61年前の5月の沖縄

tana

2006年05月26日 23:28

日本軍、首里司令部を放棄

  南部(摩文仁)に撤退、組織的戦闘力を失う

    避難民巻き添え必至


61年前の5月の沖縄本島・・・
日本軍が行った5月5日の総攻撃が失敗した後どうなったか?
その後、司令部のある首里を防衛する最期の拠点・運玉森を米軍に占領され、5月27日夜、司令部を放棄し本島南部の喜屋武方面へ撤退を開始した。
日本軍は新たな司令部を摩文仁に置き、本土決戦の準備が整うまで沖縄に一日でも長く米軍を引き付ける戦略持久戦を展開する方針を決めた。しかし、すでにこの時点で多くの傷病兵を抱え、武器弾薬も底をつき、組織的戦闘力は失っていた。
沖縄県知事の島田叡は「首里を放棄して南端の水際まで下がるとすれば、南下した住民が戦火に巻き込まれ、県民の犠牲が大きくなる」と首里放棄に反対したが、軍はこれを受け入れず沖縄での抵抗を一日でも長く継続する軍の論理を優先した。
これにより米軍にとらわれることを恐れ、日本軍を追うように南部へ逃げる住民、留まっている住民を巻き込んだ地上戦が展開された。  (沖縄戦新聞より)

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沖縄は既に入梅して一足先に雨続きの日々が続いています。
そんな中、いよいよ6月中旬、長男主催「沖縄戦を再現し体感するというとんでもなくマニアックなツアー」第三弾が、今回は無謀にも現地住民をも巻き込み敢行されます。
今回のテーマは「61年前のこの時期、梅雨末期の雨の中、南部を逃げ惑う敗残兵と住民たち」
どうなってしまうのでしょうか?

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