2005年11月12日

粟国島

粟国島

ナビィがサンラーとあいしてるランドへ旅立った入り江(の近くみたいだ。同じような景色ばっかりでわからんかった)
入り組んだ入り江には遊歩道ができていて、一帯が公園のようになっている。
遊歩道といいながら観光客はみんなレンタサイクルでここを走っている。

夕方、公園の滑り台の下は地元の女子中学生が5人くらいでたむろしていた。あとで民宿のおばちゃんに聞くとあれが島の女子中学生全員集合らしい。だいたいあの時間はあの辺にいるらしい。

夕食後、暗くなり、島に2軒しかない商店の一つである浜商店にて、ふらっと立ち寄った観光客らしき男と店のおっちゃんの会話。
観光客らしき男「この辺で飲むところ無い?」
店のおっちゃん「『なびぃ』があるさ」
観光客らしき男「『なびぃ』は17日まで休みだったよ」
店のおっちゃん「そうか、・・・だったらないね」

夜も9時を回ると、島はもう真っ暗になる。
こんな時間に歩いている人はいない。せいぜいダイビングショップで観光客のダイバー達がゆんたくしてるくらい。

ここが「何もないよ」っていう理由がわかるような気がする。

そしてまた来たいって思った。

ここ粟国島に私は、これまで行った同じ規模の島、竹富島や波照間島とは違う感覚を感じた。
当然、竹富と波照間を比べても大きな違いがあるが、ここにはそれを超えたものがあるような気がする。それは、島を訪れお金を落とす観光客としてではなく一旅人としての感覚に近い。ここはどこへ行ってもなにげない日常に支配されていて、一旅人が何の違和感もなしにそのなにげない日常の中に入り込んでいけるような。

そう考えると粟国と対極にあるようなイメージの竹富島、私には一種のテーマパークのようにしか見えなかった竹富島にしても、島の人たちが過去から守られてきた島の暮らしや文化を丹念に守ってきた、そんな一人一人の島への思いが結果としてあれだけの観光客が来る成功に繋がったということだから一概にどっちがいいということはいえないが。

だが、竹富の一人一人の島への思いになんとなく入り込めない壁を感じ、粟国の肩の力を抜いた姿に居心地のよさを感じる。これは東南アジアでいえばシンガポールとラオスくらいの違いのようなものなのかも。
「後先考えずに無駄なもん作っとるなー」とか突っ込んだりとか、もう少しロケ地を主張したらいいのに、とか、なんだか突っ込みどころ満載ながらも憎めない子供を見てるような。

こういう存在があってもいいのだろう。
こういう私にとって居心地のいい存在があってもいいのだろう。



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