2007年10月17日

船浮に行こう2

15分ほどで船浮に着いた。

港の建物「ふねっちゃーぬ家」にある看板にはこう書かれてある。

「ようこそ 心やすらぐ 陸の孤島 船浮へ」

なんか投げやりだ。


そして港からは、山をくりぬいたトンネルのような穴が見える。
「あそこに要塞跡がありますね」
長男とそんな話をするのだが、それとわかってしまう自分が悲しい。

壕には後で行くとして、まずは西表館へと歩く。
船浮に行こう2舗装されてない集落を歩く。
港から5分くらい歩いて着いた。

しかし、休み・・・

興味深い看板もあるのだが・・
船浮に行こう2
「島は時には敬遠され、時には人間の醜い戦場の場になり、またある時には安住の場として求められてきた」
マラリアによる強制疎開、劣悪な炭鉱での労働、戦争、そして楽園としてある今の存在・・・、西表や船浮の歴史や文化などが展示されている、すべて手作りの資料館だということらしいのだが休み。
そしてこの休みが「定休日だから休み」という感じではなく、ずっと開いてないような感じのする休みだったのが気になった。


港方面に戻る途中、集落の真ん中辺りに売店があった。
船浮に行こう2生活用品・酒類管理販売店 はまゆう

そこには「西表島の自然、歴史、文化 資料館西表館見学受付」という看板もある。

そうか、資料館といってもこんな陸の孤島まで来るような物好きな客などそうはいないのだろう。1日2~3人か?はたまた2~3日に1人来るくらいかもしれないな。
だからずっと資料館を開けておいてもしょうがないのだろう。だから売店を受付にして、見学客が来た時だけ開けるというスタンスなのだろう。ここが受付か・・・

と思い扉を開こうとする。

・・・閉まっていた。

別の看板に営業時間が書かれてあり、それを見て目が点になった。

「朝7:00~9:00 昼11:00~1:00 夜5:00~8:00」

いちおう急用のときの連絡先で携帯番号も書いてあるが、ただ「そこまでして開けてもらってもなぁ・・・」と思ったので、結局やめて港に戻った。


時間はまだ14時前。白浜港への次の船の出発時間(そして最終便)は17:10。
船浮に行こう2

3時間もある。何しよう。

我々は仕方なく、旧日本軍要塞跡へ行った。壕に入る。入ってわかったのだがこの壕は二重構造でもうひとつ縦に壕が平行して通ってある。壕を抜けると弾薬庫などがあり、ここが秘密の要塞であることがわかる。

この壕と西表館のことについては、以下に新聞記事(西日本新聞2005年06月13日掲載)を引用させていただきます。

要塞哀史語り継ぐ 沖縄・西表島の池田さん 旧日本軍施設 観光客に案内 知られぬ実態「解明せねば」

第二次大戦中、東南アジアと日本本土を結ぶ航路を守るため、沖縄県・西表島に建設された旧日本軍の要塞(ようさい)「船浮(ふなうき)要塞」を後世に伝えようと、要塞の地域内に住んでいた男性が秘められた哀史を語り続けている。要塞は、今も船でしか渡れない「陸の孤島」船浮地区と周辺に建設されたが、中で何が行われたか、戦後六十年がたった今も詳しい実態は明らかでない。

男性は元中学校教諭、池田豊吉さん(65)=同県竹富町=。教師だった十三年前から要塞の調査を始め、自宅横に個人で資料館を開くなどして、観光客らに要塞の歴史を伝えている。

日本軍は一九四一年、船浮要塞の建設用地を強制接収し、約三十世帯あった住民を強制的に石垣島などに移住させた。残るのを許されたのは、池田さんの家族をはじめ地区役職者など数世帯だけだった。

池田さんは、家近くの空き地で目にした惨状が忘れられない。「日本兵が、後ろ手に縛られた朝鮮人軍夫を並ばせ、木の棒で何度もなぐった。飢えた朝鮮人が、食料を盗んだというのが理由だった」。当時、西表炭鉱に徴用されるなどしていた朝鮮人が犠牲になっていたとみられ、うめき声や、撲殺され、遺体が運ばれる情景を、今も生々しく覚えているという。

要塞の調査を始めたのは、石垣島の中学校から、実家がある船浮対岸の白浜地区に転勤したのがきっかけ。ジャングルに覆われた司令所や砲台、慰安所跡など分散配置された要塞施設約二十カ所を歩いて調べ、その全容を資料館でパネル展示している。

昨年四月には、二男克史さん(32)が船浮で観光船事業を始め、人口五十六人の集落に月六百人ほどが訪れるようになり、池田さんは資料館を一般公開した。観光客の目的は、最果ての地の美しい自然を楽しむためだが、資料館や、集落のはずれにある特攻艇格納壕(ごう)などの要塞跡を見学し、「こんなところにまで戦争が押し寄せていたとは思わなかった」と驚く人が多いという。

池田さんは「一カ月ほど前にも、集落内の工事現場から朝鮮人のものとみられる骨つぼと遺骨が見つかった。まだまだ解明しなければならないことは多い」と話している。



こんなところにまで戦争が押し寄せていた。
長男は終始満面の笑みであり、パシャパシャと写真を撮っていた。
私は壕には興味ないので、満面の笑みの長男をパシャパシャ写真に撮っていた。

船浮に行こう2

30分くらいしかいなかったので、まだ船の出発まで2時間以上ある。近くにイダの浜という浜があるみたいなのでそこに行ってたそがれよう。

                                       つづく


タグ :船浮

同じカテゴリー(07.09鳩間・西表へ)の記事
船浮に行こう
船浮に行こう(2007-10-17 22:03)

西表にて
西表にて(2007-09-29 09:18)

ネコ王国、西表
ネコ王国、西表(2007-09-27 21:39)

鳩間島到着
鳩間島到着(2007-09-22 11:21)

石垣到着
石垣到着(2007-09-21 16:27)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。