2006年08月06日

61年後の8月6日

今年の8月6日は、家で寝ながら黙祷することなく、ちゃんと市内まで出てきた。
有能な側近のFも彼女と一緒にどっかにいるはずなんだが、メールを打っても電話をしても返答がない。有能だ。

61年後の8月6日

「原爆供養塔」
平和公園の西北側にある。
この中には原爆で犠牲になった約7万といわれる、名前もなく引き取り手もない多くの遺骨が眠っている。
この中には軍人も動員者も学生も朝鮮から連行された人も、職業も民族も年齢も異なる人たちがここに肩寄せあって眠っている。
平和公園の中で唯一「墓」と呼べるところ。
そして、毎年8月6日には、ここで宗派を超えた追悼行事が行われる。

いろんな思想信条の違いはあっても平和への思いや核兵器廃絶という思いで繋がるという行為そのものが意味のあることなのでしょう。

61年後の8月6日

61年後の8月6日原爆展

その後、某所で炭水化物氏やN原氏などと会ったところ、式典後、鼻の下を伸ばしながら歩いていたFが目撃されていたらしい。
油断は禁物である。


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この記事へのコメント
約3日間原水禁世界大会に携わってました。いろいろな方々と交流や意見交換など,とても有意義な日々を過ごしました。
お忙しい中Tシャツ販売のお手伝いをして頂き有難うございました。
Posted by N原 at 2006年08月08日 13:40
お疲れ様でした。
この時期は毎年充実した日々を過ごしています。
また来年も楽しみです。
Posted by tana at 2006年08月09日 19:21
 
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