2009年12月14日
10ヶ月にして最南端へ⑥晴れた!石垣へ!
11月22日(日)

6:30起床、朝焼けがきれい。風もない。
今日は島から出ることが出来そうだ。

欠航はなく、1便で帰る。
桟橋には、昨日、帰れなかった人がわんさかいる。安栄のほうは整理券を発行しているらしい。整理券を発行しない波照間海運にはさっそく長い列が・・・。船は82人乗り。これだけ乗れるのか?
無事、9:30に波照間港を出発。
なんとか並んでいた人みんな乗れたようだ。
気づけば、前のほうの3人掛けの席で、長男と昨日のマニアックな男性2人組と一緒に並んで座っていた。すっかり意気投合してしまったようだ。
ぎゅうぎゅうになりながらも無事、出発!
島に残る人が手を振ってくれる。
名残惜しい・・・と思うまもなく、船は外海に出て、ブォーーーンとスピードを上げグォーーーンと縦ゆれ。それでも2年半前に比べれば揺れは少ない。これは、もしかして乗った船が波照間海運だからか?(2年半前は安栄だった。)
10:30頃石垣に到着。
2日ぶりに戻ってきたフェリーターミナルではモーリーさん夫妻が出迎えてくれた。
「人数が乗れるように、車準備しましたぁ~」とモーリーさん。
「あの軽トラの荷台へどうぞ~」
あぁ、みんなで荷物と一緒に軽トラの荷台に乗るわけね・・・
軽トラの荷台に乗って、市内引き回しとは・・・、タイとかでこんな光景見たことがあったなと感慨深く思っていたら、人間用は別の車が準備してあるという。
あぁ、やっぱり、そうだよね・・・
モーリーさんの軽トラに先導されて、モーリーさんのミンサー織り工房へ。
染織工房「ピラッカ舎」

写真右)サガリバナの花が咲いていた。
畑の中の小さな小屋に一台の織機。軒下には,藍で染めた糸が干してある。
モーリーさんは、石垣に移ってからミンサー織りを習い、お店に商品を出している。もちろん、糸も自分で染めている。
織機は、もともとは大島紬用のものを、ミンサー織り用に改良したとか。
ミンサー織りの織り方や糸の染めかたを教えてもらったり、藍の染料などを見せてもらった。
その後、みんなで昼食へ。食事がゆっくりと出てくる店でまったりと過ごした。
再び「みんさー工芸館」に寄り、帰りの飛行機の時間も近づいてきたので石垣空港へ。
娘、さすがに疲れたかな。
モーリーさんご夫妻、貴重な時間を私達のためにありがとうございました。
今度はいっしょに夜、焼肉を食べ、川門さんのライブハウスにも行きましょう。
それから、ミンサー織で一眼レフを首からぶらさげるような「太いひも」を是非作ってください。難しいかな。
*********************
20:00前、広島に戻ってきた。
朝9時半に波照間を出て、石垣で寄り道し、夕方の飛行機で那覇を経由して帰ってきた。
さすがに娘もぐったりして、広島空港に着いたときはぐずって大泣きだった。今日は横になって寝る時間が全然無かったし、自分の足でハイハイする時間も全然無かったし、さすがにストレス溜まっていたのかなぁ・・・
車でミーナさんを送り、家に帰る。
家の布団で横になるとバタンと寝てしまった。無理もない。
しばらく寝かしたものの起きない。ただ、日焼け止めも虫除けスプレーも塗ってるので、すこしだけでも風呂にいれようと無理やり起こし風呂に入れると、「もう好きにしてよ・・・」てな感じの目で見られて、そして風呂に入れたまま目をつむってしまう。
このときばかりは悪いことをしたなぁと思った。
10ヶ月を連れての旅。
結果的に波照間に二泊できたことがよりのんびりした旅になったよかった。
いろいろ道中、困難も多かった。だけど「行けばなんとかなった。」である。
それでも、まだもう少しは大丈夫だけど、これから幼稚園に行くくらいの歳になると今回みたいに民宿に泊まる旅ってのは厳しくなるなぁと思う。食事の面とか。そして「何も無くて面白くない」とか「お父さんだけで行って」とか言い出しそうだ。たしかに子供には決して面白い空間とはいえないだろう。
きっとその歳その歳の旅の形態ってのがあるだろうから仕方ない。
とりあえず子供の頃は電車とか飛行機とか世界地図とか一般に子供受けしそうなものを近づかせるくらいにとどめておこう。
まぁ遺伝子と脳の奥底に旅人の記憶を組み込ませることには成功したかな?
20年くらいたった後「世界一周してくる」とか言い出したら、そのときは長男にいただいた出産祝いの泡盛で乾杯しよう。


6:30起床、朝焼けがきれい。風もない。
今日は島から出ることが出来そうだ。


欠航はなく、1便で帰る。
桟橋には、昨日、帰れなかった人がわんさかいる。安栄のほうは整理券を発行しているらしい。整理券を発行しない波照間海運にはさっそく長い列が・・・。船は82人乗り。これだけ乗れるのか?
無事、9:30に波照間港を出発。
なんとか並んでいた人みんな乗れたようだ。
気づけば、前のほうの3人掛けの席で、長男と昨日のマニアックな男性2人組と一緒に並んで座っていた。すっかり意気投合してしまったようだ。
ぎゅうぎゅうになりながらも無事、出発!
島に残る人が手を振ってくれる。
名残惜しい・・・と思うまもなく、船は外海に出て、ブォーーーンとスピードを上げグォーーーンと縦ゆれ。それでも2年半前に比べれば揺れは少ない。これは、もしかして乗った船が波照間海運だからか?(2年半前は安栄だった。)
10:30頃石垣に到着。
2日ぶりに戻ってきたフェリーターミナルではモーリーさん夫妻が出迎えてくれた。
「人数が乗れるように、車準備しましたぁ~」とモーリーさん。
「あの軽トラの荷台へどうぞ~」
あぁ、みんなで荷物と一緒に軽トラの荷台に乗るわけね・・・
軽トラの荷台に乗って、市内引き回しとは・・・、タイとかでこんな光景見たことがあったなと感慨深く思っていたら、人間用は別の車が準備してあるという。
あぁ、やっぱり、そうだよね・・・
モーリーさんの軽トラに先導されて、モーリーさんのミンサー織り工房へ。
染織工房「ピラッカ舎」


写真右)サガリバナの花が咲いていた。
畑の中の小さな小屋に一台の織機。軒下には,藍で染めた糸が干してある。
モーリーさんは、石垣に移ってからミンサー織りを習い、お店に商品を出している。もちろん、糸も自分で染めている。
織機は、もともとは大島紬用のものを、ミンサー織り用に改良したとか。
ミンサー織りの織り方や糸の染めかたを教えてもらったり、藍の染料などを見せてもらった。
その後、みんなで昼食へ。食事がゆっくりと出てくる店でまったりと過ごした。
再び「みんさー工芸館」に寄り、帰りの飛行機の時間も近づいてきたので石垣空港へ。

モーリーさんご夫妻、貴重な時間を私達のためにありがとうございました。
今度はいっしょに夜、焼肉を食べ、川門さんのライブハウスにも行きましょう。
それから、ミンサー織で一眼レフを首からぶらさげるような「太いひも」を是非作ってください。難しいかな。
*********************
20:00前、広島に戻ってきた。
朝9時半に波照間を出て、石垣で寄り道し、夕方の飛行機で那覇を経由して帰ってきた。
さすがに娘もぐったりして、広島空港に着いたときはぐずって大泣きだった。今日は横になって寝る時間が全然無かったし、自分の足でハイハイする時間も全然無かったし、さすがにストレス溜まっていたのかなぁ・・・
車でミーナさんを送り、家に帰る。
家の布団で横になるとバタンと寝てしまった。無理もない。
しばらく寝かしたものの起きない。ただ、日焼け止めも虫除けスプレーも塗ってるので、すこしだけでも風呂にいれようと無理やり起こし風呂に入れると、「もう好きにしてよ・・・」てな感じの目で見られて、そして風呂に入れたまま目をつむってしまう。
このときばかりは悪いことをしたなぁと思った。
10ヶ月を連れての旅。
結果的に波照間に二泊できたことがよりのんびりした旅になったよかった。
いろいろ道中、困難も多かった。だけど「行けばなんとかなった。」である。
それでも、まだもう少しは大丈夫だけど、これから幼稚園に行くくらいの歳になると今回みたいに民宿に泊まる旅ってのは厳しくなるなぁと思う。食事の面とか。そして「何も無くて面白くない」とか「お父さんだけで行って」とか言い出しそうだ。たしかに子供には決して面白い空間とはいえないだろう。
きっとその歳その歳の旅の形態ってのがあるだろうから仕方ない。
とりあえず子供の頃は電車とか飛行機とか世界地図とか一般に子供受けしそうなものを近づかせるくらいにとどめておこう。
まぁ遺伝子と脳の奥底に旅人の記憶を組み込ませることには成功したかな?
20年くらいたった後「世界一周してくる」とか言い出したら、そのときは長男にいただいた出産祝いの泡盛で乾杯しよう。
泡波を持って「酒がなくなったぞ~」とでも言ってるような娘。
Posted by tana at 22:49│Comments(0)
│09.11娘、10ヶ月にして最南端へ~波照間~