「だいたい四国八十八ヶ所」

tana

2011年05月21日 22:10

もう2ヶ月以上も前のことになるのだが、「だいたい四国八十八ヶ所」を買おうとフタバに勇んで出かけたものの置いてなかったということがあった。ここではこういうマニアにしか受けそうにない本は売らないんだな、とその後フタバに行く道が遠のいてしまった。

そんなわけで次へ行く。
老舗の紀伊国屋にいけばあるだろうとたかをくくっていたが、ここにもない。

これは本屋に問題があるのではなく、本そのものに問題があるんじゃないかとますますほしくなったが、程なく東北の大地震があって、そんなことはふっ飛んでしまった。


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そんなわけで2ヶ月が経過。

先日、長男から「駅前のジュンク堂にだいたい四国八十八ヶ所があったぞ」と希少種でも発見したかのようにいうので、それならと私は天満屋のジュンク堂に行ったら、そこにもちゃんと生息していたのを発見し、今買わないと次に行ったらあとかたもなくなってるかもしれないと、購入に至ったわけである。





ちびちび寝る前に読み、一週間で読み終えた。


この話はwebではだいたい読んでいたが(若干肉付きもされているが)、本になるとwebで読んだのとまた一味変わっていた。根拠は何もないがこの人の文章は縦書きにして本にあるような字体がいちばん面白く読めるのかもしれない。


そして読むにつけ、旅というものに対する考え方が私と似ているなと改めて思った。


「何のために、なんて考えていると、旅はいつまでたっても始まらない。
意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう。これが大切である。」


「旅の醍醐味の最たるものは、今自分がその場所にいるという実感ではないだろうか。」
「おお、私は、今、こんなところにいる!」


「旅の醍醐味のひとつは、わけのわからないことや、予定外の事態に遭遇することである。ちょっと予定通りに行かなかったといって苛立っては、旅の面白さは見えてこない。
時間や合理性に対する感覚が変容することであり、一筋縄ではいかなかったり、思い通りにいかなかったときに、その理不尽さややりきれなさを味と思ってこそ、旅が旅になるのである。」



「今、ここにいる」というワクワク感と、その予定調和がズレたことによるゾクゾク感を求めて旅するのだろう


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序盤はどちらかというと「私は今ここにいる」という旅の始まりに付きもののふわふわ感が読み取れたものの、特に中盤から後半にさしかかるあたり、旅にもずいぶん慣れてきて、地に足がついてきて、見えてくる世界も広がったのだろうか、文体にもより幅広さが加わって来て、格段に面白くなってきたのである。
そういう面では最後に近づくに従って、少しずつ惰性になってきたような文体も、すべてねらいだったのではないかとさえ思われる。

若いころのはじける様な勢いのある文体も当然良いのだが、中年と呼ばれる年齢になり、これまで旅を重ねてきた経験が加わったことで文章にも味が出てきたように思われる。
そんな味わいのある中に、時々若いころの勢いも時々のぞかせて、「私は今、宮田珠己を堪能しています」、という読中の感想に至ったわけである。


「人は充実の中にあるとき、なぜこうなったとか、そんなことはいちいち問わないものだ。ただ、今ここにこうしていてそれでいいという状態。まさしくそれが今という気がした。」

なるほど。


とりあえずはしまなみ海道を船で渡って、大三島の潮流体験船には乗ってみたい。そう思った次第である。

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