3/9(水)
妻、検診。
子はまだ2,600gだけど、子宮口が2.5cm開いているらしい。「来週には産まれてるよ!」と言われたらしく焦っていた。予定日は30日だが、2週間早い。
そんなわけで職場の近くの保育園に一時保育の申請に行く。
また、内診されたため、「おしるし」のようなものがあったという。内診が原因なのか、本当のおしるしなのか?
まだ、名前は決まってない。
3/11(金)
そんなわけで職場の近くの保育園に一時保育の詳しい話を聞きに行くが、慣らし保育がいると言う。慣らし保育がいるとは言うがキャンセル待ちで次の週も木曜日しか空いてないという。
ムスメは今、車で40分の可部にある妻の職場の保育所に毎朝預けており、これからだんだん運転も辛くなってくるしと、とりあえず一時保育の登録はする。
職場に帰ってくると、宮城県で震度7の地震があったと聞く。
程なくして、三陸海岸に大津波が襲ってくる様子がテレビに流れた。それはまるで映画を見てるようなとんでもない光景。「これが津波か・・・」と絶句するくらいの光景。
自分の家が車がいとも簡単に・・・そんなことを思うと心が痛む。
広島にも津波注意報が発令されたので、私はそのまま注意報解除されるまで職場に待機。そのまま職場で一夜をあかすことになった。夜中も長野で震度6強が起こったり、頻繁に余震があり緊急地震速報が起こったりと、戦争中ってこんな感じなんだろうかと思う。
今、産気づくなよ。
3/12(土)
朝8:00、交代の人と変わる。
一夜明けてテレビで見る被災地の姿に唖然とする。戦争の後みたいな焼け野が原。でも現実の姿というのに言葉が出ない。
昼間はほとんど寝てたためあっというまに夜。
妻、夜、微弱陣痛が2回、そんなわけで妻の実家のじいちゃんばあちゃんを呼ぼうかとまで話したが、その後消えていった・・・。でも、今週あたりかな?
ムスメも、お母さんが入院するとか、お父さんが保育園連れて行くとかいろいろ言ってるから、お母さんがいなくなるというのがわかるのだろう。これまでにもまして「抱っこして~」と、お母さんべったりである。
家の外も中も大変なときだけど、できることをひとつひとつやっていこう。
名前の候補が3つに絞られた。
3/13(日)
福島第一原発の事故。
原発などのような危険な発電はやめて、水力発電と太陽光発電と風力発電で国中埋め尽くせば、原発分の電力を賄えるのではないか。これで雇用も生み出せば一石二鳥ではないか、と思う。一定規模以上の企業は自前で発電しなさいとか。それでも電力が足りなければ節電すればいい。節電しても足りなければ寝ればいい。
でもそうさせない力が働いているんだろうと思わせるような保安院と東電の会見だった。
今日も微弱陣痛が1回あったのみ。なんだかもう少しかかりそう。
私も明日から普通どおり仕事に行くことになりそうだ。
ネットで世界からの日本への祈りのメッセージを見る。こんなときだが世界は素晴らしいものだと改めて思う。
3/14(月)
ムスメ、久々に夜泣き。赤ちゃん返りかな?でもまだ2歳だししょうがないよな。
震災報道ばかりのテレビの中、教育テレビをふとつけると「おかあさんといっしょ」や「いないいないばぁ」をやってた。ムスメ、テレビにかぶりつく。こら、もう少しテレビから離れなさい。
震災報道ばかりのテレビの中、被災地でテレビ見れる環境にある子供たちは喜ぶだろう。
子供の笑ってはしゃいる声を聞けば、自然と大人も頑張れるものだ。
ようやく名前が決まった。
3/15(火)
原発は、さらに大変な状況になってきた。
水力発電と太陽光発電と風力発電で国中埋め尽くせという思いは変わらないが、福島第一原発内では作業員が命をかけて作業している。作業員はけっして普段は優遇されてはいないような末端の社員や下請けの業者だろう。
ムスメ、最後の可部の保育園。9月末から約半年、家族みんなよく頑張ったと思う。
そして、お腹の中の子が産まれるまでは、お母さん独り占めだよ。
夜、静岡で震度6強。もうなにが起こってもおかしくない気分になる。
3/16(水)
ムスメの4月からの保育園が決定!
妻、検診。
子は2,890gとだいぶ大きくなった。子宮口は2.5cmのままだが、いつ産まれてもおかしくない状況のよう。しかも経産婦だからコトが始まるとあっという間らしい。
夜、お腹の子が恥骨にはまってくる感覚がするという。
今晩なのか、今週なのか、まだ先なのか、それままだわからないけど、いずれにしても産まれてくる日は近づいてきているようです。
今、出来ることを、微力ながら、積み重ねていこう。
その繰り返しで、世界は変わっていく。