61年後の8月6日
今年の8月6日は、家で寝ながら黙祷することなく、ちゃんと市内まで出てきた。
有能な側近のFも彼女と一緒にどっかにいるはずなんだが、メールを打っても電話をしても返答がない。有能だ。
「原爆供養塔」
平和公園の西北側にある。
この中には原爆で犠牲になった約7万といわれる、名前もなく引き取り手もない多くの遺骨が眠っている。
この中には軍人も動員者も学生も朝鮮から連行された人も、職業も民族も年齢も異なる人たちがここに肩寄せあって眠っている。
平和公園の中で唯一「墓」と呼べるところ。
そして、毎年8月6日には、ここで宗派を超えた追悼行事が行われる。
いろんな思想信条の違いはあっても平和への思いや核兵器廃絶という思いで繋がるという行為そのものが意味のあることなのでしょう。
原爆展
その後、某所で炭水化物氏やN原氏などと会ったところ、式典後、鼻の下を伸ばしながら歩いていたFが目撃されていたらしい。
油断は禁物である。
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