2006年05月03日
総攻撃前夜
さて、61年前の沖縄のその後といえば・・・
4月1日の米軍の本島上陸後、4月中旬には北部の国頭地区へ進出、そして伊江島飛行場を占領した。日本軍は、戦略的な持久戦に徹していながらも、嘉数高台などでの攻防戦を続けていた。
米軍は激しい抵抗にあいながらも首里に向けて進攻。4月25日までに浦添、西原の線まで達していた。この時点で日本軍の戦力はかなり低下していた。
29日の閣僚会議において、「攻勢に徹するべきだ」という主張や「無意味な自殺的な攻撃だ」という議論がありながらも、5月4日未明の総攻撃が決定した。
61年前の明日である5月4日、午前4時50分から米軍基地への砲撃を開始。米軍陣地に約13,000発の砲撃を打ち込んだ。
「沖縄戦新聞」より引用
そんなわけで私も、明日5月4日は、午前4時50分に起床し、福岡空港経由で4日午前中には米軍の陣地に攻め込みたいと思う次第です。
今回も節目節目でケータイでのリアルタイム投稿を行いたいと思います。たぶん。
4月1日の米軍の本島上陸後、4月中旬には北部の国頭地区へ進出、そして伊江島飛行場を占領した。日本軍は、戦略的な持久戦に徹していながらも、嘉数高台などでの攻防戦を続けていた。
米軍は激しい抵抗にあいながらも首里に向けて進攻。4月25日までに浦添、西原の線まで達していた。この時点で日本軍の戦力はかなり低下していた。
29日の閣僚会議において、「攻勢に徹するべきだ」という主張や「無意味な自殺的な攻撃だ」という議論がありながらも、5月4日未明の総攻撃が決定した。
61年前の明日である5月4日、午前4時50分から米軍基地への砲撃を開始。米軍陣地に約13,000発の砲撃を打ち込んだ。
「沖縄戦新聞」より引用
そんなわけで私も、明日5月4日は、午前4時50分に起床し、福岡空港経由で4日午前中には米軍の陣地に攻め込みたいと思う次第です。
今回も節目節目でケータイでのリアルタイム投稿を行いたいと思います。たぶん。
Posted by tana at 18:30│Comments(0)
│沖縄戦がらみ