2011年12月26日
旅行人「休刊」
昔の旅行人が好きだった。

「インターネットもブログもなかったころに仲間内でつくった90年代っぽい雑誌。」
飲み話の延長から本ができる感覚とか、合宿感覚でモノを作り出すという肌に感じる一体感とか。
そういえば宮田珠己氏がメジャーになるきっかけもこの旅行人だった。
*****************************************
旅の本も売れなくなってき久しい。
書店の旅本コーナーもどんどん小さくなっていく。
そういったものは「世界一周ブログ村」に変わってしまったのかもしれない。
誰もが簡単に発信でき、交流でき、それこそリアルタイムで家にいながら世界一周を疑似体験できるような・・・
*****************************************
方や90年代の雑誌には、
写真だってそんなにないし、あっても白黒だし。中に書かれていた地図が旅ごころをくすぐった。
そこにあるのは本当に未知の世界だった。
旅行人と歩き方の情報だけでカトマンズに降り立った時のドキドキ感を思い出す。
この雑誌との出会いがなければ、私は世界へ飛び立つことなどなかっただろう。
そして果てしなく広い世界など知らなかっただろう、きっと。
=関連記事=
13年前の旅行人と「社員の星」
wonder
「インターネットもブログもなかったころに仲間内でつくった90年代っぽい雑誌。」
飲み話の延長から本ができる感覚とか、合宿感覚でモノを作り出すという肌に感じる一体感とか。
そういえば宮田珠己氏がメジャーになるきっかけもこの旅行人だった。
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旅の本も売れなくなってき久しい。
書店の旅本コーナーもどんどん小さくなっていく。
そういったものは「世界一周ブログ村」に変わってしまったのかもしれない。
誰もが簡単に発信でき、交流でき、それこそリアルタイムで家にいながら世界一周を疑似体験できるような・・・
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方や90年代の雑誌には、
写真だってそんなにないし、あっても白黒だし。中に書かれていた地図が旅ごころをくすぐった。
そこにあるのは本当に未知の世界だった。
旅行人と歩き方の情報だけでカトマンズに降り立った時のドキドキ感を思い出す。
この雑誌との出会いがなければ、私は世界へ飛び立つことなどなかっただろう。
そして果てしなく広い世界など知らなかっただろう、きっと。
=関連記事=
13年前の旅行人と「社員の星」
wonder
2011年05月30日
「前へ!前へ!前へ!」
ボランティア、自己満足の末に与えられたものが、その先どうなっていったか。
・・・寄付した井戸は4年後、誰も使うことなく荒れ果てていた。
・・・送った衣類はマーケットに横流しされ、現地の産業を圧迫していた。。。。
12月に読んだ「僕たちは世界を変えることができない」の続編みたいな本だなと思い購入。(もちろん著者も内容も環境も異なる別の話であるが)
==============================================

「前へ!前へ!前へ!」税所篤快著 木楽舎 ¥1,300
グラミン銀行の話をきっかけに話の舞台はアジア最貧国のひとつといわれるバングラディシュへ。
「この国では貧乏人と田舎者はダッカ大学へは行けない」
そんな教育格差のバングラディシュ。
政治的なこと、宗教的なこと、問題はいろいろあれど、そんなバングラディシュの貧しい農村部に、同国初の映像教育プログラム「e‐Educationプロジェクト」を発足させ、貧しい学生でも国立大に入学出来るような教育環境を実現させた物語。
==============================================
2日で一気に読み終えた。
「アツい人というのはやったことはアツいのではなく、やってる過程がアツい。その過程で人を巻き込んでいく。」という話を聞いたことがあるがまさにそのとおりの行動力で周りの人を巻き込んでいき、目指すものめがけクレイジーに突き抜けていったノンフィクション。
明日からも、いや今からでもがんばろうと思える一冊でした。
・・・寄付した井戸は4年後、誰も使うことなく荒れ果てていた。
・・・送った衣類はマーケットに横流しされ、現地の産業を圧迫していた。。。。
12月に読んだ「僕たちは世界を変えることができない」の続編みたいな本だなと思い購入。(もちろん著者も内容も環境も異なる別の話であるが)
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「前へ!前へ!前へ!」税所篤快著 木楽舎 ¥1,300
グラミン銀行の話をきっかけに話の舞台はアジア最貧国のひとつといわれるバングラディシュへ。
「この国では貧乏人と田舎者はダッカ大学へは行けない」
そんな教育格差のバングラディシュ。
政治的なこと、宗教的なこと、問題はいろいろあれど、そんなバングラディシュの貧しい農村部に、同国初の映像教育プログラム「e‐Educationプロジェクト」を発足させ、貧しい学生でも国立大に入学出来るような教育環境を実現させた物語。
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2日で一気に読み終えた。
「アツい人というのはやったことはアツいのではなく、やってる過程がアツい。その過程で人を巻き込んでいく。」という話を聞いたことがあるがまさにそのとおりの行動力で周りの人を巻き込んでいき、目指すものめがけクレイジーに突き抜けていったノンフィクション。
明日からも、いや今からでもがんばろうと思える一冊でした。
2011年05月21日
「だいたい四国八十八ヶ所」
もう2ヶ月以上も前のことになるのだが、「だいたい四国八十八ヶ所」を買おうとフタバに勇んで出かけたものの置いてなかったということがあった。ここではこういうマニアにしか受けそうにない本は売らないんだな、とその後フタバに行く道が遠のいてしまった。
そんなわけで次へ行く。
老舗の紀伊国屋にいけばあるだろうとたかをくくっていたが、ここにもない。
これは本屋に問題があるのではなく、本そのものに問題があるんじゃないかとますますほしくなったが、程なく東北の大地震があって、そんなことはふっ飛んでしまった。
******************************************
そんなわけで2ヶ月が経過。
先日、長男から「駅前のジュンク堂にだいたい四国八十八ヶ所があったぞ」と希少種でも発見したかのようにいうので、それならと私は天満屋のジュンク堂に行ったら、そこにもちゃんと生息していたのを発見し、今買わないと次に行ったらあとかたもなくなってるかもしれないと、購入に至ったわけである。

ちびちび寝る前に読み、一週間で読み終えた。
この話はwebではだいたい読んでいたが(若干肉付きもされているが)、本になるとwebで読んだのとまた一味変わっていた。根拠は何もないがこの人の文章は縦書きにして本にあるような字体がいちばん面白く読めるのかもしれない。
そして読むにつけ、旅というものに対する考え方が私と似ているなと改めて思った。
「何のために、なんて考えていると、旅はいつまでたっても始まらない。
意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう。これが大切である。」
「旅の醍醐味の最たるものは、今自分がその場所にいるという実感ではないだろうか。」
「おお、私は、今、こんなところにいる!」
「旅の醍醐味のひとつは、わけのわからないことや、予定外の事態に遭遇することである。ちょっと予定通りに行かなかったといって苛立っては、旅の面白さは見えてこない。
時間や合理性に対する感覚が変容することであり、一筋縄ではいかなかったり、思い通りにいかなかったときに、その理不尽さややりきれなさを味と思ってこそ、旅が旅になるのである。」
「今、ここにいる」というワクワク感と、その予定調和がズレたことによるゾクゾク感を求めて旅するのだろう
******************************************
序盤はどちらかというと「私は今ここにいる」という旅の始まりに付きもののふわふわ感が読み取れたものの、特に中盤から後半にさしかかるあたり、旅にもずいぶん慣れてきて、地に足がついてきて、見えてくる世界も広がったのだろうか、文体にもより幅広さが加わって来て、格段に面白くなってきたのである。
そういう面では最後に近づくに従って、少しずつ惰性になってきたような文体も、すべてねらいだったのではないかとさえ思われる。
若いころのはじける様な勢いのある文体も当然良いのだが、中年と呼ばれる年齢になり、これまで旅を重ねてきた経験が加わったことで文章にも味が出てきたように思われる。
そんな味わいのある中に、時々若いころの勢いも時々のぞかせて、「私は今、宮田珠己を堪能しています」、という読中の感想に至ったわけである。
「人は充実の中にあるとき、なぜこうなったとか、そんなことはいちいち問わないものだ。ただ、今ここにこうしていてそれでいいという状態。まさしくそれが今という気がした。」
なるほど。
とりあえずはしまなみ海道を船で渡って、大三島の潮流体験船には乗ってみたい。そう思った次第である。
そんなわけで次へ行く。
老舗の紀伊国屋にいけばあるだろうとたかをくくっていたが、ここにもない。
これは本屋に問題があるのではなく、本そのものに問題があるんじゃないかとますますほしくなったが、程なく東北の大地震があって、そんなことはふっ飛んでしまった。
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そんなわけで2ヶ月が経過。
先日、長男から「駅前のジュンク堂にだいたい四国八十八ヶ所があったぞ」と希少種でも発見したかのようにいうので、それならと私は天満屋のジュンク堂に行ったら、そこにもちゃんと生息していたのを発見し、今買わないと次に行ったらあとかたもなくなってるかもしれないと、購入に至ったわけである。

ちびちび寝る前に読み、一週間で読み終えた。
この話はwebではだいたい読んでいたが(若干肉付きもされているが)、本になるとwebで読んだのとまた一味変わっていた。根拠は何もないがこの人の文章は縦書きにして本にあるような字体がいちばん面白く読めるのかもしれない。
そして読むにつけ、旅というものに対する考え方が私と似ているなと改めて思った。
「何のために、なんて考えていると、旅はいつまでたっても始まらない。
意味を考える前に計画を立て、結論が出る前に出発してしまう。これが大切である。」
「旅の醍醐味の最たるものは、今自分がその場所にいるという実感ではないだろうか。」
「おお、私は、今、こんなところにいる!」
「旅の醍醐味のひとつは、わけのわからないことや、予定外の事態に遭遇することである。ちょっと予定通りに行かなかったといって苛立っては、旅の面白さは見えてこない。
時間や合理性に対する感覚が変容することであり、一筋縄ではいかなかったり、思い通りにいかなかったときに、その理不尽さややりきれなさを味と思ってこそ、旅が旅になるのである。」
「今、ここにいる」というワクワク感と、その予定調和がズレたことによるゾクゾク感を求めて旅するのだろう
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序盤はどちらかというと「私は今ここにいる」という旅の始まりに付きもののふわふわ感が読み取れたものの、特に中盤から後半にさしかかるあたり、旅にもずいぶん慣れてきて、地に足がついてきて、見えてくる世界も広がったのだろうか、文体にもより幅広さが加わって来て、格段に面白くなってきたのである。
そういう面では最後に近づくに従って、少しずつ惰性になってきたような文体も、すべてねらいだったのではないかとさえ思われる。
若いころのはじける様な勢いのある文体も当然良いのだが、中年と呼ばれる年齢になり、これまで旅を重ねてきた経験が加わったことで文章にも味が出てきたように思われる。
そんな味わいのある中に、時々若いころの勢いも時々のぞかせて、「私は今、宮田珠己を堪能しています」、という読中の感想に至ったわけである。
「人は充実の中にあるとき、なぜこうなったとか、そんなことはいちいち問わないものだ。ただ、今ここにこうしていてそれでいいという状態。まさしくそれが今という気がした。」
なるほど。
とりあえずはしまなみ海道を船で渡って、大三島の潮流体験船には乗ってみたい。そう思った次第である。
タグ :宮田珠己
2011年05月14日
妻の実家へ帰る
水曜日から妻が熱を出した。
今の時期はただでさえ忙しいうえ、今週は雨も降ったため私の仕事はさらに忙しくなり、22時に帰れば早いくらいで、うち一晩はほぼ徹夜になるほどの状態で、代わって子守りも出来ないくらいだったので、妻は「実家へ帰らせていただきます」と実家に帰っていった。
土曜日は休みなので私も妻の実家へ帰ることに。
呉方面なのでJRで30分くらいのところなのだが、ただJRでしゅぴっと帰るのもなんなので、路線バスでどこまでいけるかやってみようと考えた。
人間というものは忙しくなると何を考え出すかわからないものだ。
バスセンターまで出て、そこから東方向へ、海田あるいはその先の坂までは行けると思うが、その先のバス事情はわからない。実家の近くにもバス停はあったなぁ、ただ初めて妻の実家へあいさつに行って以来今日までそのバス停にバスが通ってるのをみたことがないなぁとか思いながら、行ける所まで行こう。で、どうしようもなくなればJRに乗ればいい。ちょうど今「だいたい四国八十八ヶ所(宮田珠己)」を毎晩読んでいるのでJR沿いに歩いてもいい。
人間というものは忙しくなると何を考え出すかわからないものだ。忙しいとは心を亡くすと書くのである。
土曜日。
そんなわけで朝早く起き、出していたクリーニングを取りに行ったら出発しようと思い、クリーニング屋に行って帰ってきた途端、見慣れた車が目に入った。
これは、うちの車じゃないか・・・
クリーニングを取りに行ってる5,6分の間に妻子が帰ってきたんかとさえ思うほどの衝撃だった。
よって妻に電話する。
「車で帰ってなかったんじゃね」
「じいちゃんに迎えに来てもらって帰ったよ。だいたい熱が39度もあったのに車運転できるわけないよ。」とのこと。
・・・たしかに。
まぁ妻の熱は木曜には下がったようでなによりであるが、私のバス計画は暗礁に乗り上げ、今後実現することはないように思われる。
今の時期はただでさえ忙しいうえ、今週は雨も降ったため私の仕事はさらに忙しくなり、22時に帰れば早いくらいで、うち一晩はほぼ徹夜になるほどの状態で、代わって子守りも出来ないくらいだったので、妻は「実家へ帰らせていただきます」と実家に帰っていった。
土曜日は休みなので私も妻の実家へ帰ることに。
呉方面なのでJRで30分くらいのところなのだが、ただJRでしゅぴっと帰るのもなんなので、路線バスでどこまでいけるかやってみようと考えた。
人間というものは忙しくなると何を考え出すかわからないものだ。
バスセンターまで出て、そこから東方向へ、海田あるいはその先の坂までは行けると思うが、その先のバス事情はわからない。実家の近くにもバス停はあったなぁ、ただ初めて妻の実家へあいさつに行って以来今日までそのバス停にバスが通ってるのをみたことがないなぁとか思いながら、行ける所まで行こう。で、どうしようもなくなればJRに乗ればいい。ちょうど今「だいたい四国八十八ヶ所(宮田珠己)」を毎晩読んでいるのでJR沿いに歩いてもいい。
人間というものは忙しくなると何を考え出すかわからないものだ。忙しいとは心を亡くすと書くのである。
土曜日。
そんなわけで朝早く起き、出していたクリーニングを取りに行ったら出発しようと思い、クリーニング屋に行って帰ってきた途端、見慣れた車が目に入った。
これは、うちの車じゃないか・・・
クリーニングを取りに行ってる5,6分の間に妻子が帰ってきたんかとさえ思うほどの衝撃だった。
よって妻に電話する。
「車で帰ってなかったんじゃね」
「じいちゃんに迎えに来てもらって帰ったよ。だいたい熱が39度もあったのに車運転できるわけないよ。」とのこと。
・・・たしかに。
まぁ妻の熱は木曜には下がったようでなによりであるが、私のバス計画は暗礁に乗り上げ、今後実現することはないように思われる。
2011年03月05日
「ときどき意味もなくずんずん歩く」
「スットコランド日記深煎り(宮田珠己著)」をさすがにそろそろ買おうかと思ったが、一足飛んで「だいたい四国八十八ヶ所」を買うことにした。
「だいたい四国八十八ヶ所」なにやら予想外に売れているらしく、重版も決定したらしい。
そんなわけでいつものフタバメガに行く。
・・・ない。
旅本コーナーにあるだろうと勇んだが、高橋歩はいっぱい平積されているのに、こちらは「わたしの旅に何をする。」がぽつんと一冊あるだけで、宮田珠己のみの字もない。もちろんエッセイのコーナーにもないし、ましてや新刊コーナーにもない。
検索があったので探してみると「在庫なし」
・・・なんということ。
全く何やってんだ、フタバ図書。そんなわけで紀伊国屋の偉大さを改めて感じたわけでした。

そんなわけで何も買わずに出ようと思ったが文庫コーナーでつい「ときどき意味もなくずんずん歩く」(幻冬舎文庫)を手に取ってしまう。これは「52%調子のいい旅」を文庫にしたものである。
その本を手に取ったまま、そのままレジへ。結局勢いで購入した。
「52%調子のいい旅」を持ってるにもかかわらず・・・である。
========================
家に帰って読んでみると不思議なことが起こった。
読んでみたら前読んだ時とこの本の印象が違うのだ。何故だかわからないが、この本とても面白い。
いや、もちろん面白いにこしたことはないのだが、私が感じた違和感とは「52%・・・」を読んだその当時、私はその本に対し何か物足りないな・・・と思っていたから。
「52%・・・」を買ったのは2003年頃、あれから8年近く経過し、印象が変わったのだろうか?
当時の物足りなさが、あまり旅エッセイという感じではなかったからなのか、これまでの「旅の理不尽」や「私の旅に何をする」に比べて突き抜け感がなかったからなのか、それとも文体のマンネリ感だったのか、今となってはわからないが。
とにかく、今回読んで面白かった。
その面白さはただ爆笑するだけというものではなく、計算する気はなくても奥深くで自動計算されているような、なんというか完成された落語のような面白さである。
========================
なお、「52%調子のいい旅」については、こちら(辺境の旅はゾウに限る)でも記載しています。
「ディーヴ(この本では「幻の町」)」の話
「だいたい四国八十八ヶ所」なにやら予想外に売れているらしく、重版も決定したらしい。
そんなわけでいつものフタバメガに行く。
・・・ない。
旅本コーナーにあるだろうと勇んだが、高橋歩はいっぱい平積されているのに、こちらは「わたしの旅に何をする。」がぽつんと一冊あるだけで、宮田珠己のみの字もない。もちろんエッセイのコーナーにもないし、ましてや新刊コーナーにもない。
検索があったので探してみると「在庫なし」
・・・なんということ。
全く何やってんだ、フタバ図書。そんなわけで紀伊国屋の偉大さを改めて感じたわけでした。

そんなわけで何も買わずに出ようと思ったが文庫コーナーでつい「ときどき意味もなくずんずん歩く」(幻冬舎文庫)を手に取ってしまう。これは「52%調子のいい旅」を文庫にしたものである。
その本を手に取ったまま、そのままレジへ。結局勢いで購入した。
「52%調子のいい旅」を持ってるにもかかわらず・・・である。
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家に帰って読んでみると不思議なことが起こった。
読んでみたら前読んだ時とこの本の印象が違うのだ。何故だかわからないが、この本とても面白い。
いや、もちろん面白いにこしたことはないのだが、私が感じた違和感とは「52%・・・」を読んだその当時、私はその本に対し何か物足りないな・・・と思っていたから。
「52%・・・」を買ったのは2003年頃、あれから8年近く経過し、印象が変わったのだろうか?
当時の物足りなさが、あまり旅エッセイという感じではなかったからなのか、これまでの「旅の理不尽」や「私の旅に何をする」に比べて突き抜け感がなかったからなのか、それとも文体のマンネリ感だったのか、今となってはわからないが。
とにかく、今回読んで面白かった。
その面白さはただ爆笑するだけというものではなく、計算する気はなくても奥深くで自動計算されているような、なんというか完成された落語のような面白さである。
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なお、「52%調子のいい旅」については、こちら(辺境の旅はゾウに限る)でも記載しています。
「ディーヴ(この本では「幻の町」)」の話
タグ :宮田珠己
2011年02月15日
「世にも奇妙なマラソン大会」
「スットコランド日記深煎り(宮田珠己著)」をそろそろ買おうかと思ったが、結局となりにあった「世にも奇妙なマラソン大会(高野秀行著)」を購入。 なにしろオビの言葉は「ときどき意味もなくずんずん走る!ⓒ宮田珠己」
========================
「世にも奇妙なマラソン大会」
深夜のモヤモヤタイムに思わず申し込んでしまったのが、西サハラの砂漠を走るマラソン大会。砂だらけの42.195キロを、それまで10キロしか走ったことのない著者は走り切ることができるのか。いやなぜそんなアホな行動に出るのか。
高野秀行の真骨頂である「間違う力」全開の作品集。
========================
(著者・高野さんのブログより、サハラマラソンについて抜粋)
今回私が参加したサハラ・マラソンは、別に過酷さが売り物ではない。
それより「変」なのである。
なぜなら、サハラ・アラブ民主共和国、通称「西サハラ」と呼ばれる未確認国家の独立運動を支援するため、アルジェリア領にある彼らの難民キャンプ周辺の砂漠で行われたからだ。
西サハラはかつてスペインの植民地だったが、
スペインが撤退した直後、隣国のモロッコに占領されてしまった。
住民である「サハラ人」はモロッコ人とは別の民族であり、独自の国家をもとうと
モロッコの弾圧に立ち向かって武力闘争をはじめた。
そのゲリラは「ポリサリオ戦線」と呼ばれる。
1991年にモロッコとポリサリオ戦線は停戦し、国連による住民投票が行われることになったが、モロッコの数々の妨害により実施されないまま20年近くが過ぎている。
モロッコの弾圧から逃げたサハラ難民がいまだ20万人も、草木のほとんどない砂漠のど真ん中に暮らしている。
それがサハラ人難民キャンプ兼西サハラ亡命政府の拠点であり、
つまりポリサリオ戦線後援のマラソン大会なのである。
========================
話は、勢いで参加することを決めてしまったという「やってしまった感」の中に、知らない土地で謎のマラソンに立ち向かうという「かつてないワクワク感」が同居して、次の展開が楽しみになる。
軽妙な文章でもあり、妻子が寝静まった夜中に一気に読もうと思っていたが、ムスメを寝かしつけるときに、不覚にもいっしょに寝てしまい、朝を迎えてしまった。不覚だった。
そんなわけで今日、寝転がって読んでると、ムスメが腹の上にやってきて「遊ぼう」と邪魔をする。ムスメを左手で転がしながら、右手に本を持ち、意地になって読んでいた。そのうちムスメが「ちゃんと本気で私と向きあえ」といわんばかりに本を奪い取ろうとするので、録画しておいた「いないいないばぁ」を見せおとなしくテレビに見入ってもらった。たまにはこういう試練も必要だろう。
========================
「マラソンの勝者はひとりじゃない、完走したランナーみんなが勝者なんだ」
旅人が泊まった宿で一緒になった人と夜、ゆんたくをするように、山に登る人同士が、登る途中で、ピークで、すれ違いざまに話をするように、ランナーにとって、マラソン大会とは祭りのようなもの。
タイムがどうかとか完走できるかどうかとか・・・、もあるけれど、同じ環境、同じ境遇の中で時間を共にするもの同士、同じ話題で話ができる、仲間になれるということが、楽しいのである。
いつかは世界一周・・・、まではいかなくてもいいから、まだ行ってない場所に行って、そこを歩き、
いつかはフルマラソンを走れるくらいまでトレーニングをし、(とりあえずは10kmかな)
その合間合間で山に登れるような生活。
年頭の誓いではないが(まぁ2月だけど)、
今年だけでなく、10年20年見据えても、このみっつができるくらい、今は体力を蓄えておこう。
========================
PS:この本は他にも短編は何編か入っているのだけど、その中の「名前変更物語」には久々にやばいくらい大爆笑してしまいました。電車の中で読んでなくてよかった。
タグ :高野秀行
2011年01月21日
HAPPY HAPPY 2歳

まだまだ寒いけど、陽射しに春の兆しが感じられるこの日
あなたは産声をあげました
あれから2年、お母さんもお父さんも2歳です
これからも少しづつでもいいから一歩一歩成長していこう
2011年01月17日
おーりとーり
このブログでは私及び私を中心にした人々の旅日記(主に沖縄方面)で成り立っています。
10.11南大東島へ
妻子を広島に置いて、長男と二人、南大東島へ
09.11娘、10ヶ月にして最南端へ~波照間~
娘が誕生して初めての南への旅
10ヶ月にして、はや最南端、波照間へ
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妊娠記
2009年1月21日、その娘、産まれました。その時の(妻の)妊娠・出産の様子をこちらに
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過去の旅日記はこちらから・・・
08,09伊平屋伊是名へ
長男32回目、次男29回目、私22回目にしてついに真のリベンジ伊是名!
08.06慰霊の日の沖縄へ
6月23日、慰霊の日近辺の沖縄を巡る旅(加えて長男はガマ、私は久高島へ)
07.12炭水化物3年連続のNAHAマラソン
そして、我々は2年連続のNAHAマラソン観戦
07.02リベンジ伊是名
前年のリベンジを果たすため、長男・次男・Fの最強メンバーで再度伊是名へ
06.09伊是名へ?
伊是名上陸を目指すも、超大型台風に行く手をさえぎられ・・・
05.11戦跡を巡る
第2回有限会社長男戦跡ツアー(当時、参加者は3人いた)
05.09粟国島へ
長男・次男とナビィのロケ地を探す旅
別館写真ブログ「旅の途中の日常」にて 07.09鳩間、08.09伊平屋伊是名 の写真 をアップ中!
***********************************************
★★このBlogのすべてがひと目でわかるサイトマップはこちら!★★

沖縄病の必須アイテムといえば「ルートビア」 ルートビアと私
2011年01月16日
「旅の途中の日常」

これまで撮りためた写真で気に入ったものを1枚1枚、じっくり見てもらおうと写真ブログを開設しました。(2008年9月開設)
写真からの雰囲気を少しでも味わってもらえたら幸いです。
タイトルは「旅の途中の日常」です。
なお、ゆったりと忘れた頃に更新していきます。
2010年12月19日
「僕たちは世界を変えることができない。」
150万円で小学校が建つ!
ある大学生が
思いっきり背伸びして大学デビューし
カンボジアで警察に追いかけられ
小学校の子供たちに元気をもらい
エイズ病棟で泣き
義足の少女と笑い
ゴミ山でヘドロにはまる。
人並みに遊び、人並みに勉強する、フツーの大学生たちがカンボジアに小学校を建てるまでのちょっとHな奮闘記
====================
神保町のアジア文庫でこの本を見つける。
下ネタが多いのでどこの出版社からも出版を断られてしまい結局自費出版で出した本らしい。
が、なかなかにうまい文章でとても読みやすく、東京からの帰りののぞみの車中で一気に読み終えた。
大学生がボランティアでカンボジアに屋根のある小学校を建てる話。
カンボジアの子供たちのため、というよりも、自分たちのワクワクドキドキのために活動を始めるも、初めて訪れたカンボジアで日本とは違う現実を肌で感じ、自分たちも成長していくというノンフィクション。
迷いながらもストレートに訴えてくる言葉は共感できるものが多い。
綺麗事や正義感は棚の上に置いて、今日、自分の身の丈で自分のできる最善のことをやればこれでいいのだ。
読んでる途中は次の展開にとてもワクワクし、読み終えると自分も何かやってやろう、精一杯楽しく生きていこうと思える本。
この本との出会いは本当に偶然なのだが、東京まで行ってよかったと思える一冊だった。
====================
いろいろ調べていくと、どうも来年の秋、映画化されるようですね。
2010年11月04日
南大東島へ①旅立ちとムスメ
うちのムスメはもうすぐ1歳10ヶ月になる。
だいぶ言葉をしゃべるようになり、たとえばケータイが鳴ってると「でんわ!」って言って教えてくれる。また、保育園でしているのか「結んで開いて」を歌いながら踊ったり、親バカと言われようとかわいいのだ。そして相変わらず休みの日は帽子かぶって靴はいて(最近は自分で履けるようになった)公園行こうとアピールする。
そんなわけで休みの日に仕事とか歯医者とかその他所用で一人で外に出ようとすると、「さっき靴下履かせてくれたやんか。これはどういうことだったんだ?」と足を指さして泣いたりしてそれは大変だ。
平日は朝とフロの時くらいしか会う時間がないけど、休日はけっこう父ちゃんべったりになって、なんとも嬉しいものである。
11月2日(火)
さて、南大東島へ行く前の晩、風呂にて重大発表!
「お父ちゃんは明日から4日間、旅に出てくるからね。4日後の夜に帰ってくるから、その間はお母ちゃんとおフロ入ろうね」
・・・ムスメは下を向いて固まっていた。心持ち寂しそうな顔もしていた。
あ~、言ってることわかってるんだな。
その夜、ムスメはなかなか寝なかった。
もう遅い時間だし、十分眠いはずなのだが、目を開けたまま天井を見ている。このまま寝てしまったら、起きたら父ちゃんはいなくなるのじゃないか、なんて考えてるのか?だったら嬉しいけど。
ようやく目をつぶって寝たようなので、私は寝室を出て荷物の準備をする。
部屋から出た瞬間に「ギャーーーー」と泣き声。
また寝室に戻ってとなりに行くと泣きやんだ。もうしばらく添い寝だね。そして安心したのか、夢の中へ落ちていったようだ。。。
うーむ、明日、出発するのが非常に忍びない。
11月3日(水:祝)
出発の日は5時起床。もちろんムスメはまだ寝ている。
勝手に出ていったと思われるのもなんなので、寝ているムスメを抱き上げ「じゃあ言ってくるよ」という。
ムスメ泣く。
ただこれは、お父ちゃんが出ていくからというのではなく単に気持ちよく寝ていたのを無理やり起こされたのがイヤで泣いてるようだ。
こういうときはお母ちゃんじゃないとだめ。お母ちゃんに抱きかかえられ玄関でお見送り。
さぁ出発!である。

朝6時、まだ夜は明けてなく、ようやく東の空が白んできたくらいの暗さである。
8:30広島空港発
当日の天気は晴れ。窓側の席だったので、景色がよく見える。

広島市内~宮島~山口県~瀬戸内海(伊予灘)~国東半島~阿蘇山~熊本~鹿児島・・・と地図と同じ景色がよく見え全く飽きない。
(写真上:国東半島、写真下:阿蘇山が良く見える)
10:30那覇空港着
妻に無事到着のメールを送り、その返事を読むと、どうもムスメはあれからドアが閉まった後、「待ってぇ~」と泣いたらしい。なんとかまた寝かすも、起きたら「お父ちゃん、お父ちゃん」と探していたようだ。
うーむ、本当に忍びない。。。
でも那覇まで来てしまったし、もう帰るわけにはいかないのだ。
==============================
それから2日経った日のこと、旅中時々妻にメールを送っているのだが、ケータイにメールが届くと「でんわ!」というだけでなく「おとうちゃん!」と言うようにもなったという。
そうそうたった4日間だ、父親の存在を忘れるでないぞ。
だいぶ言葉をしゃべるようになり、たとえばケータイが鳴ってると「でんわ!」って言って教えてくれる。また、保育園でしているのか「結んで開いて」を歌いながら踊ったり、親バカと言われようとかわいいのだ。そして相変わらず休みの日は帽子かぶって靴はいて(最近は自分で履けるようになった)公園行こうとアピールする。
そんなわけで休みの日に仕事とか歯医者とかその他所用で一人で外に出ようとすると、「さっき靴下履かせてくれたやんか。これはどういうことだったんだ?」と足を指さして泣いたりしてそれは大変だ。
平日は朝とフロの時くらいしか会う時間がないけど、休日はけっこう父ちゃんべったりになって、なんとも嬉しいものである。
11月2日(火)
さて、南大東島へ行く前の晩、風呂にて重大発表!
「お父ちゃんは明日から4日間、旅に出てくるからね。4日後の夜に帰ってくるから、その間はお母ちゃんとおフロ入ろうね」
・・・ムスメは下を向いて固まっていた。心持ち寂しそうな顔もしていた。
あ~、言ってることわかってるんだな。
その夜、ムスメはなかなか寝なかった。
もう遅い時間だし、十分眠いはずなのだが、目を開けたまま天井を見ている。このまま寝てしまったら、起きたら父ちゃんはいなくなるのじゃないか、なんて考えてるのか?だったら嬉しいけど。
ようやく目をつぶって寝たようなので、私は寝室を出て荷物の準備をする。
部屋から出た瞬間に「ギャーーーー」と泣き声。
また寝室に戻ってとなりに行くと泣きやんだ。もうしばらく添い寝だね。そして安心したのか、夢の中へ落ちていったようだ。。。
うーむ、明日、出発するのが非常に忍びない。
11月3日(水:祝)
出発の日は5時起床。もちろんムスメはまだ寝ている。
勝手に出ていったと思われるのもなんなので、寝ているムスメを抱き上げ「じゃあ言ってくるよ」という。
ムスメ泣く。
ただこれは、お父ちゃんが出ていくからというのではなく単に気持ちよく寝ていたのを無理やり起こされたのがイヤで泣いてるようだ。
こういうときはお母ちゃんじゃないとだめ。お母ちゃんに抱きかかえられ玄関でお見送り。
さぁ出発!である。

朝6時、まだ夜は明けてなく、ようやく東の空が白んできたくらいの暗さである。
8:30広島空港発
当日の天気は晴れ。窓側の席だったので、景色がよく見える。
広島市内~宮島~山口県~瀬戸内海(伊予灘)~国東半島~阿蘇山~熊本~鹿児島・・・と地図と同じ景色がよく見え全く飽きない。
(写真上:国東半島、写真下:阿蘇山が良く見える)
10:30那覇空港着
妻に無事到着のメールを送り、その返事を読むと、どうもムスメはあれからドアが閉まった後、「待ってぇ~」と泣いたらしい。なんとかまた寝かすも、起きたら「お父ちゃん、お父ちゃん」と探していたようだ。
うーむ、本当に忍びない。。。
でも那覇まで来てしまったし、もう帰るわけにはいかないのだ。
==============================
それから2日経った日のこと、旅中時々妻にメールを送っているのだが、ケータイにメールが届くと「でんわ!」というだけでなく「おとうちゃん!」と言うようにもなったという。
そうそうたった4日間だ、父親の存在を忘れるでないぞ。
2010年11月04日
南大東島へ②離陸、そして南大東島到着
11月3日13:00 那覇空港3階JALチェックインロビーにて長男と合流
合流するやいなや、長男はおもむろにバックから地図を取り出す。
「県史の本から南大東の戦跡の地図をコピーしたもの。時間もあるしひとつひとつ回ってみよう」
見てみると国土地理院の南大東の地図に戦跡がマーキングされている。
この人はどこに行っても誰と話しても、話すテーマにブレがないことをまた今回改めて認識した。
まぁいい。レンタカーも借りてない歩くスピードの旅だ。いろいろ寄り道道草をして彷徨っていこう。
南大東島は沖縄本島から400km東に浮かぶ小さな島。
北大東島、沖大東島と三島で大東諸島を形成している。その中の一番大きな島が南大東島である。
大東諸島の周囲300km四方に島はなく、文字通り絶海の孤島と呼ぶにふさわしい場所。
周囲をとがった岩で囲まれて、ビーチもないため、開発業者も手を出せず、また沖縄の象徴のような赤瓦の家もなく、ただただサトウキビ畑が広がる素朴な風景が残っているという。
13:20頃、特に怪しまれることなく保安検査場を通過。
そういえば那覇空港でJAL系を使うのは初めてだ。空港のつくりはいつも使うANAをそのまま左右対称にしたもの。それだけなんだけどなんか変な感じがする。
そして我々の乗る南大東行きRAC867は、搭乗口28番、予想通りバスに乗って飛行機に搭乗する搭乗口だった。

客層は地元の人か土木作業員がほとんど。観光客は我々含め3~4人だろう。(こういうところでカメラを取り出し写真を撮り出すと観光客というのばれてしまうので注意が必要である)

バスのような2列×2列の4列シート、一番前はなんと電車のような対面式になっている。(写真左)
各座席前のポケットには「うちわ」が用意されている。暑いときはこれであおいでくださいということか。にしても会社名や宣伝も何もないシンプルなものである。(写真右)
14:10、39人乗りのプロペラ機は那覇空港を離陸

約1時間後、島影が見えてきた。初めてみる南大東島だ。
空から見る南大東島は、白みがかった黄緑色をしていた。サトウキビが主幹産業の島だということがわかる。
そして、おぉ港にはフェリー「だいとう」が接岸しているではないか。
今日の16時にとまりんに向け出航。残念ながら我々の滞在中、フェリーは戻ってこない。
フェリーで行ってクレーンで吊られたいと思うもそれは叶わず、せめて吊られるところだけでも見てみたいと思ったものの、それも叶わなかった。今、島に着いたばかりだが、次に来るときはフェリーで来よう、そう思った。
15:30頃、南大東空港到着

空港ビルまで歩いていくというのは離島空港の醍醐味である。

手荷物受取所はベルトコンベアーにはなってなさそう。
さて、空港からは2泊する民宿金城さんの車で集落へ。
我々の目下の懸案はこのそこそこアップダウンのありそうな島をどうやって回るかということ。
「この島は盆地になってて、集落がいちばん低いんです。で、海岸に行くにしたがって標高が高くなる。外周道路までの登りがきついけど、上がってしまえばそうアップダウンはないですかね。」
と民宿のおばさんは言う。
「自転車で大丈夫ですかね。」
「人それぞれですね。20代でもダメという人もいれば、70代のおじいちゃんでも大丈夫という人もいますね」
「そうですか・・・」
迷った。
迷ったんだか、歩くスピードの旅なんだしここで文明の利器を使うのも負けた気にもなる。そう、負けちゃいけんだろう。なにしろ私は毎日通勤で自転車を使っており人並みの脚力はあるという自信はある。こないだは山にも登った、よし自転車だ!
と宿の自転車(ママチャリ)を3日間借りることにした。

そんなわけで借りた「金城1号」「金城2号」(←けっしてベイの金城のホームランのことではない)
合流するやいなや、長男はおもむろにバックから地図を取り出す。
「県史の本から南大東の戦跡の地図をコピーしたもの。時間もあるしひとつひとつ回ってみよう」
見てみると国土地理院の南大東の地図に戦跡がマーキングされている。
この人はどこに行っても誰と話しても、話すテーマにブレがないことをまた今回改めて認識した。
まぁいい。レンタカーも借りてない歩くスピードの旅だ。いろいろ寄り道道草をして彷徨っていこう。
南大東島は沖縄本島から400km東に浮かぶ小さな島。
北大東島、沖大東島と三島で大東諸島を形成している。その中の一番大きな島が南大東島である。
大東諸島の周囲300km四方に島はなく、文字通り絶海の孤島と呼ぶにふさわしい場所。
周囲をとがった岩で囲まれて、ビーチもないため、開発業者も手を出せず、また沖縄の象徴のような赤瓦の家もなく、ただただサトウキビ畑が広がる素朴な風景が残っているという。
13:20頃、特に怪しまれることなく保安検査場を通過。
そういえば那覇空港でJAL系を使うのは初めてだ。空港のつくりはいつも使うANAをそのまま左右対称にしたもの。それだけなんだけどなんか変な感じがする。
そして我々の乗る南大東行きRAC867は、搭乗口28番、予想通りバスに乗って飛行機に搭乗する搭乗口だった。
客層は地元の人か土木作業員がほとんど。観光客は我々含め3~4人だろう。(こういうところでカメラを取り出し写真を撮り出すと観光客というのばれてしまうので注意が必要である)
バスのような2列×2列の4列シート、一番前はなんと電車のような対面式になっている。(写真左)
各座席前のポケットには「うちわ」が用意されている。暑いときはこれであおいでくださいということか。にしても会社名や宣伝も何もないシンプルなものである。(写真右)
14:10、39人乗りのプロペラ機は那覇空港を離陸
約1時間後、島影が見えてきた。初めてみる南大東島だ。
空から見る南大東島は、白みがかった黄緑色をしていた。サトウキビが主幹産業の島だということがわかる。
そして、おぉ港にはフェリー「だいとう」が接岸しているではないか。
今日の16時にとまりんに向け出航。残念ながら我々の滞在中、フェリーは戻ってこない。
フェリーで行ってクレーンで吊られたいと思うもそれは叶わず、せめて吊られるところだけでも見てみたいと思ったものの、それも叶わなかった。今、島に着いたばかりだが、次に来るときはフェリーで来よう、そう思った。
15:30頃、南大東空港到着
空港ビルまで歩いていくというのは離島空港の醍醐味である。
手荷物受取所はベルトコンベアーにはなってなさそう。
さて、空港からは2泊する民宿金城さんの車で集落へ。
我々の目下の懸案はこのそこそこアップダウンのありそうな島をどうやって回るかということ。
「この島は盆地になってて、集落がいちばん低いんです。で、海岸に行くにしたがって標高が高くなる。外周道路までの登りがきついけど、上がってしまえばそうアップダウンはないですかね。」
と民宿のおばさんは言う。
「自転車で大丈夫ですかね。」
「人それぞれですね。20代でもダメという人もいれば、70代のおじいちゃんでも大丈夫という人もいますね」
「そうですか・・・」
迷った。
迷ったんだか、歩くスピードの旅なんだしここで文明の利器を使うのも負けた気にもなる。そう、負けちゃいけんだろう。なにしろ私は毎日通勤で自転車を使っており人並みの脚力はあるという自信はある。こないだは山にも登った、よし自転車だ!
と宿の自転車(ママチャリ)を3日間借りることにした。

そんなわけで借りた「金城1号」「金城2号」(←けっしてベイの金城のホームランのことではない)
2010年11月04日
南大東島へ③カエルの道を自転車で走る
11月3日16:00
そこそこアップダウンのありそうな島だが、敢えて宿の自転車「金城1号」「金城2号」を借りた我々。
夕方は夕日を見に行こうと思っていたのだが、まだ時間が早い。
さてどこへ行こう。
とりあえず島の真ん中の旧空港滑走路の上にある「島まるごとミュージアム」に行ってみよう。ここへいけば島の全容がわかるのではないか。
自転車を走らせる。
道路には踏みつぶされたカエルの死骸がいっぱい。
この島は真ん中に池があるので小動物や虫は多いし、更には天敵のハブがいないため、カエルにとっては天国なのだろう。まぁ天国とは言ってもこんなに車にはねられているんじゃしょうがないが・・・。
今、ムスメと遊ぶときに「♪カエルすっぴょこた♪」という歌をよく歌うのだが、そんなカエルを見ながら、自転車を漕ぐ勢いもあって、そのメロディが頭から離れなくなった。
カエルの死骸を踏まないように気をつけていると、たまに生きたカエルがぴょんぴょん跳ねていることもある。
おっとあぶない・・・、車に気をつけるんだよ。
「島まるごとミュージアム」
入館料は200円だが、ドアを開けて入るも、誰もいない・・・
まぁ島ではよくあることだが「ここに200円を入れて」と缶が置いてある。
私も長男も小銭を持っていなかった。二人合わせて小銭で100円もない。
両替するにも人がいないし、たった200円のことで「やった!ただで入ろう」なんても考えられないので、結局そそくさと出ていった。
次は集落に戻る。大東銀座と呼ばれる飲み屋街を抜け「大東神社」へ

110年前、開拓を始めた年に建立された神社。こういうところも沖縄っぽくないところである。
周囲に池があり蚊が多い。相撲の土俵などを見ていたがそんな時も尋常じゃない蚊の大群に襲われる。
後で島の人にそのことを言うと「台風の後で湿ってたから(蚊が大量発生したん)だろうね」という返事だったが、その時は、やっぱり我々がよそ者だからか?、それとも我々が怪しい者に見えたのか?(一部そう思われても仕方ないという面もあるが・・・)と思ってしまうのであった。
結局ここもそそくさと逃げ帰った。
とはいえいい時間になった。「西港」へ夕日を見に行く
島の外周道路への坂道をあえぎあえぎ上り西港へ。
着いたらちょうど夕日時だ。

そしてやっぱりここにも・・・

すべり台、ブランコ、鉄棒がある。
マグロ公園というらしい。


パルテノン神殿のような、廃墟のようなものがあり、いい雰囲気の写真が撮れた。
もしかしてそのために作った廃墟?なんてことも思ったがもちろんそんなことはなく、旧ボイラー室とのことだった。

18:00前
沖縄だから日暮れの時間は遅いのかと思ったら、ここ大東諸島は山口県と同じくらいの経度らしく普段とあまり変わらない時間の日暮れである。
もうすぐ日が暮れそうだ、早いとこ宿に帰ろう。
そこそこアップダウンのありそうな島だが、敢えて宿の自転車「金城1号」「金城2号」を借りた我々。
夕方は夕日を見に行こうと思っていたのだが、まだ時間が早い。
さてどこへ行こう。
とりあえず島の真ん中の旧空港滑走路の上にある「島まるごとミュージアム」に行ってみよう。ここへいけば島の全容がわかるのではないか。
自転車を走らせる。
道路には踏みつぶされたカエルの死骸がいっぱい。
この島は真ん中に池があるので小動物や虫は多いし、更には天敵のハブがいないため、カエルにとっては天国なのだろう。まぁ天国とは言ってもこんなに車にはねられているんじゃしょうがないが・・・。
今、ムスメと遊ぶときに「♪カエルすっぴょこた♪」という歌をよく歌うのだが、そんなカエルを見ながら、自転車を漕ぐ勢いもあって、そのメロディが頭から離れなくなった。
カエルの死骸を踏まないように気をつけていると、たまに生きたカエルがぴょんぴょん跳ねていることもある。
おっとあぶない・・・、車に気をつけるんだよ。
「島まるごとミュージアム」
入館料は200円だが、ドアを開けて入るも、誰もいない・・・
まぁ島ではよくあることだが「ここに200円を入れて」と缶が置いてある。
私も長男も小銭を持っていなかった。二人合わせて小銭で100円もない。
両替するにも人がいないし、たった200円のことで「やった!ただで入ろう」なんても考えられないので、結局そそくさと出ていった。
次は集落に戻る。大東銀座と呼ばれる飲み屋街を抜け「大東神社」へ
110年前、開拓を始めた年に建立された神社。こういうところも沖縄っぽくないところである。
周囲に池があり蚊が多い。相撲の土俵などを見ていたがそんな時も尋常じゃない蚊の大群に襲われる。
後で島の人にそのことを言うと「台風の後で湿ってたから(蚊が大量発生したん)だろうね」という返事だったが、その時は、やっぱり我々がよそ者だからか?、それとも我々が怪しい者に見えたのか?(一部そう思われても仕方ないという面もあるが・・・)と思ってしまうのであった。
結局ここもそそくさと逃げ帰った。
とはいえいい時間になった。「西港」へ夕日を見に行く
島の外周道路への坂道をあえぎあえぎ上り西港へ。
着いたらちょうど夕日時だ。
そしてやっぱりここにも・・・
すべり台、ブランコ、鉄棒がある。
マグロ公園というらしい。
パルテノン神殿のような、廃墟のようなものがあり、いい雰囲気の写真が撮れた。
もしかしてそのために作った廃墟?なんてことも思ったがもちろんそんなことはなく、旧ボイラー室とのことだった。
18:00前
沖縄だから日暮れの時間は遅いのかと思ったら、ここ大東諸島は山口県と同じくらいの経度らしく普段とあまり変わらない時間の日暮れである。
もうすぐ日が暮れそうだ、早いとこ宿に帰ろう。
2010年11月04日
南大東島へ④南大東の夜はふけて
11月3日(水)18:30
日が暮れるのは早く、民宿に到着したころは既に辺りは真っ暗になっていた。
庭で民宿のおばさんが体操していた。
「どこどこ行きました?」
「まるごと館と神社に行って、その後、西港で夕陽見てました」
「明日はどこに行きますか?」
「とりあえず日の丸展望台に行って、北のバリバリ岩までいこうかと」
「漁港と本場はすごいですよ。ぜひ見に行ってね」
他のお客さんはいそうにない。土木作業で島に出稼ぎに来てたおじさんが何人か泊まっていたらしいが、旅行客は我々2人だけのようだ。
さて、晩をどこで食べよう。狭い島だが飲むところはいっぱいある。
食事処「き作」、居酒屋「ちょうちん」、新しげな居酒屋「ちゃんぷるー亭」、金城のとなりにある「nomo」、新しくできたらしい「居酒屋なすび」等々いろいろある。島のメインストリートにはスナックもいっぱいあるし、パチスロやビリヤードもある。
結局、いちばん魚がうまそうだということで「き作」に行くことにした。

もずくは300円、刺身盛り合わせ(竹)は一皿2,000円。これだけで腹いっぱいになる。

「おすすめ何かある」って出てきたのが、ナワキリの塩焼き。(写真左)
ナワキリは深海魚らしく、歯がするどいのが特徴。(写真右)
一人3,000円弱で腹いっぱい飲んで食った。
20:30頃
腹ごなしに星を見ようと集落のはずれに向かって歩く。やはり離島といえば満天の星空である。
しかし、公園も道路の街灯がこうこうと灯っていて、あまり星が見えない。よく考えればこの道は空港と集落を結ぶメイン道路だった。あんまり必要性はないような気がするが街灯も多いはずだ。カエルの死骸も多いけど。
公園にはやけに長いすべり台があった。
しばらく歩いて道路から少し外れた場所にベンチがあったので腰かける。
少し街灯の明かりは気になるものの、それでも満天の星空だ。
風の音しか聞こえない静寂な空気の中、空を見上げると星がまたたいてるだけ。あ、星が動いてる、と思ったら飛行機だった。こんなところの上空を飛ぶ便があるのかなぁ?
まぁそうはいいながらも満天の星空だけで何分も持つことはなく、程なく二人ともケータイをいじり出す。
この島はやはり電波が弱いのか、iモードもダイヤルアップ並みに遅い(だいいちソフトバンクは圏外だし)
この静寂を突き破るように前の道路を車がブォーーンと通る。
車はこんな夜中なのにやけに騒いでいる。全くうるさいなぁ。よく聞くと「茂みに何かいる」とかいって騒いでいるようだ。
我々のことか!
たしかに普段人のいるはずのない道路わきの茂みにあるベンチに、ただでさえ怪しげなおっさん2人が座り、しかも2人が2人ともケータイ見てたので、顔にケータイの光が反射して・・・
たしかに怪しい!
21:30頃
これ以上怪しまれてもいけないので民宿に戻る。
角の大盛商店で酒を買って民宿で飲みなおすことにした。
買ったのはラム酒「コルコル」。
そう、この島には数年前からサトウキビを原料にした酒、ラム酒の工場ができたのだ。
種類は1,200円の赤と2,400円の緑があったのだが、ケチって赤いのを買った。
さてラム酒を飲もう。
封を開けるとリキュール系の甘い香りが鼻につくくらいきつい。いやな予感はしたが水で割り、飲む。。。
・・・「まずい!」
なんかアルコールの消毒液を飲んでいるようだ。これはいけてない。
しばらくしたら慣れるかと思うも、いっこうに慣れることはない。
これは、割るのが水じゃいけないんだろう。
「炭酸がいいかも」と近くの自販機でコーラとCCレモンを買ってくる。
コーラで割る。。。
・・・「びみょう・・・」
口直しにコーラだけにして飲む「・・・うまい」
その後、コーラだけCCレモンだけにして宴は続いた。
あぁコルコル、半分以上余ってしまったではないか!!!
やっぱりケチって安い赤を買ったのがいけなかったのか?
奮発して緑を買えばよかったのか?
それはそれで後悔しそうな気がするけど。
一応コルコルの名誉のために書くと、後日、工場見学の際にラム酒工場「グレイスラム」の人から、「これを水割りで飲むような人はいませんね」とあっさり言われたということを付け加えておこう。
カクテルのベースとかお菓子やケーキに入れたりして使うというのが主流らしい。
22:50頃
家に電話をかけ部屋に戻ってきたら、唯一映るテレビ局のNHK-BSは日本シリーズをやっていた。ニュースかと思ったら生中継、こんな時間に?と思ったら延長11回らしい。
そのまましばらく野球を見ていたのだが、気付くと長男は既に夢の中へと移行していた。
長い充実した一日が終わった。
日が暮れるのは早く、民宿に到着したころは既に辺りは真っ暗になっていた。
庭で民宿のおばさんが体操していた。
「どこどこ行きました?」
「まるごと館と神社に行って、その後、西港で夕陽見てました」
「明日はどこに行きますか?」
「とりあえず日の丸展望台に行って、北のバリバリ岩までいこうかと」
「漁港と本場はすごいですよ。ぜひ見に行ってね」
他のお客さんはいそうにない。土木作業で島に出稼ぎに来てたおじさんが何人か泊まっていたらしいが、旅行客は我々2人だけのようだ。
さて、晩をどこで食べよう。狭い島だが飲むところはいっぱいある。
食事処「き作」、居酒屋「ちょうちん」、新しげな居酒屋「ちゃんぷるー亭」、金城のとなりにある「nomo」、新しくできたらしい「居酒屋なすび」等々いろいろある。島のメインストリートにはスナックもいっぱいあるし、パチスロやビリヤードもある。
結局、いちばん魚がうまそうだということで「き作」に行くことにした。
もずくは300円、刺身盛り合わせ(竹)は一皿2,000円。これだけで腹いっぱいになる。
「おすすめ何かある」って出てきたのが、ナワキリの塩焼き。(写真左)
ナワキリは深海魚らしく、歯がするどいのが特徴。(写真右)
一人3,000円弱で腹いっぱい飲んで食った。
20:30頃
腹ごなしに星を見ようと集落のはずれに向かって歩く。やはり離島といえば満天の星空である。
しかし、公園も道路の街灯がこうこうと灯っていて、あまり星が見えない。よく考えればこの道は空港と集落を結ぶメイン道路だった。あんまり必要性はないような気がするが街灯も多いはずだ。カエルの死骸も多いけど。
しばらく歩いて道路から少し外れた場所にベンチがあったので腰かける。
少し街灯の明かりは気になるものの、それでも満天の星空だ。
風の音しか聞こえない静寂な空気の中、空を見上げると星がまたたいてるだけ。あ、星が動いてる、と思ったら飛行機だった。こんなところの上空を飛ぶ便があるのかなぁ?
まぁそうはいいながらも満天の星空だけで何分も持つことはなく、程なく二人ともケータイをいじり出す。
この島はやはり電波が弱いのか、iモードもダイヤルアップ並みに遅い(だいいちソフトバンクは圏外だし)
この静寂を突き破るように前の道路を車がブォーーンと通る。
車はこんな夜中なのにやけに騒いでいる。全くうるさいなぁ。よく聞くと「茂みに何かいる」とかいって騒いでいるようだ。
我々のことか!
たしかに普段人のいるはずのない道路わきの茂みにあるベンチに、ただでさえ怪しげなおっさん2人が座り、しかも2人が2人ともケータイ見てたので、顔にケータイの光が反射して・・・
たしかに怪しい!
21:30頃
これ以上怪しまれてもいけないので民宿に戻る。
角の大盛商店で酒を買って民宿で飲みなおすことにした。
そう、この島には数年前からサトウキビを原料にした酒、ラム酒の工場ができたのだ。
種類は1,200円の赤と2,400円の緑があったのだが、ケチって赤いのを買った。
さてラム酒を飲もう。
封を開けるとリキュール系の甘い香りが鼻につくくらいきつい。いやな予感はしたが水で割り、飲む。。。
・・・「まずい!」
なんかアルコールの消毒液を飲んでいるようだ。これはいけてない。
しばらくしたら慣れるかと思うも、いっこうに慣れることはない。
これは、割るのが水じゃいけないんだろう。
「炭酸がいいかも」と近くの自販機でコーラとCCレモンを買ってくる。
コーラで割る。。。
・・・「びみょう・・・」
口直しにコーラだけにして飲む「・・・うまい」
その後、コーラだけCCレモンだけにして宴は続いた。
あぁコルコル、半分以上余ってしまったではないか!!!
やっぱりケチって安い赤を買ったのがいけなかったのか?
奮発して緑を買えばよかったのか?
それはそれで後悔しそうな気がするけど。
一応コルコルの名誉のために書くと、後日、工場見学の際にラム酒工場「グレイスラム」の人から、「これを水割りで飲むような人はいませんね」とあっさり言われたということを付け加えておこう。
カクテルのベースとかお菓子やケーキに入れたりして使うというのが主流らしい。
22:50頃
家に電話をかけ部屋に戻ってきたら、唯一映るテレビ局のNHK-BSは日本シリーズをやっていた。ニュースかと思ったら生中継、こんな時間に?と思ったら延長11回らしい。
そのまましばらく野球を見ていたのだが、気付くと長男は既に夢の中へと移行していた。
長い充実した一日が終わった。
2010年11月04日
南大東島へ⑤歩くスピードで島を一周
11月4日(木)朝
寝ていたら部屋まで響く大音量のメロディが流れた。
伊是名の630(ロクサンマル:朝の6時30分に起きて夕方の6時30分に家に帰る健康的な生活をしようという目的で、毎朝6時30分に集落中に大音量でメロディが流れる。)みたいだと、時計をみると朝6:00。まだ6時じゃないか、ロクサンマルとは違うのか。
このメロディで目はさめたのだが、長男はまだ寝ているようだ。結局30分ほど、布団の中でうだうだしていた。うん、朝日は明日にしよう。
そんなわけで伊是名島での630の言いつけを守り、6時半過ぎうだうだと起床。
民宿は素泊まりのため、朝食をどこかで食べるか買いにいかないといけない。
朝食が食べられるところを探しに集落内を朝の散歩。とりあえず役場の近くまで歩いてみよう。
すぐにどこからともなく犬がやってくる。大東犬かと思ったが足が長いので違うようだ。
体を撫でてやると気持ちいいのか、もっとやってくれとねだってくる。立ち去ってももっとやってくれとついてくる。
集落を歩いてみるとこの島は沖縄っぽくなく、どっちかというと北海道みたいに見える。一面に広がる畑や、外輪山が取り囲み海が見えないところとかもそうだが、また街並みもなんだかいつもの沖縄の離島とはなんか違う。程なく、屋根が赤瓦とかの瓦屋根じゃなくトタン屋根が多いというのが北海道っぽく見えるのだってことに気付いた。
農協を越え、役場の交差点を気象台方面に曲がってもさっきの大東犬(ではないが便宜上そう呼ぶ)がついてくる。すっかりなついてしまったのか、それとも怪しい者が歩いてるぞと後をつけてるのか。
結局朝食が食べられるようなところはなく、民宿の近くの大盛商店(南大東のコンビニと呼ばれている:6:30~23:00まで開店)で大東すし500円。
9:00自転車で島一周に出発。
島を一周しようと勇んだものの、よく考えると昼を食べる店は集落にしかない。昼に一旦集落に戻ってこないといけない。しかも「午後1時で店は閉まりますから気を付けてくださいね」と民宿のおばちゃんに言われてたので、何としても戻ってこないといけない。
というわけで午前中の行程を「島の南側の日の丸展望台から島の北側のバリバリ岩まで行こう」と下方修正し、出発!
外周道路に出る登り坂をあえぎあえぎ登り、9:30頃、日の丸展望台に到着。
展望台に上ると、一面のサトウキビ畑、それをぐるりと取り囲む外輪山、その向こうにようやく青い海。島の70%が一望できる。
高台のため風が強いが、日差しと自転車で登ってきた体にはそれが心地よい。
と、感慨にふかれながらも長男はここで、昨日那覇空港で見せてもらった地図を取り出し、「この下には旧日本軍の陣地壕があるようだ。」と言う。
そんなわけで下に降り、柵を乗り越え、写真を撮り、「ここの陣地壕はこんな構造になっていて・・・」と説明する。ひとつ目的が達成され長男は満足そうだ。
この陣地壕についての詳細は長男に聞いてくれ。きっと丁寧に答えてくれるはずだ。
次へ行こう。
外周道路を少し進むと「海軍棒」という看板。けっして海軍壕ではない。
10:00頃海軍棒に到着
ここには岩をくりぬいて作ったプールがある。プールの中にある大きな岩は、その昔台風で打ち上げられプールの中に入ってきたというものらしい。プールで遊ぶ子供たちの休憩場になってるようだが、今でも台風が来るたびに場所が変わっているという。
写真ではうっすらであるが、北大東が見えた。意外と近い。
そして結局ここでも波の写真を撮ったりとして30分もぼーっとまったり過ごしていた。
そんなわけで、次の南大東空港に着いたのは11:00前だった。
もうすぐ午前便の到着(11:20)と出発(11:45)の時間だ。屋上の送迎デッキに上がる。カギがかかってたのだが、内カギだったので勝手に開けて上がる。
飛行機の着陸から到着、そして乗客が降りて空港ビルに向かうところなど一部始終をカメラで撮影。怪しい監視員のように機体にカメラを向けていた。
出発便を見送るともう12:00前である。
そんなこんなで昼が近い。集落に戻らねば。唯一(と思う)の昼を食べることができる店がしまってしまう。
午前中のうちに、バリバリ岩まで行こうなんて思っていたのだが、3分の1も進んでない。
いや、なかなかいい進み具合ではないか。
2010年11月04日
南大東島へ⑥職務質問?
11月4日12:30頃
在所の集落に戻ってきた。
民宿金城に自転車を置き、大東そばを食べに行こうとすると、民宿のおばさんに声をかけられる。
「tanaさん、長男さん、職務質問とかされませんでしたか?」
「え?・・・いえ。。。」
「それなら良かったです。今警察の強化月間みたいで、いろいろ聞かれるかもしれません」
「・・・そうですか」
なんら後ろめたいことはないが、一瞬びっくりした。
いや、「後ろめたいことはない」と書いたが、いろいろ振り返ると怪しい行動は多かったなぁ。
・昨夜、星が見たいという理由だけで道路わきの廃寺の茂みでお化けのようにたむろ。この行動は近くの道路を通った車に目撃された。
・日の丸展望台では、展望そっちのけで柵を乗り越え陣地壕に入った(これは長男のみ)
・空港で、カギがかかっているにもかかわらず屋上に上がり、怪しい監視員のように機体や空港職員などに無遠慮にカメラを向け隠し撮り(別に隠れてはないが)した。
その他、朝の散歩では大東犬(みたいな犬)につきまとわれたし、そういえば大東神社では蚊の大群に襲われた。犬から見ても蚊から見ても怪しげな者にみられたに違いない。
これは、警察が動くのも仕方ないか・・・と思うようになった。
残された島の滞在時間、慎ましやかに過ごしていこうと思った。
昼は「大東そば」を食べる。

前に読んだwebでの旅行記では、大東そばの店は「伊佐商店」で、金城の真向かいに「富士食堂」という500円で食べ放題という食堂があったかに思ったのだが、今、目の前にあるのは大東そばと看板はあるが「富士食堂」。
webの旅行記自体10年近く前のものだったから、いろいろ変化したのだろう。
そば大700円、そばと大東ずしのセットが1,000円。
大東そばは、沖縄そばというよりもうどんに近い食感の麺であっさりとしたスープにあっていた。
また、ここでは大東すしも美味かった。
※大東すし・・・みりん醤油のタレにサワラやマグロを漬け込み、酢めしに乗せた南大東島の握り寿司。南大東島は、八丈島からの開拓者によって開かれた島であるため、八丈島や小笠原に見られる寿司が「大東寿司」のルーツといわれている。
昼を食べた後は、お待ちかねのシエスタ生活。

洗濯をし、シャワーを浴び、コーヒーを飲み、本を読むというまったり生活。
そういえば島一周はどうなったんだという人もいるかもしれないが、まぁ明日がある。
明日は気象台を見学しようと電話し、ガマ好きな長男のために地底湖探検というのも行ってみようかと思ったが6,000円と余りに高いのであっさり却下。
その後、本を読むと言いながら、本を読む姿勢でそのまま寝てしまっていた。
目が覚めたら庭で長男と民宿金城のおばさんがゆんたくしていた。
時計を見ると14:00を回っていた。
昼間は日差しが暑いくらいだったが、雲が出て風も吹いてTシャツ1枚では寒いくらい。
長男は「きのうのコルコル、コーヒーで割るとそれなりにいける」と言う。早く言えば昼間っから飲んでいたということだ。

民宿金城。
「古い建物だからね」と民宿のおばさんは言うが、なかなかに趣がある。
そして、このトタン屋根の建物と曇った空を見てると、北海道というかシベリアにいるような雰囲気である。
これから北の方、バリバリ岩まで行くことを告げると、
「北港だったら漁港も近いですね。」とさりげなくお勧めスポットの漁港を勧める。
そして「星野洞は16時に閉まりますよ。」と出発を急かす。
15:00
そんなわけで、島の北方向、星野洞とバリバリ岩に向け出発!
公的に洞窟に入れると長男の顔はほころんでいるように見えた。
おっと、いけない、顔をほころばせている場合ではない。我々は今この島で「怪しい者」として追われている身だったことを忘れてた。そして追われてる身ながらも長男は酒気帯び自転車運転ではないか。
ネズミ捕りにあわないよう、ゆっくりチャリを走らせよう。
在所の集落に戻ってきた。
民宿金城に自転車を置き、大東そばを食べに行こうとすると、民宿のおばさんに声をかけられる。
「tanaさん、長男さん、職務質問とかされませんでしたか?」
「え?・・・いえ。。。」
「それなら良かったです。今警察の強化月間みたいで、いろいろ聞かれるかもしれません」
「・・・そうですか」
なんら後ろめたいことはないが、一瞬びっくりした。
いや、「後ろめたいことはない」と書いたが、いろいろ振り返ると怪しい行動は多かったなぁ。
・昨夜、星が見たいという理由だけで道路わきの廃寺の茂みでお化けのようにたむろ。この行動は近くの道路を通った車に目撃された。
・日の丸展望台では、展望そっちのけで柵を乗り越え陣地壕に入った(これは長男のみ)
・空港で、カギがかかっているにもかかわらず屋上に上がり、怪しい監視員のように機体や空港職員などに無遠慮にカメラを向け隠し撮り(別に隠れてはないが)した。
その他、朝の散歩では大東犬(みたいな犬)につきまとわれたし、そういえば大東神社では蚊の大群に襲われた。犬から見ても蚊から見ても怪しげな者にみられたに違いない。
これは、警察が動くのも仕方ないか・・・と思うようになった。
残された島の滞在時間、慎ましやかに過ごしていこうと思った。
昼は「大東そば」を食べる。
前に読んだwebでの旅行記では、大東そばの店は「伊佐商店」で、金城の真向かいに「富士食堂」という500円で食べ放題という食堂があったかに思ったのだが、今、目の前にあるのは大東そばと看板はあるが「富士食堂」。
webの旅行記自体10年近く前のものだったから、いろいろ変化したのだろう。
そば大700円、そばと大東ずしのセットが1,000円。
大東そばは、沖縄そばというよりもうどんに近い食感の麺であっさりとしたスープにあっていた。
また、ここでは大東すしも美味かった。
※大東すし・・・みりん醤油のタレにサワラやマグロを漬け込み、酢めしに乗せた南大東島の握り寿司。南大東島は、八丈島からの開拓者によって開かれた島であるため、八丈島や小笠原に見られる寿司が「大東寿司」のルーツといわれている。
昼を食べた後は、お待ちかねのシエスタ生活。
洗濯をし、シャワーを浴び、コーヒーを飲み、本を読むというまったり生活。
そういえば島一周はどうなったんだという人もいるかもしれないが、まぁ明日がある。
明日は気象台を見学しようと電話し、ガマ好きな長男のために地底湖探検というのも行ってみようかと思ったが6,000円と余りに高いのであっさり却下。
その後、本を読むと言いながら、本を読む姿勢でそのまま寝てしまっていた。
目が覚めたら庭で長男と民宿金城のおばさんがゆんたくしていた。
時計を見ると14:00を回っていた。
昼間は日差しが暑いくらいだったが、雲が出て風も吹いてTシャツ1枚では寒いくらい。
長男は「きのうのコルコル、コーヒーで割るとそれなりにいける」と言う。早く言えば昼間っから飲んでいたということだ。
民宿金城。
「古い建物だからね」と民宿のおばさんは言うが、なかなかに趣がある。
そして、このトタン屋根の建物と曇った空を見てると、北海道というかシベリアにいるような雰囲気である。
これから北の方、バリバリ岩まで行くことを告げると、
「北港だったら漁港も近いですね。」とさりげなくお勧めスポットの漁港を勧める。
そして「星野洞は16時に閉まりますよ。」と出発を急かす。
15:00
そんなわけで、島の北方向、星野洞とバリバリ岩に向け出発!
公的に洞窟に入れると長男の顔はほころんでいるように見えた。
おっと、いけない、顔をほころばせている場合ではない。我々は今この島で「怪しい者」として追われている身だったことを忘れてた。そして追われてる身ながらも長男は酒気帯び自転車運転ではないか。
ネズミ捕りにあわないよう、ゆっくりチャリを走らせよう。
2010年11月04日
南大東島へ⑦怪しい自転車隊、北へ
11月4日15:00、星野洞へ向け出発
外周道路より一本内側の道を進む。
車がなんとかすれ違えるくらいのやや狭い道だが、車はめったに通らない。この道を我が物顔で怪しい自転車隊は北上。
車はめったに通らないが、ダンプなどの工事用車両や工事関係者らしき車は時々通る。
この島は他の離島と同じように公共工事が盛ん。「夕陽の広場」とかいう公園を建設中だった。こういったことが雇用を生み出し、出稼ぎ者も生み出し、飲み屋が栄える昭和の光景。この小さな島、小さな集落に意外に飲み屋が多いのもこういう背景があるのだろう。
「星野洞」

星野さんの土地の洞だから星野洞というらしい。入場料が800円。
受付で懐中電灯を貸してくれる。長男としては「私は常に持ち歩いているものがありますから」と言いたいところだろうが、敢えてそういうことは言わなかった。「怪しい者」として警察に追われてる身(前回の記事を参照)として簡単に素性は明かせないのだ。

そんなわけで一般的に懐中電灯を貸してくれるのは当たり前としてもこの施設、音声案内まで付いている。
客は日に数人くればいい方だというらしいが、そのような施設の割にはやけに立派に整備されているなぁと思ったところだが、音声案内の最初に、「この施設は竹下登時代の”ふるさと創生1億円”で整備しました」とアナウンス。
おぉ、離島名物「ふるさと創生1億円」だ。
やけに立派だなぁと思ったらやっぱりだ。
と同時に思った、伊是名島よりはまだ良い使い方してるな。


鍾乳洞もなかなかの見どころなのだが、「ふるさと創生1億円」に反応してしまい、これらの鍾乳洞を1億円で作ったのかなんてどうでもいいことばかり頭に浮かんでくるし、洞窟好きの長男は洞内の隅から隅まで行こうとするしで
大変だった。
洞窟の中は涼しいものというイメージに反して蒸し風呂状態で暑かった!
懐中電灯を返しに案内のお姉さん(自称)を訪ね、長男は「ボノジロってこの島でよく見るけど、どんな意味なんですか?」と問う。
聞くと、ボノジロとは島の言葉ではなく、ロシアの軍艦の名前という。
1820年、無人島のこの島はロシアの軍艦によって、存在と位置が確認された。その軍艦が「ボロジノ号」という。
その後、1900年に日本(八丈島出身者)からの開拓団によって日本の旗が立てられた。
この島の歴史は110年。
琉球文化を引き継いでいる沖縄とは根本的に違う島なのだ。
更に北に行く。
鉄塔が見えたら北港への分岐。ドコモとauの鉄塔がある。ここにソフトバンクが加わるのはいつの日か。
しばらく進むとバリバリ岩へ行く分岐。前は小さな看板しかなく人を寄せ付けない雰囲気だったらしいが、立派な看板も設置され、駐車場も整備されている。
「バリバリ岩」

南大東島の地層に亀裂が入って割れている。このバリバリ岩はもとは一枚だった大きな岩の割れ目で、幅1m程度の割れ目が何処までも続いている。
島の割れ目。

この島は珊瑚が隆起してできた島で、遠くパプアニューギニアから移動してきた島。
今でも島は年に数cm、沖縄本島の方へ移動してるらしく、そしていずれは海の底に沈んでしまうんだとか。
この割れ目は、島が動いていることの証。
割れ目を下って行った先は洞窟になっていた。ただそこも上を見ると裂けた岩の割れ目からかすかに光が・・・
何とも不可思議な雰囲気の漂っている場所。
月並みな言葉だがすごかった。ここは行ってみる価値あり。
その後、天然記念物という「大池のオヒルギ群落」を、「オヒルギって何だ?」という「 ? ? ? 」な気持ちのまま立ち寄り、(後に、オヒルギとはマングローブということを知る。)対岸にある大池展望台に行こうと思っていたが、気づくとあたりはだいぶ暗くなっていた。
大池展望台に行くまでに道に迷った。一本道なはずだが辿りつかない。

辺りはだいぶ暗くなり、右を見ても左を見ても同じようなサトウキビ畑。
今、自転車で走ってる道は北に向かっているのか、東に向かっているのかもわからない。いやどこへ向かっているのかではなく、「今どこなのか」ということもわからない。
「ここどこだろう」と立ち止まって地図を見てても、急に犬にほえられるもんだから、すぐに逃げるように去る。やっぱり怪しいものに見えたのだろう。
そうこうしているうちに更に日が暮れ暗くなっていく。
こういうときの解決法はただ一つ、
「元来た道を戻ろう」
これまで通ってきた道のうっすらとした記憶をたどりに家路へ戻る。
民宿に戻ったころは真っ暗だった。
外周道路より一本内側の道を進む。
車がなんとかすれ違えるくらいのやや狭い道だが、車はめったに通らない。この道を我が物顔で怪しい自転車隊は北上。
車はめったに通らないが、ダンプなどの工事用車両や工事関係者らしき車は時々通る。
この島は他の離島と同じように公共工事が盛ん。「夕陽の広場」とかいう公園を建設中だった。こういったことが雇用を生み出し、出稼ぎ者も生み出し、飲み屋が栄える昭和の光景。この小さな島、小さな集落に意外に飲み屋が多いのもこういう背景があるのだろう。
「星野洞」
星野さんの土地の洞だから星野洞というらしい。入場料が800円。
受付で懐中電灯を貸してくれる。長男としては「私は常に持ち歩いているものがありますから」と言いたいところだろうが、敢えてそういうことは言わなかった。「怪しい者」として警察に追われてる身(前回の記事を参照)として簡単に素性は明かせないのだ。
そんなわけで一般的に懐中電灯を貸してくれるのは当たり前としてもこの施設、音声案内まで付いている。
客は日に数人くればいい方だというらしいが、そのような施設の割にはやけに立派に整備されているなぁと思ったところだが、音声案内の最初に、「この施設は竹下登時代の”ふるさと創生1億円”で整備しました」とアナウンス。
おぉ、離島名物「ふるさと創生1億円」だ。
やけに立派だなぁと思ったらやっぱりだ。
と同時に思った、伊是名島よりはまだ良い使い方してるな。
鍾乳洞もなかなかの見どころなのだが、「ふるさと創生1億円」に反応してしまい、これらの鍾乳洞を1億円で作ったのかなんてどうでもいいことばかり頭に浮かんでくるし、洞窟好きの長男は洞内の隅から隅まで行こうとするしで
大変だった。
洞窟の中は涼しいものというイメージに反して蒸し風呂状態で暑かった!
懐中電灯を返しに案内のお姉さん(自称)を訪ね、長男は「ボノジロってこの島でよく見るけど、どんな意味なんですか?」と問う。
聞くと、ボノジロとは島の言葉ではなく、ロシアの軍艦の名前という。
1820年、無人島のこの島はロシアの軍艦によって、存在と位置が確認された。その軍艦が「ボロジノ号」という。
その後、1900年に日本(八丈島出身者)からの開拓団によって日本の旗が立てられた。
この島の歴史は110年。
琉球文化を引き継いでいる沖縄とは根本的に違う島なのだ。
更に北に行く。
鉄塔が見えたら北港への分岐。ドコモとauの鉄塔がある。ここにソフトバンクが加わるのはいつの日か。
しばらく進むとバリバリ岩へ行く分岐。前は小さな看板しかなく人を寄せ付けない雰囲気だったらしいが、立派な看板も設置され、駐車場も整備されている。
「バリバリ岩」
南大東島の地層に亀裂が入って割れている。このバリバリ岩はもとは一枚だった大きな岩の割れ目で、幅1m程度の割れ目が何処までも続いている。
島の割れ目。
この島は珊瑚が隆起してできた島で、遠くパプアニューギニアから移動してきた島。
今でも島は年に数cm、沖縄本島の方へ移動してるらしく、そしていずれは海の底に沈んでしまうんだとか。
この割れ目は、島が動いていることの証。
割れ目を下って行った先は洞窟になっていた。ただそこも上を見ると裂けた岩の割れ目からかすかに光が・・・
何とも不可思議な雰囲気の漂っている場所。
月並みな言葉だがすごかった。ここは行ってみる価値あり。
その後、天然記念物という「大池のオヒルギ群落」を、「オヒルギって何だ?」という「 ? ? ? 」な気持ちのまま立ち寄り、(後に、オヒルギとはマングローブということを知る。)対岸にある大池展望台に行こうと思っていたが、気づくとあたりはだいぶ暗くなっていた。
大池展望台に行くまでに道に迷った。一本道なはずだが辿りつかない。
辺りはだいぶ暗くなり、右を見ても左を見ても同じようなサトウキビ畑。
今、自転車で走ってる道は北に向かっているのか、東に向かっているのかもわからない。いやどこへ向かっているのかではなく、「今どこなのか」ということもわからない。
「ここどこだろう」と立ち止まって地図を見てても、急に犬にほえられるもんだから、すぐに逃げるように去る。やっぱり怪しいものに見えたのだろう。
そうこうしているうちに更に日が暮れ暗くなっていく。
こういうときの解決法はただ一つ、
「元来た道を戻ろう」
これまで通ってきた道のうっすらとした記憶をたどりに家路へ戻る。
民宿に戻ったころは真っ暗だった。
2010年11月04日
南大東島へ⑧南大東の夜はふけて~2日目~
宿に着いたのは18:00過ぎ。
唯一映るテレビ局のNHK-BSは今日も日本シリーズをやっていた。
千葉ロッテvs中日、2勝2敗で迎えた第5戦。
初回1点先制されたマリーンズだが、その裏打線が繋がり4-1と逆転。こういう光景を見て、2005年の日本シリーズ、虎を完膚なきまでにやっつけたことを思い出した。思えば近年の日本シリーズの中でいちばん興奮したシリーズだったなぁ。
夜は「ちょうちん」という居酒屋へ。いろいろ晩を食べる(飲む)ところはいっぱいあるが、なんとなく昔からありそうな居酒屋だったから、そこに決めた。
======================
19:00頃
居酒屋に入る。既に地元の人と思われる人(もしかしたら出稼ぎの土木作業員かも)がカウンターに3人、テーブルに2人の先客がいる。
そして、ここでも日本シリーズをやっていた。
今日も刺身を頼み、日本シリーズを見ながら飲む。
今年は第4戦、第6戦、7戦と死闘で見ごたえのある試合だったが、この試合はマリーンズのワンサイド。
カウンターのお客さんは、厨房にいる居酒屋のご主人と話しているのだがウチナーグチで何を言ってるのかわからない。
そのうち野球の話になり、だんだん話の内容がわかってきた。
「だから今日で日本一が決まるんじゃないよ。一日おいて、ナゴヤに戻ってそこでロッテが勝ったら日本一、中日が勝ったら3対3で、その次勝ったら日本一さ」とかいった内容の話をしている。
そして何回も同じ話をしている。
======================
野球もワンサイドになり、カウンターにいた3人のお客さんも帰っていき、残ったのは我々2人と後からやってきて隣のテーブルに座った地元のおじさん1人になった。
そんなわけで、しばらくしてご主人とおかみさんが我々のテーブルの近くにやって来ていっしょに話をする。
(※この辺から酔って記憶があいまいなので、細かい内容は不明)
昨日行った「き作」はご主人のお兄さんとのことらしい。
また、弟さんは那覇のとまりんの近くで店を開いているということで、その名も「き作」という。三兄弟そろって料理人なのだ。
おかみさんは、我々が明日那覇に帰ると聞いて「ぜひ行ってみてくださいね」と勧める。我々としては2日間魚が続いたので明日は肉を食べようかと思っていたのだが、「結構人気だからカウンターしか空いてないかもね、電話してみようか」と、その店を予約させられそうな勢いだった。
======================
長男がご主人に「この島はいつが一番、おすすめですか」と聞いたときの返事。
「いつが良いというのはない。今、秋だから、次は冬に来てほしい。その次は春に来てほしい。」
・・・そうか、この人はこの島に住んでいるのだ。
春が良い
夏が良い
秋が良い
冬が良い
明け方が良い
昼下がりが良い
夕暮れが良い
夜が良い
もちろん逆もある
きっと日常とはそういうものだ
闇も、光も永遠に続くものではなく
その時その時の表情があるのだ
昨日今日、島を一回りしたとしても、島の全部を見たわけではない。
せいぜい島の365分の2を見ただけなのだ。
そんな、何の変哲もない日常にふっとやってきて、そして風のように去っていく。
そう考えるとふっと何か面白くなってきた。
そしてご主人は、時間を置いてこう言った。
「でも9月の祭りの時が一番いいかなぁ」
======================
帰り際、「この島に来てくれてありがとう」と手を握ってくれた。
私の中でこの2日間はけっして365分の2、なんてものでは、ない。
唯一映るテレビ局のNHK-BSは今日も日本シリーズをやっていた。
千葉ロッテvs中日、2勝2敗で迎えた第5戦。
初回1点先制されたマリーンズだが、その裏打線が繋がり4-1と逆転。こういう光景を見て、2005年の日本シリーズ、虎を完膚なきまでにやっつけたことを思い出した。思えば近年の日本シリーズの中でいちばん興奮したシリーズだったなぁ。
夜は「ちょうちん」という居酒屋へ。いろいろ晩を食べる(飲む)ところはいっぱいあるが、なんとなく昔からありそうな居酒屋だったから、そこに決めた。
======================
19:00頃
居酒屋に入る。既に地元の人と思われる人(もしかしたら出稼ぎの土木作業員かも)がカウンターに3人、テーブルに2人の先客がいる。
そして、ここでも日本シリーズをやっていた。
今日も刺身を頼み、日本シリーズを見ながら飲む。
今年は第4戦、第6戦、7戦と死闘で見ごたえのある試合だったが、この試合はマリーンズのワンサイド。
カウンターのお客さんは、厨房にいる居酒屋のご主人と話しているのだがウチナーグチで何を言ってるのかわからない。
そのうち野球の話になり、だんだん話の内容がわかってきた。
「だから今日で日本一が決まるんじゃないよ。一日おいて、ナゴヤに戻ってそこでロッテが勝ったら日本一、中日が勝ったら3対3で、その次勝ったら日本一さ」とかいった内容の話をしている。
そして何回も同じ話をしている。
======================
野球もワンサイドになり、カウンターにいた3人のお客さんも帰っていき、残ったのは我々2人と後からやってきて隣のテーブルに座った地元のおじさん1人になった。
そんなわけで、しばらくしてご主人とおかみさんが我々のテーブルの近くにやって来ていっしょに話をする。
(※この辺から酔って記憶があいまいなので、細かい内容は不明)
昨日行った「き作」はご主人のお兄さんとのことらしい。
また、弟さんは那覇のとまりんの近くで店を開いているということで、その名も「き作」という。三兄弟そろって料理人なのだ。
おかみさんは、我々が明日那覇に帰ると聞いて「ぜひ行ってみてくださいね」と勧める。我々としては2日間魚が続いたので明日は肉を食べようかと思っていたのだが、「結構人気だからカウンターしか空いてないかもね、電話してみようか」と、その店を予約させられそうな勢いだった。
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長男がご主人に「この島はいつが一番、おすすめですか」と聞いたときの返事。
「いつが良いというのはない。今、秋だから、次は冬に来てほしい。その次は春に来てほしい。」
・・・そうか、この人はこの島に住んでいるのだ。
春が良い
夏が良い
秋が良い
冬が良い
明け方が良い
昼下がりが良い
夕暮れが良い
夜が良い
もちろん逆もある
きっと日常とはそういうものだ
闇も、光も永遠に続くものではなく
その時その時の表情があるのだ
昨日今日、島を一回りしたとしても、島の全部を見たわけではない。
せいぜい島の365分の2を見ただけなのだ。
そんな、何の変哲もない日常にふっとやってきて、そして風のように去っていく。
そう考えるとふっと何か面白くなってきた。
そしてご主人は、時間を置いてこう言った。
「でも9月の祭りの時が一番いいかなぁ」
======================
帰り際、「この島に来てくれてありがとう」と手を握ってくれた。
私の中でこの2日間はけっして365分の2、なんてものでは、ない。
2010年11月04日
南大東島へ⑨いよいよ3日目
11月5日(金)南大東3日目
7:00過ぎ起床。
やや昨日の酒が残っている。結局、今日も朝日は見にいけなかった。。。

8:00
朝を軽く食べ、気象台へ行く。
台風の時に良く聞く南大東島。
ここの気象台は台風観測の最前線であるとともに、高層気象観測を行っている。
高層気象観測とは高度約30km付近(成層圏)までの気圧、気温、風光、風速を観測するもの。ここから得られたデータにより高層天気図を作成し天気予報に利用したりしている。こういった観測所は日本国内では16か所、全世界には約900か所あるという。
観測方法は気球に水素ガスを充填させ、空へ飛ばす。気球に付けたセンサーで観測し情報を送ってくるという仕組み。1日に2回、8:30と20:30に観測しているという。気球を飛ばすのは自動化されているので、人手は気球の補充くらいしかいらないという。

水素ガスが入る前の気球 センサー
と、いった説明を気象台の人に受け、さぁ観測時間(気球が飛び出す時間)の8:30になった。

8:30
気球がポンと飛び出し、一気に飛んでいく。あっという間に空の彼方へ飛んでいった。
気象台の近くにあった、ふるさと文化センター(入館料200円)に入る。
この島はその昔、島全体が製糖会社の社有地だったということは知っていたが、以下のような土地問題があったことを初めて知った。
=========================
南大東の土地問題~土地所有者認定記念之碑より抜粋~
本村の農地は、明治33年以来、国有地であった原生林を玉置商会が借り受け、同商会と開拓農民との間に貸付期間満了後は農民に所有権が払い下げられるとの口約で、前人未到の地に、農民の自力自費を投じて指南にして崇高な開拓がすすめられ、大将の初期には全農地が開拓された。
大正5年、経営不振に陥った玉置商会は、事業権を東洋製糖株式会社に売り渡し、諸々の経緯を経て東洋製糖会社は土地の所有権も取得した。しかし昭和3年、同社は大日本製糖株式会社に合併されたため、南大東島は大日本製糖株式会社の所有地となった。結果、島は位置会社が経営支配するという日本国中に前例のない社会制度が昭和21年まで続いた。
昭和26年、農地の所有権は開拓農民およびその後継者にあるという先の事実に基づき、村長以下全村民が団結して、土地所有権認定問題を関係当局に提起。会社とも折衝を重ねたが、島の支配者も変転されているだけに困難を極めた。昭和36年6月、時の琉球列島高等弁務官キャラウェイ氏来島の際、土地問題を本村の基本的重要問題として直訴した。キャラウェイ氏は要請を受け入れ、島の土地問題は米国民政府土地裁判所において審議することとなり所有権の帰属について係争が続けられた。
昭和39年7月30日、高等弁務官の採決に当事者が合意し、1,679ヘクタールの農地は無償で農民に所有権が認められた。一方残余の宅地等は、大日本製糖会社から琉球政府に条件付き寄贈され、後に琉球政府から村が条件付贈与を受け、村は各使用者に売り渡した。
村民の悲願であった土地所有権問題は、ここに開拓創始以来から、64年6ヶ月8日目にして解決した。
=========================
文化センターの脇にはキャラウェイの銅像もある。
キャラウェイは、日本への沖縄返還反対論者として知られ、当時の沖縄住民の多くが彼に反発していたのだが、大東島民にとっては恩人。人間や事象の評価というのは、ひとつの方向からだけでは解らないものである。
その後、役場に寄り南大東村史を買いに行き(長男が)、ふたたび怪しい自転車隊金城1号金城2号は島の真ん中へ移動。

3日目にして思ったのだが、この島を自転車で回るのはけっこう大変だ。
そうはいいながらも午前中、島まるごと館(入館料200円、今回はちゃんと小銭を持っていった)と、ラム酒工場「グレイスラム」、そして、長男の強い要望により秋葉神社の近くにある忠魂碑へと精力的に金城1号金城2号は走る。
島まるごと館では、館の人に「自転車で島を回ってるんですか」とびっくりされる。やっぱり島の人から見るとそうなのだろうなぁ。
旧空港にあるラム酒工場「グレイスラム」で見学をしたのだが、ラム酒のことはそっちのけで旧空港の施設がいろいろ残っているのにびっくりする。

建物は旧空港をそのまま利用 中に入ってもそのまま

奥の工場に入ってもそのまま 昔は18人乗りだった
12:30頃
昨日同様大東そばを昼に食べ、民宿に戻ってきた。
あとはシャワーを浴び、飛行機出発の時間までゆっくりして土産などを買いに集落をうろうろしようと思っていた。
7:00過ぎ起床。
やや昨日の酒が残っている。結局、今日も朝日は見にいけなかった。。。
8:00
朝を軽く食べ、気象台へ行く。
台風の時に良く聞く南大東島。
ここの気象台は台風観測の最前線であるとともに、高層気象観測を行っている。
高層気象観測とは高度約30km付近(成層圏)までの気圧、気温、風光、風速を観測するもの。ここから得られたデータにより高層天気図を作成し天気予報に利用したりしている。こういった観測所は日本国内では16か所、全世界には約900か所あるという。
観測方法は気球に水素ガスを充填させ、空へ飛ばす。気球に付けたセンサーで観測し情報を送ってくるという仕組み。1日に2回、8:30と20:30に観測しているという。気球を飛ばすのは自動化されているので、人手は気球の補充くらいしかいらないという。
水素ガスが入る前の気球 センサー
と、いった説明を気象台の人に受け、さぁ観測時間(気球が飛び出す時間)の8:30になった。
8:30
気球がポンと飛び出し、一気に飛んでいく。あっという間に空の彼方へ飛んでいった。
気象台の近くにあった、ふるさと文化センター(入館料200円)に入る。
この島はその昔、島全体が製糖会社の社有地だったということは知っていたが、以下のような土地問題があったことを初めて知った。
=========================
南大東の土地問題~土地所有者認定記念之碑より抜粋~
本村の農地は、明治33年以来、国有地であった原生林を玉置商会が借り受け、同商会と開拓農民との間に貸付期間満了後は農民に所有権が払い下げられるとの口約で、前人未到の地に、農民の自力自費を投じて指南にして崇高な開拓がすすめられ、大将の初期には全農地が開拓された。
大正5年、経営不振に陥った玉置商会は、事業権を東洋製糖株式会社に売り渡し、諸々の経緯を経て東洋製糖会社は土地の所有権も取得した。しかし昭和3年、同社は大日本製糖株式会社に合併されたため、南大東島は大日本製糖株式会社の所有地となった。結果、島は位置会社が経営支配するという日本国中に前例のない社会制度が昭和21年まで続いた。
昭和26年、農地の所有権は開拓農民およびその後継者にあるという先の事実に基づき、村長以下全村民が団結して、土地所有権認定問題を関係当局に提起。会社とも折衝を重ねたが、島の支配者も変転されているだけに困難を極めた。昭和36年6月、時の琉球列島高等弁務官キャラウェイ氏来島の際、土地問題を本村の基本的重要問題として直訴した。キャラウェイ氏は要請を受け入れ、島の土地問題は米国民政府土地裁判所において審議することとなり所有権の帰属について係争が続けられた。
昭和39年7月30日、高等弁務官の採決に当事者が合意し、1,679ヘクタールの農地は無償で農民に所有権が認められた。一方残余の宅地等は、大日本製糖会社から琉球政府に条件付き寄贈され、後に琉球政府から村が条件付贈与を受け、村は各使用者に売り渡した。
村民の悲願であった土地所有権問題は、ここに開拓創始以来から、64年6ヶ月8日目にして解決した。
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文化センターの脇にはキャラウェイの銅像もある。
キャラウェイは、日本への沖縄返還反対論者として知られ、当時の沖縄住民の多くが彼に反発していたのだが、大東島民にとっては恩人。人間や事象の評価というのは、ひとつの方向からだけでは解らないものである。
その後、役場に寄り南大東村史を買いに行き(長男が)、ふたたび怪しい自転車隊金城1号金城2号は島の真ん中へ移動。
3日目にして思ったのだが、この島を自転車で回るのはけっこう大変だ。
そうはいいながらも午前中、島まるごと館(入館料200円、今回はちゃんと小銭を持っていった)と、ラム酒工場「グレイスラム」、そして、長男の強い要望により秋葉神社の近くにある忠魂碑へと精力的に金城1号金城2号は走る。
島まるごと館では、館の人に「自転車で島を回ってるんですか」とびっくりされる。やっぱり島の人から見るとそうなのだろうなぁ。
旧空港にあるラム酒工場「グレイスラム」で見学をしたのだが、ラム酒のことはそっちのけで旧空港の施設がいろいろ残っているのにびっくりする。
建物は旧空港をそのまま利用 中に入ってもそのまま
奥の工場に入ってもそのまま 昔は18人乗りだった
12:30頃
昨日同様大東そばを昼に食べ、民宿に戻ってきた。
あとはシャワーを浴び、飛行機出発の時間までゆっくりして土産などを買いに集落をうろうろしようと思っていた。
2010年11月04日
南大東島へ⑩漁港へ、そして、また来るよ
11月5日(金)12:30頃
飛行機出発の時間までゆっくりして土産などを買いに集落をうろうろしようと思っていた。
庭でゆっくりしてると民宿のおばさんが話しかけてきた。
「昨日はバリバリ岩に行って、漁港は行きましたか?」
「いえ、暗くなってきたんでそのまま帰りました」
「あら、漁港には行かなかったの?」
それはまるで、こんなさい果ての南大東までやってきてるというのに、お前達はなぜ漁港に行かないのだ?とでもいうような口ぶりだった。漁港がそんなにすごいのか?
「漁港はすごいですよ。城壁みたいですよ。まだ時間はあるので行ってみてくださいね」
しきりに漁港を勧める。そういえば初日からそうだった。
だが、さすがに3日間の自転車で膝もかなりくたびれてきていた。
今日の午前中も精力的に動いた。最後の方は長男の本能のまま忠魂碑まで探しあてた。自転車も終わり「やれやれ、あとはゆっくりしよう」と思ってたところに追い打ちをかける一言だった。そんなわけで、
「あぁ・・・、そうですね」
というに留まった。
それでも、おばさんは引き続き漁港の話を続ける。そして、だんだんと長男も例の国土地理院の地図(戦跡がマーキングしているやつ)を持ち出し漁港の建設のいきさつについていろいろと話し出す。
おや?だんだん二人で漁港の話で盛り上がり始めてるぞ。
まぁ待て待て、いいじゃないか、また近いうちにフェリーで北大東に渡り、その後南大東にも来ると決意したのだから、その時に行けばいいじゃないか、次の楽しみに残しておくのも乙なものだろう、もうここをてこでも動かんぞ。・・・と思っていたものの、密室協議の結果、以下の結論に至った。
「わかった、そこまで言うのなら、もうひとふんばり漁港までがんばろう」
ふたたび外周道路に登る坂道をあえぎあえぎ上り、北に向かって30分、すれ違う人も自転車も車もいない。そして最後の目的地、漁港に着いた。着いた途端目を疑った。

なんじゃこりゃ。
岩をくり抜いて港を作っている。
今までの島ののんべんだらりとした景色とは明らかに違う。
先入観なしに行ったものだからまったく想像を超えるものだったことにびっくり。
漁船が直接接岸できるようするため岸壁を削って作った大きな漁港なのだが、おばさんの言うとおりこれは城壁だ。そして、なんとなくギリシャにあるような古い競技場のようにも見える、水がなければ。

看板があったので見る。
平成元年から工事に着手し来年度終わる予定。事業費は23年間で299億円である。
おばさんは言っていた。
「でも、旅客船は入れないんですよ。漁船は農林水産省で、旅客船は国土交通省の管轄になるから、補助がおりなくなるらしいです」
粟国でもそうだった。旅客港を整備しているのに、人の来そうにないところに立派な漁港を作ってた。そこへのアクセス道路が離島にふさわしくない歩道付きの二車線の道路だったし。漁船と旅客船の航路がごっちゃになると危険でもあるが・・・。
旅人としては、旅客船で吊りあげられる体験を残してくれたので、それはそれでよかったと思うべきなのか。
この漁港の工事で23年。この間、旅客用の西港も整備されたことだろう。そして新しい空港も10年前、2000年に完成したというし、空港と集落をつなぐ新しい歩道付きの立派なアクセス道路も建設された。(その歩道は人が通った形跡はないが。)今も「夕陽の広場」という公園を建設中である。
20年以上、島は公共事業で潤っている。
民宿にも旅行客以上に沖縄本島などから出稼ぎできている土木作業員が泊まっている。それで泊まって夜は飲んで、この島は潤っている。観光客が来なくてもやってこれたことだろう、これまでは。

海の向こうに島影が見える。北大東島だ。
はっきりと見える。なにしろ北大東まで8kmしかない。
8kmしかないのだが、この間の海の深さは1,500mまで深くなる。
富士山のような山が海の底からにょきっと生えている。そんな島が2つ。沖大東島を合わせると3つある。
この島は本当に絶海の孤島なんだなぁ。


15:40頃、民宿金城発、泊まってた土木作業員2人といっしょに民宿の車で空港へ行く。
15:50空港着。
2泊3日、お世話になった民宿のおばさんに別れを告げ、空港に入ると、そこは人だかり。どうやら午前の便が出発できなかったらしい。そんなわけで午後の便は満席とのこと。
今日は天気は良かったし、しいて言えば風が強かったくらいだが、一体どんな理由で出発できなかったんだ?(あとで確認すると機体の故障が原因だったらしい。)


機体に乗りこむ。
16:25定刻通り、琉球エアコミューター機は南大東を離陸。
しばらくは島の上を飛ぶ。薄い緑のサトウキビ畑、大池が見える。上から見るとほんとにこの島は池が多いなぁ。
「電子機器の使用はご遠慮ください」とアナウンスで言ってるのに長男は写真を撮っている。そんな長男の姿を見て安心したのか後ろに座ってた人もデジカメを取り出し写真をパシャパシャ撮りだした。この飛行機が故障して、南大東に戻ったり、あるいは北大東に不時着してしまったとしたら、責任の所在は長男にあるといえよう。
しかしプロペラ機は、そんな責任の所在のことなどおかまいなしに突き進み、だんだんと島影は小さくなっていく。
飛行時間は1時間。那覇へむけて突き進んでいる。
帰国
の二文字がちらついてきた。そうか、戻るのか。
那覇といえばもう大都会。帰ってきてしまったなぁ。
と、思うとなんだか寂しくなった。
ムスメは1歳10ヶ月になった、仕事も忙しいけど充実している。
今の日常はそれなりに大変だけど、これまでの人生の中でいちばんかけがえない日々を送っていると思う。
そんな日常の中、気持ちが旅から遠ざかっていた時もあったけど、でも行ってみるとやっぱり旅は楽しい。旅が好きなんだって思う。
帰る場所は決まっているけど、時々ふらふらうろうろしよう。
17:40
那覇に着いた。
機内のアナウンスの最後に一言付け加えられた。
「皆様良い週末を」
そうだ、今日は金曜の夜、世間はこれから週末だ。
そうだ週末だ、そんなわけで、これから先は長男と二人、那覇の夜の街に消えていったのでありました。
=南大東島へ 終わり=
飛行機出発の時間までゆっくりして土産などを買いに集落をうろうろしようと思っていた。
庭でゆっくりしてると民宿のおばさんが話しかけてきた。
「昨日はバリバリ岩に行って、漁港は行きましたか?」
「いえ、暗くなってきたんでそのまま帰りました」
「あら、漁港には行かなかったの?」
それはまるで、こんなさい果ての南大東までやってきてるというのに、お前達はなぜ漁港に行かないのだ?とでもいうような口ぶりだった。漁港がそんなにすごいのか?
「漁港はすごいですよ。城壁みたいですよ。まだ時間はあるので行ってみてくださいね」
しきりに漁港を勧める。そういえば初日からそうだった。
だが、さすがに3日間の自転車で膝もかなりくたびれてきていた。
今日の午前中も精力的に動いた。最後の方は長男の本能のまま忠魂碑まで探しあてた。自転車も終わり「やれやれ、あとはゆっくりしよう」と思ってたところに追い打ちをかける一言だった。そんなわけで、
「あぁ・・・、そうですね」
というに留まった。
それでも、おばさんは引き続き漁港の話を続ける。そして、だんだんと長男も例の国土地理院の地図(戦跡がマーキングしているやつ)を持ち出し漁港の建設のいきさつについていろいろと話し出す。
おや?だんだん二人で漁港の話で盛り上がり始めてるぞ。
まぁ待て待て、いいじゃないか、また近いうちにフェリーで北大東に渡り、その後南大東にも来ると決意したのだから、その時に行けばいいじゃないか、次の楽しみに残しておくのも乙なものだろう、もうここをてこでも動かんぞ。・・・と思っていたものの、密室協議の結果、以下の結論に至った。
「わかった、そこまで言うのなら、もうひとふんばり漁港までがんばろう」
ふたたび外周道路に登る坂道をあえぎあえぎ上り、北に向かって30分、すれ違う人も自転車も車もいない。そして最後の目的地、漁港に着いた。着いた途端目を疑った。
なんじゃこりゃ。
岩をくり抜いて港を作っている。
今までの島ののんべんだらりとした景色とは明らかに違う。
先入観なしに行ったものだからまったく想像を超えるものだったことにびっくり。
漁船が直接接岸できるようするため岸壁を削って作った大きな漁港なのだが、おばさんの言うとおりこれは城壁だ。そして、なんとなくギリシャにあるような古い競技場のようにも見える、水がなければ。
看板があったので見る。
平成元年から工事に着手し来年度終わる予定。事業費は23年間で299億円である。
おばさんは言っていた。
「でも、旅客船は入れないんですよ。漁船は農林水産省で、旅客船は国土交通省の管轄になるから、補助がおりなくなるらしいです」
粟国でもそうだった。旅客港を整備しているのに、人の来そうにないところに立派な漁港を作ってた。そこへのアクセス道路が離島にふさわしくない歩道付きの二車線の道路だったし。漁船と旅客船の航路がごっちゃになると危険でもあるが・・・。
旅人としては、旅客船で吊りあげられる体験を残してくれたので、それはそれでよかったと思うべきなのか。
この漁港の工事で23年。この間、旅客用の西港も整備されたことだろう。そして新しい空港も10年前、2000年に完成したというし、空港と集落をつなぐ新しい歩道付きの立派なアクセス道路も建設された。(その歩道は人が通った形跡はないが。)今も「夕陽の広場」という公園を建設中である。
20年以上、島は公共事業で潤っている。
民宿にも旅行客以上に沖縄本島などから出稼ぎできている土木作業員が泊まっている。それで泊まって夜は飲んで、この島は潤っている。観光客が来なくてもやってこれたことだろう、これまでは。
海の向こうに島影が見える。北大東島だ。
はっきりと見える。なにしろ北大東まで8kmしかない。
8kmしかないのだが、この間の海の深さは1,500mまで深くなる。
富士山のような山が海の底からにょきっと生えている。そんな島が2つ。沖大東島を合わせると3つある。
この島は本当に絶海の孤島なんだなぁ。
15:40頃、民宿金城発、泊まってた土木作業員2人といっしょに民宿の車で空港へ行く。
15:50空港着。
2泊3日、お世話になった民宿のおばさんに別れを告げ、空港に入ると、そこは人だかり。どうやら午前の便が出発できなかったらしい。そんなわけで午後の便は満席とのこと。
今日は天気は良かったし、しいて言えば風が強かったくらいだが、一体どんな理由で出発できなかったんだ?(あとで確認すると機体の故障が原因だったらしい。)
機体に乗りこむ。
16:25定刻通り、琉球エアコミューター機は南大東を離陸。
しばらくは島の上を飛ぶ。薄い緑のサトウキビ畑、大池が見える。上から見るとほんとにこの島は池が多いなぁ。
「電子機器の使用はご遠慮ください」とアナウンスで言ってるのに長男は写真を撮っている。そんな長男の姿を見て安心したのか後ろに座ってた人もデジカメを取り出し写真をパシャパシャ撮りだした。この飛行機が故障して、南大東に戻ったり、あるいは北大東に不時着してしまったとしたら、責任の所在は長男にあるといえよう。
しかしプロペラ機は、そんな責任の所在のことなどおかまいなしに突き進み、だんだんと島影は小さくなっていく。
飛行時間は1時間。那覇へむけて突き進んでいる。
帰国
の二文字がちらついてきた。そうか、戻るのか。
那覇といえばもう大都会。帰ってきてしまったなぁ。
と、思うとなんだか寂しくなった。
ムスメは1歳10ヶ月になった、仕事も忙しいけど充実している。
今の日常はそれなりに大変だけど、これまでの人生の中でいちばんかけがえない日々を送っていると思う。
そんな日常の中、気持ちが旅から遠ざかっていた時もあったけど、でも行ってみるとやっぱり旅は楽しい。旅が好きなんだって思う。
帰る場所は決まっているけど、時々ふらふらうろうろしよう。
17:40
那覇に着いた。
機内のアナウンスの最後に一言付け加えられた。
「皆様良い週末を」
そうだ、今日は金曜の夜、世間はこれから週末だ。
そうだ週末だ、そんなわけで、これから先は長男と二人、那覇の夜の街に消えていったのでありました。
=南大東島へ 終わり=




