、最適な環境とは何か?

・このような施設があり続けることが大事。いいと思ったもの、残したいと思ったものは訪れることが大事。
・ここは大学立だが、公立の施設であれば「採算が合わなければ民営化か廃止だ」と言われかねない。もちろん、民間にできないようなビジョンを実現することが公の施設であるはずなのだが。

・他人の痛みを自分の痛みとして感受できる想像力を磨くことができるか?そして、その環境にあるか。
・人間としての感性を磨くことができるか?そして、その環境にあるか。


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