2008年06月13日

脚立から落ちる

今日は私は仕事(平日だし)、妻は休み。

19:00前に家に帰ると、妻の車は無い。まだ帰ってないというのはわかったが、玄関開けるとそこには脚立(2段の小さいやつ)が置かれたままで、カーテンが設置されつつあり、さらに奥では2,3日前から調子の悪かった折り畳み椅子が解体されつつあり、その状況で放置状態で妻はいなくなっていた。

なんとも中途半端な状況で・・・と思ったが、台所に書き置きが・・・。

「脚立から落ちてしまったので、念のために病院にいってきます。17:30」

びっくりしてケータイに電話するも、妻のケータイが家の中で鳴った。きっと着の身着のままで飛び出して行ったんだろう。
こっちも連絡するすべが無くなり仕方なく、大丈夫だろうと自分を安心させるために「妊娠出産の気がかりQ&A」の該当ページを探す。

そんなことをしてたら妻は帰ってきた。

大丈夫だったらしい。
羊水に守られてるから出血とかなかったら大丈夫のよう。とりあえずほっと胸をなでおろす。
そして病院で、エコーで赤ちゃんの手と足がばたばた動いているのが見せてもらったようで不思議な気分になったという。大きさも2.6cmになった。月曜に診察に行ったときは2.1cmだったから、5日間で5mm大きくなったのか。

そんなわけで、この時期、今後脚立は厳禁である(まぁこれで自分から乗ることは無いと思うが)。

明日は久々の長男邸へ。こちらもこの時期、野球の話題は厳禁だろう。なぜならば長男はベイスターズファンだからである。(と、いいながら自分から自虐的に話し出すかもしれないが・・・)  

2008年05月25日

オガターーー

    

「マリーンズの応援もすごいですが、カープの応援が一番です!」

篠田は洗礼を浴びたけど、今日は現時点で最高の試合でした。そしてオガタのこのヒーローインタビュー、痺れました。  

Posted by tana at 23:47Comments(0)TrackBack(0)2008年の鯉

2008年05月18日

今年初の焚火

京都但馬一人旅旅行記の途中ですが、去る土日、妻と長男(といってももちろん我々の子供ではない)と錦川へ2年ぶりの野営にいったのでそのときの写真をアップします


2年ぶりの錦川。テン場のトイレは壊れたままであった。
カヌーも積んでいったんだが、テントを組み立てた後、飲んだくれてしまい、その後カヌーを組み立てることは無くその姿を見せることは無く終わった。


「焼きそばが食べたい」という妻の注文に、長男が過去特注して作ってもらったという直径50cmの鉄板鍋を披露する。あの家には変なものならなんでもあることを改めて実感。


そして夜は焚火。
火は踊るように揺らめいていて、一瞬たりとも同じ姿を見せない。その写真を撮るのはやはり難しい。

火というものをじーっと見ていると気分が落ち着くというか、この一瞬たりとも同じ瞬間はありえない姿を見てると楽しい。
薪の位置を火ばしでちょっと変えるだけで勢いが変わる。風が吹けばまた火の勢いが強くなる。そして、薪が燃えた後、真っ赤な炭になるところも美しい。
真っ赤な炭は溶鉱炉の中のようにくすぶっている。
なんかあったらいつでも火がつくて燃え上がるぞ~という感じで。
瞑想などで、気持ちを無にするというものがあるが、火を見てるとそんなからっぽな気持ちになる。



対岸には錦川清流鉄道が1時間に1本くらいの割合で通る。装備撤収後、ちょっと乗って車窓から錦川を眺めてみようと思い、近くの駅に立ち寄る。が、次の列車がくるまで30分待たないといけないのと、昼間は2時間に1本のダイヤとなっておりどこかで降りて往復して帰ってくるまでに2時間以上かかるため、あっさりあきらめて広島に帰った。  
タグ :焚火

2008年05月09日

京都へ~2年ぶりの一人旅、京都但馬へvol.1~

2008年5月3日、この日から世間は4連休である。
ネコも杓子も旅に出る風薫る5月の連休であるが、私も例外ではなく京都へ向かった。

11時前に京都到着。腹減った、飯だ、駅の周りでなにか食べよう、なにかあるだろう。と思い改札を抜け・・・

なんだこの人の数は!!!

これは飯を食べるにもなにを食べるにも行列に並ばないとありつけそうにない。こんなところは早く抜けてバスに乗ろう、とバスターミナルへ行くも、どの方面のバスに乗ろうにも大行列が待っていた。まったく連休となったら日本人は・・・と思うもよく見ると外国人観光客も多い。そして日本人のような雰囲気でも口から発せられるのはハングル語だったりするから、浅はかな日本人の観光客がガイドブックに連れられこんなに集まってうっとおしい、・・・というのとも若干違うのだろう。

そんなにいうお前はどうなのか?浅はかな日本人観光客の一人ではないのか?という人もいるだろうが、私が京都に来たのは意味がある。
「立命館国際平和ミュージアム」に行ってみたかったのだ。
道中の人の多さに辟易しながらも、目的の博物館に着くと「さっきまであれだけいた人たちはいったいどこに行ったのだ??」というくらいそこは閑散としていたもんだから、前述の浅はかな日本人観光客と私とでは一味も二味も違うことが分かっていただけるだろう。

そういえばタイやネパールに行っても飛行機や空港までは日本人がいっぱいいるのに、いざ街歩きなどしてるとそこには全然日本人の姿がなく「あの時、空港であれだけいた日本人はどこにいるんだ」という気持ちによくなるのとよく似ている。

話を戻す。
なぜ、京都へ「立命館国際平和ミュージアム」に行ってみたい、と思ったのか。
それはもう6年も前になるのだが、我が有能なる側近のFに「一緒に映画でも行きませんか?」と誘われ横川シネマへ行ったことがあった。映画のタイトルは「軍隊を捨てた国」。コスタリカの国の話である。当時、前知識も無く見終わったので、ネットでいろいろ復習してたら、映画を製作した監督の会社のサイトの興味深いコラムに辿り着いた。
以下に勝手に引用する。

『・・・・平和博物館を建設中である。日本にも、平和博物館なるものがいくつかあるが、私から言わせればそのほとんどが「平和博物館」というカテゴリーにはいらない。もしかしたら、日本には平和博物館はひとつもないかもしれない。例えば京都の立命館大学は、「立命館平和ミュージアム」を作り、その評判は日本隋一だ。ところが、平和学の始祖にして権威であるヨハン・ガルトゥングは、それを知っていながら、こう言うのだ。「京都には立派な『反戦』博物館がありますね」と。そう、日本にあるのは全て、反戦博物館なのだ。平和博物館とは、まさに平和を生み出すためのものであり、戦争をしないためのものとは違うのである。無論、反戦は平和のうちに含まれる。だが、一部でしかありえない。ドニャ・カレンが現在建設中の平和博物館は、「平和とは何か」を考えるためのさまざまな工夫がしてある。・・・・』

「戦争の対義語が平和」というくらいの認識しかなかった当時、目から鱗が落ちるような感覚に陥った。
平和とは何だ?
よくわからないけど、とにかく行って見てみよう。そこがどんなものなのか。

・・・と思い苦節6年。アジアや沖縄ばかり行ってすっかり忘れていたこの場所に行ってみようと思い至ったのだ。  
タグ :京都

2008年05月09日

平和博物館~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.2~

立命館国際平和ミュージアム

ここは「かつて平和が損なわれた歴史」を見すえることを通じて「なぜ殺りくと破壊に狂奔したのかという、人類史的テーマを考える学習と思索と創造の場にしていきたい」という場。

私は「あの戦争での尊い犠牲があったからこそ今の平和な世の中がある」というような考えには違和感があるのだが、なぜあの戦争が起きたのかについてはやはり検証しておかなければならないと思う。

常設展は「十五年戦争の実体」「第二次世界大戦と戦争責任」「現代における戦争と平和」の3つのテーマがある。

以下に、見たこと、考えたこと、その場でメモしたこと、その夜考えたこと、家に帰り「長男戦争講座」のレジュメをみながら考えたことなど羅列しました。そのため、実際に展示されたものがどこまでだったのかわからなくなったが、気になった人は行ってみて欲しい。<JR京都駅より 市バス50番「立命館大学前」下車徒歩5分の場所にあります>

・戦争協力のための国債を発行し、町内会などで目標設定させ強制的に徴収させる。
・芝居などの文化自体も軍国主義的なものへ移行されていく。
・環境が変わっていく中で、一般人も進んで「協力」しながら戦時体制が構築されていくようになる。
・侵略先の植民地でも同じような環境としていく。
・そのような「おしつけ」に反対する抗日運動が起きる。今の中国の礎もここにあるのではないか。(ナチスに迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国し周辺国とトラブルを起こすのと同様のこと?)
・60年前など家族で言えばおじいちゃんの代であり、傷は簡単に消えない。親から子へ伝えられることにより溝が深くなることも多い。

・軍隊自体も人権無視、精神主義のいじめ体質であった。(そうでない軍隊というのは考えにくい)
・その環境の下で、軍隊の外の住民、植民地への住民へそのはけ口として向けられる。
・沖縄戦での日本軍、日本兵の住民へのさまざまな行動、住民の証言からその体質が一端として垣間見える
・今の社会も、「軍隊」はないが、近い状況はありうる(ストレス、いじめ、競争、格差・・)
・ネットなどの仮想社会では顕著(より弱いものや攻撃しやすいものへのはけ口となっている)
・セカンドレイプ(例えば米兵に被害にあった少女に「ついていくほうが悪い」という考えがネット上で大半を占めるという風になる論調。その言葉を言える資格があるのは家族などのごく身近な人だけである)

・9.11はたしかに衝撃的であった。しかし私たちは9.11のようなことはすでに受けている。
・一人ひとりが、その家族がどういうビジョンを持って寿命まで生き抜くか。そのためにはどういう環境が必要か。何を残していくか。何をなくしていくか。
・人間として、最適な環境とは何か?

・このような施設があり続けることが大事。いいと思ったもの、残したいと思ったものは訪れることが大事。
・ここは大学立だが、公立の施設であれば「採算が合わなければ民営化か廃止だ」と言われかねない。もちろん、民間にできないようなビジョンを実現することが公の施設であるはずなのだが。

・他人の痛みを自分の痛みとして感受できる想像力を磨くことができるか?そして、その環境にあるか。
・人間としての感性を磨くことができるか?そして、その環境にあるか。


ホームページはこちら  
タグ :京都

2008年05月09日

京都駅写真~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.3~

   知恩院近くの白川沿い

      
近代的な京都駅周辺の夕景


まったりするのにいいところ。
4日の午後はここでボーっとまったりしてて、8回裏の大逆転を呼び込みました。詳細はこちらに  
タグ :京都

2008年05月09日

城の崎にて~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.4~

京都17:25発、特急きのさき5号で豊岡まで山陰本線(嵯峨野線)を北上する。

山陰本線。「本線」なんていってるが、ただ長いだけで、単線でほとんど電化されてなく、景色はどこをとっても田舎の風景であり、果てしなく壮大なローカル線だという声がある。
たしかに京都駅発車後、しばらく(といってもほんのちょっと)は高架の上を走り街の風景の中を列車は走ったものの、ちょっと目をはなした隙に、車窓は田舎の風景になっていた。田舎というよりいきなり山間部である。さすが山陰本線。ここは保津峡というらしい。

そして単線の為、園部を過ぎた鍼灸大学前駅で離合による待ち合わせ。私の高校の頃の友達が鍼灸大学に行ったのを思い出した。今は明治国際医療大学なんて名前に変わったらしいが、駅名は昔のままである。

だんだんと日は西へ傾いていく。
一人旅先での夕暮れというのはなんだか物哀しい。
一人暮らしの頃など、遠い旅先で車窓から見え通り過ぎていく団欒にある種の郷愁感を抱いたものだが、今私は確実に帰る場所がある。帰る場所があるのになぜ旅をしているのだろう。私はもう旅路の果てに辿り着いてることを知ってるのに、知らないふりをしてるだけなのか。
遠い街での夕暮れに一人、もの想う。

18:48福知山到着。
この列車の側面に貼られてある。「北近畿ビックXネットワーク」なんてやたら大胆でそして怪しいネーミングである。
この列車「きのさき」もその一環で、京都、大阪の大都市圏と北近畿の二大観光地、城崎温泉と天の橋立を、ここ福知山駅をハブ駅として機能させているらしい。よってここから天の橋立方面の列車の接続がよい。ちょうどとなりのホームに大阪から来て天の橋立に向かう特急「文殊」と接続し、「きのさき」から乗り換えた乗客も何人かいた。
それにしても「文殊」というネーミングはあやしい。放射能漏れてそうだ。

このあたりからすれ違う普通列車も2両編成のワンマンカーになっていた。

辺りも暗くなってきて、さすがに同じ列車に2時間乗ってると飽きてきて、寝る。シベリア鉄道などに乗ったらどうなるのだろう。 

19:50豊岡到着。
宿のテレビではヤクルトvs巨人戦をやっていた。
この時は鯉も瞬間的に3位だったので、この戦いも高みの見物でいられたのだが・・・


次の朝、7:15に宿をチェックアウトし、荷物をコインロッカーに預け、豊岡7:29発の列車で城崎へ

駅に着き、川沿いの温泉通りまで歩くとそこは世界が違っていた。
歩いているほぼみんなが浴衣に草履で街を歩いている。時間的に朝湯の時間だ。デイバックかついで普段着を着て、丁寧に靴まで履いている私の方がなにかおかしな存在に思える。

志賀直哉も療養の為歩いたという温泉街をうろうろして結局駅前の「さとの湯」に入る。温泉のことは専門家ではないのでよくわからないが、やわらかなお湯だ。まったりと湯に浸かり時間を忘れる。

10時頃駅に。

大阪方面に帰るのか、駅には観光客が多くなっている。
そんな中、私の格好はというとデイバックの中にタオルを入れるとバックが濡れてしまうからと、タオルを首にぶらさげたままという格好である。タオルぶら提げ洗った髪も半乾きのまま駅の待合室に座り缶コーヒーをぐびりと飲んでいる。一応外だから服を着ているというだけで雰囲気は風呂上りそのものである。いまから都会へ帰ろうとでっかいトランクをコロコロさせている観光客の中、ここでも私はやはり浮いている存在のようだ。
いや、ここは温泉だからこのスタイルでいいはずだ。


駅前のさとの湯前、しとしと雨が降り出したが、これも情緒があってよかった。  

2008年05月09日

出石蕎麦~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.5~

10:21城崎発の列車で豊岡に戻る。

となりのボックスには父娘が乗っている。
娘は小学校低学年くらい。
父親は「ここの川にはコウノトリが1匹いるようだよ」と沿線円山川の名物の話をするものの、娘は「この電車くさい!」と無表情に不機嫌そうに父親に訴える。
これはディーゼルカーで電車じゃないよと思いながらも、さらに娘は「この電車おそっ!」と線路に沿って走っている車に追い抜かれた列車に文句を言う。
小学生にして小悪魔オーラでまくりだった。
そして電車じゃないって。

10:35豊岡に着き、10:55出石(いずし)行きのバスに乗る。

バスの乗客は計12人。カップルなど旅行者もいる。地元(と思う)の家族連れ乗り込むと「今日は人多いなぁいつもはガラガラなのにな」と話す。

バスは豊岡の街を抜け、円山川沿いを走る。
数年前、ここの堤防が決壊するという被害があった。災害復旧をやっていて堤防や川の中で工事が多い。

11:25頃出石に着く。

ここに来た目的はひとつ。「出石そば」を食べること。

そば屋を探して街を歩く。
すると道は車で渋滞していることに気づいた。出石城方面に駐車場があるようだが、そこへ入るまでに大渋滞を引き起こしているらしい。
私は知らなかったが「出石そば」というのは有名なのだ。
そしてここに来る人は当然ながら車で来るという人が圧倒的に多い。バスで来るような人は物好きなのだろう。そんな物好きな私は「連休のただでさえ人が多い時に、車で来るなんて馬鹿だね」と悪魔のようなささやきを残し、とあるそば屋の暖簾をくぐった。
    
皿そば一人前5皿で840円

出石城を歩き、城の前にある土産物屋に入る。
我々夫婦もそろそろコウノトリにあやかろうと、普段だったら買わないような「コウノトリの卵まんじゅう」(だったと思う)を買ってしまった。
このコウノトリの卵まんじゅうの効果については乞うご期待!  

2008年05月09日

餘部鉄橋を経て鳥取へ~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.6~

再び豊岡に戻ってきた。次の目的地は餘部橋梁のある餘部駅へ。
餘部鉄橋、3年後には架け替えが行われるらしく、すでに橋脚付近では工事が始まっている。そうそうここまでは来れないので今の姿が見れるのも最後かもしれない。

空を見ると雲行きが怪しくなってきている。午後は雨が降るという予報だった。

14:26豊岡発。城崎で乗り換え。10分ほど待って14:57城崎発。

車窓を見るとさらに空が暗くなり、雨が激しくなってきたようだ。
傘は持ってないし、駅周辺は何も無い。集落まではちょっとした山道を10分くらいあるかないといけない。雨宿りするようなところもないだろう。15:40に餘部駅に着いて、次の鳥取方面の列車がくるまでは1時間以上も時間がある。この雨の中1時間も動けずにいるのもどうか・・・と思い、そのまま乗って鳥取までいこうか。と思ったりもしたが、駅に着くといっぱい降りる人がいたので結局降りた。

    
鉄橋を通過する

       
駅に着くとすぐ特急が通過した   建設当時の様子を描いたという壁画

しばらく待合室で雨がやまないか待っていたが、小降りになったのを見計らって「今しかない」と集落の方への山道を10分ほど歩いて降りていった。

  

しかし駅に戻るとき、再び土砂降りになり、そして一向に止む気配もないためそれは大変だった。





16:59餘部から浜坂行きの列車に乗る。
雨に打たれ、鯉も負けたという情報も得てかなりぐったりして列車に揺られていた。浜坂で乗り換えて鳥取へ。

鳥取に近づくと、意外にも街にはビルがたくさんあり、これまで通ってきた豊岡や香住、浜坂などにくらべ非常に近代的な都会ではないか、鳥取もやるじゃないか、と思ったが、広島に帰ってきた今では、その時だからそう感じただけかもしれないと思うようになった。

鳥取からは「特急スーパーまつかぜ」に乗り松江まで。スーパーなんて大げさな・・・と思ったが、鳥取を出発してその考えが改まった。
「速いじゃないか」
これまで城崎や餘部をまったりと走ってたのに比べて加速が全然違う。しかもしばらくは線路も高架の上を走ってるし、鳥取の人は新幹線がこういうものだと勘違いしたりしないだろうかと思うくらい速かったので非常にびっくりした。鳥取もやるじゃないか、と思ったが、広島に帰ってきた今では、その時だからそう感じただけかもしれないと思うようになった。  

2008年05月09日

木次線で広島へ~2年ぶりの一人旅、京都但馬vol.7~

松江で泊まり、最終日は木次線、芸備線を通って家に帰る。

8:11松江発

この辺の普通列車はワンマンカーになっている。ドアは自動では開かない。いや厳密に言うと自動ドアなのだが、客が「開」、「閉」のボタンを押さないとドアが開かないシステムになっている(のか?)。途中の駅で都会からきたと思われる女子大生風の旅行者2人が列車に乗り込もうとするも、ドアが開かないので、ホームで2人まごついていた。何とか近くに乗っていたおばさんが「開」のボタンを押したので事なきを得たが、開いたままのドアを見ながら2人は「『閉』ボタンを押さんと開いたまま走るんじゃない?」と心配気味だ。そんなことは無いと思う。無事、出発の際自動でドアは閉まったことは言うまでも無い。

8:32宍道着、9:04宍道発、木次線で木次へいく。9:30頃木次に着いた。

木次線はここから先は運転本数が少なくなり、特に出雲横田~備後落合間は1日3往復しか運行されない。そのうち1本はおろち号(トロッコ列車)である。私は別にトロッコなどどうでもいいが今の時間は他に無くこれに乗らないと次に進めないからトロッコに乗るしかない。トロッコは全席指定であり指定を買うしかないのだが、指定は満席だという。なに、乗れないのか?と思うも、後ろの予備車だったら指定券が無くても乗れるようで、後ろの車両に腰を下ろす。

  
トロッコの車内     トンネルを抜ける

出雲横田駅で降りる。なかなかな雰囲気の駅。

    

奥出雲蕎麦、素朴な味だった。

出雲坂根~三井野原までの間は木次線のハイライト「スイッチバック」がある。
スイッチバックとは鉄道が一気に上がっていくことができないような地形の標高の差を解消するために考えられた仕組みで、ジグザグに線路がひかれて標高を稼いでいくもの。木次線は2回の進路変更を行うことから三段スイッチバックと言われている。
出雲横田からは12人くらい乗っていたが、出雲坂根でさらに10人以上が乗り込んできて1両の車両内は乗客は前に被りつきでワー、スイッチバックで折り返しをすると後ろに行ってワー、おろちループが見えたら窓に被りついてワー、と大盛況となった。
出雲坂根から乗った客は次の三井野原でみんな降り、なんか台風が去った後のような感じだった。

車内はスイッチバック前の人数になって、1月以来の備後落合駅に着いた。広島県に帰ってきた。

と、旅はここで終わったようなものだが、話はもう一回続く。。。  

2008年05月09日

コウノトリの卵効果~2年ぶりの一人旅、京都但馬へvol.8~

日本で最後の野生コウノトリの生息地として知られ、コウノトリの保護・繁殖・共生の事業が行われている豊岡市。その豊岡の観光地出石でもコウノトリにちなんだ土産物が売られ、私も普段だったら買うことは無い「コウノトリの卵まんじゅう(だったと思う)」を買って帰ったわけだ。

5月7日、広島へ帰ってきた次の日私は普通に出勤した。妻は深夜明け。

夕方メールが来た。「これってどう?」と。
添付された写真を見ると、妊娠検査薬の判定のところに赤い線が・・・
まぁこれまでも基礎体温をつけたりといろいろ考えて物事を進めてきた我々であったが・・・、その効果がさっそく現れたか?

そして5月12日、妻休みの日に産婦人科へ行く。


妊娠5週、ちゃんと子宮内に6ミリの赤ちゃんいました。予定日は1月12日です。まだ中身が確認できないから二週間後また診察です。

新しい命が、まだ6ミリだけど確実に自分達の子供がここにいる。
そう思うと不思議な感覚がした。
なんというか「夕凪の街 桜の国」を読み終わったときの感覚に近いものだろうか。
命と言うものがこういう風に生まれてくる。自分もこんなところから育ってきたんだ。
やっとできた二人の新しい命、二人でそしてみんなの助けを借りて育てていこう。


2週間後の検診(5月23日)
心音も聞こえた。心臓がパコパコ動いていた。赤ちゃん自体は5ミリくらい、卵胞は2センチくらいに大ききなってて赤ちゃんを包んでくれている。次の診察で予定日もしっかり決まる。

と、同時に妻のつわりも本格化。今、我が家はそれなりに大変である。

厳密に言えばコウノトリまんじゅうを買った時点では、すでに命が宿ってたこととなるが、まぁそんなことはどうでもいい。いつか親子揃って豊岡へ出石蕎麦を食べに行ってこんな話でもしよう。


  2年ぶりの一人旅、京都但馬へ =終わり=


そんなわけで次回は6月21日より、つわり最高潮の妻を置いて長男(私の子供ではない)と二人合わせて52回目の沖縄(私21回、長男31回)へ慰霊の日の表情を探す旅に出ます。
と同時に長男は赤字続きの有限会社長男代表取締役として数十個のガマに潜る予定です。もちろん長男がガマに潜っている間は私は別行動。久高島にでも日帰りで渡ろうかと思案中です。(当初はNAHAマラソンコースの下見でもしようかと思ってたものの、12月は妊娠8ヶ月くらいになっていることでNAHAマラソンは来年に延期とし、下見も中止となりました。)
とにもかくにも乞うご期待。  

2008年05月04日

サル

連休。
私はカレンダーどおり4連休であるが妻は4日間とも仕事である。
よって一人家でごろごろしてもしょうがないため現在、京都大阪近辺を散歩中。
そしてただいま歩くのに疲れたため、ネットに避難中。

と、ここでは、4連休の前日、妻の休暇に合わせて有給をとり(図らずも5連休となった)、安佐動物公園へ行ったので報告したい。

私はことさら動物好きというわけでもないが、やはり動物を見てると飽きない。
ことにサル山には30分以上もふたりでへばりついてた。

さて13:30、サルの食事の時間のようだ。
扉のむこうから従業員がエサをやりにくるのか、扉の前には黒山の人(サル)だかりである。



「飯はまだかのぉ」といった感じで行儀よく座って待っている。


こっちは、扉に手をかけて「腹減った。早く飯食わせろ」と言ってる。
見ているほうもどうかと思うが、20分前から同じポーズをしている。

エサが配られ、サル山は騒然となったことはいうまでもない。
ちなみに、今日のメニューは食パン、バナナ、ミカン、りんご、ゆで卵、ビスケットのようなもの でした。  

2008年04月29日

エキゾチック近所

3日から京都~山陰本線経由で散歩旅へ出かける予定なので、今週の休みは家でまったりと過ごす。
気づくと家の裏の休耕田に花がいっぱい咲いていた。

      

今日はこれから本屋で立ち読みして、夕方は東京ドームの4位争いをTVで観戦予定。
9時頃までは試合の行方に興味を持ってTVが見れるように・・・  

2008年04月19日

高橋建劇場

すでに「栗原が、梵が、(シーボルが)爆発するのを気長に待つか・・・」と仙人のような心境になっているところである。
そして今日の広島地方は強い風が吹いている。曇るとまだ肌寒い。先発は高橋建だろう。
この強風の影響をもろに受け小笠原にラミレスにポンポンと外野スタンドに放り込まれるいやな予感が頭の中から離れなかった。
しかし、こんな状況でもこれまで私が市民球場に行くと2戦2勝であると思い直し(2試合ともベイ戦だけど)市民球場へ。続きはこちらに

今日の主役

7回のジェット風船
  ↓
強風でほとんどがグランドに。スタッフ総出で片付ける図。  

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2008年04月05日

今季初の市民球場

    

    

    

沖縄尚学、センバツ優勝おめでとう!
シーボルがそろそろあやしくなってきたから、沖縄尚学出身の比嘉もレギュラーのチャンスなんだけどね。

前田健太、プロ入り初先発も5回3失点、落ち着いてました。

打線、一時はどうなることかと思ったけど・・・なんとかかんとかサヨナラ勝ち!これで勢いに乗ってくれれば。。。続きはこちらに  
タグ :カープ天谷

Posted by tana at 22:15Comments(0)TrackBack(0)2008年の鯉

2008年04月04日

「ハルモニからの宿題」

オビの言葉「日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えません」

日清日露戦争を経て日本は朝鮮半島、台湾を植民地とする。その後、満州事変を起こし、満州も植民地とする。

日本軍が占領した朝鮮半島では若い女性が強制的に連れ去られ、自分の意思に反して「慰安婦」にさせられた。「慰安婦」とはいうものの、一日に数十人の兵士の性欲処理の相手をさせられ、休むという自由はなかった。「道具」のように扱われ「性奴隷」と言ったほうがいいくらいのもの。

韓国には「ナヌムの家」という元「慰安婦」の方が暮らしている施設があり、日本軍「慰安婦」歴史館もあり、このことを伝えている。

神戸女学院大学の石川康宏ゼミでは、慰安婦問題を過去の問題でなく今の問題として取り組んでいる。

この問題を学習し、ゼミ旅行でナヌムの家を訪れハルモニたちとの交流を行い、その経験や感じたこと考えたことを「自己浄化」で終わらすだけでなく、講演で発表し伝えている。先週、その話を聞きにいった。

ハルモニの絵を写しての朗読はぐっとくるものがあった。

水曜集会で女子大生がつくった横幕の言葉の一部「事実と向き合うことが平和への第一歩」という言葉に共感した。私自身、仕事も日常生活もこの「逃げない、嘘をつかない、そして客観的に検証された事実と向き合う」姿こそが関係をうまく保つ秘訣なのだと思っている。

このことが日本国内では表に出ず、隠されようとしていることにもショックを受けた。三十数年生きている私も「慰安婦」という言葉くらいは知っているものの、戦争を広げていく中で「慰安婦」を通して何があったのかほとんど知らなかった。

そういえば、沖縄「南風原文化センター」での展示の中に軍施設のイラストパネルがあり、その中に当たり前のように「慰安所」のイラスト表記がされていたのが印象的だったのを思い出した。

本は普通に手に入るかわからないが、ブログもおすすめ。石川康宏研究室で検索して欲しい。
ブログ内、歴史「慰安婦」問題のカテゴリーにゼミ旅行の様子が詳細に書かれており、たいへん読み応えがある内容である。  

Posted by tana at 23:07Comments(0)TrackBack(0)映画,本,CD他

2008年04月02日

へっぽこ

最後の嶋の打球が取られるか取られないかくらいのタイミングで私は部屋を出た。
NAHAマラソンに向けたトレーニングをしなくては・・・。

今の鯉の状況を考えるならば、42.195km走る苦しみなんてまったく些細なことだろうと思って私は走り始めた。
走り始めはしんどいが、1kmくらい走ると体が慣れるのか、ランニングハイになるのか、いくらでも走れるぞというような感覚に陥る。しかし炭水化物氏にもらったマラソントレーニングの本では徐々に走る量を増やすようにとあり、10分くらい走ったところで今日はこの辺にしておいた。
そんなわけで今日は国際通りくらいまでは走れるだろうということを確認した一日だった。

目指せ、東風平。
目指せ、鯉4点。
がんばれ沖縄尚学。  
タグ :走る

2008年03月24日

布ぞうり



着古したTシャツが布ぞうりとなったその次の朝のこと・・・

7:40頃、仕事に行こうと家を出ようとするが、いつものところに車のカギ(ゴーヤーマンがキーホルダーになっている)がない。
どこいった???探すも無い。焦る。
・・・思い出した。昨日、妻のカバンの中でカギを見た気がする。
ケータイに電話をする。病院(職場)の目の前まで来ていた様だが、私の状況を聞き自分のカバンを探す。そしてほどなく、ゴーヤの触感を感じた妻、凍りつく。

・・・結果、二人とも一時間年休となりました。

そして病院では年休の理由が「家庭の事情」と伝えられ詮索好きの看護師達にいろいろと根掘り葉掘り聞かれ大変だったたらしい。そして事実を話すと大笑いされたという。
私も今では笑い事であるが、とりあえず仕事前にケータイに出てくれてよかった。

■写真は朝の状況とはまったく関係ありません。  

2008年03月16日

香川へ=うどんばかり食べる旅=

結局「UDON」は見てしまった・・・

そして次の朝は5:30に起床し、6:20に八千代の家を出発。平日でさえこんなに早く起きないのに全くはしゃいでいる。
途中N井さん、長男を拾い、7:30に広島東ICに入ると、そのまま休憩も無く一気に瀬戸大橋へ。9:30に四国上陸を果たすまで、来るべきうどんの為、缶コーヒーとクッキー1個で空腹をしのいだ。
世に言うミーハーで浅はかな日本の観光客というのは我々のことを言うのかもしれない。

四国島内は運転手が私、隣で長男がナビと「沖縄レンタカーでの黄金バッテリーが一夜限りの復活」である。(意味不明)

9:40最初の店、丸亀にある「なかむら」へ

鯉のぼりが目印のこの店だが、鯉のぼりがなくてもすぐに分かった。既に客の車でいっぱいである。「ネギがほしければ庭にあるから自分で刻め」というエピソードをもつこの店も、この時点で20分待ちである。
30分待って最初の「釜玉小200円」
細めの麺で比較的やわらかい。そして前日映画でも言ってたとおり釜玉にはうどん二玉がちょうどいいということを確認した次第である。


その後15分程走って、10:35善通寺の「山下」へ。
ぶっかけの元祖といわれるこの店は普通に注文をとり後でお金を払うという一般店スタイル。
ぶっかけの小 250円
非常に麺のコシが強いのが特徴。
過去、岡山に住んでいた長男が一押しの麺のよう。「昔うどんブームの前なんかはうどんを歯で噛んでたらおやじに叱られた」らしく、ツルツルと噛まずに飲み込んであっという間に食べ終わっていた。

さて次は妻の提案により満濃町美合にある11~13時の2時間しか営業しないという「谷川米穀店」に車を走らせる。
30分以上走っただろうか。11:20頃、美合の集落に入り店を探すがそれらしき店は無い。もともと米穀店でありうどん屋じゃないんだからと一軒一軒じっくり見るも無い。そして集落には我々と同じニオイを発した車(県外ナンバー)もうろついている。
駐車場に車を停め歩いて探そうとすると、隣に泊まっていた車の人が帰ってきて「休みが月曜から日曜に変わったみたいだよ」と。

・・・次いこう。

3軒目。
同じ満濃町にある「やまうち」へ。
持っていった「恐るべきさぬきうどん」でも最初に紹介されてあり、山の中の秘境のうどん屋として紹介されている。秘境マニアとしては行かねばならない。
山の中の秘境のイメージ(映画でユースケサンタマリアと小西真奈美が最初にうどんを食べた店のイメージ)があったものの、土讃線の踏切を渡るとすぐ山の上に駐車場を発見した。あっけなかった。そして車はいっぱいいた。12:00到着
「恐るべきさぬきうどん」の本は93年に製本、その後15年が経過、その間のブームの到来で店を取り巻く環境も大きく変わってしまったのだろう。
15分ほど行列を待ってうどんにありつく。
かけ(ひやあつ)の小 200円
だしが絶品だった。天ぷらも美味かった。今回行った中で一番の一押しである。


4軒目。
12:30 まんのう町吉野の交差点到着。
ここには、しょうゆの元祖「小縣屋(おがたや)」と釜揚げが有名で西の長田と言われる「長田うどん」の二つの店が交差点を挟んで並んでいる。どちらに行こうか迷ったが、カープファンとしてはオガタだろうとしょうゆの元祖の方に入る。
ここは店構えがしっかりしている感じ。普通に注文をとって後精算の店。
しょうゆうどんの小 420円
大根丸々1本出てきて自分ですりおろすスタイルである。
値段を見てもお分かりの通り、小といいながら若干麺の量は多めだった。4件目にしてはじめて「腹いっぱいになった」感覚がした。そして妻はここでダウン寸前である。うーん、ここで琴平の温泉にでも入って一休み・・・と思ったが、長男とN井さんは顔色変えずに「次行こう」
恐るべしである。

5軒目。目の前の長田うどんへ。
ここで妻はリタイアである。(よって写真なし)
車の中に妻を残し、私もかなり腹は膨れたが、かまあげ小 250円
「たらいうどん10玉分」なんてメニューもあり、他の二人が頼みやしないかとひやひやしたが、みんなかまあげ小だった。
13:00に店に着いたが駐車場が開くまで待ったのと、行列に並んだのと、出てくるまでに時間があって、13:30頃うどんにありつけたので若干腹具合も収まってきたのと、量が少なかったため、意外にペロリと平らげた。まだ次にいけそうだ。

次へ行こうと3人。「これでもう最後ですよ」と妻は叫ぶ。
琴平町の宮武に行こうと車を走らせたが、道路上に100人くらい並んでいる。
その時点で戦意喪失である。そこまで並んで食べるほどミーハーではない。

琴平の銘菓に「灸まん」というのがある。私は灸まんというのは良く知らなかったが、琴平に着くと道路にある電柱という電柱に「灸まん」と書かれてある黄色い目立つ看板が設置してある。車で走ってて見える電柱一本一本に灸まん灸まん灸まん灸まん・・・。右の電柱見ても灸まん、左の電柱見ても灸まん、である。と、灸まんだけでもこんなにインパクトがあるのに困ったことに「灸まんうどん」なんて看板まで貼り付けてある。灸まんうどんとは何者だ?うどんの食べすぎでおかしくなったんじゃないか?おかしくなったのは我々か?

そんなわけで最後はガイドブックにも載ってない「灸まんうどん」へ。
行ってみると何の変哲も無い、灸まんの本舗が経営している、地元の人が多いセルフのうどん屋だ。
かけ小200円と天ぷら2個
うどんは美味かった。何の変哲の無い店だが普通に美味いことに感心した。そしてはうどんが美味いだけでなく、天ぷらも美味いということだ。これはどの店でも共通のことである。
ちなみにトッピングに灸まんはついてなかった。なくて十分である。

他所者がブームを作って荒らすだけ荒らしても、根付いた文化はそう簡単には崩れることはなく、逆にそれをエネルギーにするくらいのしたたかさを感じた香川・うどんへの旅だった。
今度はJRと琴電を乗り継いでの行程も考えてみよう。  
タグ :うどん

2008年03月15日

UDON?

昨日(14日)、我々はうちなーで飲み、長男邸に泊まった。
話の中で、もののはずみで香川にうどんを食べに行くことになった。
行く日は明後日、日曜日(16日)である。思い立ったが吉日とは言いすぎだ。

そして今朝、新聞を見てたら困ったことを発見した。
今晩テレビで「UDON」があるではないか。
テレビで放送された次の日に香川にうどんを食べに行くなんて、マスメディアの伝える内容をただただ鵜呑みにするだけのミーハーで浅はかな観光客丸出しじゃないか。
困った。

困ったが、どうしようもない。そのような映画が放送されていたことは知らなかったふりをするしか手はなくなった。
そんなわけで我々夫妻とN井さん、長男の4人は明日の朝早く香川へ旅立つ。
少なくとも映画があるのを知る前に香川へ行こうと思い立ったことだけは声を大にしていいたい。精一杯の言い訳である。

民宿長男の朝食

長男邸をチェックアウトした後、我々夫妻のその後の行動。
私は市内で髪を切りにいき、妻は呉の実家でタイヤをノーマルにやり変えるなど思い思いに過ごし、午後ソレイユで合流することとした。

車がないため市内からソレイユまでどうやっていこうかと思案したがひらめいた。
12月のNAHAマラソンに向けこれまでウオーキング程度のトレーニングしか行っておらず、トレーニングのトの字くらいしか行っていなかった。そのため、ソレイユまで1時間の道のりを歩いていくこととした。これでトレーニングのトレまでいったか?
但し今子供が出来ているのが判明すると、予定日が思いっきり12月上旬になってしまう。その可能性もまだまだ残されている。

段原を越えるとなにやら大規模な工事をしていた。何だ何だこれは?と思ったが、看板を見て分かった。新球場の建設中だった。